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愛のカタチ 1.



──── 一体何が足りねぇんだよ。

心にぽっかり穴が空いたような虚無感。
どこまで歩いても果てのない闇夜に迷い込んだみたいに、光が差し込まない世界に閉じ込められた感覚から齎されるのは、絶望的な孤独。
時折、焦燥も合わさって、何かが足りないと、どうしようもない苦しみに藻掻きたくなる。

長い間俺は、この得たいの知れない感覚に苛まれ続けている。
記憶障害だと告げられた、十年前のあの日から、ずっと。

だから、戻ってきた。
身体の一部がもぎ取られたみてぇに中途半端な状態から抜け出したくて、記憶を失くしてから直ぐ、拉致られるように連れて行かれたNYから、記憶の途切れた地である、生まれ故郷のこの日本へと。
全ては失くした記憶を探るため、そして欠けたピースを埋めるためだけに⋯⋯。

日本に帰国してから一年。
まだ記憶に関しての確証は、何も掴んじゃいない。
かと言って、ダチたちに教えを乞うつもりもなかった。
かつて、自分で思い出さなきゃ意味がねぇ、そう言ったダチたち。
『まだ思い出せないのか?』と遠い昔に訊ねてきた奴らの言葉は、いつだって俺を責めてるようにも聞こえ、『まだだ』と答えれば、諦めにも似た吐息を吐かれるのが、苦痛で仕方なかった。

誰にも何も真実を教えてはもらえなかった、この十年。
頼れるのは、夢の中に出てくる女の姿だけが『カギ』だと思う、己の勘のみだ。
それこそが、『記憶の残滓』じゃねぇか、そう思って。

夢に出てくる女の顔は、いつもぼんやりと霞んでいて、はっきりとしたパーツは分からねぇ。だが、細身の身体で真っ直ぐな黒髪を靡かせ、いつだって泣いたり笑ったり怒ったり、目が離せねぇくらいに忙しいのは、不思議と雰囲気から伝わる。
怒ったときなんかは特にだ。夢とは言え、この俺に殴りかかってくるんだから、油断はできねぇ相当なお転婆だ。
そのお転婆女は、いつだって俺をこう呼ぶ。

『道明寺!』と。

夢の中で幾度となく姿を追いかけ回し、何一つ取りこぼさないよう胸に焼き付けてきた、記憶の残滓。
そして今。
現実に生きる俺の傍には、その記憶の欠片がいる。

⋯⋯そう思って良いんだよな?

夢と同じように振る舞い、似た雰囲気を持つ、俺に背を向け眠る黒髪の女。
こいつに『道明寺』って呼び捨てにされれば、どこか懐かしく感じるのに、それでも何かが足りなくて、記憶が戻る気配は一向に訪れない。
満面の笑みを見せるくせに、記憶を呼び覚まそうとその顔をじっくりと眺めれば、一転して寂しそうにも、苦しげにも見える顔になり、逸らされることもある。
こうやって傍に置いた今でも、何一つ思い出せない俺が、そんな顔にさせてんだろ?
俺さえ思い出せば、何かが足りねぇって思うことも、この女に辛い顔をさせることなくなるのに。
そう思う一方で、感じずにはいられない違和感に、答えが返ってくるはずもない眠った女の背中に、今夜も俺は問いかける。

「おまえなんだろ? 失くした俺の一部は、おまえなんだよな?」

静謐な夜。心が寒くて、凍えそうで。月光に照らされ艶めく黒髪に、そっと触れた。



 愛のカタチ 1.



「道明寺、用意できた?」
「あぁ」

別の部屋で身支度を整えていた女が、ドアから遠慮がちに顔を覗かせる。

「じゃあ、あと5分くらいしたら出よっか」

後ろ手にドアを閉めた女は、頷いた俺を確認すると、ゆったりとした足取りで近づき、俺の隣に腰を下ろした。

「今日は無理言って、ごめんね」

「⋯⋯あぁ」

「かなり人気のある先生らしくてね、予約取るのも大変なんだって。だから、道明寺が休みの今日、タイミング良く午後のキャンセルで空きが出たって電話もらったら、これはチャンスなのかな、なんて都合良く思っちゃったんだよね。流石にクリスマスイヴは、人気のある先生と言えども暇になるのかも」

「⋯⋯⋯⋯」

「あ、でも焦らなくて良いんだからね。取り敢えず今日は話をするだけみたいだし、嫌だと思えば無理して通院しなくったって良いんだから、ね?」

ベラベラとよく喋る女は、無駄に口を利かない俺との距離を埋めるためか、ことさら笑みを深めた。

俺たちはこれから、評判の高いというメンタルクリニックに行くことになっている。記憶障害を診てもらうために。
俺の知らぬところで色々と調べていたらしく、『行ってみよう』と、唐突に女が誘ってきたのは、今日になってからだった。
俺の記憶障害は心因性によるものだと言って。

女が傍にいるようになって約一年。
今まで一度だって記憶を失くした俺を責めたり、焦らせることもしなかったのに、ここに来てクリニックへと誘う女は、何も思い出せねぇ俺に、いい加減、限界を感じ始めたんだろうか。

俺だってNYにいる頃は、色んな病院の様々な科を受診したりもした。が、結果はこの通り。
受診するだけ無駄だと思うようになったのは、もう随分と前だ。
それでも女が望むならと、こうして無駄骨覚悟でクリニック行きを承諾した。だが、これだけは訊いておきてぇ。

「仮にそいつのとこに通ったとして、それでもおまえを思い出せなかったら、おまえはどうする?」

「うーん、そうだね⋯⋯」

女は考えを巡らせているのか、首を傾かせた。

港で刺され俺が記憶を失くした時。俺より先に医者から説明を受けたのは、姉ちゃんとダチたちだった。
姉ちゃんたちは、失くした肝心なモノこそ教えはしなかったが、忘れた記憶は強く考えすぎて、その部分だけ欠落した可能性があると、医者の言葉そのままに俺に告げてきた。

その時の衝撃は、今でも忘れられねぇ。
それが女かもしれねぇと気付けば、衝撃は更に輪をかけた。
蔑んだ目でしか見れなかったこの俺が、記憶を失くすほどまでに考えていた女がいたと言う事実に。

でももし、医者が言ったように思いが強いからこそ欠落したのだとしたら、女なんて低俗の生き物だと位置づけていた俺の思考を覆す程の相当な想いだ。
失った記憶は、俺すら探れない奥深くへと沈み、二度と浮上しないんじゃねぇのか?
だとしたら、この女はどうするつもりなんだ。

「でも、その覚悟もした上で、今あたしはここにいる」

ずっと考えていたらしい女が、キッパリと言い切った。

「それが本心か?」

言い切りはしたが、答えるまでに時間が掛かった理由が引っ掛かる。
『でも』の前に恐らく存在するだろう、隠された本音の部分こそが訊きてぇ。

「本心か。そうだね。本心を言えば⋯⋯、思い出して欲しい、かな」

微笑んでいるのに困ったようにも見える、曖昧な表情。
だが、そんな表情を一瞬で消し去り、手首に巻きついてる時計に目をやった女は、自分の太腿もパンと両手で叩いた。

「あまり深く考えないでさ、気楽に行こうよ、気楽に! ね?」

ついでに俺の背中まで、バシっと思いきり叩いて勢いよくソファーから立ち上がった女の顔には、もうどこにも曖昧なものはなく、明るい笑みのみを湛えていた。







クリスマスムード一色に染められた街中を車は走り辿り着いた先は、よく知ってるビルだった。

「ここか?」
「うん」

見上げたビルは、美作商事本社があるあきらんとこの自社ビルで、一階にそのクリニックは入ってるらしい。

ほら行くよ、と引っ張られ足を踏み入れた院内は、俺が想像していたものとはだいぶ違っていた。

病院のイメージカラーを白とするならば、ここは壁紙の色からして変わってる。
こげ茶を主にした院内は、アジアンリゾートのスパをモチーフにしているとかで、アロマの香りが漂い、流れるBGMは波の音。
簡単な受付を済ませ、程なくして通された診察室にしてもそれは同じで、ラタン編みの上に乗っかったガラステーブルには、水の張ったボウルに花びらとキャンドルが浮かび、灯る炎は、ゆらゆらと頼りなげに揺れている。
促され座ったのもラタンのソファーで、俺の前にハーブティーを運んで来たインテリ風のメガネ男は、白衣を身に纏ってない医者本人だった。

人気があるって言っても、こりゃ女の患者だけだろ。
女なら、こんな雰囲気にリラックス出来るのかもしれねぇが、生憎と男の俺からすれば、異質な診察室で、会ったばかりのヤローと向かい合っても落ち着くはずがねぇ。

無駄に笑顔が多く世間話から話し始めた、男にしちゃ少しばかり高音の声も、耳障り以外の何ものでもない。
それでも途中で席を立たなかったのは、思い出して欲しいと言った女の顔がチラついたからだ。

結局、一時間近くも医者の世間話と記憶を失くしてから現在に至るまでを喋らされただけで、直接治療に繋がることはせずに終わった。


「どうだった?」

待合室でずっと待っていた女が、会計も終わりクリニックを出ると直ぐ、心配そうに訊いてくる。

「別に。今までの経緯を聞かれただけだ」

「そっか。で、どうする? 暫くあの先生の所に通ってみる?」

ビルから出ようと歩く数歩後ろから、小走りで追いかけてくる女に素っ気なく答えた。

「無理だな」

外に出れば、ビルの合間を駆け抜ける強気な風が、頬を冷たく打ち付ける。
避けるように顔を背けた俺の目の端には、急に立ち止まり、ぼんやりと宙に瞳を置いた女の姿が映りこんだ。

「他、探してみる」

「⋯⋯え?」

「俺と相性の合う、評判のいい医者探してみるって言ってんだ。おまえを思い出せるよう努力する」

「うん⋯⋯、ありがとう」

思い出したいって言う俺自身の為にも、思い出して欲しいと願う女の為にも。
何より不安そうに見えた女を安心させたくて医者を探すって言ったのに、返って来たのは、俯きながらのかすかな笑みと、か細い声。

まただ。
何でお前は、そんな寂しげな顔をする?

そんな女の不安定な反応が気になった背後で突然、

「司」

呼ばれる声に気は逸らされ、俺たちは同時に振り返った。

「あきらか」
「あきらかって、つれない言い方だな。久し振りなのによ」

相変わらず愛想の良いあきらと、その隣には、見掛けたことのない女がいた。
ウェーブがかった明るめの髪を肩先で揺らし、すらっとした体型に大きな目を持つ女は、俺たちと目が合うと義理程度の軽い会釈をした。

あきらの新しい秘書か?

決して態度が良いと言えない女を不躾に見ていたのに気付いたのか、あきらはその女の肩に手を置き、俺に紹介した。

「あー、彼女はうちの関西支社で役員秘書をしてる松崎だ。今日明日とこっちで用があって出て来てんだよ」

こいつが?

関西支社と言や、日本の中じゃ本社に次ぐ大きな規模だ。
そこの秘書で、しかも役員付きなら、俺を知ってて当然、知ってなきゃ可笑しな話だ。
なのに、無愛想な上に挨拶一つまともにも出来ねぇなんて。
俺が舐められてんのか、よっぽどあきらんとこの人事は見る目がねぇのか。
どっちにしろ教育し直した方がいいと思える態度だ。

「⋯⋯久し振りだね」

面白くなく思考を巡らせていれば、意外な言葉が遠慮がちに隣から齎される。
その矛先は、あきらにではなく、松崎に。

「お久し振りです」

淡々とした口調で松崎が返す。

知り合いなのか? 

まさか二人の間に繋がりがあると思わず、驚きに見開いた目で問うように隣を見れば、

「⋯⋯⋯⋯友人なの」

言いづらいそうに答え、俺からそっと視線を外した。
友人だと言われた松崎の方は、興味なさげに流れる車道に目をやって、見事なまでに愛想の欠片もねぇ。これが友人か、と疑うレベルだ。
松崎の様子に言葉を続けられずにいる女は、瞼を伏せ何処か気まずさを感じているようだった。

「それより、こんな所にいるなんて、俺に何か用でもあったのか?」

きっとあきらも、女達の微妙な雰囲気を感じ取ったんだろう。
話題を切り替えたあきらに、「いや」と首を振った。

「あきらに用があったんじゃねぇ。用があったのは、あっちだ」

ビルに向って顎をしゃっくっただけの俺の説明じゃ理解出来ねぇあきらに、女が補足する。

「あそこのクリニックで診察受けてたの」

「確か⋯⋯、メンタルクリニックだよな?」

診察って誰がだよ? って、問いたげな眼差しのあきらに、

「俺だ」

あっさりと答えりゃ、あきらは驚愕に目を瞠った。

「司が? 何でまた⋯⋯まさかおまえ⋯⋯」

「あたしが勝手に予約したの。道明寺に記憶障害の治療を受けて貰おうと思って」

勘づいたらしいあきらが全てを口にする前に女が打ち明ければ、松崎が僅かに眉を寄せこっちを見るのを、反射的に視界の端で捉えた。

「いつまでもこのまんまじゃいらんねぇだろ。ここに通うつもりはねぇけど、他の病院でも探して治療しようと思ってる。こいつのため─────」

「くだらない」

突如と遮り割り込んできた、吐き出された声。
決して大きくはない声音は、だが、俺が口を止めるには十分で、視界の端に置いといたそいつと、視線をがちりと合わす。

「あ? 今なんつった?」

「くだらない。そう言ったんです。思い出せないものにいつまでもしがみついて、くだらないじゃないですか」

睨みつけても物ともせず、気の強そうな目つきで挑んでくるのは松崎だ。

「ま⋯⋯、松崎!」

焦ってあきらが止めに入るが、無視を決め込むつもりか、松崎は生意気な目つきを引き下げようとしねぇ。
喧嘩を売られたに等しい俺は、松崎の前に一歩踏み出た。

「随分な言い方してくれんじゃねぇかよ」

一段と強く睨み凄んだ俺から、松崎が余所へと目線を逃す。
でもそれは、怖がって目を逸らしたんじゃねぇ。
馬鹿にしたように、鼻先で笑い適当にあしらっただけのもので、余計に俺をイラつかせる。

「てめぇ」
「道明寺止めて!」

もう一歩前へ踏み出そうとすれば、女が必死で腕にしがみつき、俺を食い止めにかかる。

「くだらなくなんてないから」

俺の腕を強く掴みながら、力を込めた眼差しを松崎に向けて否定するが、生意気な松崎がそれに動じるはずもなかった。

「くだらなくないよ」

繰り返される声に引き戻された松崎の目は、まるで女の奥深くまで探っているようで、心底気分が悪りぃ。

そんな目で女を見んじゃねぇよ。
大体、何なんだよこいつは。
女のダチだか知らねぇが、俺等のことに口を挟まれる筋合いはねぇ。

無言のまま一歩も引かずにぶつかり合う、女たちの頑なな視線。
通りすがりの奴らが好奇の眼を向けても、互いに気付きもしねぇ。
どちらも譲らず、一向に身動き一つしねぇ見せ物と化し、俺の苛立ちもいよいよピークに達して怒り任せに口を開こうとした時。松崎が身動いだ。

枯れ葉を巻き込みながら音を立てて吹き荒ぶビル風。
その風が荒々しく駆け抜けるのと、寒さを凌ぐように、松崎がコートの襟元を押さえて女から目を逸らしたのは、ほぼ同時だった。

「松崎、そろそろ行くぞ。司、先急ぐから、もう行くな。呼び止めて悪かったな」

交差していた視線が途切れたのをチャンスとばかりに、あきらが松崎を促す。
立ち去る間際、俺の隣にいる女を気遣うように「じゃあな」と、肩を叩いていったあきらは、別段急いでたわけでもねぇだろう。
ただ、無言で対峙する女達の関係が好転するとも思えず、更には、いつ怒鳴り散らすか分からねぇ俺をも気にして、立ち去るタイミングを計ってたに違いねぇ。

「俺達も帰るぞ」
「⋯⋯」

あきら達の足音が雑踏に紛れたところで女に声を掛けるが、まるで無視の上の空。返事がねぇ。

「おい」
「⋯⋯」

何か思うところでもあるのか、遠ざかるあきらと松崎の背中を、ただじっと見つめている。

「気にすんじゃねぇよ」
「⋯⋯」
「馬鹿な女の言うことなんて、」
「そんな風に言わないで!」

無反応だった女が突然声を跳ね上げ、松崎を見ていた時と同じく、目に力を宿し見上げてくる。

「あんな非常識な女庇うことねぇだろうが。二度とあの女には関わるな。見てるこっちまで胸糞悪りぃ」

「お願いだから、悪く言ったりしないで。彼女は、優しい強さを持ってる、大切な⋯⋯、大切な友達だから⋯⋯」

何がダチだ。そう口にしかけ、だが、寸でのところで思い留まった。
言葉を呑み込んだのは、またも女は、二人が消えて行った方を見ていたから。その横顔が見慣れねぇもんだったから。

ギュッと唇を噛み締め泣きそうに見つめるその先に、お前は一体何を思ってる?

女が見つめる方へと俺も目をやれば、人の波に呑み込まれたのか二人の姿はもう何処にもなく、イルミネーションの光を頼っても探し出せそうになかった。

視線を戻し、もう一度女の横顔を覗き見る。
何度も吹き荒れる風に攫われる、真っ直ぐな黒髪。
顔に纏わりつく乱れ髪の隙間から見えたのは、頬を伝う一筋の涙だった。

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  • Posted by 葉月