fc2ブログ

Please take a look at this

愛のカタチ 2.



「最悪な女だな。あんなんで秘書が務まんのかよ」

翌日、俺はあきらのオフィスに来ていた。

「おいおい、アポなしで突然現れたと思ったら、いきなりうちの社員の悪口かよ。勘弁してくれよ、俺だってそう暇じゃねーんだぞ?」

あきらは、書類の上を走らせていたペンを置くと、ソファーで踏ん反り返る俺を見て肩をすくめた。
俺が来た以上、仕事の継続は無理だと諦めたのか、内線でコーヒーを二つ頼むと、俺と向い合せのソファーに腰を落ち着かせる。

「あのな、言っとくが松崎は秘書としては有能だぞ?」

「アレが? だとしたら、お前ンとこの秘書レベルは低すぎだろ」

「そう言うなって。確かに気は強いが普段は明るい奴だし、仕事だって完璧にこなしてる。努力を隠してスマートに事を運ぶし、その上あの容貌だ。周りからの評判は良いし人気も高い。関西支社の重役が、どうしても第一秘書に松崎をって、ごねたぐらいだからな」

「冗談だろ。ダチを平気で傷付ける奴が評判良いだと? 笑わせんな。こっちは、松崎のせいであいつに落ち込まれて迷惑してんだよ」

昨日、松崎に会ってからというもの、女の様子は明らかに変わった。
泣き顔を誤魔化して口元に笑みを描いたのは一瞬で、邸に帰ってからは飯も食わず、与えてある自室に籠ったきり昨夜から出て来やしねぇ。

「落ち込んでんのか。⋯⋯なぁ、松崎のこと、何か言ってたか?」

あからさまに迷惑顔だったくせして、急にそれを消したあきらは、神妙なツラで訊ねてくる。

「言うも何も部屋から出てこねぇって言ってんだろ」
「⋯⋯そうか」

何か言ってくるならマシだ。
思い悩んでるらしいとは分かっても、鍵掛けて部屋にも入れねぇんじゃ、聞き出すのも難しい。

今朝だって、見送りもなく顔も合わしちゃいない。
このままで良いはずもなく、膝の上で両手を組み見合わせ思案に暮れている様子のあきらに、思い切って切り込んでみる。

「あきら、あいつとは付き合い長げぇんだろ? だったら、あいつと松崎って女がダチだったってことも知ってたんだよな? 
なぁ、あいつらの間に何があった? 俺の記憶に関して関係のねぇ松崎って女が口挟んできたのには、俺だってムカついてる。けど、それだけであいつがここまで落ち込むってのは、どうも腑に落ちねぇ。何か知ってんなら全部教えろ」

パッ、と持ち上がったあきらの顔に驚愕が浮かぶ。
そりゃそうだろう。俺自身が答えを見つけなきゃ意味がねぇって、誰もが口を揃えた十年前。俺の抜け落ちた記憶を教える気はないのだと悟った俺は、それから一度だって、こいつ等に何かを問い質したことはなかったんだから。
どうせ訊くだけ無駄だと、記憶に繋がる直接的なものは勿論。過去に遡らなけりゃ知り得ない事柄の一切を、俺は十年経った今日まで、あきらたちに無理矢理口を割らす真似をしたことねぇんだから、こうしてあきらが驚くのも無理はねぇ。

一年前だってそうだ。
パーティーで偶然居合わせたあきら達の輪の中に、黒髪の女を見つけ目を奪われた時も、あきらたちと女の関係を訊ねはしなかった。
ただ、あきらたちの様子から、昨日今日始まった関係じゃねぇ仲の良さだけは窺い知れた。
けど、意地でもあきらたちに頼るつもりはなく、自分だけの力で女とどうやってコンタクトを取ろうかと考え⋯⋯。
それが、パーティーの数日後。
自分で動くまでもなく、女は俺の前に突然一人で現れた。

『久しぶりだね。いきなりだけど、傍に置いて欲しいの』

口を開くなりそう言って。

『昔から俺を知ってるみてぇだな。でも俺は多分、おまえのことを忘れてる』と返せば、

『多分じゃないよ。確実に忘れてる』

悲しい現実を認めた上で笑う女の申し出を訊き入れ、邸に住まわすと決めた。

俺がこの女を忘れてんなら、傍に置くことで失った記憶のキッカケを掴めるかもしれねぇ。いや、キッカケだけじゃなく、時間がかかったとしても、記憶の全部を取り戻せる可能性だってある。
それは、俺にとっても女にとっても、一番良いことのように思えた。

そう思って過ごしてきた、この一年。
何一つ思い出せねぇし、何かが足りねぇって違和感を感じてはいるが、俺の記憶が戻れば良いだけの話だ。
そうすれば、全ての空虚は満たされる。
だからこそ、あいつの存在は不可欠で、いずれは明るい未来に繋がるはず。そう信じてぇのに、どうしてだか違和感は増し、何かが変わろうとしていると、頭ン中で警鐘が鳴る。

何であいつは笑みを忘れて閉じ籠っちまったんだ。
いや、それだけじゃねぇ。
いきなりクリニックへ行こうと言い出したのも、思い出す努力をすると伝えれば不安定になった態度も、考えれば考えるほど、何かがおかしいと思わずにはいられなくなる。

昨日一日でおかしな様子ばかり見せられた俺は、どこか焦りを感じていた。
全てが途切れそうな、手掛かりさえ消えちまうような、そんな嫌な予感が渦巻いて。

「あきら、何とか言え!」

気持ちが逸り、考えあぐねているあきらを急かす。

「司、悪いな。俺から言えることは何もない」
「フッ、またそれかよ」

何も知らないままで、どうやってあいつに声掛ければいい?
上っ面の言葉を並べてみたところで、そんなもん届きやしねぇ。
昨日だってそうだ。あきらたちが居なくなって声を掛けても無視され、挙句、反発されて。
本来、白か黒か何事にもハッキリと答えを求めるこの俺が、十年だぞ?
十年も誰かに答えを求めず、暗闇の世界にただ身を漂わせるしかなかった俺が、やっとグレーな世界にまで這い上がれた気がしたんだ。
俺が探し求めていた、記憶の『カギ』が現れた、一年前のあの日から⋯⋯。

「やっと見つけた記憶のカギだ。そのカギが壊れちまったら意味ねぇんだよ。お前にとってもあいつはダチなら、どうすれば元に戻るのか、つべこべ言わずに教えろっ!」

声を荒らげる俺に、あきらは面白くなさそうに顔を歪ませた。

「いいか、司。俺はおまえに言ってやりたいことが山ほどある」
「言いたいことがあんなら、さっさと言やぁいいだろうが!」

滅多に怒らないあきらの声が低くなり、自然とこっちも喧嘩腰になる。

「いずれ纏めて言ってやるよ。でも、今はまだその時じゃない。ただ一つ、これだけは覚えとけ。あいつは 『カギ』なんかじゃない」

「あ?⋯⋯あいつは俺の記憶に関係ねぇってのかよ」

「そうじゃねぇよ。あいつは 『カギ』なんかじゃなく、生身の女だって意味だ」

────生身の女?

「それと、おまえが知りたがってる女たち二人のことは、俺が教えてやれるほど簡単でも単純でもない。けどな、あいつがこれから先も司の傍にいるつもりなら、いつか全てを打ち明ける日が来る。俺はそう思ってる」

全てを打ち明けるって、そこには何か大きな意味でもあんのか?
俺が想像もしない、何かが。

「その時が来たら、司。責めずに黙って話を訊いてやって欲しい」

何もかもが分からねぇ。訊けば訊くほどにだ。
女のことで何か掴めれば。そう思ってここに来たはずが、来る前より頭が混乱する。

あきらの言ってる意味が、いつか分かる日が来んのか?
だったら、それはいつだ。
いつまで俺は、俺の知らない真実探しを続ければいいんだ。

「俺が今言えるのは、それだけだ」

だから、これ以上は何も訊くなよ? と、言外に匂わせたあきらの意思表示に怒鳴る気は失せ、ここに留まる意味も失くす。

怒鳴ったとこで、どうせこいつは肝心なことは何も話やしねぇ。十年間、そうだったように。

消化しきれねぇ苛立ちを組んでた右足に乗せ、テーブルを蹴り上げ無言で立ち上がる。

燻った気持ちを抱えながらドアに向かって歩き出し、だが、数歩進んだ時だった。ノック音が響き、

「失礼します」

秘書らしき女の声が続く。
直ぐさま外側からドアは開けられ、香ばしい香りが流れ込むのと共に、正面に現れた女を目にした俺は、足を止めた。

「コーヒーをお持ち致しました」

トレーを持つ女に向ける自分の目が、自然と鋭くなるのを自覚する。
俺には目もくれず、軽く頭を下げ脇を通り過ぎた女は、コーヒーを二つ静かにテーブルに置いた。

「ま、松崎。どうしたんだ? な、何でお前が?」

あきらが目を丸くする。

「すみません。向こうに戻る前に、もう一度美作専務にご挨拶をと思って立ち寄ったのですが、秘書課が忙しそうでしたので。代わりに私がお持ちしました」

松崎が現れるとは、あきらも思ってもみなかったらしい。
関西支社勤務と言えども、美作の社員で秘書なら、別段この状況も可笑しくはないが、話してた内容が内容だ。そこへ話題に上がってた張本人がご登場なんだから、さぞやあきらは焦ってるに違いねぇ。
俺の苛立ちの矛先が、こいつへと向うんじゃないかと危惧して。

「あ、そうか。そりゃ悪かったな。これから帰るのか?」

「はい。色々とお世話になりました」

「あぁ、気をつけて帰れよ? それから、決まったら直ぐに連絡してこい」

「はい」

柔らかな物腰の下に焦りを隠してるだろうあきらは、立ち上がって松崎の肩に手を置くと、よっぽど早く遠ざけたいのか、ドアに向かって軽く押し出した。

でも、あきら。残念だったな。
俺が強引に迫ろうが、おまえが何も言わないのは百も承知だ。
だからと言って納得した訳でもねぇ。
胸のモヤつきを抱えたまま、何でわざわざ現れた女を前にして、俺が大人しく帰らなきゃなんねぇんだよ。

あきらに促され踵を返す松崎の背中に、無遠慮に視線を突き刺した。

「おい、そこの女。俺に何か言うことあんじゃねぇか?」

ドアノブに手を掛けた状態で動きが止まった松崎に、「いいから行け」と、小さく言ったあきらは、代わりにドアノブを捻って扉を開く。
立ちすくんだ松崎が、「ほら」と再びあきらに急き立てられ一歩踏み出したところへ、

「人の女傷付けておいて、詫びの一つもねぇとはな」

大きさを増した声で追いかければ、僅かに肩が跳ねた女が立ち止まった。

「司に構わなくて良いから早く行け」

あきらがまたしても邪魔して急かすが、だが松崎は従わない。

ゆっくりと振り返り俺に差し向けられた、険のある細められた目。
人を見下したようにも見える眼差しは、昨日目にしたものよりも遥かに鋭さを滲ませている。

「ま、松崎?」 

呼び掛けるあきらを無視した松崎は、俺から視線を逸らさぬまま、片手で開いていた扉をバタンと閉めた。

扉が閉ざされ訪れた一時の静寂。
時を刻む秒針の音と、そこに交わるあきらの溜息の後に訊こえたのは、

「彼女を傷つけているのは、道明寺さん⋯⋯、あなたでしょう?」

一瞬たりともぶれぬ瞳で俺を見据える、松崎の冷やかな声だった。

にほんブログ村 小説ブログ 二次小説へ
にほんブログ村
関連記事
スポンサーサイト



  • Posted by 葉月