手を伸ばせば⋯⋯ 46
相変わらず仕事漬けの毎日が続いている。
でも、この仕事に私が携わるのもあと僅か。最初の予定通り年が明ければプロジェクトから離れることになる。やり残しがないよう最後の大詰めで忙しいのも当然だった。
それに加えてこの時期は、やたらとパーティーや飲み会が入ってくるものだから、忙しさは加速度を増す。
そして今。
そんな忙しい最中にも拘わらず、滋さんの一声で決まったプロジェクトチーム全体の忘年会に強制参加させられている。
滋さんと気まずい関係だったのも束の間。
『自分の思いをぶつけすぎた、ごめん』そう言って滋さんが私に抱きついてきたのは、あのメープルに呼び出された日から一ヶ月後のことだった。
私の方がわざと怒らせたというのに、滋さんは私を責めもせず、これからも友達だからと言う。
彼女は、どうしていつまでも素直なままで、自分の気持ちに正直であり続けられるのだろう。私にはないものだ。
そんなことを考えながら、周りの人たちを巻きこんではしゃぐ滋さんを、少し離れた席から眺めていた。
忘年会も一時間が過ぎると、適度にアルコールが回ってくるのか、それにつれ口も滑らかになってくる人が増える。
仕事に関するものならいざ知らず、普段、大して話したこともない人から声を掛けられ、プライベートに踏み込まれるのは、気分が良いものではなかった。
とりわけ、女性社員の質問攻めは遠慮を知らず、どうしたって気持ちが引く。
特に私の席周辺には、道明寺や美作さんも座っているために、彼女たちの狙いはあからさま。テンションの高さもかなりのものだ。
そこに私を巻き込んでくるのだから、堪ったものじゃない。
ずっと恋愛語りを続ける彼女たちは、自分たちの恋愛観が女性の総意だとでも思っているのか、『女ならそういうもの』と決めつけ、私に同意を求めくる。
それをダシに、今度は道明寺たちに男性の意見を求める。こうして会話を繋げる遣り方は、もう何度目か。
どうせ目的は道明寺たちなのだから直接話を振れば良いものを、何故か私というワンクッションを置きたがり、とうとう究極のろくでもない話に突入した。
「よく恋愛は、女は上書き、男は保存って言いますけど、女性だって初めての男性は別枠で忘れられないもんですよ。ね、牧野さんもそうですよね?」
何故、こんなことを人前で訊かれなければならないのか。
それでも雰囲気を壊すわけにはいかず、あからさまに会話を潰すことが出来ないのがもどかしい。
斜め前には、その初めての男がいるのに。
「さぁ。特別そんな風に考えたこともないから、私には分からないけど」
「えー、もしかして牧野さんは上書き派なんですかぁ?」
私の答えに不服そうにしながらも、既に目線は道明寺に向かっている。
「支社長はどうですか? 支社長は女性に困ったことなんてないでしょうけど、それでも初めての相手は特別だったりします?」
よくもこんなことを道明寺に訊けるものだと、お酒の威力に感心する。
いい加減、道明寺が怒りだしてもおかしくはない。なのに、怒るどころか道明寺は事もなげに答えた。
「特別だな」
ドクン。
何故か、鼓動が大きくひと跳ねする。
「きゃー、やっぱり特別なんですね! もしかして、今でも忘れられないとか?」
「あぁ」
何を馬鹿話に付き合って答えているんだか。
色めき立つ女性たちの黄色い声にも、躊躇せずに答える道明寺にも苛つきを覚え、目の前のお酒を飲み干す。
空になったグラスをテーブルに置き、目線を上げた瞬間だった。道明寺の眼差しとぶつかったのは。
しまった! と、思ったときには遅く、私は道明寺から視線を逸らしていた。
⋯⋯こんな話の後に目を逸らすなんて。これじゃまるで、私が道明寺を意識しているみたいじゃない。
なんで目を逸らしてしまったのか。
自分の些細な態度に鬱々とした私は、それからも道明寺を視界の中心に入れないまま、暫くしたところで一人この場所を後にした。
あの忘年会から数日後。
今度はとある企業が主催するパーティーへの参加の打診が入り、憂鬱が過ぎて溜息が止まらない。
今回のプロジェクトにも間接的に拘わる企業とあって、道明寺、美作さんが招待を受け、道明寺のパートナーとして私も出席するよう、さっきから美作さんから説得されている最中だ。
「なぁ、牧野頼むよ。今回は司のパートナーとして参加してくれ」
「滋さんがいるじゃないですか」
「滋は俺のパートナーなんだよ。別にパーティーで同伴するくらい良いだろ?」
「申し訳ありませんが他の方に頼んで下さい」
一歩も引かない私に業を煮やしたのか、美作さんが最後の決め手を使う。
「これは仕事だ! 業務命令として、司のパートナーを務めパーティーに参加すること。いいな!」
私がここまで嫌がるのは、パーティーそのものが嫌いなのもあるけれど、それだけじゃない。相手が道明寺だからだ。
最近、自分が良く分からない。何故か、あの男の顔をまともに見られない。
そんな自分が、とてつもなく嫌だった。
✾
今夜のパーティーはパートナー同伴だ。
俺は滋を、司は牧野をパートナーにしてこうして来ているわけだが、司のパートナー役を牧野に引き受けさせるまでが厄介だった。
パーティー嫌いなのは知ってはいるが、思っていた以上の抵抗に遭い、最後は上司命令を出したほどだ。
二人が一緒にこうしていられるのも、あと一ヶ月。だが、二人の関係に未だ変化はない。ただ、どこかおかしい。
仕事上では互いに話すし意見交換だってするところは以前から変わらない。プライベートで話さなくなったのも、ここ最近ではお馴染みだ。
でも、何かが違う。そう思うのは俺の気のせいだろうか。
なんとなく違う気がするんだがな⋯⋯⋯⋯、牧野が。
そんな牧野を観察するように、パーティーの中を練り歩く二人に視線を向ける。
牧野の腰に手を添えエスコートする司は、周囲に挨拶をしながらも、牧野に差し向けられる男からの視線を見つければ、威嚇の如し危険な眼光で対抗し悉く潰している。⋯⋯器用にも牧野には気づかれないように。
気づいていない牧野は、こうして見ている限りではどこも変わった様子はない。
釈然としないが、やはり俺の思い過ごしだったか⋯⋯。
パーティーも半ばを過ぎ、秘書と共に来ていた類とも合流した俺たちは、それぞれが必要な相手との挨拶を一通り済ませたところで、場所を移して飲み直すことにした。
この会場は、司の姉ちゃんの旦那が経営しているホテルだったことから、司にここのスイートをとってもらい、早速、エレベーターホールへと向かう。
その途中、通り過ぎてきた場所から、男の声が訊こえてきた。
「すみません! こちらを落とされた方はいませんか?」
声のする方へ振り向くと、その男の手には女性用のハンカチが握られている。
「あ、私の」と呟いた牧野は、「ごめんなさい、ちょっと取ってきます」
俺たちに一言言い置いて、拾い主の元へと急いだ歩調で向かう。
その後ろ姿を見送り、牧野を待つ間、意味なのない会話を滋と交わしていた────次の瞬間だった。
あっ、と司の声が訊こえたかと思うと、
「牧野ーっ!」
突然叫んだ司は、猛スピードで駆け出した。
何事かと目で追えば、牧野に向かって近づく女が一人。
その右手には、眩しく光る鋭利な刃物が握られていて、「牧野っ!」俺も慌てて走り出した。
「許さないっ! あんたなんかいなくなれば良いのよっ!」
恨みを孕んだ咆哮がホールを揺るがし、女が牧野に迫る。
不意打ちの出来事に驚愕して動けないのか牧野は立ち尽くしたままで、女が近づくより僅かに早く牧野の元へ駆けつけた司が、牧野を庇うように腕の中に閉じ込めて床に伏せた。
「許さないっ! 絶対に許さないっ!」
叫び狂う女が刃物を頭上に掲げた時、司のSPたちが背後から飛びかかり女がうつ伏せに倒れる。
が、まだ押さえきれてなかった右手を伸ばし高く上げた女は、それを司たちに向かって一気に振り下ろし⋯⋯、
「止めろーっ!」
「司っ!」
「いやーーっ!」
俺たちの絶叫が周りの音を呑み込んだ。

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