手を伸ばせば⋯⋯ The Final 4.
早まるなよ、牧野!
話せば分かる、きっと分かるはずだ!
届いた試しがないテレパシーを幾ら送ってみても、やはり牧野からは何ら反応もない。
焦りだけが加速し、硬直する身体に鞭打って『どうすんだよ、これ』と、助けを求めて画策した張本人に目を向けた。
それを受けた総二郎も、流石に不味いと思ったのか、
「⋯⋯牧野」
重い口を開いた。
あとは任せたぞ、総二郎!!
何とか切り抜けろよ!
手を伸ばせば⋯⋯ The Final 4.
「牧野⋯⋯、た、た、大変だ、司が⋯⋯」
え⋯⋯。
今、なんて?
我が耳を疑う。
まさか総二郎の奴、この期に及んでも演技を続行するつもりか!?
「血が出て止まんねぇぞっ!」
マジかよ。まだ言うのか、総二郎!
命知らずにも程があんだろ。俺以上に諦め悪すぎだろうが。
どうすんだよ、ますます牧野の目が据わったじゃねぇか!
そうだ。こういう時に頼るのは、総二郎じゃなかった。俺の人選ミス。最も適任な奴がここにはいる。
俺は神に縋る思いで適任者、類を見た⋯⋯⋯⋯が、何故寝てる。
三秒前まで起きていたのは、視界の端で確認済みだ!
なのに、自分は関係ないとばかりに目を閉じやがって、狸寝入りは止めてくれ! 俺たちを見捨てて逃げるんじゃない!
「これのどこが血なの?」
限度一杯まで冷やされた牧野の声が、鼓膜を震わせる。
鼓膜だけじゃない。猛吹雪をまともに食らったみたいに、身も心も凍え、ぶるぶる震える。
「あ、あれ? つくしちゃん、これ血に見えねぇ?」
そんな中にあっても果敢に答える総二郎の勇気は称賛に値するが、残念ながら詰んだ。
無謀な嘘を貫き通そうとしただけでも罪なのに、加えての『ちゃん』づけ呼び。⋯⋯終わった。
上から下へと軽蔑を乗せた目の運びで司を見てから、牧野が言う。
「どう見てもケチャップにしか見えないけど」
「ま、マジか。おっかしいな。何ですぐ分かったんだ?」
「滲み方が違う。匂いが違う。色の明度が違う。⋯⋯ねぇ、西門さん?」
凍てついた声音だった。
「⋯⋯な、何だ」
「私ね、生の血を、この眼で、何度も見てきたのよ」
一つ一つ区切りながら、『生の血』だなんて、なんて穏やかじゃない表現をするんだ。
牧野の凄みに、さしもの総二郎も腰が引け、
「は、ははははは。そ、そうだよな」
乾いた笑いが見ていて痛々しい。
「一体、何のつもり? 笑える要素がケチャップのどこにあるのか、是非とも訊きたいんだけど」
総二郎の引き攣り笑いも辛辣な詰問に組み込まれ、とうとう総二郎は両手を挙げての降参ポーズ。
「ジョ、ジョークだって。ほんのジョークだ。な、あきら?」
バカヤロー。こんなヤバい場面で、いきなり俺を引きずり出すな!
細まった牧野の視線が俺を捕らえ、フラットな声が容赦なしに俺を攻めてくる。
「ジョーク? どの辺りで笑えば良いジョークだったのか、美作さん、私に教えてくれる?」
「⋯⋯⋯⋯今、笑ってみようか」
間違った。雰囲気を払拭しようと、頑張って笑顔を拵え言ってみたが、言葉のチョイスを完全に間違った。
その証拠にピクッと一瞬、牧野の右手が動いたような⋯⋯。
⋯⋯やべぇ、俺が血塗れになる。
体内の血液が足元へと一気に降下するのを感じながら、必死で謝罪するしかない。
「悪かった! 悪ふざけした俺たちが全部悪い。だから頼む。少し落ち着いてくれ!」
「そ、そうだ、つくし! あきらの言うとおりだ! 少しだけ落ち着こう、な?」
金縛り状態から抜け出せたのか、混乱の極みにより喋れずにいた司も、ここに来て一緒になって牧野を宥めにかかる。
「私は落ち着いてるけど。落ち着いていないのは、そっちじゃない?」
確かに、俺たちの動揺とは対照的に、落ち着き払っているとも言えなくもない温度のない口調。と、そこに場違いな笑声が突然参入してきた。
「ぷっ、くくくくっ」
あ、やっと目開けたか。この狸め。
この男、牧野にやり込められる俺たちが滑稽で、笑いを堪えられなくなったに違いない。
「ごめんね、花沢類。煩くて起こしちゃった?」
騙されるな、牧野。こいつはずっと起きてたんだ! ずーっとな!
「大丈夫だよ。それより牧野。三人が落ち着かないのは、その右手のせいじゃない?」
「え」
類に言われるまま自分の右手を見た牧野は、「あ」と惚けた声を落とした。
もしやその反応、包丁持っている自覚なしだったか。
調理している時に呼ばれ、そのままの状態で飛び出してきてしまったのかもしれない。
さっき右手がピクッとなったのも、ただ単に俺を殴ってやりたくなって反応しただけか。
にしても危険だ。
もしうっかり殴られたりでもしていたら、無意識の内に持っていた刃物がグサリと俺の肌を突き破り、刺した本人無自覚のまま殺傷事件の一丁上がりだ。そんな未来も有り得たかもしれないんだから、マジで危険な女だ。
「牧野、危ないから早くそれ置いておいで」
王子様然とした柔らかな口調で類が言うが、俺は納得がいかない。俺たちを見捨てて狸寝入りしてたくせに、自分だけ安全な良い人ポジションキープなんて、ズルすぎるだろ。
「うん」
素直に従いキッチンへと戻る牧野にもムカつく。俺たちには反抗的なのに。
でも、俺の比じゃないほど怒り狂った奴が、他にいた。
「総二郎っ! あきらーっ!」
鼓膜を破かんばかりの勢いで猛獣が咆哮する。
計画の立案者とそれに協力してしまった者への怒り。
計画が無惨にも失敗したとなれば、関わった者たちがどうなるのかはお察しってやつで、俺たちを待ち受けていたのは、想像通りお約束のパターンだった。
✶
「痛ってぇー。割に合わねぇよなぁ。拉致られた上に暴力まで振るわれてよ。喧嘩の原因すら分かんねぇのに、俺たちにどうしろってんだよ」
ケチャップ塗れになった司が、二度目のシャワーを浴びに行くなり、赤くなった顎を擦りつつ総二郎が愚痴る。
確かに総二郎の言うとおりなんだが、ここで常識が通じると思ったら大間違い。それを分からせるために、殴られたことにより僅かに腫れた口を、ぎこちなく開いた。
「でもな、総二郎。これを解決しないことには、夜な夜な拉致られるかもしれないんだぞ?」
「げっ、冗談だろ。勘弁しろよ」
俺だって嫌だ。だからこそ何とかしなければ。
「俺は嬉しいけど」
爽やかに言うのは一人しかいない。類である。
「汚いよな、類は。俺たちだけ悪者にして、自分は狸寝入りで逃げんだもんな」
「だって俺、牧野に嫌われたくないし」
俺が突っかかっても、またもや類は、穢れのない顔をしてサラッと言ってのけた。
俺は誓った。牧野の機嫌が直ったら、絶対に類の本性をバラしてやる。ホントは悪魔だとか狸だとか⋯⋯。天使説全否定だ。
「ったく、こんな遠回りなことしてねぇで、所詮、男と女なんだからよ、強引にでもベッドに押し倒しちまえば、あっさり解決すんじゃねーの? 牧野も素直になったりしてよ」
まぁ、総二郎が言うのも一理ある。
今のところ司は、強引な手段には出てないみたいだし、最悪それも有りか。
そう考えていたところで、類の発作が起きた。
「ぷっ! 強引に押し倒す? 無理でしょ、司には。くくくっ」
何がそんなにおかしいんだかまるで分からないし、言ってる意味も分からない。
あの猛獣だ。強引に迫ってもおかしくない。寧ろ、未だにそんな行動に出ていない方が不思議だと思うべきではないのか。
なのに、どうして類はこんなことを言って笑っているのか。
奇妙な生物と遭遇したように類を眺めていたところへ、牧野がリビングへやって来た。
「そんなことされても、辛い過去を思い出すだけだから⋯⋯」
料理をテーブルに並べる牧野は、どうやら俺たちの話が耳に届いていたらしい。が、俺の方こそ無視できない問題を聞き取って、慌てて牧野の方へと身を乗り出した。
「牧野⋯⋯、辛い過去って?」
牧野の言い方が引っかかり、鼓動が騒がしくなる。
どうしても嫌な予感が頭に浮かんで消えない。
俺の読み違いなら良い。そうであって欲しいとも思う。
しかし、今日の俺の願いは悉く叶わない。
「昔、無理やりそういうことをされた経験があるの」
牧野の告白に「⋯⋯嘘、だろ」と呆然と呟く総二郎と、予感が的中し、言葉を失した自分。
一気に張り詰めた空気を拭うように、
「でも、もう昔のことだし、そんな気にしないで」
牧野が事も無げに言う。
⋯⋯気にするな、だと?
牧野が酷い目に遭ったと知った以上、そんなの無理に決まってる!
「牧野、誰だそいつ。ただじゃおかねぇ」
自分でも初めて知る声音だった。
それだけ怒りのボルテージが上がっている。
何だかんだ言ったって、妹のように大事に思っている女だ。その牧野によくも⋯⋯。
「美作さん、ありがとう。でも、本当にもういいの。私の中では消化してるから。それに相手は名の通った人で、今更蒸し返しても周囲だって困るだろうし、今はもうそんなことしてないはずよ」
拳を固めた血管が浮いた手は、力を入れすぎているせいでわなわなと震えている。
それを自分の意思で抑えるのは、どうにも難しかった。
「どうしてもっと早く言わなかった」
「だから、相手は名が通っていて力もある人だったの。何を言っても勝ち目はないわ。騒ぐだけ無駄。美作さんたちに打ち明けたところで、迷惑をかけるだけだった」
何だよ、それ。かけろよ、迷惑ぐらい。
おまえ一人に辛い思いさせる方が、こっちはよっぽど痛ぇんだよ。迷惑ぐらい幾らでも背負ってやる!
「黙ってそいつを見過ごすのか? おまえが許せても、俺は絶対に許さねぇぞ。牧野、良いから相手の名前を教えろ」
「あきら、珍しく熱くなってるね」
割り込んできた類を睨むように見た。
当たり前だろうが。これが憤りを感じずにいられるか。
逆に訊きたい。どうして笑みなんか浮かべてられる? おまえにとっても牧野は、特別な存在だろうが。
「随分と類は冷静なんだな。こんなこと訊いて落ち着いていられる方が不思議だ」
「じゃあさ、あきらが牧野の代わりに、そいつをぶん殴ってやりなよ。ね、牧野、良いよね?」
「私はもう全く気にしてないけど、それで美作さんの気が済むなら。でも、気をつけてね。相手も強いから」
「あぁ、言われなくてもボコボコにしてやるよ。こんなこと許して良いはずがない」
表情に乏しかった牧野が苦笑を一つ零してまたキッチンへと戻ると、怒りで震える拳をテーブルに叩き落とした。
「絶対に許さん!」
「珍しいな。あきらが怒ってんの」
丁度シャワーから出てきた司に、拳を叩き付けた場面を目撃され、不思議そうに言われるが、俺は昼間も怒鳴ったはずなのに、それは記憶にも残らず綺麗に忘れているらしい。
そんなことよりも、だ。
「司。おまえは知ってたのかよ」
ぞんざいにソファーに座った司に問う。
「昔、その⋯⋯牧野が無理やり男に、って話だ」
司の眉がピクリと動く。
「おい、訊いてんのか? まさか、知っていながら何もしなかったんじゃないだろうな! 俺は絶対に許さねぇからな。その男、再起不能になるまでぶん殴ってやる」
両手の指を鳴らしていると、
「⋯⋯⋯⋯やんのか」
小さな司の呟きが交わる。
「当たり前だっ! 牧野が味わった苦痛以上のもんを味あわせてやる」
悪さをした手の爪を一枚一枚順にペンチで剥がし、全てを見た目玉をくり抜いて、二度と使えないよう、そいつのブツを枝切り鋏で切り刻んでやればいい。
「⋯⋯⋯⋯だから、やんのかよ。俺を」
「何度も言わせるな、やるって言ってん⋯⋯ん? なんで⋯⋯司⋯⋯?」
魔の域に達していた思考がふと止まる。
取り皿を手に戻ってきた牧野が、真顔で俺の顔を覗き込んだ。
「美作さん、殴るんじゃなかったの?」
「ま、ま、まさか⋯⋯、無理やりってのは⋯⋯」
「ぷっ、やっと気づいたの、あきら」
突如として浮上した疑念は、類の台詞によって裏付けとなり、俺は盛大に叫んだ。
「司がレイプ魔だったのかよーっ!」
「あきら直ぐに訂正しろっ! 誰がレイプ魔だ! 魔じゃねぇんだよ、魔じゃ!」
負けじと司も叫ぶ。
「だから気にしないでって言ったのに。はい、お皿をどうぞ」
白々しく言う牧野から唖然としたまま取り皿を受け取る。
どうにもこうにも、この状況に頭が追いつかない。
「つくし! 何をベラベラ喋ってんだ! 余計なこと話してねぇで、俺とちゃんと話せっ!」
「別にべらべら話してないけど。自ら犯人だって名乗ったのは、そっちでしょ?」
「おまっ、旦那を捕まえて、は、はん、犯人って⋯⋯」
目の前で項垂れているその犯人と結婚したのは、牧野、おまえだよな、とか。犯人のくせして司、よく牧野を取り戻せたな、とか。
過去の傷は少なくとも癒えていそうで安心はするが、高校生だった牧野が急に笑わなくなったのは、これが起因かもしれないし、寧ろ、そこから牧野の笑顔を取り戻した司は、もしかして凄げぇことを成し遂げたんじゃ?等々、俺の頭はぐるぐる廻る。
ただ、常識的な頭を持つ俺は、これだけは言いたい。
倫理的にも、こういう問題を俺を弄ぶ材料にしちゃいかんと思うぞ!
幾ら過去を乗り越えたとはいえ、それを使って俺を陥れようとは、まともな大人のすることじゃないだろうが。
なのに、こいつらときたら⋯⋯。
きっと初めから類は知っていて、知っていながら類も牧野も、司が犯人とは気づかず息巻く俺を見て笑っていた違いない。二人揃って俺を嵌めやがって。
⋯⋯嫌だ。こんな仲間たちに囲まれてるなんて。
「牧野。一番怒らせたらやべぇのは、実はあきらだかんな? 絶対さっきだって、相手の爪を剥ぐとか、目玉くり抜くとか、ヤローの大事なもんちょん切るくらいは考えてたはずだ。発言には気をつけろよ?」
「西門さん、それじゃ頭がおかしいヤバい人なんだけど」
「だから、やべぇんだって」
常識人を自負する俺を頭のおかしい危険物扱いし、
「つくし! 俺とも話せ! 冷たくするな!」
傍らでは、一向に血が冷めない暑苦しい男が、懲りもせずにまた吼える。
合間にくすくすと耳障りな笑い声を拾いながら、俺は思った。
時を戻して自分の襟首を掴み、グラングラン揺らしてやりたいと。総二郎と類を見て、迂闊にも喜んだ、少し前の自分を⋯⋯。
援軍になるどころか、どう考えても厄介ごとが増えている。
しかも、どいつもこいつも、やることがかなりおかしい。
⋯⋯もう本当にヤダ。なんで俺、こいつらとダチやってんだろ。
まだ夕飯にもありつけていない長い夜。
夜明けとは、誰にでも平等に訪れるものとばかり思っていたが、明けない夜もあるのかもしれない。本気でそう思った。

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