手を伸ばせば⋯⋯ 15
『勝手に予定を決めたのか』とでも言いたげな、牧野の威圧感満載の冷たい視線に挫けず、何とか行きつけの店まで連れてきた。
NYでの日本料理に引き続き、今夜は寿司屋だ。
「牧野、うちを選んでくれたこと、改めて礼を言う。ありがとな。これから宜しく頼む」
「こちらこそ、宜しくお願いします」
ビールで満たしたグラスで先ずは乾杯し、喉を潤す。
お通しには、肝を添えたトコブシが出された。
「今日の料理は、ここの大将に任せてある。腕は確かだから、遠慮なく食べろよ?」
「はい。いただきます」
程なくして運ばれてきた料理は、柔らかく煮た明石のタコで、これは山葵で頂く。
カラスミにホヤの塩辛などの珍味の盛り合わせや、胡麻豆腐に生牡蠣。適度な間隔でテーブルに出され、お造りには熟成させた天然タマカイが用意された。
熟成されたタマカイは、適度な弾力もあって旨味がギュッと凝縮している。
「私、タマカイって食べたの初めて。凄く美味しいのね」
良かった。冷ややかな目に挫けず連れて来て。
これで、ニッコリ笑ってくれたら最高なんだが、無理は言うまい。
「そりゃ良かった。タマカイは鍋にしても美味いぞ。ゼラチンも多いから、女性にはもってこいだ。それより牧野、向こうの会社はどうだった? 円満に退社出来たのか?」
「ええ。丁度、大きな仕事が片付いたところだったから、タイミング的には良かったの」
「それ訊いて安心した。誘った手前、何かあったら申し訳ねぇもんな。プライベートの方はどうだよ。引き止める恋人は?」
付け足した質問は、内心では多いに興味があるところだが、表には出さずに箸を動かしながらサラリと訊く。が、「恋人?」と、ひんやりと微笑んだ牧野は、
「そんなのいるはずないじゃない」
冷めた口調で返してきた。
「まさか牧野、未だに鉄パン──」
「私、もう直ぐで28よ。そんなわけあるはずないでしょ」
みなまで言わせて貰えず否定が入るが、そりゃそうだ。流石に未経験のはずはないか。
これだけ綺麗なんだ。誘いだって多かっただろうし、今は付き合ってる男がいないってだけで、過去にはいたんだろう。
ずっと一人でいる方がおかしい。
「だよな。おまえ綺麗だし、周りの男も放って置かなかったろうから、恋人もそりゃいただろうな」
「美作さん」
一人納得したところで呼ばれる。
「うん?」
「私、さっきも言ったけど」
「ん? 何を?」
「恋人はいないって」
新たな料理に手を伸ばしかけ、宙で止まった箸を引っ込めた。
「いない、って牧野。まさかそれって、今まで一度もって意味か?」
「そう。無駄なだけだから」
フラットな声に言われて言葉を失いそうになる。
引っ込めた手に持っていた箸を、今度は完全に箸置きに置いた。
「でも、おまえさ。その、なんだ。鉄パン⋯⋯、履いてないんだよな?」
「随分とそこに拘るけど、それならこっちにいるときから履いてなかったわよ」
口が『え』と形を作ったまま、一瞬硬まる。
こっちで既に『脱、鉄パン!?』って、相手は一体誰だ。
司と牧野は、傍から見てもじれったくなるほど子供じみた交際だったはずだ。
かといって、司以外に牧野が付き合っていた男などいるわけないし、となると、やっぱり相手は⋯⋯。
「⋯⋯⋯⋯司か?」
余計なお世話だと思いつつも、恐る恐るの態で訊いてしまう。
「⋯⋯⋯⋯」
だが、幾ら待っても返答はなく、つまりは肯定。相手は司だと認めている。
「マジかよ!」
「⋯⋯⋯⋯」
「初耳だ。⋯⋯⋯⋯驚きが大き過ぎんだが」
「知らなくて当然。その後すぐに記憶を失くしたんだから」
何でもないよう言った牧野は、ビールの入ったグラスを傾けた。
その後すぐに記憶を失くしたってことは、二人が関係を持ったのは、滋の島か。
そこでやっと結ばれたのに、司に忘れられて、暴言まで吐かれる扱いを受けて⋯⋯。
当時、同年代の周りに比べてもオクテだった牧野。その牧野が司に全てを捧げたんなら、相当な覚悟があったはずだ。
それでなくとも司のお袋さんから、血も涙もない苛烈な妨害を受けてる最中。先の未来に不安や恐怖がなかったはずがない。
にも関わらず、牧野は覚悟を決めたのか。何よりも司がいる幸せを選択し、司と困難な道を突き進むと。
そして、証のように身を捧げ、想いを一途に貫き通した────。
どれほどだったんだ。どれほど深い哀しみと傷を負ったんだ、牧野は。
それは、俺たちが想像していた以上のものに違いなく、幸せからの急転直下、当時の牧野の気持ちを思うと、胸が詰まって苦しくなった。
「牧野、だから恋人を作らないのか? まだ⋯⋯司を」
恋人を作らないのは、植え付けられた過去の哀しみが強烈過ぎて、癒えるどころか逆に司を忘れられないからじゃないか。
ふと浮かんだ思いを口にする。
しかし⋯⋯。
「冗談でしょ」
牧野は冷たく笑った。
「勘違いしないで。恋人はいないけど、男がいないとは言ってないわ」
俺は今度こそ完全に言葉をなくした。
恋人はいないが、男はいる。つまり⋯⋯、体だけの関係。
あの牧野が⋯⋯。
お堅いのが取り柄にも見えたあの牧野が、こうも変わるのか。
衝撃に襲われ、牧野のポーカーフェイスを暫し呆然と見つめた。
それからも俺はどこか上の空で、その後に出された料理の記憶は曖昧、味なんて何一つとして覚えちゃいなかった。

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