手を伸ばせば⋯⋯ The 2nd 3.
色気を無闇矢鱈に振りまき司へと近づいてきた女。
直ぐさま敵認定したと思われる滋と桜子は既に警戒態勢で、女を睨めつけ威嚇している。
しかし、女は涼やかな一瞥をくれただけでさらりと流し、司の右腕にそっと手を添えた。
「私、ずっと連絡をお待ちしておりましたのよ?」
司を見上げて女が艶やかに笑う。目尻にある黒子が、余計に濃艶を醸し出している。
そんな女を見下ろす司は、初めこそ「誰だ?」と理解していないようだったが、やがて心当たりに行き着いたのだろう。NYで関係を持った女だ、と。僅かな表情の変化から、それは読み取れた。
「失礼。生憎と私の記憶には残っておりませんが、どちら様でしたか?」
女の手を払いながら、口調は努めて紳士らしく振る舞うが、司の顔は、触れれば鳥肌が立つだろうほどの冷たさだ。
しかし、女に怯む様子はない。
「良いんですのよ、無理なさらなくても。全部分かっておりますわ。あなたほどの素敵な男性を世の女性達が放っておく訳はありませんもの。ですから私は、司さんの遊びは寛大な心で受け止めるつもりがありましてよ? あなたが最後に戻ってくるのは、私のところ。間違った婚約は、早く破棄なさって下さいね」
⋯⋯何なんだ、この自信に溢れた勘違い女は。思考が斜め上過ぎる。
自信もここまで来ると質が悪く、薄気味悪いったらありゃしない。司の趣味を心の底から疑いたくなる。
っていうか、早いとここの厄介な女を排除しないと、そろそろ牧野が戻ってくる頃合だ。
流石にこの状況は不味い。
得体の知れない女が牧野と対峙すれば、この調子の女なんだ。牧野に何を言い出すか分かったもんじゃない。
場所だって悪すぎる。此処はパーティー会場だ。幾ら片隅にいるとはいえ、騒ぎ立てれば人目だって引きかねない。
とにかく、この女を即刻排除しろ! と念じたところで、司の切れ味が増した冷淡な声が静かに響いた。
「仰っていることが全く分かりませんね。貴女と話すことなど、私には何一つないんで」
人を脅かすには充分な声は、しかし、女の一段と深まった笑みに無効化された。
「そんな嘘を仰らないで?」
⋯⋯手強い。手強すぎるぞ、この女!
司と同類なのか、日本語が全く通じねぇ!
「司さん、あの素敵な夜に私が言ったこと覚えてらっしゃるかしら? 暫くは遊んでも宜しいけれど、必ず私のところへ戻っていらしてね、と申し上げましたでしょ? 司さんも、分かったと仰って下さったわ」
⋯⋯言ったのか、そんなこと。
白けた横目で司を窺う。だがその顔は、まるで覚えていないと語っていた。
どうせ、面倒で適当に相槌でも打ったんだろうが、この手の女に言質なんてくれてやるな!と今直ぐにでも説教してやりたい気分だ。
こんな女に言いたい放題にされて、見てみろ。滋や桜子の目つきも更に細まり、お嬢である二人の人相が、嫁の貰い手がなくなるほどガラ悪いもんになってんじゃねぇかよ!
しかも、桜子の視線は矛先が変わっている。女から、司へと⋯⋯。
牧野大好きっ子娘、桜子のことだ。不甲斐ない司に怒りが湧いてきたのだろう。
目を凝らせば、その唇は微かに動いていて、もしかすると声なき声で司を罵っているのかもしれない。いや、司を呪っているのだろうか。
桜子の視線の圧と呪いも合わさって、辺りに一段と緊張が走る。
司からは怒りのオーラが放たれ、肌がピリピリと刺激を受けそうな殺気だ。
得たいの知れない女の言動に遂には我慢も限界か。久々に司の額に青筋が出現した。
「てめぇ 大人しくしてりゃ調子に乗りやがって。ふざけたことぬかし────っ!」
地を這う司の声が空気を震わし、しかし、全部を言わずしてふと止まる。
額にあった青筋は瞬く間に消え、代わりに、一点を見つめる司の顔色が青ざめた。
⋯⋯嫌な予感しかしないんだが。
表情が硬直した司の視線を恐る恐ると追って振り返れば、予感は的中。戻って来た牧野がすぐ傍の距離にいることを知る。
⋯⋯や、やべぇ。
もう戻って来ちゃったのかよぉ! と嘆きたくなるが、まずは素早く行動だ。
それは俺だけではなく、司を除く仲間が慌てて一斉に動き出し、女の視界から守るよう、皆で輪になり牧野を取り囲む。
こういう時の俺たちの連携は、言葉はなくとも息がぴったりだ。
このまま牧野を誘導し、別の場所に避難させようと目顔で皆と確認し合う。
が、それぞれが頷き、動きかけた時だった。俺たちの努力も虚しく、女が笑みを浮かべながらこっちに一歩近づく。
「そちらにいらっしゃるのは、牧野さんではなくて?」
この女、牧野の存在を知ってるのか!
いよいよ焦りが本格化する中、司の鋭い声が女を突き刺し、食い止めにかかる。
「てめぇには関係ねぇだろうが! 目障りだ。無残な姿になりたくなきゃ、とっとと失せろ!」
「私は、彼女とお話しがしたいだけですわ」
どこまでも図太い女は、司の恫喝にも屈しない。
俺たちは、ますます警戒心を強め、密になって牧野を隠す。────けれど、それは無意味となった。
俺の肩越しから背伸びをした牧野が、ひょっこり顔を出したせいで。
「いいよ。私、その人と話しても」
緊張が走るこの場には相応しくない、牧野の暢気な声。
「え?」と驚きに牧野の顔を見る俺たちに構わず、牧野はピョンと跳ねるように輪から抜け出し、軽やかな足取りで女の前に立ってしまう。
ど、どうすんだよ、司っ!
間違いなく修羅場だろうが!
心配性の俺の心臓がバクバクと煩いが、周囲に漏れ聞こえる前に女が話を切り出した。
「牧野つくしさん、ですわよね?」
「えぇ。美作商事の副社長秘書をしております、牧野です。初めまして」
にこやかに牧野が返す。
⋯⋯おかしい。牧野がおかしい。
挨拶回りですら、うっすらとした笑みを口元に乗せるだけだった牧野が、何故か今は朗らかに笑っている。
愛想を振りまいている場合か!
ピリピリとしたこの状況に不自然さを感じねぇのかよ!
この女はな⋯⋯、その、司のアレなんだぞ?
おまえ、鈍感女は卒業したはずじゃなかったのかっ!
牧野に必死の視線を送り訴えるが、全く届いていないのか、ニコニコと牧野の笑顔は崩れない。
俺を含めた皆の心配を余所に、会話はどんどんと進んでいく。
「司さんと随分と仲良さそうでしたから、私、ずっと牧野さんのことが気になっておりましたの」
「そうだったんですか⋯⋯。ところで、あなたは?」
「あら、ご挨拶が遅れてごめんなさいね。私、杉崎真紀と言います。司さんには、それはそれは可愛がってもらっていましたのよ。
牧野さん。あなたのこともNYにいる頃から存じ上げてますわ。実は私NYで、あなたと同じ会社で働いておりましたの。優秀な女性だと牧野さんは有名でしたから、同じ日本人として嬉しかったのを覚えておりますわ」
「それは光栄です。なのに、ごめんなさいね。私、あなたのこと
⋯⋯おかしい。牧野がおかしい。
ニコニコ顔は健在なのに、今、『全く』をやけに強調しなかったか?
まるで、おまえなんかに興味はない、と言わんばかりに。
それとも俺の勘違いだろうか。だが、女の眉がピクリと動いたことで俺の勘違いじゃなかったと知る。
もしや牧野は、わざと挑発してるのだろうか?
相変わらず顔は笑ってるけど。
「ところで牧野さん。司さんとは、どのような関係なのかしら」
牧野の意図を探れないまま、女がいよいよ核心に触れる。
果たして、牧野は何と答えるのだろうか。
本当のことを打ち明けたとして、相手は『間違った婚約を破棄しろ』とまで言った傲慢な女だ。間違いなく修羅場になる。
誰しもが固唾を呑み、牧野の答えを待つ。
「高校が一緒で、私は道明寺さんの後輩なんです」
おっと、フィアンセとは言わなかったか、と胸を撫で下ろす。
相手を興奮させても厄介なだけに、無難な答えは正解だ。
さっき挑発をしたようにも見えたことからしても、きっと牧野は何かに勘づいているはず。
ここは冷静になって対処するのがベスト。判断を間違うなよ。おまえなら出来るぞ! と気づけば俺は、牧野にエールを送っていた。
「そうでしたの。先輩後輩の仲でしたのね。私ったら、てっきり司さんの趣味がお変わりになったのかと、心配してしまいましたわ」
女は言いながら、牧野の頭からつま先までを舐めるように見て、胸に視線を戻すと不敵に笑った。
⋯⋯おかしい。牧野がおかしい。
笑っているはずの目の奥が、一瞬キラリと光ったぞ!
まともに見てしまった俺は、ビビってちっとばかし震えちまったじゃねぇか!
馬鹿にしたように牧野のボディラインをなぞった不躾な視線と、不快を覚える笑み。
それは、絶対に牧野にやってはならない最悪行為だ。
この女、地雷踏みやがった!
司も慌てて、「いい加減にしろ!」と女に怒声を飛ばすが、それは牧野が突き出した、右の手の平一本によって制された。
制した牧野は、未だ笑みを絶やさず、ニコニコニコと、怖いくらいに笑っている。
そして────
笑みを湛えたままの牧野は、ここから反撃を始めるのであった。

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