手を伸ばせば⋯⋯ The 2nd 9.
「失礼します。わぁー、牧野さん! お久しぶりですぅ! 秘書課に移られてから全然会えなくて、まだまだ教えてもらいたいことが沢山あったのに、本当に────」
「松野くん? まさかくだらない話をするためにここにきたわけじゃないわよね? 要件を早く言いなさい」
副社長室にやって来たのは、以前、牧野と一緒に仕事をしていた松野だ。
牧野を見るなり喜びを全身で表すとは、相変わらず学習能力が低い松野らしい。早々に牧野から、温度の下がった声で叱られている。
仕事以外の話には、簡単に乗りやしない牧野の厳しい姿など、司たちとの共同プロジェクト中に散々目にしてきただろうに⋯⋯。
牧野と話したいのなら、勤務時間外にしろ。
尤も、相手にしてくれる可能性は、夜空の星を掴む並に難しいだろうが。
とにかく、無駄にあまりあるその空回りパワーで、牧野を怒らせることだけはするなよ? と静かに願った。
「す、すみませんでした。つい、嬉しくなってしまって。⋯⋯今日は、副社長宛のパーティーの招待状をお預かりしましたので、お持ちしました。こちらです」
肩を縮めた松野が、慌てて俺のデスクに封筒を滑らせてきた。
送り主の名を、サッと確かめる。
このパーティーなら既に承知済みだ。
今度、新たな事業で初めて一緒に手を組むことになった相手企業からの招待で、予め、向こうの社長直々に話は聞いている。
元から予定の決まっていた周年のパーティーは、仕事で絡まなければ付き合わずに済んだものだが、一緒に仕事をする以上、急な誘いではあっても顔を出さないわけにはいかない。
ただ、少しばかり気が重い。憂鬱にさせる理由は、そこの社長の一人娘にある。
以前パーティーで会ったことがあるのだが、その時、F4のファンだと声高に言われ、しつこく付きまとわれて、ほとほと参ったことがあった。
まさしく絵に描いたような我が儘娘。相手の迷惑など顧みず、甘やかされて育つとこんな風になる、を体現したが如きご令嬢だ。
女性の受け入れは大歓迎の俺ではあるが、我が儘が過ぎるご令嬢など、流石に御免被りたい。
またあの時の二の舞になりやしないか。そう考えると、気分も曇りがちになるってもんだ。
ましてや、仕事で関わる相手の娘となれば、冷たくあしらうのも難しい。
けれど、希望もある。
牧野が一緒ならば、この前のパーティーのように、近づく女性を排除してくれるのではないか、と。
あんな目に遭うのはもう勘弁だし、俺には構うな、と心の底から思ってはいるが、今回ばかりは訳が違う。是非とも牧野には活躍してもらわねばならない。
賢い牧野のことだ。巧く、そつなく、しこりを残さず排除してくれるはずだ。
「松野、ご苦労だったな」
「いえ。では、僕はこれで失礼します」
一礼して回れ右した松野は、ドアを開ける直前で振り返った。
「あ、あの⋯⋯牧野さん。今度僕と、デ、デートして下さい! まだ僕は諦めていませんから!」
ここは副社長室だ。声を大にして女を誘う場所じゃない、と説教したいとこだが、俺が出るまでもないだろう。
「恋愛にうつつ抜かすより、まずは一人前になるのが先じゃないのかしら? その時が来れば、松野くんの気持ちを訊いても良いけど」
ニコリともしない牧野に、無残にもぶった切られた松野。
「⋯⋯はい。頑張ります」
しょんぼりと背を丸めて出て行った松野は、知らない。
扉が閉まった後で、「その時に、私が独身だったらの話だけど」と牧野が呟いたことなど。
あまりにも哀れだ。気の毒だ。同情するぞ。⋯⋯と思うも、どうにも本心は隠せない。
俺以外にも、可哀想な奴がいる。そう考えると、バカップルの巻き込まれ率が高い俺の心を、どこかホッとさせる。
もしかして俺よりも不憫だったりして!?
居なくなった松野の憐れな後ろ姿を頭に置きながら、何とも言えない仄暗い愉悦に、俺はひっそりほくそ笑んだ。
だから罰が当たったのかもしれない。
人の不幸を笑ったりなんかしたから。
それは、松野が持ってきた招待状のパーティー当日。出かける直前のことだ。
大いに当てにしていたものが、ガラガラと音を立てて崩れたことを知る。
「牧野、そろそろパーティーに行く時間だろ? おまえも早いとこ用意してこいよ」
「申し訳ありません、副社長。今夜、私は別に会食が入ってしまいましたので、同行出来なくなりました」
「なっ⋯⋯!」
⋯⋯困る。
牧野だけが頼りである俺の目論見はどうなる!?
牧野が居ないなんて、ひじょーに困る!
今夜寄ってくるのは、間違いなく虫だ。排除すべき対象だ。
俺が貞操の危機に見舞われたらどうするんだ!
秘書である牧野が守るべきなんじゃないのか!
「そっちの会食は何とかなんないのか?」
「はい。無理だと思われます。以前よりお誘いを受けていて、これ以上は断れないかと」
デスクを挟んで真正面に立つ牧野を見ながら、ふと思う。
牧野が同行しないのは、俺にとって都合が悪いがために焦りばかりが先行したが、よくよく考えてみれば、この話おかしくないか?
別件の会食が入っているにしてもだ。それならそれで、前もって俺に報告があって然るべきなんじゃないのか?
「牧野、どうしてその話、今まで俺に黙ってた?」
「先方より、副社長には言わないよう口止めされておりまして」
「は?」
何だ、その怪しい話は。
口止めする時点で、疚しさ満載だろ。
牧野を狙ってる奴は、幾らでもいる。そういう奴らが企みのもとに仕組んだ会食なんじゃないのか。
世間に名は伏せているとはいえ、牧野は司の婚約者である身。
そんな牧野を、怪しい場になんて行かせるわけにはいかない。
司と婚約していなかったとしてもだ。俺がそんなもん絶対に許さん!
「牧野、その会食には行かなくていい」
「しかし、先方の機嫌を損ないますと、後々うちとの関係に影響が出るかと。これも会社のためです」
「そんなこと牧野は心配しなくていい。牧野を犠牲になんか出来るか! 俺が断ってやる。相手はどこのどいつだ?」
口を噤む牧野を前にして、直ぐにでも相手に電話をかけてやろうとスマホを握る俺の顔は、きっと厳しくなっているに違いない。
俺にとっても大事な存在である牧野に、良からぬことを企んでいるんだとしたら、こっちから報復に出てやるまでだ!
「ほら早く言え」
「⋯⋯ですが、」
「いいから吐け」
牧野は観念したのか口を開いた。
「道明寺HDの日本支社長です」
ゴト、と音が鳴る。
音を立てたのは、俺の手からデスクに滑り落ちたスマホ。
溜息を逃すために視線を落とした俺は、再び顔を上げ、半目になって真顔の牧野を見る。
「⋯⋯それは会食か?」
「はい。美作と道明寺の親睦を深めるためには、必要不可欠な会食かと」
このやろう、と小さく呻いた俺は、頭を掻きむしりたい衝動に駆られるが、毛根へのダメージを考えるとそれも躊躇われ、代わりに右手を額に押しあてた。
ふざけんな、ふざけんな、ふざけんなーーーーっ!
フィァンセ相手に、何がしゃあしゃあと会食だーっ!
しかも、相手の機嫌を損なえば、うちとの関係に影響出るだと!? 満更嘘じゃねぇところが余計に腹立つわ!
くそっ! 真剣に訊いてた俺がバカみてぇじゃないかよ。
良いように人を弄びやがって!
募るのは、弄ばれた悔しさと腹立たしさと。だが、そんなあからさまな態度を見せるのも癪に障り、俺は心を鎮め、努めて落ち着いた表情と声を取り繕った。
「何のために会食をやるんだか、理解に苦しむんだが。そもそも、会食だなんて誰も思わない。人はそれを、デートって言うだろうな」
牧野は、まるで意味が分かりません、と顔で語り、首を傾げる。
そして────
牧野が続けた素っ惚けた台詞に、俺の忍耐はブチっと切れた。
「全く別の地平から見てきた言葉をそのまま言っても、なかなか通じづらいというのは私の実感」
「どっからパクってんだっ! おまえはどこぞの政治家か? 元アナウンサーか? 意味分かんねぇんだよっ!!」
どこまでが本気で、どこからが冗談なのか、さっぱり分からないおまえこそ、一体どこの地平からやって来やがった!
ぜぇぜぇ息を弾ませながら、まだまだ喚き足らずに口を開けるが、そんな俺を邪魔するかのように、執務室のドアが叩かれる。
「副社長、お見えになったようです」
何食わぬ顔して言う牧野。
「誰がだっ!」
それには答えず、苛立ちの熱を放出しきれていない上司を、あっさり置き去りにし身を翻した秘書は、ドアへと向かって行ってしまう。
この行き場を失った腹立たしさを、どうしてくれる! と心で吼えながら、目はドアを窺った。
牧野は、誰が来たのか分かっているような口ぶりだったが、俺には全く心当たりがない。
俺の知らないところで、会食同様、また小細工でもしてんじゃないだろうな。
睨むように見ていた先。開けられたドアから入ってくる人物を認めて、睨みに細めていた目を軽く見開く。
「こんにちは、美作さん、先輩!」
朗らかに挨拶をする人物を俺の前へと誘導し、その隣に立った牧野は、
「副社長、今夜のパーティーでパートナーをお願い致しました、三条桜子様です」
知りすぎるほど良く知っているダチを、真面目くさった顔で紹介した。
⋯⋯やっぱりか。
やっぱりおまえは、小細工してたんだな。
「ご丁寧な紹介ありがとな、とでも言うべきなのか、俺は」
「お礼には及びません」
「お礼なんて言わねぇよ! これは、嫌味だっ! つまりおまえは、大事な会食とやらを優先させるために、桜子の手を煩わせた、そういうことだな!」
「三条様なら、虫を追い払うどころか捻り潰して下さると思いますが」
「うっ⋯⋯⋯⋯」
何やら物騒な言い草ではあるが、今の俺には惹かれる言葉でもある。
「⋯⋯⋯⋯それは有り難い。宜しく頼む、桜子」
「ええ、喜んで」
数秒考える内に苛立ちは消沈。素直な俺は、本心のままを口にした。
俺の様子に納得したのか、満足気に一つ頷いて見せた牧野は、ペコリと頭を下げた。
「では、私は定時になりましたので、これで失礼します。お疲れさまでした」
「先輩!」
頭を戻し、部屋を出て行こうとする牧野に桜子が声をかける。
「今日は、道明寺さんと映画楽しん────っ」
「しーーっ! 桜子、言っちゃ駄目っ!」
飛びかからんばかりに桜子の口を塞ぎにかかったがな、牧野。手遅れだ。⋯⋯しっかり訊こえてる。
「ほぉー、俺は耳が悪くなったのか? 今、映画って訊こえた気がするんだが。俺の気のせいか?」
「ヤダなぁ、副社長ったら。気のせいですよ? お疲れちゃんかな?」
ポーカーフェイスの仮面を脱ぎ捨てたらしい牧野は、悪びれもせずニッコリ笑う。
「おまえのせいで無駄に気力を消費したからな。疲れてるのは確かだ」
「ありゃ、それは大変! パーティーが終わったら、桜子に愚痴でも聞いてもらって、癒されちゃって下さいね! じゃ、私は急ぎますんで。桜子、後は頼んだわよ~」
とびっきりの笑顔を残しスキップで出て行った牧野は、定時を過ぎてオフモードに完全移行した模様。
会食という名のデートがそんなに楽しみなのか、鼻歌でも刻みそうな姿を見せられた俺は、髪を掻き上げながら、諦めにも似た苦笑を零すしかなかった。

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