手を伸ばせば⋯⋯ 21
年末年始といえども、まともな休みなんてなかった。
日本支社を把握するため資料を読み漁り、支社長就任の引き継ぎ作業や挨拶周りもこなしてく。
分刻みのスケジュールは隙間がなく、帰国してから目が回る忙しさを経て、共同プロジェクトがスタートする今日を迎えた。
初日の今日は、ここ道明寺HDの会議室で、プロジェクトに携わる三社から選ばれたメンバーが顔を揃え、土台となる企画を更に完璧なものにするため、それぞれが提案するプランの発表が行われる。
俺にとっては日本での初仕事。
私的な都合で手に入れた支社長就任ではあっても、手は抜けねぇ。
ゴリ押しで掴んだ椅子だからこそ、余計にだ。
牧野との再会はまだ叶わずだが、今は気を引き締めて目の前の仕事に取り掛かるしかない。
あきらと滋も到着したと連絡を受けて、吸っていた煙草を消すと、ジャケットを掴んで会議室へと向かった。
会議室に入れば、既に待機していた面々が立ち上がり、一斉に頭を下げてくる。
真っ直ぐに席へと向かい、だが、座る直前だった。辺りを見渡した俺の視線がある一点を捉えた時、不意打ちの衝撃が全身に走り、全ての動作が一瞬止まった。
⋯⋯牧野!
胸の奥から激しく叩かれる鼓動。呼吸すら出来てるか定かじゃない。
十年以上も会わなくても分かる。俺が牧野を見間違うはずがねぇ。
美作商事の席に居るのは、俺が想い焦がれて止まない唯一の女、牧野だ。
いつまでも見ていたい衝動に逆らって、無理やり視線を引き剥がす。
牧野に会わせて欲しい、そう頼んだのは俺だ。その約束をあきらは果たしてくれたのか?
問うような眼差しをあきらに向ければ、小さな頷きが返ってきた。
こちらを決して見ない牧野の元へと駆け寄り、謝りたい。
おまえを傷付けた分だけ、いや、それ以上に何度だって謝る。
だが今は、状況がそれを許さない。
身勝手に動けない立場が恨めしく思いながらも、プロジェクトを優先するしかなかった。
俺はかなりの努力で感情が暴走するのを押し止め、席に座る。
席に着いたところで、司会役のうちの社員が仕切りだしても、意識は牧野に囚われ離れねぇ。
盗み見る牧野は、少女の頃の幼さが消え、息を呑むほど綺麗になっている。俺が想像していた域を超えた美しさだ。
これじゃ、世の男共が放って置かなかったんじゃねぇのか。
無意識に握り固めていた拳に力が入る。
悔やんでも悔やみきれない後悔が胸に重く伸しかかり気持ちが波立つが、それをグッと堪えて、気持ちを切り替えた。
「では初めに、自己紹介から、」
「自己紹介はナシだ」
進行役の声を遮る。
「そんなもんは時間の無駄だ。今ここにいるメンツが最後まで残るとも限らない。早速、プランの発表に移れ」
一気に緊張が孕んだ空気。
そんな中、決められた順番通りにプランが発表されてく。
だが、これといったものが上がってこない。
疑問点を投げ掛け答えられる奴はまだ許すにしても、たいしたプランでもなけりゃ狼狽えるばかりで、まともに返答出来ない奴までいる。
くだらねぇプランなんか持ってくんじゃねぇ!
怒鳴りつけたいのを、何度我慢したかしれねぇ。
終いには、ダラダラとした無駄な説明に痺れを切らし、最後まで話を訊かずに斬って捨てなきゃなんねぇ者までいた。
残すところは、あきらんとこが用意した二つのプラン。
これでろくな案が出なきゃ、メンバー総入れ替えか。
頭が痛くなりそうな状況に、こめかみを指先で揉みながら、美作商事のプランを訊く。
一人目のプレゼンターは、ガチガチに緊張してるのが丸分かりの、鈴木とかいう男だった。
怒鳴りつければひっくり返りそうなほど震える声での提案は、詰めは甘いが中身は悪くない。
そして、ラスト。
あきらんとこには、他に二人の男が控えている。どっちの男のプランだ。
あきら達が座る席へと目を遣れば、驚きに俺は息を呑んだ。
颯爽と立ち上がったのは牧野で、初めて牧野の双眸が俺を捉えた。
「美作商事の牧野です」
毅然とした声から始まったプレゼンは、長期滞在型のリゾート、ワーケーション建設計画で、無駄な話はなくスムーズに展開されていく。
今までの奴らは、俺の顔色を覗いながら時間をかけた丁寧な説明が大半。
しかし、表情一つ崩さない牧野には、それが一切ない。
尤も、牧野からすれば、俺の機嫌を取るつもりなど端からないだろうが、そんなもんを抜きにしても、丁寧と無駄の違いを知っている者のそれだと分かる。
俺はてっきり、あきらが俺たちを再会させるための配慮として、補佐的な立場で牧野をメンバーに加えたと思っていたが、どうやら見当違いだったらしい。
そう言えば⋯⋯と、あきらが言っていた言葉を思い出す。
有能な奴がいると。特に一人優秀な人材が。
⋯⋯牧野だったのか。
牧野の説明が全て終わる。
隅々まで注意が行き渡った計画案は文句のつけようがない。
デジタルファーストに重きを置いた提案は専門用語も多く、果たして、牧野のプレゼンに、この場に居る人間の何人が付いてこれたのか。
ただ、ある一点においてだけ確認しておきたかった。
恐らくは、あきらでさえ気付いてないだろう問題点。
相当な専門知識がなけりゃ気付かないはずだ。
直ぐに影響は出ずとも将来的に可能性としてあるなら、経営側としちゃ、あらゆる想定をして手を打っておく必要がある。
俺は、それを確認すべく牧野に投げかけた。
が、その刹那。俺は見逃さなかった。一度も変化を見せなかった牧野の口端が、僅かに引き上がったのを。
ほんの一瞬の変化。
直ぐに元の表情に戻した牧野は、俺の目を真っ直ぐに見ながら淀みなく答えていく。
予測し得る事態と、その対処。
完璧だった。何から何まで答えを揃え持っていた。
⋯⋯そうか。わざと俺を試したのか。
瞬きも忘れて愕然とする。
あまりの有能さに、俺は舌を巻くしかなかった。
❃
「副社長、先に社に戻ります」
一般社員が退けてから司の元へ行くつもりでいた俺に、牧野から声がかかる。
「あ、あぁ。そうだな、先に戻っててくれ。お疲れ」
プロジェクト始動の今日、全てのプレゼンが終わり解散が告げられれば、さっさと会議室を出て行く牧野。
まだこの部屋には司が居ると言うのに、全く興味を示さず、チラリとも司を見ずに、他の社員と共に帰って行った。プレゼンが終われば、後は用はないとばかりに。
そのプレゼンはと言えば、はっきり言って、うちの企画を上回るものはなかった。どれもこれも画一的でパッとしない。
特に滋のとこなんか、司にバッサバッサとめった斬りにされ、然しもの滋も精神的ダメージが大きかったのか、顔色が悪い。
尤も、無駄にオーラを振りまき、威圧感満載の司に萎縮した奴が続出で、本来の力を存分に発揮出来なかった気の毒な者もいただろう。
自己紹介はなしとした司の一声で、緊張の度合いは一気に跳ね上がったし、うちの鈴木なんかは、ガタガタと震えていたくらいだ。
その鈴木でさえ、今にも倒れそうになりながらも発表した内容は悪くはなく、となると、他があまりにも不出来に過ぎた。
うちからは、牧野と鈴木の企画を自信を持って選んだわけだが、不安があるといえば、鈴木が卒倒しないかどうかだけ。
牧野に至っては言うに及ばず完璧なプレゼンで、最後に司から質問が飛んでもまるで慌てず、スラスラと回答していくスピードに、俺でも付いていくのがやっとだった。
司と牧野のやり取りに改めて思い知った、二人の能力の高さ。
もうこうなると牧野の一人勝ち。牧野の企画が通るだろう。
俺も鼻が高いが、こうなるのは想定内。
そして⋯⋯。
「あきらっ!」
俺と滋以外の奴らが全員退出した途端、余裕なく叫ぶ司の言わんとするところも想定内。
牧野のことが訊きたくて、ウズウズしているに違いない。
司に捕まるだろうところまで計算済みである俺は、この後社に戻り、一本だけ仕事を片付ければ、夜のスケジュールはガラ空きにしてある。
「司、おまえが都合つくんなら、夜は時間空けてある。話ならその時に訊く」
「⋯⋯分かった」
想定内づくしではあっても、司と牧野の成り行きだけは想定不能。
果たして、この先どうなって行くのか。
兎にも角にも、今夜は長い夜になりそうだ。

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