手を伸ばせば⋯⋯ 33
歓迎会とやらが行われた店から強引に牧野を連れ出し、家まで送る車の中、
「何か余計なことでも言った?」
正面を見据えたまま牧野が静かな声で訊ねてくる。
「言ってねぇよ、本当のことしか。余計だって言うんなら、佐々木の方だろうが」
俺の答えで『何かがあった』と気付いただろうが、牧野は何も言わない。
何も言わないでくれる方が今はいい。
ほんの少しでも刺激を受ければ、今度こそ余計なことを言ってしまいそうだった。
佐々木の告白で知った二人の関係。
訊いた瞬間から頭に血が昇った。ドロドロとした感情が渦巻き、同時に、牧野がまたあの男と関係を結ぶんじゃないかと募る不安。
牧野に何かを言える立場じゃないのは分かっていても、感情がそれを許さねぇ。
きっと佐々木は牧野に惚れてる。でも結局のところは、体だけの関係しか結べなかってことだろ。それだけでも許せねぇが、所詮その程度の男だ。
佐々木なんかに牧野を取られて堪るか。これから先は絶対に認めねぇ。くだらねぇ関係なんて二度結ばせやしない。
それから二人して黙ったまま、俺たちの車は牧野が住むマンションへと到着した。
牧野と共に車を降り、エントランスの中まで送る。
「ありがとう」
お礼を言ってきた牧野の腕を取り、胸に引き寄せる。
「何よ」
「もう行くなよ⋯⋯。佐々木の元へなんか、二度と行くんじゃねぇ」
「⋯⋯⋯⋯」
「まぁ、行こうとしても無駄だ。どんなことしてでも阻止してやるから、バカな真似は止めろよ?」
最後は敢えて軽い口調で言い、抱きしめていた腕を緩め牧野の額にキスを落とす。
「じゃあな。おやすみ」
何も言わないままの牧野に背を向け、車に乗り込む。
車中には、爽やかな中にも仄かな甘さが残る、俺があきらを通して牧野に渡した、香水の残り香が漂っていた。
✾
『歓迎会』と呼んで良いものかも怪しい飲み会から、早二ヶ月。
牧野は勿論のこと、いがみ合った司も佐々木も、表面上は何事もなかったように仕事に専念している。
佐々木にしてみれば思うところは多々あるだろうが、そんな様子は一切見せない。
仕事に対しては貪欲で妥協を知らず、頭の回転も速い。
遅れてチームに合流したとは思えないほど、積極的に意見を述べ存分に力を発揮している佐々木は、早くもチームになくてはならない存在の一人となっていた。
お陰で、滋が言っていた通り、牧野の負担も幾らか緩和されたようだ。
だからと言って、忙しい身であることに変わりはない。
それは、俺たちにしても同じだった。
数週間前、大々的にプロジェクト始動を世間に公表してからというもの、俺たちトップ三人も取材を多く受けるようになり、前にも増して皆が忙しく駆けずり回っている。
特に司への注目度は一段と激しさを増し、行動を共にすることが多い牧野も、何かと注目される機会が多くなった。
そんな状況下にも拘わらず、司は牧野を食事や飲みに連れ回すのだから、これでは週刊誌などに撮ってくれと言っているようなもんだ。いや実際、司はそれを狙っている節がある。
牧野は元々、目立つことを好まないために、司の誘いから何とか逃げようとしているみたいだが、ある意味司はマスコミ以上のしつこさだ。
執念とも呼べるしつこさで追いかけ回されては、流石に牧野も逃げおおせず、結果、頻繁に二人の記事が週刊誌を賑わしている。
司は、それを揉み消すつもりが全くない。どころか、喜んでいるようにも見える。
本命の恋人だとか、高校時代からの付き合いだとか、次々と出てくる雑誌を見ては、
「お、この牧野すげぇ可愛く撮れてるな」
と、暢気に浮かれている有様だ。
一会社員である牧野は目隠しされて掲載されているというのに、どこを見れば可愛く撮れていると思うのか、全く以て意味が分からない。誰か教えてくれ。
もしかすると目隠しの下の牧野は、カメラを鋭く睨んでいるかもしれないんだぞ?
そんなことは考えない司は、要するに、牧野がどんな風に映ろうとも一緒に撮られればご機嫌で、牧野を狙う男たちへの牽制にも繋がるとご満悦なのだ。
気の毒なのは牧野である。この男に良いように振り回されて。
そんな慌ただしく騒がしい日々の中、朗報が飛び込んできた。
一人離れた地にいた類の帰国が、いよいよ決まったのだ。
これで仲間全員が揃う。
俺たちも忙しい身ではあるが、親友が帰ってくるんだ。皆で祝うしかない。
牧野だって、類の帰国祝いとなれば無視はしないだろう。
ここ最近、仕事漬けだった俺は、久々となる親友との再会に胸を弾ませた。
✾
『もしもし、司?』
「おー、類か! 日本に着いたか?」
『うん。今、空港出たとこ。これからそっちに顔出しに行くよ』
「そっか! 今日はずっとオフィスにいるから丁度良かった。じゃ、後でな」
随分と明るい声が出せる様になったみたいだ。
あきらから様子は訊いて知ってはいたけど、記憶が戻るなりこんなに変わるとは。NYにいた時とは大違い。
司の激変ぶりが可笑しくて、電話を切ってからずっとクスクスと笑う俺を秘書が怪訝な目で見ているけど、どうにも止められそうになかった。
見上げるこの場所には、大事な奴がいる。
高速を走らせ辿り着いた背の高いビルを見上げてから、中に足を踏み入れた。
受付の案内を断りエレベーターに一人乗り込んで、目的の場所を目指す。
エレベーターから下りて目的の部屋を見つけると、勝手に中に入らせてもらい辺りを見回した。
周りの奴らが驚いた顔して見ているけど気にしない。求めるのはただ一人。
────見つけた。
「まーきの!」
呼びかければ、くるりと牧野が振り向いた。
「⋯⋯花沢⋯⋯類」
驚いた。
久しぶりに見た牧野は、すっかり洗練された大人の女性になっていて、流石の俺も目を丸くする。
言葉が続かない牧野もまた、突然に俺が現れて驚いているのかもしれないけど、表情からは分かりづらい。
「牧野、すっかり綺麗になったね、驚いた」
傍まで近づけば、牧野も立ち上がり「花沢類、元気だった?」と見上げてくる。
「元気じゃなかったよ。ずっと牧野に会えなかったし。まさか会えるまでに十年もかかるとは思わなかった」
「⋯⋯ごめんない」
「今度、食事に付き合ってくれたら許してあげる」
漸く会えたんだ。
これくらいの我が儘、付き合ってくれても良いよね。
「変わってないのね、花沢類は」
仄かに口元を緩めた牧野から、きちんとオッケーをもぎ取ろうと待っていたところに、急に周囲がざわめき出す。同時に、近づいてくる乱暴な足音にも気づいた。
⋯⋯何だ、もうバレちゃったのか。
受付の子が司に報告したに違いない。口止めしとけば良かった。
「類! 迎えに来てやった! 知らないようだが支社長室はここじゃない! 案内してやるから付いてこい! 牧野も一緒に来てくれ」
流石に支社長の立場ともなれば、他の社員たちがいる前で怒鳴り散らすわけにはいかなかったらしい。少しは大人になったようだ。
ただ、声だけはやたら大きくて、イライラを隠せてはいないけど。
一緒に来いと言われたはずの牧野は、司を相手にするつもりはないのか、椅子に座わって仕事を再開させている。
「牧野? 一緒に行かない? 俺が黙って牧野に会いに来たから怒ってるんだよね、司。そんな司と二人でいるの、俺ヤダ。暴れ出す前に一緒に来てよ」
覗き込むように首を傾げて頼めば、漸く諦めた牧野は仕事の手を止め、俺と一緒に支社長室へ向かった。
「類、てめぇっ! 人が待ってたっつーのに、なに断りもなく勝手に牧野んとこ行ってんだよっ!」
こういう所は、全く大人になっていない。
部屋に入るなり司は大音量でがなり立ててくる。
「別に俺、司に待っててなんてお願いしてないけど?」
「んだとこのやろー! ここに来るって電話寄越してきてのは、てめぇだろうがっ!」
「うん、ここに来るとは言ったけど、司に会いに行くとは言ってないでしょ? 俺は牧野に会いたかっただけだし」
その会いたかった人を見てにっこりと笑う。
「て、てめっ、ふざけんじゃねぇっ! 牧野を見んな! いつまでも微笑みかけてんじゃねぇ!」
喚く司に牧野はうんざりしているのか、冷めた目を隠そうともしない。
どうやら司と違って牧野の方は、訊いていたとおり随分と大人になりすぎたみたいだ。
情報源は全部あきら。俺に内緒で牧野を勝手に引き抜いたあきらは、罪滅ぼしなのかちょくちょく連絡を寄越しては、司と牧野の様子を教えてくれていた。
だからって、あきらんとこのライセンス料値下げ交渉には応じてあげないけど。
「司」
怒鳴り声が止んだ隙に話を滑り込ませる。
「記憶、戻ったんだってね」
「あ、あぁ⋯⋯。って、いきなりそれかよ」
牧野の手前、決まり悪そうだ。
「良かったね、牧野も。司の記憶が戻ってさ」
「今更、戻ろうが戻るまいが、興味もなければ関係もないのでどちらでも」
「牧野、俺をあんまり虐めんじゃねぇ」
さっきまでの威勢はどこに行ったんだか。
牧野の言葉にか細く反論した司は、猛獣改め小動物みたいに小さくなっている。全く可愛くはないけど。
確かに淡々と話す牧野は感情が抜け落ちていて、司にしてみれば怖くもあるのかもしれない。
でも、昔のように誰も寄せ付けず、何も瞳に映さないってわけじゃなさそうだ。
十年前、どんなに俺が手を差しだそうとも、それすら目に入っていない様子だった牧野。
それは、初めて俺が牧野から示された、はっきりとした拒絶だった。
どこかで自惚れてたんだ。俺なら牧野を助けられるって。
だけど、牧野の心は開くどころか頑なに閉じていく一方で、俺の言葉に何一つ反応を示さなかった。
あの時に改めて思い知った。俺じゃ駄目だって。
でも、司の記憶も戻った今。俺は今度こそ諦めない。
それは、牧野自身を手に入れるだとか、そういうことじゃない。
ただ⋯⋯。
俺はまた、屈託のない笑顔を見たいだけ。
嬉しいときには思いきり笑い、頭にきたなら本気で怒る。そんな牧野にもう一度会いたいだけ。
今度は、取り戻せるかもしれない。
胸に希望を据え置き牧野を見る。
表情乏しく見返す牧野に、また俺はにっこりと笑った。

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