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手を伸ばせば⋯⋯ The 2nd 10.



「今日は、付き合わせて悪かったな」

「いいえ。予定もありませんでしたし、先輩と美作さんのお役に立てるなら、これくらいお安いご用です」

パーティーも無事に終わり桜子をワインバーへ誘った俺は、今夜、同伴してくれたお礼を込めて、ヴィンテージもののオーパス・ワンを開け、二人でグラスを合わせたところだ。

例のご令嬢も問題ない。
桜子が二言三言、彼女の耳元で何かを囁いただけであっさり退散。それはもう、肩すかしを食うほど呆気なく身を引いてくれた。
桜子曰く、『先輩直伝、情報戦です』とのことだが、どうやら牧野は、俺がご令嬢にしつこく付きまとわれていたことを知っていたらしい。
だからか、恐ろしいことに牧野は、事前にご令嬢がどんな人物なのかは勿論のこと、彼女に纏わるあらゆる情報を集めていたようで、それらを教えられた桜子が上手く生かした結果、ご令嬢は大人しく引き下がらざるを得なかったようだ。

桜子がご令嬢に何を言ったのかは知らない。
俺を助けるための一行ではあっても、もう決着の付いた話だ。
得てして、女が同性の敵に贈る言葉には、棘を纏った台詞が多いものだ。細かくは聞かないに限る。何が何処で飛び火するか分かったもんじゃない。
男とは何とも情けない生き物だが、桜子が詳細を語ってこない以上、自ら首を突っ込まない方が賢明だ。

ともかく、牧野のせいで一時はどうなるかと思われたパーティーも難なく終わり、漸く俺は人心地ついた。

「全く牧野のやつ、司とのデートを、道明寺と美作の親睦のために必要な会食って、ぬけぬけと言い切ったんだぞ」

「完全に美作さんで遊んでますね、先輩。でも、それだけ今の先輩には気持ちにゆとりがあるってことでしょう? 長いこと、笑うことも、怒ることも、泣くことすら忘れていた人が、こんな風に明るくなったんです。私としては、色んな先輩の顔が見れて嬉しいですけどね。先輩、本当に幸せそうですもの」

そう言う桜子こそ幸せそうで、まるで自分のことのように喜び笑う横顔は美しく、俺の目に輝いて映った。

「だな。牧野と司は、もう大丈夫だろ。桜子も牧野の心配ばっかしてないで、そろそろ自分の幸せも考えろよ?」

人の幸せを自分のことのように喜べる女だ。
大事な誰かのためならば、ヒール役すら買って出る桜子だが、根っこの部分はピュアで、優しい女であることを知っている。
だからこそ、牧野にも負けぬとも劣らない幸せを掴めると信じるし、またそうあって欲しいと願わずにはいられない。
情に厚い桜子に想われる男は、きっと果報者だな。そんな想像をしながら。

「⋯⋯そうですね」

桜子の笑みが控えめなものに変わる。

「気づけば私も28ですし」

「まぁ、俺も人のこと言えないけどな。最近じゃ、女性との出会いも有能な秘書に阻まれて、お先真っ暗だ」

驚いたように目を丸くして、桜子が俺を見る。

「先輩が、そんなことを?」

「ああ。悪い虫が近づかないようにだとさ。勘弁しろよな。世話焼くのは司だけにしてくれよ、ったく」

俺に同情してくれたのか「困った人ですね」と囁くように言った言葉通り、桜子にしては珍しく、困惑が滲む曖昧な笑みを浮かべた。







仕事では妥協知らずの牧野と過ごす日々は、時に胃をきりきりさせ、時にヘロヘロになるまで振り回され、でもどこか楽しく、退屈しない貴重な時間だった。
それも今日で終わり。
一週間後、司と結婚する牧野は、今日を以て美作商事を退職する。

「副社長、今までお世話になりました。今日の私があるのは、副社長のお陰です。ありがとうございました」

定時までに全ての仕事を終わらせた牧野は、最後に俺の前に立つと深々と頭を下げた。
いずれこの日を迎えると分かってはいたが、いざその日が訪れると、胸に一抹の寂しさを覚えずにはいられない。

「あの司と結婚するんだ。これからも何かと大変だろうが、おまえらしくやればいい。⋯⋯牧野、幸せになれよ。必ず幸せになれ」

「はい!」

力強く答えた牧野に、会心の笑みが広がる。
予め用意していた花束を渡せば、ますます笑顔は深まり、もう一度「お世話になりました」と挨拶をした牧野は、何の迷いもない確かな足取りで、背筋を伸ばして執務室を出て行った。

誰も居なくなった執務室に一人。
椅子を回転させ、窓に切り取られた夕闇が迫る景色を何とはなしに見る。

「牧野のやつ、あっさり行っちまったな」

本当なら、最後に旨いもんでも喰わせて労ってやりたかったが、結婚前は何かと忙しいのだろう。予定があるらしい牧野との食事は叶わなかった。

「あっという間だったな」

NYで再会してから今日までの日々。振り返ってみると、瞬く間に過ぎた時間だった。
牧野の変わってしまった姿も、牧野が抱えていた心の傷も、そして生まれ変わって取り戻した笑顔も、ずっと近くで見てきた俺は、何だか胸の片隅に小さな穴が空いたような心地になる。


ぼんやりと外を眺め、一体どれくらいそうしていただろうか。
うっかりすると、いつまでもセンチメンタルから抜け出せず動けなくなりそうで、息を吐きながら重い腰を上げた。

家に帰って酒でも呷って、今夜はさっさと寝よう。

有能な秘書のお陰で今日すべき仕事は何も残っていない俺は、いつもより重力を感じる身体を動かし、ガランとした執務室を後にした。







「あきら様、お帰りなさいませ。先ほどより、応接室でお客様がお待ちでございます」

「あぁ、ただいま。分かった」

誰かと話す気分でもないのに、メイドに言われたがままに応接室へと向かう。
辿り着いたドアを前にして、そう言えばメイドは、客の名を言ってなかったな。と、ようやく自分も確認し忘れていたことに気づく。
これも気が抜けてぼんやりしていたせいか。もう一度戻って確かめるべきだろうが、それも億劫だ。

誰が待っているのかは知らないが、粗相のないよう誰を相手にしても失礼のない完璧な笑みを作り、ドアを開けた。⋯⋯が、直ぐに完璧な笑顔は剥がれ落ち、引き攣ったものへと変わる。

⋯⋯何で居る、おまえらが。

「あ、お帰りなさい!」
「よぉ」

入り口で立ち尽くす俺を出迎えたのは、ソファーで寛ぐバカップル。

「美作さん、今日は早いのね」

俺の仕事を早く片付けさせた張本人が何を言うんだか。
ピントがずれた発言は、完全にオフモード仕様、天然牧野である証拠だ。

「牧野、今日は用事あるんじゃなかったのか?」
「うん、だから来た」

天然との会話は、相手が説明の大半を省略するせいでどことなくおかしいが、要するに俺に用事があるってことだろうか。

「で、用件は何だ?」
「まだない」

どことなく、どころじゃなかった。完全におかしい。天然牧野とは、やり取りもままならない。

「なんだそりゃ」

疲れを増殖させる能力を持つ牧野の返答に脱力しながら、二人の向かい側のソファーにドサッと身を沈めた俺は、センチメンタルになっていた時間を返せ!と心で泣いた。

全く以て理解できないこの状況。何しに来たんだ、こいつらは。
俺に用事があるのかないのか、揃って押しかけておきながら、二人の世界から俺を閉め出し、バカップルはどこまでもバカップルを貫く。

「ちっ、くそ! つくし、アレくれ、アレ!」

苛ついた様子で司が言えば、牧野が自分のバッグをがさごそと漁る。
中から取り出したのは、飴玉か。

「はい、どうぞ〜」

指で摘まんだそれを司に差し出せば、

「ヤダね」

長い足を組んでふんぞり返る司は、ツンとそっぽを向いて受け取らない。
おまえが欲しがったんじゃないのかよ、と内心で突っ込みながら、不思議生態バカップルの観察を続けていると、

「しょうがないなぁ~」

微塵ともしょうがないとは思っていないだろう甘い声の牧野が、自らの口に飴を含む。
と、次の瞬間。司の首に腕を巻き付けた牧野は、唇を司のものに重ね合わせた。

⋯⋯飴の譲渡が行われていると思われる。

こいつら、俺がいるのに恥じらいもなく口移しなんぞしやがって。
しかも、無駄にリップ音を響かせんじゃない!

「何やってんだ、おまえらっ!」

大人しく観察するのもここまでだ。
俺を居ない者として自由気ままに振る舞う奴らに直ぐさま抗議の声を上げるが、返ってきたのは、やはりまともなものじゃなかった。

「禁煙中だから」

司から離れた牧野が、さも当然のように言うが、色々と端折りすぎだろ。その前後に何かしらの言葉はないのか。
まさか、俺との会話が面倒だからって話を省いてるんじゃないだろうな、と疑いを纏った視線を送る。

「ほぅ、それは知らなかった。禁煙中だと、飴を口渡しするもんなのか」

「うん、そうなの。これ禁煙用の飴なんだけどね、美味しくなくて。司、煙草吸えないとイライラするし、飴あげれば不味いって煩いんだけど、口移しだと大人しく舐めてくれて落ち着くんだよね」

ちゃんと説明できるなら、最初から分かりやすく話せ。そう思う以上に言ってやりたい。
ガキみたいに甘えたことやるな、と。

「何か文句あんのかよ」

呆れた目をする俺に気づいた司が突っかかる。

「いい大人がバカみてぇなことしてないで、とっとと禁煙外来にでも行け、と思っただけだ。人前で恥ずかしげもなく、イチャイチャと」

「んな時間あるかよ。つーか、勝手に見てんじゃねぇ!」

「見たくて見てんじゃねぇよ! 強制的に見せられてるんだ!」

「別にあきらに見せてねぇし」

「だ、か、ら! 俺の前でイチャついてりゃ、嫌でも視界に入るだろうがっ!」

このバカが!
少しは他人に気を遣え!

たった一人でおかしな二人組を相手にしていれば、当然疲れも二倍だ。
ドッと押し寄せる疲れを感じながらも、それでもこいつらと違って気遣いの出来る俺は、牧野にも話を振る。

「で、牧野は禁煙できたのか?」

「うん、今のところは何か口に入れれば落ち着いていられるから。お陰で、甘い物がまた好きになっちゃって。大人になってからは、あまり食べなかったのになぁ」

「結婚前なのに太るぞ」

「胸に肉がついてくれればいいのにね」

あどけなく牧野は笑うが、『胸』と訊いて瞬時に思い出すのは、あの悪夢のようなパーティーで。胸に対して拗れた劣等感を抱くあの日の牧野を思い出した俺は、咄嗟に声を出していた。

「今のままで充分だ」
「今のままで充分だ」

⋯⋯あ、やべぇ、司と重なった。

異口同音に口が揃ってはじめて、俺が言うべきことじゃなかった、とはたと気づく。
恋人ならばいざ知らず、ダチとはいえ異性の胸に対して『充分』だとは何事か。ダチの領分を超えただけでなく、些か誤解を招きかねない発言でもある。
口に出してしまったそれは、まるで日頃から牧野の胸に注視していると思われるかもしれないし、牧野の胸を気に入っているとも受け取られかねない。
何よりこの場には、『まさか生乳見たことあんじゃねぇだろうな』などと、とんでもない想像を掻き立て、疑ってかかってきそうな嫉妬狂いの男がいる。

これは失言だった、とビクビクと嫉妬の塊に目を向けてみれば、案の定、そこには悪鬼のような形相があって⋯⋯。

「ご、誤解だ!」

「てめぇ、人の女捕まえて、なに知ったようなこと言ってんだーっ! まさか、つくしの胸を見たんじゃねぇだろうなーっ!」

「だ、だから、誤解だって! 見たこともねぇよ! こ、この前みたいに険悪になるのを恐れてだな、咄嗟にフォローしただけだ!」

誓って言える。牧野の胸に一ミクロンの興味もない!
俺は無罪だ! どっちかって言うと、胸の話題についてのみ、司に同情派で味方だ! 

心で必死の弁解を羅列しつつ目に映るのは、伸びてくる司の手。
『あー、殴られる』と覚悟をして目を閉じた──────のだが。

「キャラメルパフェが食べたい」

呆けた声が、緊張が孕んだ空気を唐突に破る。

「うん? キャラメルパフェ? 今、喰いてぇのか?」

嘘みたいな早さで、司の声が柔らかなものへと変わり目を開ければ、もう俺には興味を無くしたのか、俺に向かっていたはずの司の手は、愛おしそうに牧野の髪を撫でていた。

危っぶねぇ!  
危機一髪のところで助かった! 

不意打ちの牧野の我が儘に感謝だ。
牧野のおねだりは、一瞬にして司の目尻を下げさせてしまう威力があるらしい。
にしても、いきなりパフェとは。
突飛な牧野の発言は、相変わらず俺の理解を超える。

「今、食べたい」
「そっか、じゃ喰いに行くか?」

どうせねだるなら、もっと高価なものをねだれば良いものを。金なら腐るほど持ってんだから。と思うが、図らずもパフェに助けられた身。ここは何も言うまい。

「あそこのイタリアンがいいなぁ。前に連れて行ってくれたとこ」

「おぅ。でもちゃんと飯も食えよ? パフェは飯を食ってからだ」

「もう、分かってるってば。子供じゃないんだからぁ」

「子供より手がかかんだろ?」

⋯⋯俺から言わせりゃ、おまえら二人ともガキなんだが。

緩みきった顔で頬まで撫でだす司と、それを上目遣いに見る牧野。
二人の周りだけが、ふわふわとピンク色に染まり、甘ったるいったらない。
痒い。痒すぎる。
見てるこっちが恥ずかしくて、全身を掻きむしりたくなる。
そんな辟易とする俺の渋面に、牧野は気づいたらしい。

「あ、ごめんね、美作さん。でも、私たちのことは気にしないで? 私も全然、美作さんのこと気になんないから」

気にしろ。
頼むから、ちょっとで良いから気にしてくれ。
だって⋯⋯、傷つくじゃねぇかよ、その言い方。まるで俺の影が薄いって言われてるみたいで。

デリケートな俺の心臓に、ブスブスと針をぶっ刺したことにも気づかない牧野は、短く音を奏でたスマホをバッグから取り出すと、何やら打ち込み始めた。
メールかラインだろうか。

「よし、行きましょう!」

打ち終えた牧野は、大きな掛け声を出すと司と共に立ち上がった。

パフェでも何でも好きなだけ食ってこい。とっとと行け。
イジケ気味に思う俺に司が声を掛けてくる。

「何してんだ、あきら。早くしろ」
「は? 何で俺?」
「いいから来い」
「どこ行くんだよ」
「来りゃ分かる。黙って付いてくりゃいいんだよ」

わけが分からぬまま偉そうに指図する司に、仕方なく続く。
玄関から外へと出るが、不思議なことに前を歩くこいつらは、敷地外には出ようとはせず、ひたすら庭を突き進む。
一体何なんだ、と首を捻りながら無言で歩けば、辿り着いた場所はメルヘンチックな東屋の前。
俺の隣に並び立った牧野が、

「新種のバラを見せてあげようと思ってね」

と、恐ろしいことにウィンクを投げて寄越し、反射で避けた。
でも今度は司が、肩に腕を回して俺を逃そうとしない。

「あきら、珍しいピンクのバラだ」

意味深に司が口端を引き上げるが、不吉な笑いに、嫌な予感しかしないんだが⋯⋯。

ピンクのバラって、めちゃくちゃ普通じゃねえかよ! と突っ込むべきか。それとも、何を企んでんだ! と問い質すべきか。そう思案する俺の脳裏に、不意に何かが引っかかる。
こんなシチュエーション、いつだかもなかったか?

⋯⋯⋯⋯そうだ。あれは高校生の頃。あの時の珍しい花は確か─────黒バラ!!

しかし、記憶が繋がった時には既に遅し。
いつのまにか開けられていた、東屋の玄関ドア。そこに向かって押し出された俺は、背中に司の蹴りまで受けて、

「どわーーっ!」

部屋の中へと豪快につんのめった。
体勢を崩している間に、バタン、ガチャン、と不穏な音が響き、閉じ込められ鍵まで掛けられたと理解して、直ぐにドアに向き直り叫ぶ。

「おまえら、どういうつもりだーっ! しかも人ん家の東屋の鍵、何でおまえらが持ってんだーっ!」

「明日の朝、出してやるからよ、ゆっくり楽しめよ」

「ふざけんなっ、司! いいから早く出せ!」

「美作さ~ん! SPが来たらバスルームの窓から逃げてね~!」

「そもそも俺は追われてねぇーっ!」

ドアをガンガン叩いて訴えるが、二人の笑い声と足音は無情にも遠ざかっていく。

何なんだあいつらは! あいつらの思い出と混同すんな!
もしかしてこれは、あの時の仕返しか!?
だとしても、今更だろ。大人のすることじゃないだろうが!
くっそ、あいつら覚えとけよ。
大体がだな、報復するなら総二郎にもしろってんだよ!

毛根への労りも忘れて、わしゃわしゃと頭を掻く。
が、あいつらの言葉を思い出し、その手も止まる。

あいつら、新種のバラって言ったよな。

高校時代の俺と総二郎が仕掛けたものと、まるで同じのシチュエーション。
だとするなら、もしかしてここには他にも⋯⋯? と思い当たり、ハッとする。

確かめるためにゆっくりと背後を振り返れば、そこには────『ピンクのバラ!?』が、居た。

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  • Posted by 葉月
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