手を伸ばせば⋯⋯ 38
【最終章】
司が体調を崩した辺りからだろうか。どうも何かがおかしい。
司と牧野の二人の様子が、どこか違う。
仕事上は何も変わらない。
いや、以前にも増して、二人とも仕事にストイックになったか。
「なぁ? 最近の司と牧野どう思う? 何か違うように見えるのは俺だけか?」
珍しく一緒に食事を摂っている相手、滋に訊いてみる。
さっきまで司を合わせた三人で打ち合わせをしていたが、食事へ行くって流れになったところで、別の仕事があると言う司と別れ、こうして滋と食事をしているところだ。
「あ、やっぱり!? あきらくんもそう思ってた? 実は私も気になってたんだよね。
司さ、仕事の時は厳しい顔してんのに、時折、つくしのこと優しい眼差しで見てたんだよね。それが最近なくなったの。それに司、笑わなくなったし⋯⋯」
おいおい。それっておまえ、そこまで司を見てたってことだよな?
何気に言ってるが、俺は今、何だか訊いちゃいけないもんを訊いた気分だぞ?
いつだかも思ったが、やっぱり滋は司を⋯⋯⋯⋯
「ちょっと、あきらくん! 私の話訊いてる?」
「あ、ああ。訊いてる」
訊いちゃいけないもんを確かに訊いた。
お陰で、主題から枝分かれした別件に思考が逸れそうにはなったくらいだ。
慌てて軌道修正する。
「確かに司は笑わなくなった気がするな。最近は、二人で食事も行ってないようだし、何かあったのかもな」
とうとう牧野が司を完全に打ちのめしたのだろうか。
牧野なら、それが出来てしまいそうだから怖い。
「二人とも疲れが溜まってるのかなぁ。司の仕事はこのプロジェクトだけじゃないし、つくしも一年で自分が抜けるから、引き継ぎがスムーズにいくように、そっちに対しても動き始めてるでしょ? 幾ら佐々木くんがフォローしても、手を抜かないからなぁ⋯⋯そうだっ!」
突然、滋が大声を出す。
何か思いついたらしいが、どうせ碌な案じゃない。嫌な予感しかしないんだが。
「ねぇねぇ、今度4人で飲みに行こうよ! 佐々木くんと松野くんを入れて飲んだことはあっても、4人で飲んだことはなかったじゃん! 折角、昔からの仲間が一緒に仕事してるんだもん。パァーっとここは景気良く行こっ!」
これ見よがしに溜息を吐く。
だからっ! その内の二人の様子がおかしいんだ! そんな時に誘ったって、飲みになんか行くはずないだろうが。
「滋、来ると思うか、あいつらが。考えるまでもなく答えなんか決まってるぞ。絶対に奴らは来ない」
「違うよ、あきらくん。二人の関係がおかしくなってるから尚更なの。このままにして置くわけには行かないでしょ? チームのメンバーたちにも影響出てくるよ? これをきっかけに、何とか修復してもらおうよ! 私たちがその機会を作らないでどうするの!」
まぁ、確かに。二人が醸し出す雰囲気から、周囲が遣りにくくなる可能性はある。
無論、あいつらが仕事に私情を挟むとは思えないが、だからと言って、周りに気遣い、愛想を振り撒く奴らじゃない。
今までも、仕事中に司と牧野がやり合うことはあったが、そんな風景も二人のディスカッションの形だと、周りも慣れつつあった。
それは、どこか司から冷たさが抜けていたからこそそう思えるもので、でも今は違う。牧野の態度は、いつだって安定の低空飛行だが、司の方は、昔ほどとは言わないまでも、雰囲気が険しくなった気がする。
「二人を呼び出すとしたら、仕事をダシにするしかないねっ! よし、それで行こう!」
俺が考えている間に、どうやら飲み会は決定事項になったらしい。
「あきらくんは、つくし担当ね! 何とか連れ出してよね、宜しく!」
俺は、またその役か。
前にも司にパシリにされ、同じ役を請け負わされた気がするんだが⋯⋯。
だが、何を言っても滋の耳には届かない。やると言ったら聞かない強引さは、司に匹敵する。
それから三日後。指令は下された。
今夜、メープルのスイートを押さえたから集合せよ、と。
何て言って連れ出せば良いんだよ、と頭を抱える俺に、
『プラン内容の一部変更の提案について、極秘に打ち合わせしたいからメープルで、って言えば大丈夫でしょ! じゃ、また夜にね』
ご丁寧にもシナリオまで用意してくれた滋。
嘘を吐くのは気が重いが実行に移した俺は、シナリオが良かったのか、はたまた俺の演技が優れていたのか、牧野と一緒にメープルに行くことには成功。
部屋に入れば、同じシナリオで滋に呼び出された司も既にいた。
しかし、司も牧野も不審がっているのは明らかだった。
どうみてもこれは、極秘の打ち合わせの体裁を成していない。
どうして、これでもかってほどテーブルに料理が並んでいるんだとか、なんで飲み物はアルコールばっかなんだとか。きっと二人は、この場の矛盾にとっくに気づいている。
早速、切り込んだのは牧野だった。
「プランの変更と言うことでしたが、どの点を変更するつもりでしょうか?」
矛盾を直接には指摘せず、プラン変更の件を突いて真相を突き止めるつもりか。相変わらず抑揚のない声は怖い。
「そんな慌てないでよ、つくし! まずは、折角こうして4人が集まったんだからさ、乾杯でもしようよ」
滋が、強引に流れを押し進め、それぞれにグラスを握らせる。
取り敢えずは、司も牧野もそれに従ったが、滋の「乾杯!」の音頭には反応せず、ついに司が低い声を出した。
「どういうつもりだ、滋」
「どういうつもりも何も、これは親睦会みたいなもんだよ。騙して呼び出したのは悪かったけどさ、こうでもしなきゃ、司もつくしも来てくれないでしょ?」
早くも滋は開き直り、真相をバラす。
「こんなことして何の意味がある」
怒りを滲ませ冷たく司が言う。
辛そうに顔を歪めて怯んだ滋に代わって間に入る。
「司、俺も滋も心配してんだ。最近の司と牧野、どっか様子がおかしいって。二人とも何かあったのか? この前までとは違うだろ。他の社員だって、そんな雰囲気じゃ気を遣う」
俺の訴えを聞き流すつもりか、
「仕事ではないのでしたら、私はこれで失礼します」
握らされていたグラスを置いた牧野が立ち上がった。
それを引き止めるように滋も立ち上がり、牧野の正面を塞ぐ。
「待ってよ、つくし! やっぱりおかしいよ。最近、司だって笑わなくなったし、心配じゃないの?」
「私は自分の仕事だけで手一杯なんです。誰かの心配をしていられるほど暇じゃありませんし、支社長の管理までは、私の仕事の範疇にありませんので」
表情にさざ波一つ立てずに吐き出される言葉は無情そのもので、滋の声も僅かに跳ね上がる。
「つくし! 幾らなんでもそんな言い方はないんじゃないの? 大体、そんな畏まった話し方止めようよ。他に誰もいないんだしさ」
「私は遊びで来たわけじゃありません。仕事だと言われて来たんですよ、大河原専務」
滋が踏み入ろうとする隙間を牧野は完全に遮断した。
滋を肩書きで呼び、仕事以外の対応をつもりはないとの意思表示。
牧野がここまで滋に冷淡な態度に出るとは思わなかった。どうして、そんな言い方を⋯⋯。
しかし、滋も引く気はないようだ。向かい合う二人は、互いに視線を譲らない。
「私は、プロジェクトメンバーである牧野つくしに話してるんじゃない。今回の仕事は、日本支社長に就任した司にとっても、大きな意味を持つ仕事だよ。昔からの仲間ならさ、それを一緒に盛り立てていきたいじゃん! そう思ったからこそ、つくしも一生懸命やって来たんじゃないの?
これは、昔からの親友としてつくしに訊いてるの。ちゃんと答えて!」
興奮気味の滋に観念したのか、牧野が力を抜いたように見えた。
だが次の瞬間、ふっ、と浮かべた牧野の微笑に、俺の背中に冷たいものが走る。
それは温もりを一切持たない、蔑みの笑み。
「そう。なら、誤解のないように私もはっきり言っとくわ。友達のためとか、笑わせないで。何の冗談よ。いつまでも学生じゃあるまいし、甘いんじゃない?
私は誰かのために仕事をしてるんじゃない。私自身のためよ。道明寺の傍でそれなりの仕事をやり遂げられれば、得られるものは大きい。経歴にも箔がつく。道明寺を踏み台にして、更に上を目指すのも悪くないでしょ」
牧野が吐き捨てたと同時、滋が右腕を振り上げる。
「滋、止めろっ!」怒鳴る司と「滋!」叫ぶ俺との声が重なるが間に合わず、
避けもしなかった牧野の左頬から、バシッ! と容赦なく打ちつけられた音が響いた。
「司もあきらくんも、止める必要なんかない! 今のつくしは最低だよ! 確かに昔、恋人である司に忘れられて辛い思いをしたかもしれない。傷ついたかもしれない。でも、司が心から後悔してるのは分かってるでしょ? 今だって、どれだけつくしを大切に想っているのか、分からないなんて言わせない! そんな司を、どれだけキツい言葉で打ちのめせば気が済むのよ! つくしのやってることはね、子供染みたくだらない仕返しと同じよっ!」
涙を流しながら責め立てる滋とは対照的に、殴られても平然としている牧野は、叩かれた頬に手を当てようともしない。
「もう気が済んだかしら? これ以上話しても平行線のままよ。私はこれで失礼します」
滋の横をすり抜け、今度こそ牧野が出て行く。
俺は、「おまえも少し落ち着け」と、立ち尽くす滋の肩を叩いてから、一人出て行ってしまった牧野の後を追いかけた。
「ちょっと待てっ、牧野!」
牧野に追いつき、肩を掴んで振り向かせる。
「どうしてあそこまで滋に突っかかったんだ。滋だって、本当におまえたちのこと心配してんだぞ? それが分からないおまえじゃないだろ。滋がどんな想いでおまえたちを見てたか分かるか?」
間違いない。滋の気持ちは司にある。
あれだけ必死に司の擁護をしてたくらいだ。
「分かるわよ。⋯⋯分かるから重荷なのよ。滋さんの想いを私に重ねられても、道明寺と私に未来はない。滋さんの想いに、私は何て答えればいい? 分かるなら⋯⋯、教えてよ」
牧野も気づいてたのか、滋の気持ちに。
もしかして、だから悪ぶってわざと自分を貶めたのか。何も期待を持たせないよう、そう仕向けるために。
いつもとは違う儚げな声。
常に凜とした姿は影もなく、疲れたようにも見える。
そんな牧野を目にするのは再会してから初めてのことで、俺は繋ぐ言葉を失った。
✾
つくしとあきらくんが出て行って直ぐ、
「二度と牧野にあんなこと言うなっ!」
凄い剣幕で司が怒鳴る。
「どうして? あそこまで言われてまだつくしを庇うの? 司⋯⋯もう諦めなよ。今のつくしは、私たちの知ってるつくしじゃない。私たちが好きだったつくしは、もうどこにもいないの! 戻ってなんかこないのよ!
私⋯⋯、見てられないよ。好きな男の辛そうな顔なんて、これ以上見てられない!」
二度と言うまいと胸にしまっておいた想いを、我慢できずに声に乗せてしまう。
そんな私を見向きもせずに、司は言った。
「おまえは何も知らねぇんだよ。本当の俺を。全て知ってるのは、牧野だけだ。だからあんな風に感情をなくしたんだ」
「そんなの、つくしが弱いだけじゃない!」
叫ぶように言えば、鋭い眼差しが私を射貫く。
「知ったような口利くんじゃねぇ! あいつは俺を憎みながら十年以上も一人で堪えてきたんだ。それがどれだけ辛いことか、俺には分かる。そんな思いをさせたのはこの俺だ!」
「そんなに自分を責めないでよ。もう良いでしょ? もうつくしのことは忘れてよ。⋯⋯⋯⋯司、私じゃ駄目?」
勇気を掻き集めた告白に、司は口角を持ち上げた。
ニヤリと笑い、でも目の奥が全く笑ってない。その目には、人を凍てつかせるほどの冷酷さが孕んでいた。
「滋、おまえに教えてやるよ、俺がどんな男か」
「え?」
「もう11年半前になるか。俺はな、女をレイプしたんだよ。泣き叫び嫌がる女を、力づくで」
「なっ!……う……、嘘」
あまりの衝撃に言葉が上手く出て来ない。
「女は怯えた目で、何度も止めてって泣きじゃくりながら懇願してきた。それを無視して俺は、無理やり抱いた」
「止めてよ、そんな冗談⋯⋯嘘だよ。ね、そうでしょ?」
「嘘じゃねぇ。その女が牧野だ」
「っ⋯⋯!」
「記憶を失くした俺は、高校生の牧野を無理やり犯し、あいつの感情を粉々にぶち壊した。俺があいつから笑顔を奪ったんだ。
⋯⋯これで分かったか、俺がどういう男か。分かったんなら、二度と知ったような口を利くな! あいつを責めるようなことまた言ってみろ。次はねぇ。滋だろうが関係なく、俺は絶ってぇ許さねぇ!」
憤然と席を立った司は身を翻し出て行った。
⋯⋯そんな。
そんなことがどうして⋯⋯。
立っていられなくなり、力なくしゃがみ込む。
好きな人に忘れられて冷たくされただけじゃなく、無理やり身体を⋯⋯。
それでつくしの心が壊れたって言うの?
つくしが受けた心の傷に愕然として、体が大きく震える。
大きな傷を抱えたつくしを偉そうに批判し、挙げ句、傷付いている司に漬け込んで、あわよくば手に入れようとしたなんて────最低だ、私。
押し寄せる後悔と、つくしが味わった痛みに堪えきれず、誰も居なくなった部屋で一人、声を上げて泣き叫んだ。

にほんブログ村
- 関連記事
-
- 手を伸ばせば⋯⋯ 39
- 手を伸ばせば⋯⋯ 38
- 手を伸ばせば⋯⋯ 37