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手を伸ばせば⋯⋯ 18



誰も居なくなった夜のオフィス。
秒針だけが一定のリズムを刻み、微かな音を生み出している。
時計に目を向ければ、時刻は11時を少し回っていた。

今日はここまでにしておこう。
あとの調べものは、休みの明日に自宅でも出来る。
丁度キリの良いところまで作り終えた資料を見返してから、デスクの上を片付けて行く。
持ち帰る資料を確認してバッグにしまい、さて帰ろうと体の向きを変えた時、突然オフィスのドアが開いた。

「よぉ、牧野。遅くまでお疲れさん」

屈託のない笑みを湛えドアの前に立つのは、美作さんだった。

「お疲れさまです。副社長もまだいらしたんですか?」

「まぁな。もう帰るんだろ? なら、明日は休みだし、少しだけ付き合えよ」

「今からですか?」

腕時計をチラリとのぞく。
さっき時間を確認してから十分と経っていないが、出掛けるに相応しい時間帯ではない。

「どうせおまえは、夕飯も食べてないんだろ? 時間も時間だから、軽めのものでも腹に入れとけ。食事抜きは体に悪い」

夕飯を食べそびれたのは確かだし、家に帰っても冷蔵庫の中は空っぽだ。
何もないならないで寝てしまえば良いだけのことで、空腹もあまり感じない。

「帰りは送るから心配すんな。ほら行くぞ」

私の返事を待たず、美作さんは背を向け歩き出す。
いつだかのランチもそうだったように、私の体調を気にかけてくれてるのだろうけど、誘うにしても今夜はこんな時間だ。それだけじゃない意図がある気がした。



結局、ついて行くことになった先は、こぢんまりとした隠れ家的ダイニングバー。
当たり前のように奥の個室に案内され、料理も軽めが良いだろうと、美作さんがフィンガーフードを注文してくれた。

「どうだ、牧野。うちの会社には慣れたか? 困ったことあれば何でも言えよ?」

料理が来るまでの間、シャンパーニュの帝王とも言われるクリュッグを二人でいただきながら、相変わらず美作さんは気遣いを見せる。

「ありがとうございます。今のところ、何も問題ありません」

「ならいいんだけどな。取り敢えず、敬語も止めてくれると、もっと良い」

「気をつけます」

言われた側から敬語で返す。
昔からの知り合いとはいえ、上司と部下だ。なるべく線引きはしておきたい。
美作さんとは、顔を突き合わせる機会が多いからこそ、尚更にそう思う。必要以上に踏み込んでほしくなくて。
昔からの知り合いに、あの頃と同じように深い付き合いを望まれても困る。
線引きはそのための防御でもあった。
私は、昔とは違う今の私でしかないのだから。

フルートグラスを傾けながら取り留めのない会話を交わし、運ばれて来た料理も少し摘む。
お腹を軽く満たし、シャンパンの後に頼んだスカーレット・オハラを一口含んだところで、美作さんの表情が真面目なものに変わった。

「牧野⋯⋯。もう直ぐ司が帰って来る」

今日の本題はこれだったか。
美作さんらしいが、あの男に関しての気遣いは無用だ。

「そうみたいですね」

今週に入ってからというもの、マスコミがこぞって取り上げている。あの男の日本支社長就任が決まったと。
世間は、ちょっとしたお祭り騒ぎだ。
あの若さでの支社長就任に加え、眉目秀麗で独身の御曹司。
若い女性たちを中心に色めきたち、凱旋帰国を待ちわびている人々は多い。
そんな浮き立った様子が、飽きもせずに毎日電波に乗って取り上げられるのだから、あの男が帰国することは、当然私だって知っていた。
別に驚くことでもない。そもそも、日本支社長に就任するのは想定済み。
ただ、あまりにも急な就任ではあるけれど。

「まぁ、支社長になってもならなくても、今回は仕事で一緒にやっていくわけなんだが⋯⋯」

迂遠な言い回しで、美作さんは私の様子を窺いながら先を続けた。

「今の司は、昔じゃ考えられないほど、仕事は徹底的にこなす。妥協って言葉も知らない。
こう言っちゃなんだが、司が記憶を失くして牧野にキツく当たったりもしていたが、今回もかなり厳しくなるかもしれない。
勿論、牧野にだけどうのって訳じゃなく、あいつと仕事するのは、それだけ大変だってことだ。その辺は承知しておいてくれ」

望むところだ。心で呟く。

「それは楽しみですね。遣り甲斐がありそうで」

挑戦的とでも思われたか、美作さんの眉がピクリと反応した。

「そ、そうか? でも何かあれば遠慮なく⋯⋯、」

その時、個室のドアが開く音がして、会話が止まる。
美作さんの目線が私から僅かに逸れ、追うように振り返れば、

「牧野!」

こちらを覗くように入り口に立つ人物がいた。

先日の滋さんに引き続き、今日はこの人か。

喜色満面でこちらに近付いてくるのは、西門総二郎、その人だった。







「総二郎! おまえも飲みに来てたのかよ!」

全くの偶然だった。まさか、こんな所で総二郎に出くわすとは。

「いや、近くで飲んでたんだけどよ、あきらんとこの車見つけて運転手に聞いたら、牧野とこの店にいるっつーじゃん? なら顔出さなきゃと思ってよ。
にしても牧野、久しぶりだな〜! 元気にしてたかよ!」

「お久しぶりです。すっかりご無沙汰して、ごめんなさい」

「全くだぜ。しかし話には訊いてたけど、凄ぇ綺麗になったな! 想像以上だ」

驚くのも無理はない。
生活に追われてのバイト三昧だったあの頃の牧野は、自分のお洒落に気にかける余裕など、普通の女子高生に比べても極端に少なかったはずだ。
それが今じゃ、選ぶオフィスカジュアルは品が良く、スーツも上質なのを着こなしすキャリアウーマン。
あの頃とは全く違う。まるで、蛹が蝶になるように。
何より十年もの努力による自信と経験の賜物か、凛とした雰囲気を纏い、ハッと目を引くクール美人だ。
それ故に、釘は刺しておかねば。

「総二郎、うちの大事な社員に手を出すなよ?」

すっかりここに留まるつもりか、ちゃっかり牧野の隣に座りドリンクまでオーダーした総二郎は、「馬鹿言うなって」と笑った。

「けどな、牧野。手は出さねぇけど口は出すぞ」

笑みを引っ込めた総二郎の目が真摯なものに変わる。

「十年も連絡一つ寄こさねぇで、どんだけ心配したと思ってんだ。どっかに行きたくなったとしてもだ。出掛ける時は、行ってきます、って言うのが常識だろうが。もう二度と黙って消えんじゃねぇぞ」

「ごめんなさい」

素直に牧野が謝罪を口にする。
だが、総二郎はそれを受け付けなかった。

「そんなんはいらねぇよ。行って帰って来たんだろうが。だったら何て言うか分かるな?」

「⋯⋯⋯⋯ただいま」

その言葉を引き出した総二郎は、もういつもの顔に戻ってる。

「よし、それでいい! じゃあ、再会を祝して乾杯しようぜ!」

本当は、まだまだ言いたいことはあるだろうが、当時の牧野がどれだけ傷ついたかも分かっている総二郎は、それ以上は切り込まなかった。
切り込まない代わりに、三人でグラスを合わせた後、サラリと別方向に触れてくる。

「いよいよ司も帰って来るな。あきら、帰国日訊いてるか?」

俺は、この話題を出すのに、牧野の様子を窺いながらだったってのに、総二郎ときたら随分とナチュラルに言ってくれる。
下手に空気を重くしないように、敢えてそうしてるのかもしれないが。

「いや、年末とだけしか訊いてない」

答えながらジャケットから加熱式たばこの本体を取り出し「いいか?」と牧野に見せる。
牧野が頷くのを見てから、取り出したホルダーのスイッチを押した。

この個室は、加熱式たばこ専用喫煙室になっている。
そう多く吸う方じゃないが、そろそろ恋しくなってきたところだった。

「なぁ、司が帰って来たら、久々にパァーっとやろうぜ! 牧野の帰国祝いもまだしてなかったしよ、司と牧野、合同でお祝いだ!」

どこまでもチャレンジャーな奴だ、と感心する。
来ると思うか? 今の牧野が。
無理だろうと踏んだ俺は、消極的に総二郎に返す。

「司が帰って来るのは年末だし、みんな忙しいだろ。無理じゃねぇか?」

「問題ねぇって。司と牧野が来るっつったら、何を置いても駆け付けるっての。つーわけだから、つくしちゃんも時間作れよ?」

「私は無理だと思うから、また別の機会にでも」

ほら見ろ。思った通りだ。
牧野からは、にべもなく拒否が示された。

「牧野、司と会うのは嫌か? 嫌なら無理にとは言わねぇけどよ」

直截に訊ねる総二郎に、ふっ、と牧野が笑い、

「私も煙草失礼しても良い?」

会話の流れを中断させた牧野は、俺と色違いの本体をバッグから取り出した。
予想外の言動に、思わず総二郎と見開いた目と目を合わせてしまう。
こいつが、煙草を? 思うところはきっと同じだ。
意外も意外、驚いて反応が遅れる。

「そんなに、私が煙草吸うのがおかしい?」

「あ、あぁ、そうだな。イメージなかったから、正直驚いた。⋯⋯でも、俺も吸ってるし、気ぃ遣わなくてもいいぞ」

この歳だし吸っていてもおかしくはないが、ホルダーを手に取る姿を見ても、まだ驚きが拭えない。あまりにも牧野と煙草が結びつかなかった。
ましてや牧野は、世界でも喫煙規則が厳しい都市に住んでいたというのに⋯⋯。
そう言えば、同じ都市に住んでいる司もヘビーだったか。

「西門さん」

一つ煙を吐き出した牧野は、総二郎を呼んだ。

「私、別にあの人と会うのが嫌なわけじゃないの。年明けからは、仕事で会うわけだし。
ただ、プライベートで会う理由もなければ必要もない。私にとって、その程度の人なの、あの人は」

ニコリともせず、感情を交えずに冷然と言い切った牧野。
それは、敢えて『昔とは違う』と知らしめているようで、イメージにそぐわない煙草の効果も相まって、アピールとしては覿面だった。
そして総二郎にとっては、十年もの歳月が確かに牧野の何かを変えた、そう思い知った瞬間に違いなかった。

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  • Posted by 葉月
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