手を伸ばせば⋯⋯ 41
何で今日くらい休まねぇんだ!
夕方からプロジェクトチームに顔を出した俺は、居ないとばかり思っていた牧野を見つけて、途端に心が落ち着かなくなる。
医者に安静にしろって言われたんじゃねぇのかよ!
顔色だって良くねぇのに、頭痛だってまだ治まってないんじゃねぇのか?
もう直ぐでミーティングも始まるのに、そんなんで保つのかよ。
無理を押し通す牧野に、憂慮と不安が俺を包みこむ。
帰るよう命令してしまおうか。だが、それに大人しく従うとも思えねぇ。
どうするか⋯⋯。
考えを巡らせてる間に、最悪にもミーティングの時間となってしまった。
腹の中で『くそっ!』と喚いたところで状況は変わらない。
こうなったら、少しでも早く終わらせるようにしなければ⋯⋯。
事前に打つ手がないまま始まったミーティング。しかし、常に気持ちは牧野ばかりに向かってしまう。
気づかれないよう様子を盗み見る顔は、やはり血色が優れず、時折、こめかみ辺りを指で押さえたりもしている。頭の痛みが引いてねぇ証拠だ。
苛つきながら堪えるしかないミーティングが一時間ほど経った頃。傍にいた西田が静かに立ち上がる。
マナーモードにしていた電話らしい。部屋の隅でスマホを耳に押し当てた西田は、しかし直ぐに部屋を出て行った。
何かトラブルったか。
牧野だけで頭が一杯なのに、これ以上の厄介ごとはごめんだ。
だが俺の願いも虚しく、戻ってきた西田の足取りがやけに速くて、嫌でも問題が発生したのだと悟る。
俺の脇に来るなり、机の下から差し出してきた二つ折りのメモ紙。
素早く開き目を通した俺は、一瞬にして血の気が引いた。
それは、類を通して牧野が受診した病院からの連絡だった。
昨日撮ったCT画像を、今朝になって放射線科の別の医師が再度確認したところ、小さな影を見つけたという。牧野本人に連絡を入れ、直ぐに再検査を受けるよう言ったが拒否されたために、付き添った類に連絡を回したのだと書かれていた。
ぐしゃ、とメモ紙を握り潰したまま、頭が真っ白になる。
「支社長⋯⋯。支社長、しっかりなさって下さい」
周囲に配慮した西田からの小さな呼びかけで何とか我に返り、直ぐに検査を受けられる状態にしろと指示を出す。が、もう既に西田の方で手配済みだった。
「西田、助かる。ありがとな」
俺は直ぐにミーティングを打ち切った。
「申し訳ないが、他で問題が起きた。今日のミーティングはここまでだ。悪いが来週のどこかでもう一度時間を作る。残りの課題はその時に回してくれ」
解散を告げ、次々と社員が退出していく中、牧野だけを呼び止める。
「牧野、おまえは俺と一緒に来てくれ」
「分かりました」
これが本当に仕事だったとしても、こうして体調不良を訴えもせずに同行するのだろう。そう考えると遣る瀬なくなる。
どうしてもっと自分を労らねぇんだよ。
「すみませんが、支社長。牧野は昨日から体調が思わしくありません。今日のところは帰らせてやって下さい」
突然、口を挟んで来たのは、ミーティングにも参加していた佐々木だ。
佐々木も気づいてたのか、昨日から牧野の具合が悪いって。
余計な口出しをするな、と怒鳴りつけたいところを堪え、「駄目だ。牧野は連れて行く」と、退ける。
まだ他の社員がいるせいで細かい説明が出来ねぇ。
当然、納得しない佐々木は、牧野に近づき本人を説得し始めた。
「牧野、いつもの発作じゃないのか? 無理しちゃ駄目だ」
以前から牧野の頭痛の原因を知っていたらしい佐々木に、湧き上がるのは嫉妬。
俺が知らなかった牧野のことを知っているのかと思うと、気持ちが荒れそうなる。が、俺にはその資格がねぇ。直ぐに自分に言い聞かせる。
落ち着くように息を吐き出し辺りを見れば、もう俺ら以外の誰もいなかった。
「牧野、医者を待たせてある。早く行くぞ」
驚く牧野と佐々木。
「支社長、初めから牧野を病院へ連れて行くつもりだったんですか?」
佐々木の問いには答えず牧野の傍に行くと、牧野の頭に響かないよう声を潜めた。
「なんで昼間、病院に行かなかった? 仕事なんてしてる場合じゃねぇだろうが」
「どうしてそれを⋯⋯」
「類のところに連絡があった。とにかく直ぐに行くぞ」
それでも動こうとしない牧野に、一段と声を小さくして「悪りぃ、触るぞ」断りを入れてから、その体を抱え上げた。
「待って、下ろして下さい。病院なら一人で行けます」
「おまえがグズグズしてるからだ。大人しく言うこと聞いてくれ」
出口に向かって歩き出すと、慌てて佐々木が追い掛けてくる。
「支社長、牧野の荷物です」
荷物を受け取ると佐々木が頭を下げる。
「牧野のこと宜しくお願いします」
「おまえに頼まれる筋合いはねぇよ」
頭を上げない佐々木を置き去りにし、地下駐車場に行くために重役専用のエレベーターに乗る。
「もう大丈夫ですから、下ろして下さい」
言われた通り、ゆっくりと牧野を下ろす。が、足が床に着いた途端に牧野の体が傾ぐ。
「危ねっ」
「少し目眩がしただけです。それと本当に病院へは一人で行けますので、付いて来て下さらなくても大丈夫です」
慌てて牧野の腰に手を回し支えるが、こいつの『大丈夫』ほど当てにならないもんはねぇ。
俺は抗議を無視してエレベータから降りると、有無も言わさずまた牧野を抱え上げ車へと乗り込んだ。
だが、車が走り出してからも牧野の抵抗は止まらない。
「本当に平気です。自分の体のことは自分が良く分かってます。病院へは別の日に改めて行きますから」
全然、分かってねぇじゃねぇかよ!
影が見つかったって言われてんだぞ?
それを無視して仕事して、挙げ句、別の日に行くだと?
もっと自分を大事にしろよ!
やり場のない怒りを胸に燻らせ、
「いいから大人しくしてろ」
俺はそのまま病院へ着くまで口を噤んだ。
病院へ着いた俺たちは、病院長らに出迎えられ、その足でカンファレンス室に通された。
椅子に座るなり、早速、タブレットに映し出されたCT画像を見せられる。
「こちらが見つかった影です。ただ、これが腫瘍などの心配が必要なものなのかどうかは、この画像だけで判断できません。稀にですが、CTを撮る際に何らかの影響を受けて、このように映ってしまう場合もあります。いずれにしても、原因をはっきりさせるためにMRIの検査を受けて下さい」
脳外科の部長だという男からの説明を受け、MRI検査を承諾する。
直ぐに案内され検査室に入ってく牧野。
中まで付き添いてぇのにそれは認められず、検査が終わるまで廊下で一人待つしかない。
じっと椅子に座ってる気にはならず、廊下を無駄に歩く。
無意味に動きながら待つこと、30分以上か。
漸く検査室から出てきた牧野は、顔色も悪いからと血液検査も受けることになった。
別の検査室に移り、今度は傍にいる許しを得て一緒に入る。
白く細い腕に突き刺さる針。顔色の悪い牧野から血を抜いても大丈夫なのかと心配になってくる。
当の本人は、不安な様子もなければ痛がるわけでもなく、注射器に吸い上げられる血を平然と見ていた。
全ての検査が終わり、結果が出るまで最初に通された部屋で待たされるが、その時間がとてつもなく長く感じる。まるで判決を待つ気分だ。
もし、牧野の身に何かあったとしたら⋯⋯。考えて、ぞっとした。
待たされる時間は不安しか生み出さず、不吉な考えがどうしても頭を掠めてしまう。
動悸が激しく、今にも震えそうな手を固く組み合わせ、神だか仏だか、誰にでもいいから手当り次第に祈る。
俺の命をやるから、牧野だけは病に冒すな。
牧野とも会話をせず、ただひたすら牧野の無事だけを祈った。
「お待たせしました。隣の診察室にお越し下さい」
漸く声がかかり、言われたままに隣の診察室へ移動する。
「何故、支社長まで付いてくるんですか?」
「牧野一人じゃ信用ならねぇ」
何かあっても牧野は正直に知らせねぇ気がして、一緒に中に入る。
中に居たのは最初の説明をした時と同じ医師で、画像を俺たちに見せた。
「お待たせしました。結果から申し上げますと、やはり撮影時に何かが影響して影として映ってしまったようで、腫瘍等の厄介なものではありませんでした。昨日の診断通り、偏頭痛で間違いありません」
脅かしやがって、とか。てめぇらの見落としミスだろうが、とか。言ってやりたいことはあったが、それを凌駕しての安堵は、他のことをどうでも良くさせる。
牧野に何もないならそれでいい。
良かった⋯⋯本当に良かった。
張り詰めていた緊張が一気に解けた。
「それで、偏頭痛ですが⋯⋯」
何故か医者は言いかけた言葉を止め、意味深に俺をチラリと見る。
俺がいたら困ることでもあんのか。と思う俺の横から、牧野が先を促す。
「何でしょうか? 彼のことなら気になさらないで下さい」
「そうですか。では、偏頭痛になりやすい時期とかはありますか? 例えば生理前とか」
⋯⋯そういうことか。
俺が訊いてもいいもんなのかと、確かに気まずい。
けど、牧野は特段気にした様子もなく答えてく。
「そう言われてみれば、排卵痛を感じたりするんですが、その直後になることが多いような気がします」
「ホルモンの関係もありますからね。では、生理は何日周期ですか?」
「それが、仕事が忙しくなると、生理も乱れてしまって⋯⋯」
お構いなしに続けられる診察を、俺は身を小さくしながら訊いていた。
「そうですか。少し規則正しい生活を送られた方がよろしいですね。将来、出産を望まれているのでしたら尚更ですよ。
それと、血液検査の結果、貧血にもなっているようです。今日は注射を打って、鉄剤も処方しますから飲んで下さい。食事もバランス良く摂るよう常日頃から心がけを。頭痛の方は、昨日の薬で大丈夫ですので、まだ痛みのあるうちは、決して無理はなさらないよう、安静にして下さいね」
医者からの説明のあと注射を打ち、一連の流れで薬をもらってから病院を出る。
「支社長、今日はご心配をお掛けして申し訳ありませんでした。もう大丈夫ですので、ここで失礼します」
病院を出るなりこれだ。安静に、と言われたばかりで、もう一人で帰ろうとする。
────させるかよ。
立ち去ろうとする牧野の腕を掴んで、車に押し込める。
「そんな状態で一人にさせるわけにいかねぇだろ」
まだごちゃごちゃ言う牧野をスルーして、俺は予め行き先を書いておてた紙を、そっと運転手に渡した。

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