その先へ 18
コーヒーを置き、一瞥をくれる。
「普通ですね」
これ、牧野の朝一チェック後の言葉。
俺をチラ見してから、棒読みセリフを言い終えるまで僅か3秒。
「こちらの確認をお願いします」
「分かった」
この4文字、俺の返事。
たった4文字を言い終わった時には、牧野は背を向け執務室のドアへと向かっていた。
ここまで1分にも満たない。
『おはようございます』と言って、部屋に入って来てから出て行くまでの、牧野の最短記録滞在時間。
声音は平坦、笑顔は一切なし。
変わらないのは、牧野が淹れたコーヒーの美味さだけ。
……あいつ、何があった?
週明け早々の朝は、こうして俺の頭にクエスチョンマークが刻まれ始まった。
この日、牧野の笑顔が見れたのは、午前11時に一緒に訪れた、契約先でだった。
問題なしと契約を交わした場では、いつも通り仕事をこなした牧野は、相手側とも笑顔で応対していた。
なのに、社に戻る車の中。張り詰めた空気に包まれる。
手帳を開き、何かを書き込んでる牧野は顔を上げやしない。
何となく話しかけるな、って雰囲気が感じられたのは、俺が朝からの違和感を気にし過ぎてるせいなのか、無言のまま時が流れる。
このまま社に戻れば、丁度昼だ。
ここで無理して話しかけるより、二人ランチの時にでも、じっくり聞いてみるか。
そう思い直し実行に移した俺は……、
「牧野? 何かあったのか?」
「いいえ」
「具合悪りぃとか?」
「いいえ」
「……じゃあ、体調は良いんだな?」
「はい」
イエス・ノーばかりで会話の糸口すら掴めないでいた。
食事する様子は、いつもよりは控えめではあるが、目元を穏やかにさせている。恐らく、美味いと思ってはいるんだろう。
なのに、俺が話し掛けると、表情を無に固定させる。
俺は悟った。
どうやら、こいつは相当機嫌が悪いらしいと。
「なぁ、機嫌悪くね?」
「……いいえ」
…………、悪いだろ。
先月も、何か悩みでもあったのか、元気がないように見えた日があった。
それも直ぐに持ち直したから、大したことじゃなかったのかもしれないが、今日はまだ戻る気配すらない。
こんな牧野は初めてだ。
牧野と言えば、ギャーギャーと怒鳴るか、薄ら笑いで呪文唱えるか、嬉しそうに笑うか、美味そうに食うか……。
俺が見てきたのは、そんな姿だ。
…………今日は、何か物足んねぇ。
早食いでもしてたのか、食べ終わった牧野が片付け始めるのを見て、俺も箸を置く。
いつもなら、二人が食べ終えてから動き出すのに、ブロッコリーをわざと残した俺には注意もしないで、牧野はスッと立ち上がった。
「おい、何も言わねぇの? 俺、ブロッコリー残してっけど」
「だったら、言われなくても食べて下さい」
お、やっと喋ったか!と、思うももう遅い。
まともな会話にもならず、ランチは終了とばかりに出て行くつもりらしい。
なんでそんなに機嫌が悪いんだよ、と頭を巡らし推察すれば、牧野がドアノブに手をかけたところで心当たる。あのせいかっ!
「牧野! もしかして、アレだろ? あれで機嫌悪りぃんじゃねーの? なんだその……女にある月一の……生理ってやつか?」
ドアに向かって立っていた牧野が、ゆっくりと顔だけこっちへ向けると、大きな目を細めて、俺は氷のような視線に刺された。
「副社長、セクハラで訴えますよ?」
バタンと大きな音を立て閉められたドア。
部屋に取り残されたのは、唖然とした俺とブロッコリー。
牧野が居なくなった部屋で一人、
「訴えんなよ……ちゃんと食うから」
ポツリぼやくと、ブロッコリーを箸で摘まみ口に放り込んだ。
「なぁ、西田。何で牧野はあんな機嫌悪いんだ?」
午後からまた社外に出てた俺と西田は、会社に戻るために、夕暮れ時を走るリモの中。
「牧野さんですか? 私が見た限り、いつもと同じで変わった様子はありませんでしたが」
「変わりまくりだろ」
西田にも見せてやりてぇよ、あの氷の目。
この俺が、少しビビったんだぞ。
「副社長、何をやらかしたんですか?」
「何もしてねぇ!」
俺が何かしでかした前提なのがムカつく。
やらかしたのは、ランチの時だけだ。
もしかしたら、おまえの上司セクハラで訴えられるかもしんねーぞ!株価大暴落だなー!転職考えとけよー!と、西田を睨み、不貞腐れ紛れに心で毒づく。
それに飽きると、肝心なことを思い出した。
「なぁ、まだ牧野にパートナーのことは、話してねぇよな?」
「えぇ、まだ言っておりません」
「まだ言わないどけ。アイツの機嫌が落ち着いてからにしろ」
「畏まりました」
今、頼んだところで結果は見えてる。
承諾する可能性は極めて低い。
一体、いつんなったら機嫌直んだよ。
置き去りにしやがって!と、金曜日には息巻いてたのは俺なのに、二日の冷却期間と牧野の不機嫌のせいで、俺のイラつきは何処かに消えた。
牧野も早く沈静化しろよ。
一体、どうすれば落ち着くんだ?
答えは見付からないまま車は止まり、社内に歩をいくつか進めたところで、ハッと思い付いて立ち止まった。

にほんブログ村