手を伸ばせば⋯⋯ 39
メープルに呼び出されたあの日から二週間が経つ。
あれから滋さんとは会っていない。
他の仕事が忙しいと訊いているけど、敢えて顔を合わせないようにしている、そんな気がした。
それは私にしても有り難かった。
あんな別れ方をしたのだ。会えば互いに気疲れするかもしれない。
それでなくても私は、新たな仕事を与えられ、時間にも心にも余裕がなく無理をしている最中だ。
今は与えられたことだけに集中しなければ、遣りこなせそうになかった。
今までの仕事に加えて課せられた、プランを発展させた将来的な計画。
全ては道明寺からの指示で、日々、無理難題を強いられている。
世界を視野にも入れたそれは、今まで私が取り組んだことのない分野も含まれていて、学ぶことが多い反面、体力的に負担も大きい。
自分のプラスになる。その一心で与えられた仕事に必死で取り組んではいるけれど、身体がきついのだけは、どうしようもなかった。
でも、身体がきついのは、仕事だけが理由じゃない。仕事だけのきつさなら堪えられる。
原因は、慢性化しつつある睡眠不足。
以前にも増して頻繁になった、夢。その夢が私から睡眠を奪っていく。
夢から覚めると、もう一度眠りにつくことはない。どう頑張っても眠れないのだ。
夜中の2時だろうが3時だろうが、そこで起きたら最後。朝を待つしかない。
今日も夢で夜中に目が覚めた。
それでも忙しい日々は始まり、仕事は待ってはくれない。
栄養ドリンクで誤魔化しながら仕事をこなすも終わりが見えず、今夜も何時に帰れるのか予測がつかない。
夕方には、花沢類から食事の誘いの電話もあったが、この状態では暫く時間が作れそうにないと、断りを入れた。
✾
牧野を食事に誘ってみたけど、またも空振り。最近は振られてばっかだ。
忙しさが更にパワーアップして、全くプライベートの時間が取れない状態らしい。
あまりのハードワークに牧野の身体が心配で、上司であるあきらに抗議の電話を入れてみたけど、原因はあきらじゃなく、司が直接指示を飛ばしていると言う。
絶対に根をあげない牧野を、あきらもかなり心配していた。
でも、司が牧野に無理をさせるなんて、何だか釈然としない。
今度、二人の様子でも見に行ってみるか。
そう思いながら牧野に振られた俺は、仕方なく会社に残り、秘書に目を通すよう口煩く言われていた資料を、頬杖をつきながら眺めた。
そこへ秘書が、アポなしの訪問客の知らせを持ってくる。
名前を訊いて眉を寄せた俺は、何かあった、と咄嗟に思う。
秘書に部屋へ通すよう告げ、数分もしないうちに申し訳なさそうな顔をして部屋に入ってきたのは、大河原滋だ。
「ごめんね、類くん。突然来ちゃって。話す時間あるかな?」
この人にしちゃ元気がない。
俺のところに来たってことは、間違いなく司と牧野に関係してるはず。
「暇つぶしに会社に残ってただけだから問題ない。で、話って? あんたがわざわざ俺のところに来るなんて、司と牧野に何かあったんでしょ?」
「⋯⋯うん。どうしようかって悩んだんだけど、私一人じゃ抱えきれなくなって⋯⋯。かと言って、皆に言える話じゃないの。本当は私が言って良いのかも迷ったんだけど⋯⋯、類くんならって」
随分と前置きが長い。
珍しくはっきりとしない物言いだ。
「いいから言って」
それから大河原は覚悟を決めたように、でも言葉を選びながら、二週間ほど前のメープルでの出来事を話始めた。
涙を流しながらの説明は途切れ途切れで、それでも急かさず全てを訊いた。
「話は分かった。あんたもショックだろうけど、当事者の二人はもっと辛いはずだ。この話はここだけで、他の誰にも言わないで」
「誰にも言えないよ」目を真っ赤に腫らした大河原は、そう言って帰って行った。
俺は資料を放り出したまま、迷わず司の元へと急いだ。
連絡もせずに道明寺HDにやって来た俺は、受付から俺が来たことを告げてもらい、20分ほどなら時間が取れると返答を得て、司の執務室へ向かった。
形だけのノックをして、返事を待たずに中に入る。
「司、忙しかった?」
「あぁ」
ハードな生活を送ってるのは牧野だけじゃなく、司も同じみたいだ。
デスクに向かう司をひと目みただけでそれは分かる。相当、疲弊しきってる。
尤も司の場合は、仕事がきつくて体が疲れてるってよりは、精神的に参っているんだろうけど。
ソファーに勝手に座って、「司もこっち来てよ、話があるから」と司を呼ぶ。
渋々の態でこっちに来た司が、向かいに腰を下ろしたところで訊いた。
「牧野のこと、こき使ってくれてるみたいだね。牧野を食事に誘っても、ここ最近ずっと断られてるんだけど。これって、司の嫌がらせ?」
「⋯⋯そんなんしてねぇよ。それより話があって来たんだろ? 早く言えよ」
あまり良い話じゃないことは分かってるみたいだ。
さっきから俺と目を合わせようともしないし、牧野を食事に誘ったと言っても噛みついてもこない。いつもの司じゃない。
「うん。じゃあ、ストレートに訊くよ。司、牧野をレイプしたって本当?」
司の体が目に見えて強ばる。
「⋯⋯牧野に訊いたのか?」
「まさか。牧野が言うわけないじゃない。大河原が俺のところに来た。心配してたよ。で、どうなの?」
司は俯きながら答えた。
「⋯⋯⋯⋯本当だ。俺は最低なことをした。⋯⋯最近になって、思い出した。自分が仕出かしたこと含めて、全部の記憶を。
今でもあいつは⋯⋯、俺を憎んでる」
「そう? じゃあさ、なんで牧野は、今まで誰にもそのことを打ち明けなかったんだろうね」
「⋯⋯⋯⋯」
「人ってさ、誰かを悪者にする時、尤もらしい理由をつけて自分を正当化するもんだよ」
「何だよ、それ」
項垂れたように力をなくしている司を目に映しながら続けた。
「牧野は誰にも司とのことを話してないよ。牧野が突然変わった時も、誰が何度話しかけようとも、牧野は頑なまでに何も答えなかった。だから俺たちは、司に忘れられたことが相当堪えたんだって、そう思ってたよ。
でも、もしもさ。牧野の本質的なところが変わってないんだとしたら、司を庇って言わないんじゃない? もしかしたら、もう許してるのかも。牧野って、バカがつく程のお人好しだったし」
「んなはずねぇよ。あいつにはっきり言われてる。牧野に悪いって、一生後悔し続けながら生きればいいって」
⋯⋯それって、ある意味凄いんだけど。
司、分かってる? おまえ、牧野を一生忘れるなって言われてるも同じだってこと。
どれだけ思われてるんだよ。当時の俺なんか、牧野の瞳にすら映してもらえなかったのに。
牧野の屈折した告白に、思わず口元には苦笑めいた笑みが浮かんでしまう。
「今の牧野らしいよね。自分を忘れるなって、牧野はそう言ってるんだよ? 一度は自分を忘れたことがある男だから、そう言ってるの。そこんとこ司、ちゃんと分かってる?
ねぇ、牧野を救ってやってよ。牧野が閉じこもってる頑丈な殻、ぶち壊してよ」
「⋯⋯⋯⋯俺には無理だ。俺なんかより類の方が、」
「俺なら無理だよ」何を言い出すか分かって、先を封じる。
「あのさ、全部記憶が戻ったんなら、覚えてるでしょ? 司がNYに行く前日、俺が牧野を守るって言ったの。残念ながら、俺は全く相手にもされなかったから、司に頼むしかないじゃない。あの時、もう牧野に関わるなとも言ったけど、取り消す。だから、今度こそちゃんと向き合いなよ。それともまた逃げる気? 11年前、NYに逃げたように」
一瞬、鋭い眼差しを向けられるけど、返す言葉はないらしい。
「司が牧野にしたことは、到底許されることじゃない。でも、司が充分苦しんでるのも俺には分かる。そういうとこ、おまえは自分に厳しいから」
俺は立ち上がり司に近づくと、胸ぐらを掴んで一気に吊り上げ、司の頬に容赦なく拳を打ち込んだ。
抵抗もせずにまともに食らった一撃は相当なものだったらしく、司はソファーにぶつかりながら床に倒れる。
「これは牧野の代わり。牧野が味わった痛みはこんなもんじゃ済まないだろうけど、これで少しは楽になれば? 今度こそ逃げるな」
口端が切れた司は倒れたまま動かず、俺はそれ以上は何も言わずに立ち去った。
✾
類が俺の元に訊ねてきてからというもの、類の言葉が何度となく頭に流れるが、どうすれば良いのか俺は分からずにいた。
「⋯⋯どうしろっていうんだよ」
牧野を傷つけた俺に何が出来るっていうんだ。愛する資格もねぇ、憎まれているこの俺に、何が。
せめて出来ることがあるとすれば、それは牧野が望んだ『道明寺司』であることと、牧野がこの世界で生きていくのなら、あいつにもっと力を与えてやることくらいだった。
俺の持っている知識を可能な限り牧野に叩き込む。
時間はない。牧野がこのプロジェクトに関わるのは一年限定。残すところあと四ヶ月ほど。
牧野がプロジェクトから離れれば、俺たちの繋がりは切れる。
だから、牧野に無理をさせるのは承知の上で、俺は仕事と称して課題を与え続けた。
携わったことのない分野にも手を伸ばさせ、ヒントを与えながらも状況判断させ、対応できるだけの力を養わせる。
類が俺に会いにきてからも、その状況は変わっていない。
俺が無茶な指示を出しても、何も言わずに牧野はそれに応えていく。
そんなある日のことだった。牧野の異変に気づいたのは。
俺の都合で夕方の6時から始まった会議。
参加者には仕出し弁当を出し、長丁場となっていたその会議の途中から、牧野は、目頭を指で押さえたり、資料に向ける目を細めたりと、いつもとは違う動作を見せた。
暫くして、それらの仕草はなくなったが、今度は顔色が悪くなる。
⋯⋯具合が悪いんじゃないのか?
牧野の様子に気が気じゃない俺は、まだまだ続く会議に一旦休憩を入れるよう指示を出した。
休憩に入るなり、足早に会議室を出て行く牧野。その後を西田に追わせる。どんな様子か探ってこいと⋯⋯。
休憩が終わる直前に知らせにきた西田によると、トイレに駆け込み出てきた後に、部署に戻って薬を飲んでいたこと。そして、そのまま頭を押さえて、暫く動けないでいた様子が伝えられた。
会議が再開しても普通じゃない牧野に気ばかりが焦る。
俺は次々に指示を飛ばし、後に回せるもんは今は省いて、会議を最短で終わらせた。
相当辛いのか、流石に今日は牧野もこのまま帰るつもりのようだった。
だが、帰っても一人だ。牧野の身に何かあったらと思うと、心臓はバクバクと激しく鳴り、手に汗まで滲む。
あきらが居れば託せるのに、こんな時に限って奴は出張でいねぇ。
仕方なく俺は急いで執務室に戻り、電話を繋いで開口一番叫んだ。
「類、頼む! 牧野が具合悪いみてぇなんだ! 牧野は今から帰宅するから、マンションに行って様子見てきてくれ!」
類は、『司が行きなよ』というが、俺が行ったところで、素直に具合が悪いって認めるとは思えない。
弱いところを見せないよう意地張って、却って無理させるだけだ。
類に頼むのは癪だが、今はそんなことを言ってる場合じゃねぇ。
「頼む、類! 俺じゃ駄目だ。あいつに余計な負担をかける」
『分かった。直ぐに行くよ。様子が分かったらまた連絡する』
大したことじゃなければいい。
通話を切ったスマホを握りしめながら、祈るような思いで類からの連絡を待つしかなかった。

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