手を伸ばせば⋯⋯ 40
こんな時に⋯⋯。
会議の最中、目がチカチカしてきた。偏頭痛の前兆だ。
段々と酷くなる視界は砂嵐のようになり、物が見えにくくなる。
随分前から偏頭痛には悩まされているが、前兆が起きたタイミングで、常に持ち歩いている処方薬を飲めば大抵は落ちついてくる。
けれど今は会議中。薬は、プロジェクトチームの部屋にあるロッカーの中。取りに行ける状況じゃない。
暫くして目が見えづらい状況からは脱したが、今度は頭痛に襲われる。
脈打つように痛み、段々と酷くなってくると、吐き気まで込み上げてくる。
丁度その時、道明寺の一声で休憩となり、急いで化粧室に駆け込み嘔吐した。いつもより症状が重いかも知れない。
吐いたところで頭痛は変わらず、動かすのも辛い体に鞭打って、ロッカーまで薬を取りに行く。
直ぐに飲み、休憩時間が終わるギリギリまで体を休めるが痛みは取れない。
休憩が終わって会議が再開されても、内容が頭に入らないほど頭痛は悪化する一方だ。
薬がなかなか効かないのは、飲むタイミングを外したせいか。
気づいた時には、予定よりも早く道明寺が会議の終了を告げていた。
お茶でも、と松野くんに誘われるが、疲れたから今日は帰ると断り、急いで会社を出て大通りでタクシーを拾う。
流石に電車では帰れそうにない。
乗り込んだタクシーの中、目を瞑りながら痛みに堪え、どうにか辿り着いたマンション。
頼りげない足取りで車から下りれば、マンションのエントランスには、何故か花沢類がいた。
✾
司から連絡を受けたとき、珍しく総二郎と二人で飲んでいた。
眠いっていうのに、無理やり総二郎に引っ張り出されたせいで。
店に着いてからも瞼がくっつきそうで、いよいよ寝てしまおうかと目を閉じかけた時だった。司から電話があったのは。
一気に眠気が吹き飛ぶ。
総二郎に事情を説明し、急いで牧野のマンションへと向かう。
総二郎は、具合が悪いなら女手が必要になるかもしれないからと、牧野の友達であり、総二郎の彼女でもあるらしい優紀って子を迎えに行き、後で合流する手はずになっている。
先に牧野のマンションに着いた俺は、エントランスから部屋の番号を押して呼び出すが、応答はない。
まだ帰宅していないのか、それとも部屋で起き上がれない状態でいるのか、倒れているのか。最悪な状況を想像して心配を募らせていたところに、一台のタクシーがエントランス前に止まった。
タクシーから降りてきたのは牧野で、足取りは覚束ず顔色も悪い。
「牧野」
直ぐに駆け寄り体を支える。
「⋯⋯花沢類」
「牧野、顔色が悪い」
額に手を当ててみるが熱はなさそうだ。
「牧野、どこが辛い?」
「大丈夫、心配しないで」
そんな青白い顔で言われても、全く説得力がないんだけど。
「足下も覚束ないのに大丈夫なはずないじゃない」
そこへ総二郎が彼女を連れてやって来た。
「つくし、どうしたの? 顔色、凄く悪いよ? ここにいつまでもいても辛いでしょ。つくし、一緒に病院に行こう」
総二郎の女が心配そうに眉を下げて説得するのに、牧野は素直に頷かない。
「大丈夫。ただの偏頭痛だから寝てれば治る。⋯⋯それより、何でみんないるの?」
直ぐに俺が答える。
「近くで飲んでたから、牧野の顔でも見ようってなってさ。仕事人間の牧野が帰ってきてるか不安だったけど、来てみて良かった。具合悪そうな牧野を一人にさせずに済んだよ」
司の名前は隠して嘘で誤魔化す。
誰よりも心配しているのは司だ。敢えて頼みたくもないはずの俺に頼んだくらいに。
けど、名前は出さない方がいい。
司が危惧していたとおり、俺たちが心配しても大丈夫の一点張りなんだ。司の名を出して、これ以上頑なになられても困る。
「そう」
「とにかく牧野、病院へ行こう」
「⋯⋯⋯⋯」
「イヤだって言っても連れてくけど」
やっと諦めたのか、「分かった」と答えた牧野は、青白い顔で俺を見上げた。
「でも、お願い。このこと美作さんには言わないで? 今、出張中なの。必要以上に心配するから。
⋯⋯それと道明寺にも。仕事が遣りづらくなる」
一番心配しているのは司だよ、そう告げるわけにも行かず、
「分かったよ。あきらは心配性だから禿げちゃうかもしれないしね。言わないよ。司にもね」
まずは、病院に連れてくことが何より先だ。
牧野のお願いを聞き入れると、ふらつく牧野を抱え上げ、総二郎やその彼女と一緒に車に乗り込む。
ここからそう遠くない場所に、道明寺系列の病院がある。何かあったときのことを考えてもそこが妥当だろうと、車の中から病院へ連絡を入れ、直ぐに診察してもらえるよう手配した。
病院へ着くと、待たされることなく診察室へ通される。
牧野曰く、偏頭痛はよくあるというが、今回はいつもより痛みが強いらしい。薬を飲んでも効かず、会社では嘔吐もしたと言う。
問診が終わると、偏頭痛以外の原因が潜んでないか調べるためCTを撮り、その結果を待つ。
20分ほどで出た結果は、他には異常はなく、やはり偏頭痛であるとの診断だった。
息を詰めていた俺たちは、ホッと胸を撫で下ろす。
医師の説明によれば、牧野の場合、偏頭痛の発作が出る前に目が見えにくくなる前兆があって、その時に薬を飲んでいればここまで酷くはならなかったらしい。
けど、生憎と今日は会議中で、直ぐに薬を飲めず悪化したようだ。
一度ここまで痛みが酷くなると、数日は頭痛が続くと医師は言う。
とにかく、安静にするのが一番とのことだった。
「みんなに心配掛けてしまって、ごめんない」
病院からの帰り道、車の中で牧野が頭を下げる。
「つくしちゃんよ、頭が痛い奴が頭を動かしてんじゃねぇよ。ダチなんだから心配くらいさせろって。でも、大したことなくて良かったな」
牧野に微笑みかける総二郎。その隣にいる彼女も一緒に頷いている。微笑んでいるのに泣きそうにも見える顔で。
俺も声を添えた。
「俺たちに気なんて遣わなくていいよ。但し、あんまり無茶はしないこと」
「うん、ありがとう」
車がマンションに到着し、部屋の前までみんなで送り届ける。
「つくし、まだ辛いでしょ? 私、泊まろうか?」
総二郎の彼女が申し出るが、牧野は首を振った。
「薬飲んで、もう寝るだけだから大丈夫」
聞き入れそうにない牧野に、何かあったら誰でも良いから直ぐに電話を入れるよう固く約束させ、俺たちは牧野のマンションを後にした。
エントランス前で総二郎たちとも別れ、車に乗り込むなり落ち着かないでいるだろう司に電話を掛ければ、コールが鳴るか鳴らないかの内に繋がる。
無理もない。他のことなんて何も手につかず、俺からの電話を待っていたんだろうから。
病院での検査結果を報告し終えると、大きな塊を出すような溜息が聞こえてきた。
『良かった⋯⋯。類、ありがとな』
あまりの心配に神経を磨り減らしていたんだろう。安心して脱力したような、そんな声だった。
翌日、具合を確かめるために牧野に電話を入れる。⋯⋯が、有り得ない。
あろう事か牧野は仕事に出ていた。
安静の意味知らないの? と言っても、返ってくるのは大丈夫の一点張り。
金曜日の今日一日を乗り切れば、明日からは週末で休める。そんな算段で出勤したんだろうけど、こんなことなら、やっぱり昨夜は総二郎の彼女に残ってもらうべきだった。
とにかく無理はしないよう、少しでも無理だと思ったら帰るように、口煩く注意をして電話を切った。
あの強情さだけは変わらない。昔からだ。
本当に大丈夫なのだろうか。また夜にでも電話してみるか。
心配が拭えないまま、深い息を吐き出した。
取引先との会食に出かける直前、もう一度牧野に電話をかけてみようとスマホに手にしたところに、デスクの上の内線がに鳴る。
『花沢専務、お電話が入っております』
電話をしてきた相手は、昨日、牧野が受診した病院からだった。
嫌な予感しかしない。
直ぐに繋ぎ話を訊くが、その内容に愕然とする。
俺にこうして電話をしてきたのは、本人である牧野に連絡を入れても取り合わなかったために、俺が昨日付き添っていたのを知っていた病院側が機転を利かせたからだ。
道明寺系列の病院じゃなければ個人情報の壁が邪魔して、こうはスムーズに話は流れてこなかったかもしれない。
ったく、何やってんだよ、牧野は!
電話を切るなり、腹立たしさと不安とが入り交じり、直ぐに司に連絡を入れる。だが、2回掛けても留守電行き。
司が捕まらないのならと、その秘書、西田に掛ければ、今度は直ぐに電話は繋がった。
「西田さん、近くに牧野がいるなら離れた場所に移動して」
『はい、畏まりました』
いきなりの要望にも直ぐ対応してくれるのは助かる。
昔から、司と牧野のことはよく知っている人物だ。何かあると察したのかもしれない。
『お待たせしました、花沢専務』
「今、司は電話に出られない状況?」
『はい、只今大事なミーティング中でございまして、牧野様も一緒に参加しておられます』
「そう。でもこっちも急ぎなんだ。司に大至急知らせてもらいたい」
西田に病院から連絡があった内容を話す。
『分かりました。支社長にお伝えし直ぐに対処致します』
「ありがとう。頼むね」
あの秘書なら、きっと直ぐに動いてくれる。
本当なら、今すぐにでも牧野の元へ駆け付けたいけど、こんな時に限ってどうしても外せない会食がある。その時間が迫ってた。
────司、牧野を頼む。
昨日とはまるで逆の状況で司に託し、牧野を案じながらも会食へ行くしかなかった。

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