手を伸ばせば⋯⋯ The 2nd 4.
「道明寺さんの趣味が変わった? 女性の好みについて言ってらっしゃるのかしら?」
首を傾げた牧野は、笑みを保ったままで女に訊く。
「えぇ、そうよ。事実、司さんはこの身体に溺れてましたもの」
⋯⋯溺れてたのか。
司を除いた仲間全員が、心に同じ呟きを落としたに違いない。
顔を引き攣らせる司にダチ達が白い目を向ける中、自信ありげに女は続けた。
「これでお分かりでしょ? 司さんの好みの女性というものが。
だから私、心配しておりましたのよ? 何も分かっていない牧野さんが、司さんの単なる気まぐれとも知らず本気にでもなったりしたら、それはあまりにもあなたが不憫ですもの。ですから、ご忠告をして差し上げようと思っておりましたの」
勝ち誇ったような目つきで牧野を見下す女は、笑みを深くする。
だが、同様に牧野も笑みを消さない。どころか、「ふふふ」と、それは可笑しそうに声を立てて笑う。
どうして声なんか出して笑っちゃってるんだ、こいつは。
牧野が可笑しく思う場面など、どう考えたって今のこの時には存在しないんだが⋯⋯。
場違いな笑い声は、妙に浮き立っている。
遂に牧野は壊れたんじゃなかろうか、と若干の心配を覚えたとき、「それはお気遣いありがとうございます」と、ひとしきり笑った牧野が、明るい声で話し始めた。
「でも、ご心配頂かなくても大丈夫ですよ。ちゃんと分かってますから。
あなたが仰るとおり、道明寺さんは、あなたみたいなグラマーな人が好みみたいね」
ほぉー、そうなのか、司? と、ダチ達の眼差しが一斉に問うものへと変わる。
司はといえば、青ざめた顔を震えるように小刻みに揺らし、「ち、違っ、ご、誤解だ」動揺しまくりで牧野に向かって言い訳をする。
そんな司をチラリと見遣っただけで放置した牧野は、「但し、」と注釈をつけて再び女に向き直った。
「それって、遊び相手を選ぶ時の基準にしてるだけみたいですよ? 遊び相手はグラマー、みたいな」
「あ、遊びですって!?」
勝ち誇った笑みから一変。女から余裕が消えた。
一方、牧野はまだまだ笑う。⋯⋯な、何故だ。
「ふふふ。そうです、そうです。本来女性に興味がない人だから、出るとこ出てないと、女性だって認識できなかったんじゃないのかしら」
女の顔が怒りで醜く歪むが、それを目の当たりにしても、牧野はお構いなしだ。
「折角、ご自慢の『
しかもね、遊ばれたことに全く気づいていない女性も多いみたいで。何故だか皆さん、揃いも揃ってプライドだけは一級品だから、それが邪魔して遊びだってことにも気づかないのかも。可哀想よねぇ。あ、でも気づかない方が幸せなのかしら。あはははは!」
遂には高笑いする牧野。涙まで滲せ目尻を拭っている。
⋯⋯わ、笑いすぎだろうが!
しかも『それ』を強調したばかりか、遊び遊びって、どんだけ連呼したんだ。相手を逆撫でするだけだぞ。
「わ、私が遊ばれたとでも!」
ほら、見ろ。言わんこっちゃない。
幸いにもパーティーのざわめきに掻き消され、他の人間に気づかれちゃいないが、女の声のボリュームがヒステリックに上がった。
「あら、まさか! 杉田⋯⋯さん? いや違う、杉山さん? だったかしら。うーん⋯⋯あ、そうだ。杉崎さんだった!」
おい、牧野よ。
口元に人差し指を立てて、首を捻って考えるフリをするのはよせ。
社内の人間だろうが、社外の人間だろうが、一度挨拶をした者を絶対に忘れない頭脳を持つ、そのおまえがだ。目の前の女の名前を忘れるはずないだろうが。
どう考えてもこの行為はおちょくりで、相手の怒りの炎にガソリンを大量投入しているとしか思えん!
兄のつもりであり上司でもある俺のハラハラとした心模様など知る由もない牧野は、どこまでも明るく弾んだ声で語る。
「杉崎さんは、とても頭が良さそうだもの。そんな人が遊ばれていたことに気づかないはずがないわ! 道明寺さんとは、きっと本気のお付き合いだったんでしょうね!」
「当たり前でしょ!」
「なら、道明寺さんとは朝までずっーと過ごすこともあったのかしら? あなたの身体に
「っ、そ、それは⋯⋯」
しどろもどろってことは⋯⋯。そうか、お泊まりはなしか。
「あれー、その様子だと、やっぱりなかったか。朝まで一緒は!
こちらの統計によるとですね〜、道明寺さんが女性と一緒に過ごす時間は、アベレージ45分となってるんですよねぇ~」
「え?」
この戸惑いの声は俺だけのものじゃない。牧野の話を受けたここにいる全員の声が、見事なまでにハモった7重奏だ。
それもそうだろう。とんでもないことを言い出したんだぞ?
聞き捨てならない、いや、訊いてはならないような台詞を⋯⋯。
歌でも口ずさむかのような調子で、衝撃の事実を齎した牧野は今、『統計』と言わなかったか?
⋯⋯一体なんなんだ、それは。
誰しもが思い浮かべる疑問を余所に、牧野の一人語りが続く。
「道明寺さんって、本命の方とは片時も離れたくないらしいけど、その場限りの方とは、用が済んだらさっさと彼が出て行くか、女性を無理やり追い出してしまうんですって。酷い男よねぇ。最短で20分弱で部屋から出された女性もいるわよ?」
「早漏か⋯⋯痛っ!」
無意識に呟いてしまった俺の太股に、顔を真っ赤に染めた司からの蹴りが直撃する。
しかし、俺に対しての司の怒りは持続しない。それより何より、つらつらと語る牧野への戦慄の方が上回っているんだろう。
杉崎とか言う女も愕然としている。
女を黙らせたことは良しとしよう。だが、何故にここまでの詳細を牧野が知っているのか、この場にいる全員が、その驚愕を前に言葉を失して黙している。
俺に一蹴り入れた後の司に至っては、卒倒するんじゃないかと思えるほど硬直し、赤みは消え失せ顔色を無くしていた。
この張り詰めた状況に漸く牧野は気づいたのか、
「あらやだ私ったら。余計なこと言っちゃったかしら。さっき飲んだアルコールが今頃効いてきたみたい。少し口が軽くなりすぎたようだわ」
絶対に酔っていないだろう滑らかすぎる口調で沈黙を破り、そして「あはははは!」と、また一人可笑しそうに笑う。────笑うな、怖いから。
この掴み所がない今の牧野に、掛ける言葉など持っていようはずがない。
だが、バカな奴はいるものだ。愕然の境地から抜け出して激昂に目を剝いた女が、狂犬ばりに牧野に噛みついた。
「あなたっ! 馬鹿にするのもいい加減にしなさいよ! だいたい、何でそんなことまであなたが知ってるのよ! もしかしてあなた、NYに居るときから、司さんのことを追いかけ回していたんじゃなくて? まるでストーカーね。見苦しい行為だわ。恥を知りなさい!」
「まさか。私、そこまで暇じゃなかったわよ。それに私、彼のこと大嫌いだったし!」
⋯⋯えーっと、牧野。今は誰よりも大切な男で間違いないんだよな?
俺は本気で牧野に確認したくなった。
何せ、情事の平均時間まで暴かれた上に、こんな言われようだ。
あまりにも司が哀れすぎて、もはや司の顔を見れんぞ、俺は!
「だったら一体なんなのよ! 私を馬鹿にしてるとしか思えないわ! 私が遊ばれたって言うのなら、私だって黙ってないわ! それなりのものを請求させて頂きますから」
「それなりのもの、ね。それは、手切れ金とか、慰謝料とか。それとも彼との関係を他人に漏らさないための、口止め料の要求かしら? いずれにしても無理だと思うけど、ま、私には関係ないし、請求するならあちらへどうぞ〜」
牧野は、上へと向けた手のひらを、司へと向かってスライドさせた。
「司さん! 私、こんな侮辱は初めてですわ! こうなったらきっちり請求すべきものは請求させて頂きますから、そのおつもり───」
「あーっ、そうだ! 言うの忘れてたわ」
突然、声を張り上げ割り込んだ牧野。
なんだなんだ。今度は何を言うつもりだ。と、皆のあからさまな興味が牧野に向く。
けれど、それは肩すかしを食らった。
「そう言えば、青田さんはお元気?」
⋯⋯誰だ、それ。
脈絡なく牧野の口から語られる、誰だかは知らない謎の『青田さん』の登場に、皆の頭にはクエスチョンが幾つも立ち並んでいるに違いなかった。
俺だってそうだ。何がなんだか、ちんぷんかんぷんだ。
しかし、その人物を明らかにしないまま、
「杉崎さん、もうお話しはこれぐらいで宜しいかしら? それとも私に⋯⋯まだ何か?」
声音が変質し、突如、笑みを消し去った牧野に、俺の背筋は自然とピーンと伸び、総毛立つ。
────ポーカーフェイス牧野、ここに降臨。
鋭く、冷たく、細められた氷のような双眸が女を貫く。
「お帰りはあちらよ」
訊く者を凍傷させるほどの冷たい温度の声に、俺はぶるっと身を震わせた。
言われた女も怯え、反論の言葉も血の気も失い、とうとう何も言わず、逃げるようにこの場から去って行く。
その後ろ姿が小さくなり、やがて見えなくなると、
「あー、喉渇いた」
お気楽な調子で牧野が笑う。一瞬だけ降臨した姿は、もうどこにもない。
今の俺が分かるのは、あの女に対して、或いは司に対しても、牧野は笑顔の下で相当に怒っていたらしいってことと。あの女から声を奪うほどの何かを、牧野がしたってことだけだ。
⋯⋯俺は言いたい。
怒るなら、笑って怒るな。ポーカーフェイスも勘弁だ。
お陰で、見てはならざる幽霊を見てしまった心境だ。
つまり───凄ぇ、怖いっ!
頼むから怒るなら普通に怒ってくれ!
関係のない俺までビビらすなっ!
しかも、全てが終わった今、まだまだ笑うおまえが余計に怖いっ!
まるで心霊スポットで迷子にでもなったかのように、俺の心臓は激しく脈打ち、なかなか収まりそうになかった。

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