手を伸ばせば⋯⋯ 27
美作商事で仕事をしている今日は、朝からずっと気が重い。
その原因は、今夜の道明寺家主催のパーティーにある。
人が多く賑やかな場所は未だ苦手だ。
せめて今だけは静かに仕事に没頭したいと思うのに、
「牧野さーん! 今日のパーティー、牧野さんも行かれるんですよねー!」
私のデスクの前に立った松野くんの声に阻まれる。
「えぇ」
短く対応するも、正直言って今は鬱陶しい。
「実は僕もご一緒させてもらうことになったんですよ! 急遽、鈴木さんに別件の出張が入ったんで、代理で僕が参加することになったんです、もう興奮しちゃって!
道明寺支社長の就任祝いとバースデーを兼ねたパーティーですもんね。凄いんでしょうねぇー! それより牧野さんのドレスアップした姿を見られるなんて、今から感激です。牧野さんのドレスの色は────」
遂に堪りかねて、バン、と手元のファイルで机を叩いた。
びくり、と驚いた彼の肩が跳ねる。⋯⋯⋯⋯と、もう一人。
丁度部屋に入ってきた美作さんが、何故か硬直して立ち尽くしている。
「松野くん、その話はまだ続くのかしら? 今は仕事に集中したいんだけど」
「あ、す、すみませんでした!」
直角に体を折り畳んだ松野くんは、逃げるようにデスクへと戻っていった。
でも、もう一人は依然固まったまま。
「副社長、お疲れ様です。いつまでそこに立ってらっしゃるんですか?」
「お、おぅ、そうだった」
硬直が解けたらしい美作さんが私の元にやってくる。
「牧野、今夜のパーティーだけどな、ここを15時前には出る予定だから、そのつもりでいてくれ。支度の用意もこっちでしてあるから、メープルで着替えればいい。部屋も押さえてある」
⋯⋯そんなに早くに?
「16時半に出れば充分に間に合うと思いますが」
「女性は色々と手間がかかるだろ? 余裕を持った方がいい。メイクも全部頼んであるから、遅れるなよ?」
「そこまでして頂かなくても大丈夫です。ドレスの準備もしてありますし」
「そう言うなって。おまえは今回のプロジェクトの主要メンバーなんだ。世間に発表すれば、嫌でもこの先目立つことになる。このパーティーでの写真だって、いつ何処で流出するか分からない。最高の出で立ちでアピールしとけ」
面倒がプラスされ、ますます気が重くなるが仕方がない。
「分かりました」
「時間になったら一緒に出るぞ。
それと、松野。おまえは時間に合わせて勝手に来い。会場前で合流だ。遅れるんじゃないぞ! それから! あんまり牧野を怒らすな! 俺の心臓が保たん。分かったな!」
「は、はいっ! すみませんでした!」
立ち上がり、またもや体を90度に曲げる松野くん。
何故、美作さんの心臓が保たないのか、不思議な言葉を残し松野くんを叱りつけた美作さんは、急いで部屋を出て行った。
予定通りに会社を出て、到着したメープルホテル。
部屋まで案内してくれた美作さんは、時間になったらまた迎えに来てくれるらしく、カードキーだけ渡され一旦別れる。
キーを差し込み足を一歩中に踏み入れた途端。凄まじい勢いの足音が突進してきた。
「つくしちゃん!」
逃げる間もなく強い力で抱きしめてきたのは、昔と少しも変わらない、道明寺のお姉さんだった。
「お姉さん⋯⋯、ご無沙汰してます」
「会いたかったわ、つくしちゃん! 元気にしてたの? よく顔を見せてちょうだい!」
体に巻き付けていた手を離し、今度は私の両頬を包みこむ。
「つくしちゃん、痩せたんじゃない? ちゃんと食べてるの?」
あまりの勢いの良さに、僅かな隙を見つけ頷くのが精一杯だ。
「本当に? 私、ずっとつくしちゃんのことが心配で⋯⋯。でも、こうしてまた会えて、本当に良かった。
11年前、司がつくしちゃんだけを忘れて傷つけたこと、姉として謝ります。本当にごめんなさい」
手を離したお姉さんは、深く腰を折った。
「お願いですから頭を上げて下さい。お姉さんには感謝しかありません。それに、もう過ぎたことです」
「つくしちゃん⋯⋯」
頭を上げたお姉さんの澄んだ瞳には、涙が浮かんでいる。
今にもこぼれ落ちそうな哀しげな顔で見つめてくるお姉さんは、やがて、女の私でも見惚れてしまうほど綺麗に微笑んだ。
「実はね、つくしちゃんにお願いがあるの」
「何でしょう」
「今夜のパーティーのドレス、私が選んだ物を着てもらえないかしら? つくしちゃんに似合いそうなものを色々と用意したのよ。大好きなつくしちゃんのドレスを選ぶのが楽しくて、嬉しくて。是非、着てもらえないかしら」
「いえ、そんなご迷惑お掛けするわけにはいきません」
「そんな水臭いこと言わないで? さっきも言ったでしょ? 私はつくしちゃんが大好きなの。図々しく思われるかもしれないけど、今でもつくしちゃんを実の妹だと思ってるわ。可愛い妹を着飾るのが私の楽しみでもあるし、妹のお役にも立ちたいのよ。
⋯⋯でも、そうよね。あんな馬鹿な男の姉となんて、やっぱり関わり合うのも嫌よね」
お姉さんの表情の雲行きが怪しくなり、とうとう俯いて目元を拭う姿を見てしまえば、承諾するしかない。
「分かりました、今回は、お言葉に甘えさせて頂きます」
「ホントっ?」
勢いよく上げた顔は満面の笑み。涙の跡はない。
やられた、と気付いた時には遅く、
「そうと決まれば、早速試着しましょ! 沢山あるから急いで選ばなくちゃ!」
私の手首を掴み、引きずられながら部屋の中へと連行された。
ここに来てから既に二時間近く。
早く会社を出なくてはならなかった理由を、身をもって理解した。
色とりどりのドレスを着ては脱ぎ、脱いでは着ての繰り返しで、完全に着せ替え人形状態。
時間的余裕がなければ出来ない試着三昧だ。
きっと美作さんは、事前にお姉さんに頼まれていたのかもしれない。いや、お姉さんに押し切られたか。
流石にぐったりで、そろそろ限界を感じた時、やっとお姉さんが決定を下した。
お姉さんが選んだのは、鮮やかな濃青、瑠璃色のドレス。
シルク地の上にシルクシフォンを重ねたロングドレスはホルターネックで、色合いと合わさって大人の女性を演出しながらも柔らかな雰囲気も損ねてない。
ドレスが決まれば今度はヘアメイクで、数人の手により瞬く間に仕上げられていった。
「きゃーーっ! つくしちゃん素敵よ! 最高だわ! つくしちゃん、暫く会わない間にすっかり大人の女性になったから、絶対に似合うと思ったのよ。華やかに着こなせてるわ。本当に綺麗よ。これじゃ、参加する男性たちが放っておかないかもね」
「⋯⋯ありがとうございます」
過剰すぎる褒め言葉を口にするお姉さんは、嬉しそうに笑み崩れ、私の周りをぐるぐると回る。
一体、これで何週目だろうか。
見ている私が目を回しかけた時、丁度チャイムの音が鳴った。美作さんが迎えにきたのかもしれない。
けれど、部屋に入ってきたのは予想に反しての本日の主役、道明寺だった。
「ほらほら司、つくしちゃんを見てよ」
道明寺の腕をぐいぐいとお姉さんが引っ張り、私の正面に立たせる。
面と向かってしまえば何も言わないわけにはいかず、
「支社長、本日はおめでとうございます」
当たり障りのない挨拶をする。
しかし、返答はない。
不躾に人の顔を見るだけで道明寺は直立不動でいる。
そんな道明寺の腰辺りにお姉さんから強烈な蹴りが入った。
「痛てぇっ!」
「あんた、なにボケっと突っ立ってんのよ! つくしちゃんがおめでとうって言ってくれてんでしょうが! いつまでも鼻の下伸ばしてないで、気の利いた台詞を返しなさいよ!」
「⋯⋯⋯⋯やべぇ、綺麗すぎて頭が回んねぇ⋯⋯牧野、マジで綺麗だ」
一体、いつまで見てんだか。
「それはどうも」
すげなく返したところで、再びチャイムが鳴る。
今度こそ美作さんだろう。
思った通り現れたのは美作さんで、私を見るなり大袈裟な声を出す。
「おー、これはまた一段と綺麗になったな! 流石は姉ちゃん。牧野に似合うのドレスのチョイスも完璧だ。でもこれじゃ、今夜は大変だぞ。男連中に狙われるかも」
美作さんの言葉を受けて、すかさず道明寺が反応する。
「あきらっ! いいか、牧野からぜってぇ目を離すんじゃねぇ! しっかりガードしろよ! 何人たりともこいつに近寄らせるなっ!」
なにを馬鹿なことを。
「あーっ、っくそ!⋯⋯どうすんだよ。不味いな、これは。俺が動ければ⋯⋯」
しゃがみ込み頭を抱えた道明寺は、何やらブツブツと呟き続けている。
物思いに耽る男は放っておき、松野くんと合流するべく、お姉さんに何度もお礼を告げて、美作さんと部屋を後にした。
「なーんかな。今、猛獣の雄叫びが聞こえたような気がしたんだが」
「気のせいです」
「だな」
エレベーターに向かいながら『待ちやがれーっ!』と聞こえた気もするが、多分それは幻聴。そんなものには構ってはいられない。
私たちは幻聴を聞き流し、エレベーターを呼び出すためのボタンを押した。

にほんブログ村
- 関連記事
-
- 手を伸ばせば⋯⋯ 28
- 手を伸ばせば⋯⋯ 27
- 手を伸ばせば⋯⋯ 26
スポンサーサイト