手を伸ばせば⋯⋯ 16
牧野を送り届けても真っ直ぐ帰る気にはならなかった俺は、行きつけの店に寄り道をしていた。
総二郎まで呼び出して。
「よぉ、あきら。待たせて悪りぃな」
先に個室で飲んでいた俺の向かいに、総二郎が座る。
男二人だけの寂しいシチュエーション。だが、今夜は二人で飲みたかった。
「いや、大丈夫だ。こっちこそ、急に呼び出して悪かったな。デートの邪魔したか?」
「流石に俺も、最近は夜毎遊んでねぇよ。今日は面倒な講演会で、その帰り途中だったから丁度良かったぜ。
それより、牧野は無事に帰ってきたのかよ」
「ああ。一緒に食事して、さっき送ってきたところだ」
「そっか。で、あきらが俺を呼び出したっつーのも、牧野絡みだろ」
流石だな、と俺は軽く笑った。
直ぐに牧野に繋げた総二郎にホッとする。
昔からだ。昔から総二郎とは、何も言わなくとも分かりあえることが多かった。
尤も、残りの二人が特殊すぎるんだが⋯⋯。
司は、極めたバカさ加減で会話が成り立たないことが多かったし、類に至っては意味不明なところが多かった。
向こうは全てお見通しって感じだが、こっちが類の真意に辿り着くのは、なかなかに難しい。
それに今では司まで類並み。感情をなくしてしまったせいか、会話は成り立つも本心が何処にあるのか分かりゃしない。昔の単純バカだった頃が懐かしい。
そんなダチの中で唯一、昔と変わらず分かりあえるのが総二郎だ。変わらないでいてくれることが、密かに嬉しかったりもする。
総二郎用にウィスキーのロックを作って差し出すと、俺は染み染みと言った。
「総二郎、おまえは昔から変わんねぇな」
「おいおいおい、俺が成長してねぇって?」
「そうじゃねぇよ。変わらないでいてくれて安心するって話だ」
総二郎は、ウィスキーを一口舐めて俺を見た。
「んなに変わったかよ、牧野は」
俺は頷いた。
「かなりな。愛想笑い程度は覚えたようだが、基本、今も感情が欠如してる。司の女版ってところか」
司の女版? と反覆した総二郎は、想像でもしたんだろう。少しの間を置き「恐ろしいな」と苦笑した。
「でも、あきら。そんな状況で大丈夫なんかよ。司との仕事に牧野をぶち込むつもりなんだろ?」
「そのつもりだ。牧野と司が関わることで、二人が何か変わればいいと思ってる。それが吉と出るか凶と出るかは分かんねぇけどな。
昔、牧野から笑顔が消えた時、時間が解決するしかねぇのかとも思ったが、十年以上経っても変わっちゃいない。なら、もう動き時だろ?」
「何も変わんねぇなら、とことん関わらせてやるってことか」
「ああ」
「にしても、あの牧野がねぇ。勤労処女、ってからかってた頃が懐かしいな」
俺はグラスを置き、総二郎をマジマジと見た。
「なぁ、総二郎。牧野、鉄パン履いてなかったんだ」
総二郎が、ブホッ、と危うく酒を吹きそうになっている。
「当たりめぇだろうがよ! 何を言い出すかと思えば、マジ顔で言うなって。オクテだったとは言え、牧野もいい年だぜ? 経験ない方がビックリするわ」
呆れ混じりに言う総二郎だったが、酒を煽った俺が、空にしたグラスを見つめたまま発した言葉で、固まることになる。
「違う、大人になる前に経験してる。初めての相手は司。多分、あの時の滋の島でだ」
総二郎が息を呑んだ。
十秒は言葉を見失っていただろうか。空気を吐き出すように「マジか」と呟いた総二郎の声は掠れていた。
「で、その直後に牧野を忘れたって? あり得ねぇだろうが、あの馬鹿」
俺が味わったのと同じように、総二郎も遣りきれなさが込み上げたんだろう。
刺された司は間違いなく被害者だ。だが、牧野の心情を思えば、責めても仕方のない司を理不尽にも詰りたくなる。
そんな理不尽さを抱いてしまうことまで含めて、遣りきれなくて仕方がない。
「そうか。辛かったな、牧野。もっと早くに探し出してやるべきだったかね、俺たちは」
力なく言う総二郎に、いや、と俺は首を振った。
「早すぎても駄目だったさ。きっと、類の判断は間違ってなかった」
早くに牧野と接触していたとしても、多分、牧野は頑なに俺たちを拒絶したと思う。高校の頃と同じように。
牧野にはやるべきことがあったがために。
俺は、牧野と再会してから今日に至るまでの間で、ある事を確信している。
そして恐らくそれは、牧野の動向をチェックしていた類の方が、俺よりもずっと早くに気付いていたに違いない。
だからこそ、まだそっとしておこうと類は判断したはずで⋯⋯⋯⋯ん?
「うわぁっ!」
やべぇ!
忘れていたことを突然思い出し、大きな声が漏れ出る。
「うぉ、ビビった。何だよ、あきら。いきなり、でけぇ声出して」
「しまった! 忘れてた!」
「何をだ?」
「うちに牧野を引っ張ったこと、類にまだ言ってねぇ!」
「あーあー。そりゃまずいな。つーか、もう類は情報掴んでんじゃね? なのに類が何も言ってこねぇってことは、だ。⋯⋯こりゃ、拗ねてんな」
全くもって総二郎と同意見。
そっとしておくという類の意に反して、牧野を日本に呼び戻してしまったという大きな動きを、あの類が察知してないはずがない。
なのに類からは何も言ってこない。
つまり総二郎の言う通り、完全に拗ねている。
「はぁ⋯⋯類が拗ねると、なかなか面倒なんだよなぁ」
「いいから、あきら。早いとこ電話して謝っちまえよ」
「だな」
家に帰って一人で掛けるよりかは、総二郎が居る時の方が弱気な心も幾らか勇気づけられるってもんだ。
後押しされた俺は、スマホを取り出し類を呼び出した。
コールが5回鳴ったところで、相手が出た。
「もしもし、類か?」
『⋯⋯⋯⋯⋯⋯』
「⋯⋯⋯⋯頼む。電話に出たなら喋ってくれ」
『⋯⋯⋯⋯⋯⋯』
「悪かった! 連絡しなかった俺が悪い! だから、電話で無視とか辛すぎるから止めてくれ!」
『⋯⋯先に無視したの、あきらだし』
予想通りだ。思いっきり拗ねている。
拗ねてるってことは、事情も全て把握済みってことだ。
「ホントに悪かったって。ドタバタしてて連絡が遅れたのは謝る。けどな、牧野と再会して放っておけなかったんだ」
『まぁ、あきららしいよね。相変わらず世話好⋯⋯⋯⋯優しいね』
最後の「き」を言わなかっただけで、誤魔化せたと思うなよ、バカヤロー! と心の叫びをひた隠し、
「勝手してすまん」
再び謝る。
『俺さ、半年後に日本に帰るんだよね。そしたら動くつもりでいたのに。牧野と司を仕事で絡ませようって』
「やっぱり類も同じこと考えてたのか」
『だって牧野の目的、どう見たって司でしょ。司と同じ世界に立ちたいだけなのか、見返したいのかは分からないけど。だったら、叶えてやるのも一つの手かと思ってさ』
俺の見立てと類の意見が一致した。
牧野には、やるべきことがあった。それは、知識を詰め込み、経験を積んで力をつけること。その為にアメリカの大学まで留学したのだろう。
そして、俺は確信している。
そこまで牧野を突き動かしているのは、司への憎しみ。その気持ち一つだけだろうと。
『ただそれには、牧野が司に近付けるだけの力を持たなきゃならない。勿論、手を貸す俺もね。それまでは動けないから機が熟すのを待ってたのに、そろそろって頃になって、横からあきらに掻っ攫われた』
また俺へのクレームへと着地し、
「申し訳ない」
もう何度目になるかも分からない謝罪をするしかない。
『あきらが牧野を連れてっちゃったんだから、ちゃんと責任もって面倒みてよね』
「ああ、分かった。安心してくれ」
『それとさ、あきら。うちのワインの件だけど』
「⋯⋯ワイン?」
いきなりなんだ。
美作商事は、類個人が所有しているワイナリーと独占販売契約を結んでいる。
だが、何故いきなりここでワインなんだ?
この流れで、この話題。⋯⋯何だか嫌な予感しかしねぇぞ。
『ライセンス料、上乗せしていい? 俺の言い値でいいよね』
「⋯⋯⋯⋯」
牧野を横取りし、類を拗ねさせた代償がこれか。どんだけ俺は、類の臍を曲げさせてしまったんだ。
「⋯⋯⋯⋯⋯⋯分かった」
俺に許された答えは一択しかねぇじゃねぇか!
『じゃ、宜しく。半年後に日本でね』
機嫌がすっかり直った類は、ブツリと電話を切った。
通話が終わるなり、総二郎が訊いてくる。
「どうだった、類は。機嫌直ったかよ」
「ライセンス料、吹っかけられた」
ブハハハ、と盛大に総二郎が笑う。
他人事だと思って、と恨めし気な目線を遣れば、
「これも大事な牧野のためだと思って、諦めるしかねぇんじゃね?」
「そうだな」
答えながらも同時に胸の内で叫んだ。
妹も同然の牧野の為なら後悔はない。
ないんだが、だがな!
言い値って幾らだ! 普通に怖ぇんだよ!
幾つになっても穢れを知らなそうな顔をしながら、実は一枚も二枚も上手。
策士な親友を脳裏に浮かべて、俺はガックリと肩を落とした。

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