手を伸ばせば⋯⋯ 30
「着替え終わったか? じゃ、行くか」
牧野が姿を現すなり何食わぬ顔して言えば、視線も口調もお揃いの低温度で返してくる。
「美作副社長はどちらに?」
「あきらなら帰った。代わりに俺が送ってくから心配すんな」
「結構です。一人で帰れますからお気遣いなく」
ま、予想通りだ。
愛想なくそう言った牧野は、軽い足取りで立ち去ろうとし、俺は小さい手を掴んだ。
「一人で帰せるわけねぇだろうが。今日は、あれだけ男連中が寄ってきたんだ。待ち伏せされてたらどうすんだよ。俺も同じだ。うぜぇ女どもが外にいるかもしんねぇし、おまえが一緒なら諦めもつくだろ」
「良かったじゃないですか」
俺を見上げた牧野の口元に仄かな笑みが浮かぶ。
「いつものようにお相手して差しあげれば。お得意でしょ? では、私はこれで」
皮肉めいた笑みを湛え滑らかな口調で言う牧野は、俺の弱点であり、突かれたくない記憶喪失時の最低な所を狙い撃ちしてくる。
⋯⋯死ぬほど後悔してんだから、んな虐めんなよ。
「他の女なんてどうだっていいんだよ! 俺はおまえ以外に興味なんてねぇ。いい加減分かれよ!」
もうこうなったら力づくだ。
言い合いしてたって埒あかねぇ。やべぇことに、長引くほど俺が言い負かされそうな危惧もある。
パーティーの時と同じく、俺は牧野の手を離さないままズカズカと歩き出した。
牧野が抵抗しようが知ったこっちゃねぇ。
「手を離して下さい」
「ヤダね」
はぁ、と牧野が短く息を吐きだす。
いかにも面倒臭さを乗っけた雑な溜息は、きっと俺への当てつけ。
けど、態度とは裏腹に、牧野の抵抗は止んだ。
諦めたのか、大人しく付いてきてくれんなら俺も助かる。
かといって油断は出来ねぇ。地下の駐車場で待たせてある車に乗り込むまで手を離しはしない。
何ならずっとこのままにしとこうと、車に乗りシートに座るや恋人繋ぎに変えようとしたが、途端に思い切り振り払われた。
「ケチ」
威力のない俺の抗議を無視して、窓へと目を向けた牧野の横顔を見ながら、ふと昔を思い出す。
「そういえば、昔はよく車に乗るとソッコーで寝落ちしてたよな? 今も本当は眠いんじゃねぇのか?」
「子供じゃないんです。これだけ何年もハードな仕事をしてたら、たいして睡眠を取らなくても睡魔には襲われません。慣れてます」
確かに俺だってそうだ。
しかし、この華奢な体で男以上の働きっぷり、体調を崩したりはしねぇんだろうか。
「牧野。おまえ、ちゃんと睡眠取ってるか? それに、ちゃんと飯も喰えよ。仕事もいいが、それだって体が資本だ。もっと気を遣え」
牧野は何も言わず、目線も窓に置いたままだった。
そのまま会話は続かず、20分ほどで静かに止まった車。
急いで自らドアを開け、ここまで来たのに逃げられて堪るかと、また牧野の手を素早く掴んで車から降ろすと、無言の牧野を引き連れ目的地へと急いだ。
車が止まったここは、最近オープンしたばかりの姉貴の旦那が経営するホテル。
この最上階にある会員制バーは、窓際に沿って作られたカウンターからパノラマの夜景を一望でき、なかなか雰囲気のある場所だ。
初めから牧野を連れてくる気満々で、事前に席もリザーブ済み。
あとは、どうやって牧野を説得し連れて来るかが最大の懸念だったが、意外にも牧野は文句も言わず大人しく付いてきた。
但し、話もしない。
席についてオーダーする段になっても口は頑なに閉じたままで、自分にはヘネシーのリシャールをストレートで、牧野には飲みやすいカクテルを勝手に注文する。
「なぁ、怒ってんのかよ」
強引なのは自覚済み。
けど、こうでもしねぇと牧野と二人になる時間なんて作れねぇんだから仕方ねぇじゃねぇか。
「送って下さるという話だったはずが、何故、私はここにいるのでしょう」
「バカだな、おまえ。んなの俺がおまえと飲みたかったからに決まってんだろうが」
やっと口を開いてはくれたが、俺に向かってくる眼差しは切れ味抜群。
それには気付かないふりして、運ばれてきた酒を手に取り、牧野のグラスに合わせた。
「乾杯⋯⋯。ほら、諦めて牧野も飲め。強引に連れてきたからって、そんな拗ねんなよ。大体、俺が引っ張ってきたからって、車から降りてここに来るまで、牧野も文句言わなかったろ?」
「何を言っても耳を貸さない人に、無駄な労力を使いたくなかっただけです」
「ったく、可愛げねぇな」
「でしたら、あなたに従順で可愛い女性を連れ歩けば良いじゃないですか」
またそれかよ。
「おまえ、俺に負けず劣らず諦め悪すぎ! この前も言ったろ? 悪りぃけど、俺もおまえのこと諦めるつもりねぇんだわ。どんなに可愛げねぇこと言われたって、微塵も嫌いになんねぇんだからしょうがねぇ。寧ろ、毎回おまえを愛してるって自覚するばっかだっつーの。それと、その敬語。何回言えば分かんだよ。二人しかいねぇんだから止めろ」
牧野は漸くカクテルをひとくち口に含み、敬語を使わず話す気になってくれたようだ。
「道明寺⋯⋯。あなたの私への思いは、愛情でもなんでもない」
「だったらなんだっつーんだよ」
「過去に捕らわれてるだけか、手に入らないから欲しいだけか。若しくは⋯⋯、」
「⋯⋯⋯⋯」
「⋯⋯罪滅ぼし。でも、罪滅ぼしなんて、そんなもの私は要らない。冗談じゃない」
何だよ、それ。
言った本人は、瞬き一つせず窓を見つめる。
「11年前、確かに俺はおまえを忘れ傷つけた。当時のおまえの気持ちを考えたら、今のこの時だって、鷲掴みされたように胸が痛ぇ。記憶がねぇからって、何で冷たく牧野に当たったんだって、悔やんでも悔やみきれねぇよ。
でもな、だからって罪滅ぼしなんかでおまえと一緒に居たいわけじゃねぇ。俺は、おまえが好きだ。あの頃と同じく今も愛してる。
この気持ちに嘘偽りは微塵もねぇよ。誰の前でだって宣言できる。何なら、今ここにいる奴らの前で叫んでやったっていい」
早速実行に移すべく、俺は椅子から下り立ち上がった。
が、牧野は珍しく慌てた様子で「止めてよ」と、俺の腕を強い力で引っ張り、椅子へと戻される。
「こんな所で要らぬ恥をかきたくないんだけど」
「何が恥だ。俺の気持ちに、嘘も偽りも恥も存在なんかしねぇよ。おまえが信じてくれんなら、愛を叫ぶくれぇなんてことねぇ。俺はなんだってやる。おまえの望みならなんだって叶えてやる」
牧野は睨みながら言った。
「あなたって、自分の立場を分かってないのね。今の私の望みはたった一つ。何もしないで大人しく座ってて。それが切なる願いよ」
何が自分の立場だ。
そんなもん、おまえを手に入れるために捨てろって言うんなら、今すぐにでも捨ててやる程度のもんだ。
俺にはおまえが全て。牧野以外のもんなんて何にもいらねぇんだよ。
心の内側で語りながら、正面を向いている牧野の横顔を眺める。
「⋯⋯いつまで見てんのよ」
俺の熱い眼差しに堪えられなくなったのか、牧野が一瞥する。
「⋯⋯⋯⋯見惚れてた。記憶さえなくさなきゃ、おまえが少女から大人の女に変わるのを、間近で見れたのにな」
「めでたいのね」と、牧野がせせら笑った。
「まるで記憶があれば、ずっと付き合っていたような口ぶりだけど、きっと途中で別れてたわよ。あなたに嫌気が差して別れてたはず」
「てめ、今すぐ愛を叫ぶぞ」
可愛げない口に脅しを掛けると、今にも舌打ちが聞こえてきそうな不機嫌さで、牧野が押し黙る。
「俺たちの純愛を勝手に脚色させんじゃねぇよ。俺たちは互いに真剣だったし一途だった。そういう恋愛をしてきたんだ。だから⋯⋯、おまえには似合わねぇ」
チラッと俺を見た目が『何が?』と先を促してくる。
「割り切った関係の方が楽でいいとか、そんなの牧野には似合わねぇって言ってんだよ。そういう付き合いをさせる男も殺してやりてぇほどムカつくし、おまえはな、そんな扱いされていい女じゃねぇ! 自分の価値を安く見積もるな! もっと自分を大事にしろ!
つーか⋯⋯。今もいるんじゃねぇだろうな、そういう男」
「⋯⋯⋯⋯」
「答えろよ」
「⋯⋯いない、今は」
盛大に息を吐く。
自分で訊いときながら、心臓に悪りぃ。
「んな付き合い、もうすんじゃねぇぞ。寂しいんなら、俺が食事でも酒でも付き合ってやる。一番良いのは、恋人として付き合えれば最高だけどな」
「この先も道明寺と付き合うつもりはない」
「直ぐに答え出すな! こっちは長期戦覚悟だ。いつまでだって待つ」
牧野を十年以上もほったらかしにしてきたんだ。
直ぐには振り向いてはもらえねぇってことぐらい覚悟してる。
おまえのいない、生きてんだか死んでんだか分かんねぇ人生なんかに、二度俺は戻りたくねぇ。
だが、そんな俺の気持ちを、牧野はいとも簡単に弾く。
「待たなくて良い。時間の無駄よ。あなたは相応しい人と結婚して道明寺財閥を守る義務がある。だから待たないで」
今じゃ、あのババァですらそんなこと言ってこねぇのに。
「跡取り作れとか言うんじゃねぇだろうな」
「それもあなたにとっては大事な役目でしょ」
「ふざけんなよ。おまえは少しもなんとも思わねぇのか? 俺が他の女とそうなったって、全く何も思わねぇのかよ!」
「今まで散々あなたがしてきたことじゃない。ただ子供が出来なかったってだけで。なにが一体違うのよ」
「⋯⋯もうしたくねぇよ。あんな馬鹿なこと。⋯⋯欲しいのは牧野だけだ」
遣る瀬なくて、酒を一息に飲む。
「一晩だけの関係なら付き合ってあげてもいいわ。でも、それ以上は私に何も望まないで」
⋯⋯情けねぇ。身体が震える。
怒りからなのか、悔しさからなのか。それは、牧野に対してなのか、こんな風に牧野を変えてしまった自分自身になのか。
感情が乱雑に駆け巡って震えが止まらない。
「⋯⋯んなこと言うな。俺は、そんな関係望んでねぇ。そんな風に扱いたいわけじゃねぇから。だから⋯⋯、二度と言うな。分かったな?」
俯きながら言った弱声の訴えに返事はない。
牧野を見れば夜景に目を向けていた。
でもその目は、次元を超えた何かを映しているのか、どこか茫然と遠くを見ているような⋯⋯。いや、違うか。意識だけが別にあって、まるで何も瞳には映してねぇようにも見える。
窓ガラスに映る牧野の瞳は、いつもとは違い威力がなく、どこか空虚でガラス玉みたいだった。
ふと、こんな牧野の目を、俺はどこかで見やしなかったか? と唐突に思い浮かぶ。
どこかで同じ目を見たような気が⋯⋯。
考え込む俺の隣で牧野が身じろいだ。我に返ったらしい。
牧野は、腕時計を確認するとすげなく言う。
「もう解放してもらっても良いかしら」
時間を見れば、もう日付が変わっていた。
「⋯⋯あぁ」
流石にいつまでも付き合わせるわけにはいかねぇと頷けば、牧野は、バッグから取り出したものを俺の前に置いた。
小せぇ箱に巻かれた青いリボン。どう見てもこれはプレゼントだろ。
途端に俺の顔は笑み崩れる。
「牧野、なんか言うことねぇのかよ」
自分の滑稽さに余計笑えてくる。
さっきまで気分は底辺を彷徨い落ち込んでたのに、牧野の行動一つで、こうも簡単に浮上する。
「パーティーの前に言ったはずだけど」
「もう日付が変わった。昨日の話だ。そんなの意味ねぇ。ほら、早く言えよ」
呆れたように吐息を吐いて「おめでとう」と、誰よりも早く一番乗りで祝いの言葉をくれた。
まさか牧野がプレゼントを用意してくれていたとは。
単純だと笑うなら笑え。思いがけない計らいに、喜びがこみ上げ爆発しそうだ。
昨日のパーティーは、就任祝いと一日前倒しの誕生祝いだったが、0時を回ったリアル誕生日に、他の誰でもねぇ牧野に祝ってもらえたんだ。幸せを感じずにはいられねぇだろ。
とうとう喜びが爆発した俺は立ち上がり、座ったままの牧野を引き寄せこの胸に抱く。
「すげぇー嬉しい!」
嬉しさを伝えてから、素早く牧野の唇にキスを落とした。
軽く触れるだけの11年振りのキス。
「今のはプレゼントの追加ってことで許せよ」
しっかり言い訳だけは添えて、牧野の髪をくしゃりとひと撫でする。
ガキみてぇなキスじゃ全然足んねぇけど、今は我慢するしかねぇ。
これ以上したら、今でさえ俺を切り刻みそうな目で睨んでくんのに、身も凍る言葉で殺されかねねぇ。それは困る。温けぇ気持ちを取り上げられたくねぇ。
今はただ、この束の間の幸せを、少しでも長く噛み締めていたかった。

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