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手を伸ばせば⋯⋯ 42



「あの⋯⋯、ここは?」

止まった車の窓から外を見た牧野が、不審げな声を出す。
牧野の住むマンションとは全く別の所へ連れて来られたのだから、当然の反応だ。

「俺のマンション」

俺は、牧野がうちの屋敷を訪れた翌日から、一人でこのマンションに移り住んでいた。

「支社長の?⋯⋯こちらに住んでらっしゃるんですか?」
「あぁ」

短く答えて外に出る。
直ぐに牧野の手を掴み車から下ろすと、引っ張るようにしてマンションの中へと入っていく。

「ちょっと、離して下さい。どうして私が支社長のマンションに行かなきゃならないんですか?」

牧野は抵抗して手を振り払おうとするが、その力は驚くほど弱い。
それだけ、今の牧野の体調は普通じゃねぇってことだ。放っておけるはずがねぇ。

「こんなに具合が悪いおまえを一人で帰らせるわけにはいかねぇ。週末の間、ここで静養しろ。使用人を呼んであるし、俺と二人っきりってわけじゃねぇから。ここなら食事の心配も要らねぇし、栄養つけて早く体調を戻せ」

「そこまでして頂く理由はありません。子供じゃないんです。一人でも平気です」

牧野が嫌がるのは百も承知だ。
けど、このまま帰らせるのは不安で仕方ねぇ。
あきらが居れば任せるが、生憎と今は出張中。
牧野の気持ちを考えれば、俺の世話になんかなりたくねぇだろうが、今は牧野の体調を整える方が先決だ。

「牧野が嫌がるのは分かる。本当は、俺のところじゃない方がいいのも分かってる。けど、今は体のことだけ考えてくれ。これ以上抵抗するなら、また担ぐぞ」

それでも尚、帰ると言って聞かない牧野を、結局俺は担いで歩き玄関のドアを開けた。
中に入ると予め来るよう頼んでおいた使用人たちが出迎える。その中にはタマの姿まであった。

「坊ちゃん、お帰りなさいませ。つくし、大丈夫かい? そんな青白い顔して⋯⋯。しっかり休んで早く良くなるんだよ。さぁ、坊ちゃんもいつまでもそんなところに突っ立ってないで、つくしを部屋まで案内してやって下さいませ」

「タマ先輩、折角ですが、私はこちらでお世話になるつもりはありません」

床に下ろすなり、往生際悪くまだ抵抗する牧野に、タマがビシッと言った。

「何言ってんだい! そんな不健康そうな顔したあんたを、坊ちゃんもあたしも黙って帰せるはずないだろ。あんたが具合悪いと、他の者たちにも迷惑掛けるんじゃないのかい? 体調を整えるのも仕事の内だと思って諦めな。
それとも何かい? この年寄りを撥ね除けてでも、ここから出て行くって言うのかい?」

急にピンと背筋を伸ばしたタマは、皺だらけの顔でグイグイと迫り、流石の牧野も顔を引き攣らせている。
体が引き気味になる牧野に、それでも詰め寄るタマ。
遂に牧野は白旗を掲げた。
タマのこういう時の顔は、やけに迫力がある。トラウマになりかねねぇレベルで。

「わ、分かりました⋯⋯。お世話になります。宜しくお願いします」

「分かったならいいんだよ。月曜の朝まで、ここできっちり静養するんだよ。全く、相変わらず世話の焼ける子だねぇ」

呆れたように言ったタマは、俺には任せてらんねぇと思ったのか、年寄りとは思えねぇ力で牧野を引っぱり寝室に押し込むと、ルームウェアを渡した。

「さっさとこれに着替えな。他の着替えも一通り揃ってるから、明日からは好きなのを着ればいい。着替えたら坊ちゃんと食事だよ。ダイニングの方に来れそうかい? 体がキツいようなら食事はこっちに運ぶよ?」

「いえ、動けますから大丈夫です」

「そうかい? じゃあ、着替えたら出てきておくれ」

二人で寝室を出て、少し離れた場所に移動しタマを見下ろす。

「タマ、こんな遅くにわざわざ来なくても良かっただろ。いい加減歳なんだからよ、あんま無理すんな」

「何を仰います、坊ちゃん。無理をするなと言われましても、坊ちゃんの幸せを見届けるまでは、安心して隠居生活も出来やしませんよ。それにあたしが居なきゃ、つくしは逃げ出してたんじゃありませんかい? あたしはね、そのために来たんですよ。素直になれないだろう、つくしを説得するためにね」

「そうか⋯⋯。悪かったな」

「おやまぁ。坊ちゃんに謝られるとは、長生きはしとくもんですねぇ。
それより坊ちゃん? あの子を救ってやって下さいましね。つくしはNYにいた頃の坊ちゃんと同じ目をしています。つくしの輝いた瞳を取り戻してやって下さいましよ。それが出来るのは、坊ちゃんしかおりません」

真剣な目で訴えかけてくるタマ。
到底叶えてやれそうにない願いに、俺は目を伏せた。

「⋯⋯無理だ、俺には。⋯⋯俺があんな風にさせちまったんだ」

その張本人の俺に何が出来るんだ。
流石にタマに何をやらかしたまでは言えねぇが、訊いたらタマだって言葉を失くす。
ここに連れてきたのは例外中の例外。応急処置的にそうするしかなかっただけで、本来なら、牧野に近づいちゃいけねぇ奴が、俺だ。
牧野の体調さえ回復したら、もうプライベートで会うこともねぇ。

「何を情けないこと言ってるんだい!」

持っていた杖で床を一突きしたタマは、また背筋を伸ばし、牧野にもしたように、今度は俺に迫ってきた。

「坊ちゃんがあの子をあんな風にさせたって言うんなら、尚のこと責任もって取り戻さないでどうするんだい!
つくしはね、あたしにとっても可愛い孫みたいなもんなんですよ。タマが生きている間に、あの子を幸せにしてやって下さいましよ。坊ちゃんとつくしの笑顔を見せて下さいませ」

「⋯⋯⋯⋯」

「全く、何をうじうじしているんだい! いい加減におしっ!」

とうとう切れたらしいタマは、バシッと俺の尻を杖で叩くと、ぶつぶつ文句言いながらダイニングの方へ行っちまった。




牧野の着替えを待って、ダイニングで遅めの夕食を一緒に摂る。
貧血に良いとされる食材を使った料理が並ぶが、まだ頭痛がある牧野は食欲がなく、今日のところは無理に食べさせず、シャワーを使わせてゆっくり休ませることにした。

だが、寝る段階になって、また頑固な牧野の抵抗が始まった。

「同じ部屋で悪いが、俺はソファーで寝るから、おまえはベッドを使え。客室はあっても客用のベッドがねぇんだよ。悪いけど、我慢してくれねぇか」

「え」

「何にもしねぇから心配すんな⋯⋯つっても信用ねぇよな」

前科がある身だ。その俺に信用しろって言われても無理な話か。
牧野が心配で、もし何かあっても直ぐ気づけるようにと、ベッドから離れたソファーならと思ったが、同じ部屋ってのは牧野の精神衛生上、良くねぇかもしんねぇ。
牧野の様子は心配だが、俺は書斎の椅子で寝ればいい。

「だったら俺は書斎で寝るか、」
「いえ、そういうことではなく」

牧野が遮った。

「そういうことを心配してるんじゃありません。支社長がベッドを使って下さい。私がソファーをお借りします」

俺と同じ部屋が嫌だってことじゃないのか?
恐くはねぇか?
だとしたら、少しだけ気持ちが軽くなる。

「同じ部屋でも大丈夫なら、おまえがベッドだ」

「私の方が体が小さいのでソファーで」

「駄目だ、病人のおまえがベッドを使え」

「じゃあ、帰ります」

「タマ呼ぶか?」

「⋯⋯⋯⋯」

ぶつかり合っていた視線を下に落とした牧野は、さっきの迫力あるタマの顔を思い出したんだろう。僅かに眉を顰め、やっと口を噤んだ。

「決まりだな。おまえがベッドな。俺は隣の書斎で仕事してるから、先に寝てろ。何かあったら直ぐ呼べよ。じゃあな」

寝室から書斎に繋がるドアに手を掛けたとき、背後から小さな声が届く。

「⋯⋯おやすみなさい」

ふわっ、と俺の胸に温かな風がそよぐ。
振り返り、「あぁ、おやすみ」と普通を装い答えるが、心の内側では、幸せを感じてしまった罪悪感に包まれ、逃げるように書斎に入った。


俺の記憶が完全に戻ってからというもの、牧野が邸を訪ねてきたあの日以来、俺たちは仕事以外で話すことはなくなった。
親しくできる権利など俺にはねぇ。
だから余計に、久しぶりの会話が胸に沁みる。
牧野が撮ったレントゲンに影が見つかったっていう緊急事態で、他のことなど考えている場合じゃなかったが、その心配も立ち去り気持ちに余裕が生まれれば、こうして俺の心は、些細なことで幸せを感じてしまう。
牧野からの『おやすみ』のたった一言で、胸がじわりと温かくなったように。
幸せなんて感じちゃいけねぇのに。苦しんで、懺悔して、そうやって後悔し続けながら生きなきゃなんねぇのに。
それが牧野の望みであり、そうすべきだと俺も思うのに、勝手に心が幸せを捉えてしまう。

もうこれ以上は、駄目だ。牧野がいる間、余計なもんを感じることも、望むこともしちゃならない。
書斎の机に向かって座り、必死に自分に言い聞かせる。俺にそんな資格はないのだからと⋯⋯。
何度も言い聞かせたのち、自らの中の邪念を払うように仕事に没頭した。


仕事を片付けシャワーを浴びて俺が寝室に戻ったのは、深夜2時過ぎ。
牧野の様子はどうだろうかとそっと顔を覗きこめば、昼とはまるで違い、少女のようなあどけない寝顔でぐっすりと眠っている。
いつまでも見つめていたい衝動に駆られるが、それを振り切り俺もソファーに身を沈めた。






「ぅぅ⋯⋯ゃ⋯⋯⋯⋯ぃゃ」

微かな音を拾って意識が浮上する。

⋯⋯なんの音だ?

眠りに落ちていた覚醒しきれてねぇ頭で考えていると、

「ぃゃぁ⋯⋯いやぁーー」

再び耳が捉える。
牧野だ。牧野の悲鳴だ!
毛布を蹴飛ばし牧野へ駆け寄った。

「牧野? どうした牧野!」

目を閉じたままの牧野に呼びかけるが、耳に入らないのか、ますます悲鳴は大きくなる。

「きゃーーっ、いやーー! やぁーーーーっ!」

普通じゃねぇ。

「牧野! おい、牧野しっかりしろっ!」

悲鳴に負けない声で呼びかければ、呼吸が乱れている牧野の閉じていた瞼がゆっくりと開く。
その瞳が俺を捉え、そして────。

「っ!」

ホッとしたようにふわりと牧野が笑い、俺は息を呑んだ。
それだけじゃねぇ。牧野は両手を伸ばし、俺の頬を包み込む。

「良かった⋯⋯、道明寺、良かった」

眉尻を下げ、如何にも安堵したって顔で、牧野が俺に微笑んでいる。

一体、何が起きてんだ。頭が追いつかねぇ。
良かったって、何がだ。俺が、どうしたんだ?
牧野は寝ぼけてるのか。それとも夢を見てんのは俺の方なのか。

柔らかく微笑みかけられたのに驚愕し、見失っていた声。それを何とか取り戻し、

「牧野⋯⋯どうした? 怖い夢でも見たのか?」

じっと目を見つめて言えば、突然、牧野はハッとしたように我に返り、慌てて俺の頬から手を離した。

「ご、ごめんなさい⋯⋯少し、寝ぼけてたみたい」

俯きながらか細い声で言う牧野は、まだ少し呼吸が乱れていて、

「牧野、ソファーに座って少し待ってろ。ハーブティー用意してやる」

気を鎮めさせてやろうと、ソファーへ誘導する。
牧野を座らせ、直ぐにキッチンへと急ぐ。別の部屋で寝ている使用人を起こす間も焦れったくて、自分で棚を漁った。
NY時代、俺が不眠気味だったことを知っているタマが、ここに移るときにもハーブティーの用意をさせていたはずだ。俺でも淹れられるように、ティーバックのものを。

あちこち漁って見つけたカモミールティー。
三角の入れもんに入った茶葉を一つ摘まんでティーポットに落とし、お湯を注ぐ。
カップも用意しトレーに乗せると、急いで牧野の元へ戻った。

寝室に戻ると、牧野はソファーの隅っこで膝を抱えて丸くなっていた。
その姿は、一段と牧野を小さく見せるだけじゃなく、外に目を向ける血色を失くした横顔は、迷子にでもなった子供のようにどこか不安げで、怯えているようにも見えて。ふとした拍子に、どこかに消えちまいそうな儚い雰囲気を纏っている。
その姿は、俺を一気に恐怖へと陥れた。

ハーブティーをテーブルに置き、牧野の傍に寄る。
堪らなくなった俺は、声を掛けるのも忘れて牧野を引き寄せた。

「⋯⋯離して」

「少しだけでいい。このままでいさせてくれ。おまえが消えちまいそうで⋯⋯、怖ぇ」

牧野は何も言わない。
俺は、胸の中の温もりを確かめながら、牧野をあんな顔にさせる不安や悲しみを取り払いたい一心で、安心させるように薄い背中や髪を撫でた。
自分が牧野を苦しませたことなど脇に置き、ただ牧野の心が落ち着くようにと願いながら⋯⋯。

どれくらいそうしていただろうか。
不意に重みを感じ、腕を緩めて牧野を見れば、体を完全に俺の胸に預けきって眠っている。
不安や怯えなど見当たらない、気持ちよさそうに安心しきった顔で。
それがまた、俺の幸せを呼び寄せる。
幸せなんて感じる資格あんのか。そう律しようとしても抗えず、

『ごめん、牧野。今だけだから⋯⋯。あと少しだけ、この幸せを噛み締めても良いか?』

胸の内で赦しを請いながら、腕の中にいる牧野の髪を、俺はいつまでも撫で続けた。

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  • Posted by 葉月
  •  2

Comment 2

Thu
2021.07.22

きつね  

連日のコメント失礼します。

今回もめちゃくちゃ最高でした。

タマさん最強。最高のタイミングでここぞとばかりに活躍してくれて感謝。
葉月さまの描く道明寺の魅力はぶっちゃけ本家超えです。なんていうと花男ファンに怒られますかね笑

0時を楽しみに一日がんばれました。更新ありがとう。葉月さまの花男愛に喜びを噛み締めて。

2021/07/22 (Thu) 00:26 | EDIT | REPLY |   
Thu
2021.07.22

葉月  

きつね 様

こんにちは!

楽しんで貰えて私も嬉しいです!
今回は、頑固なつくしの説得役をタマさんにお願いしました。
相変わらずお元気なようで、腰の伸び縮みも自由自在。
杖は単なるダミーなのか武器なのか、杖がなくてもスタスタ歩けるほどかもしれません。

本家以上なんてとんでもございません(汗)
可愛さ余って、しょっちゅう司を追い詰めておりますゆえ、申し訳なく思っているくらいです。
⋯⋯と、思いつつ、また書いてしまうのですが(¯∇¯٥)

暑さが厳しい毎日ですが、夏バテに気をつけて、今日も一日、無事に乗り切って下さいね。

コメントありがとうございました!

2021/07/22 (Thu) 14:55 | EDIT | REPLY |   

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