手を伸ばせば⋯⋯ 19
遂に司が帰って来た。宣言どおりの年の瀬に。
『あきら、今から会えねぇか?』
そう連絡があったのは、夜の9時近く。今から30分ほど前だ。
今日一日、どこのTV局も司の帰国の模様を伝え、世間は大騒ぎになっている。
支社長就任ってだけでも忙しいだろうに、マスコミにまで追いかけ回されてるのだから、身動き取るのも難しいだろう。
だが、どんな状況下だろうが、自分がしたいことはする勝手が信条みたいな男だ。気まぐれにも俺たちに会おうと言い出すかもしれない。
そんな少ない可能性も捨てきれなくて、万が一のためにと俺と総二郎は、メープルのバーにあるVIPルームで早くから飲んでいた。
そろそろ来る頃だろうか、と入口を気に掛けていると、複数人の足音が訊こえ、ドアが開いた。
SPを引き連れた司だ。
SPを外に待機させ、司だけが部屋に入って来る。
「悪りぃ、待たせた」
「お帰り、司!」
「司! 久しぶりだな!」
俺に総二郎にと、挨拶が続く。
「あきらとは仕事で会ってたけど、総二郎とは何年ぶりだ? あんま変わってねぇな」
「んな簡単に変わんねぇよ。司は、凄ぇ活躍ぶりじゃねぇかよ。昔のおまえからは考えらんねぇ」
「うっせぇって」
何だ、この違和感。
席に着いた司に酒を作ってやりながら、総二郎と司の気軽なやり取りに、奇妙な何かを感じ取る。
が、先ずは祝杯だ。
類がいないのは残念だが、三人が顔を揃えるだけでも最近じゃ珍しい。
何だかんだ言っても、幼馴染みと集まるのは嬉しいもんだ。
「改めて、司。無事の帰国と支社長就任、おめでとう」
「頑張れよ!」
「あぁ、サンキュ」
乾杯が済めば、数年ぶりに司と会う総二郎が、近況報告を聞き出しながら会話をリードして楽しんでいるようだった。
時折、相槌を打ちながら会話を見守っていた俺は、さっき抱いた違和感の正体に気付く。
そうか、違うのか。NYで会った時の雰囲気と。
向こうで会った時より司は、刺々しさがなくなっている気がする。
やり取りが一段落してところで、司に話し掛けた。
「支社長就任で何かとバタつくだろ? プロジェクトの方は予定通りで大丈夫そうか?」
「問題ねぇ。予定通りで大丈夫だ」
「了解。うちも有能な社員を揃えてある。その中でも一人、特に優秀なのがいる」
「そうか。期待してる。それより⋯⋯」
言葉を言い淀んだ司の気配が変わる。
思いつめたような表情の司は視線を落とし、手元の酒を一気に呷った。
「どうした?」
ゆっくり顔を上げた司は、訊ねた俺の目を見て、奴にしては珍しい弱い声を出した。
「いるんだろ⋯⋯⋯⋯おまえのとこに⋯⋯、牧野が」
グラスを持ったまま目を瞠る。
どういう事だ?
まさか記憶が戻ったのか?
それとも、邪険にしていた女として、当時のままの認識か。
「⋯⋯⋯ああ。牧野は、うちの社員だ。それがどうかしたか?」
「⋯⋯⋯⋯」
グラスを置き、注意深く観察しながら答えるが、また視線を落としてしまった司からの返しはない。
この様子じゃ、やはり記憶が戻ったか。
刺々しさが抜けた原因もこれだろう。
今度は、はっきりと確かめる。
「牧野のこと、覚えてたのか? それとも⋯⋯⋯⋯思い出したのか?」
総二郎も固唾を飲んで成り行きを見守っている。
たった数秒が長く感じる沈黙のあと、司は閉ざしていた口を開いた。
「⋯⋯思い出した。突然、頭痛に襲われて、それで。けど、全部じゃねぇ」
「全部じゃない?」
苦しげに司が頷く。
「牧野だけを忘れたことは分かる。散々、酷い仕打ちをしたことも」
「それ以外の記憶が抜け落ちてんのか?」
「あぁ。俺は、牧野に対して酷ぇ態度とって、罵って。けど、いつからあいつと会わなくなったのか、気付いたらNYで。自分の意志で向こうに行ったらしいってことは姉ちゃんから聞いたが、そこら辺の記憶が思い出せねぇ」
そこまで訊いて確認せずにはいられなくなる。
「で、全部じゃないにしろ牧野を思い出した今、司はどうする気だ」
「とにかく、牧野に会いてぇ。会って謝りてぇ。それに、俺の気持ちは当時のままだ。全く変わっちゃいねぇ」
謝るまでは良いとして、変わってねぇって、あの頃と同じように牧野を好きだってことだよな。
俺もかつては、司の記憶が戻れば丸く収まると思っていた。
死ぬほど後悔はするにしても、また牧野を追っかけるだろうし、そうなって欲しいとも願っていた。
だが、あれから間もなく11年だ。謝って許されて元に戻れる時期は、とうに過ぎた。
司にしてみれば、突如として記憶が戻され、あの頃の感情まで一気に甦ったのだろうが、確実に時は流れている。
その間、一度だって牧野に会ってもねぇのに、今の牧野を知らない内から好きだと言い切れるのか。
混乱して、気持ちが過去に持ってかれてるだけじゃねぇのか。そこだけは見極めておく必要がある。
「司、おまえが日本を発って11年近くになんだぞ、11年。今の牧野を知らない状態で、気持ちは当時のままって言うけどな、記憶を取り戻したばっかで、混乱してんじゃないのか?」
「違ぇ、そんなんじゃねぇよ! 俺にとっては、どんなあいつでも、牧野の存在そのものが全てだ。牧野さえいりゃいい。他にはなんも要らねぇ」
「やり直したいのか、牧野と」
「その為に日本へ帰って来た」
だからだったのか、急な支社長就任は。
牧野を手に入れる為だけに、支社長の座をゲットした力と行動力には驚かされるが、そうまでしても牧野を取り戻したいのか。
しかし前途は多難だ、と言うしかない。
今の牧野は、司が知っている頃の牧野とはかけ離れてる。
総二郎もこの前、目の当たりにしたばかりだ。衝撃に呑み込まれて、一瞬押し黙るほどに。
流石というべきか、直ぐに総二郎は自分を立て直してはいたが、ショックを受けたのは間違いない。
それほど今の牧野は、過去の印象を覆す変わりようだ。
「司。この約11年、おまえだって色々あったろ。それは牧野にしても同様だ。人生は巻き戻せない。あの頃と何もかも同じってわけにはいかないんだ。それは分かるな?」
「分かってる」
「実際、牧野と会ったら、司の気持ちが変わる可能性だってある」
「それだけは絶対にねぇ!」
「簡単にはいかねぇかもしんねぇぞ?」
言わんとすることを汲み取った司の声に、苦しみが滲む。
「恨まれてもしょうがねぇと思ってる。あいつにどんなに罵られても仕方ねぇ。
だが、勝手だと言われようが、俺は牧野じゃなきゃ駄目なんだ。拒絶されようが、諦めたくねぇ。何度だって頭下げに行く。今すぐにでもそうしてぇ。けど暫くは時間が取り辛ぇし、何よりマスコミのマークがきつい。
だから、あきら頼む! 年が明けたら少しはマークも下火になると思う。そしたら牧野と会う機会を作ってくれ。頼む、この通りだ!」
珍しく頭を下げる司を見ながら思う。
────計算外だ。
司に言われるまでもなく、プロジェクトがスタートすれば、二人は会うことになっている。
とことん関わらせてやろう、そう思っちゃいたが、まさかここに来て司が記憶を戻すなんて計算外も良いとこ、微塵も想定していなかった。
二人を関わらせようと思ったのは、何かが変わるんじゃないかと期待したからだ。
でもその何かとは、牧野が気持ちの折り合いをつけられたら良い、そういう意味合いが強い。
恐らく牧野は、奥底に秘めた司への憎しみを抱いている。
類が言った通り、司に見返したいのかもしれない。
会わなくても憎しみが消えなかったのなら、司の前で牧野が手に入れた能力を存分に発揮させ、見返したい思いを昇華させられたらいい。そんな風に思っていた。
憎しみなんてもんは、哀しみしか引き寄せない。いつまでも抱えていたら、牧野自身の幸せも遠のく。
だから、打ち砕きたかった。牧野が募らせている負の感情を。
しかし、牧野とは相反する気持ちを持つ司が、想いをぶつけていけばどうなるのか。
昔とは逆の事象に陥るかもしれない。
牧野が傷を受けたように、今度は司が⋯⋯。
一体、こいつらの関係はどうなっていくんだろうか。不安が過る。
でももしかして、と思考の隙間に浮かぶのは、司なら今の牧野をぶち壊し、昔の牧野を取り戻してくれるんじゃないか、という淡い期待。
「分かった、司」
随分と沈黙を引っ張ってから答えた。
「ただ、覚悟はしとけ。それだけのことを、おまえは牧野にしたんだ」
司が顎を深く引く。
「分かってる。ありがとな、あきら」
こうして、年明けに牧野と会わせる約束をして、メープルを出た俺たち。
約束の機会は、当初からの予定通りプロジェクトでだが、それは内緒にしたまま、それぞれ迎えの車に向かう。
いち早く乗り込んだ総二郎の車が走り出し、俺も車に乗りこもうとしたところで、「あきら」と、司に呼び止められた。
「これを明日、牧野に渡してくれねぇか。おまえからって」
車に置いておいたのを取ってきたのだろう。差し出した司の手には小さな紙袋があった。
「何だこれ」
「明日、牧野の誕生日なんだ。俺から渡してぇけど、やっぱり、今はまだな。
あきらからってことでいい。渡してくれ。中身はオードトワレだ」
「牧野、誕生日なのか。でも、俺からって、司は本当にそれで良いのか?」
「あぁ」
「分かった。必ず明日渡す」
「悪りぃな。じゃ、またな」
そう言って軽く手を上げた司は、車に乗り込み帰って行った。
明日、誕生日なのか、あいつ。
走り出した車の中、両手で包んだプレゼントを見て思う。
どんな想いで司はこれを買ったのか。司の気持ちを考えると、胸が重くなった。
出来ることなら、親友の行く末が明るいものであって欲しい、そう思ってしまう俺は、司に甘すぎるのか。
でも願わずにはいられない。
親友が明るい未来を切り開き、大切な妹も導いて欲しいと⋯⋯。

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