手を伸ばせば⋯⋯ 14
チャンスが巡ってきた。
美作さんの誘いを受けた瞬間、そう思った。
私はずっと、ここNYに拘ってきた。
それは他でもない、道明寺司が居る地だから。
昔、迂闊にもあの男に心を奪われた私は、忘れられ、弄ばれ、そして捨てられた。
お粗末な結末だ。
かつては天国と地獄を見せた男だと思ったこともあるけれど、果たしてあれは、天国と言えるほどの幸せだったのか。
今思えば、恋に恋する年頃だった無邪気な子供が、夢見がちに錯覚しただけかもしれない。
でも、地獄の方だけは確かな事実だ。
『いつまでそうしてる気だ。動けねぇほど良かったかよ。それともまだ抱かれ足りねぇのか?』
何の力もない私は、馬鹿にされたんだと思う。こんな女に何をしても、何を言っても構わないと。
私を見下した男と、性別の差から勝ち目のない力でねじ伏せられ、屈するしかなかった無様な自分。
惨めだった。
だから力を手に入れたかった。
別に今更、復讐だなんて考えていない。
道明寺財閥の跡取りに復讐を仕掛けるほど、愚かでも無謀でもない。
ただ、見返したかった。認めさせたかった。
体力の差は埋められずとも能力は違う。
道具のように弄ばれた女でも、男と張り合えるだけの力は持てるのだと。その一念だけでここまで来た。
あの男と同じフィールドに立ち、自分の能力を知らしめたい。
この地に居れば、そのチャンスが巡ってくるかもしれない。そう望みを抱いて。
けれど、残念ながら機会は訪れることはなかった。
その間も、あの男の評価は上がるばかりで。このまま行けば、日本支社を任される日も遠くないと、専らの噂だ。
そうなると、自分もこの地に居座る意味がなくなる。
ここを離れるべきかどうか。身の振り方を考える時期に差しかかっていた、丁度そんな時だった。美作さんから誘われたのは⋯⋯。
一週間後、私は美作さんに連絡を入れた。
❃
この地に降り立つのは何年振りだろうか。
二度ほど帰国したことはあっても、ほとんどトンボ帰り。家族に会ったのも、その内の一度きりだ。
日本語が飛び交う中、本当に帰ってきたんだと、僅かばかりの懐かしさを噛み締めながら到着ロビーを潜ると、
「牧野!」
そこには、美作さんが待っていた。
「無事に着いて良かった。良く帰ってきてくれたな、牧野!」
「わざわざ来てくれたの? 美作さんだって忙しい身なのに」
「俺が来たかったんだよ。おまえを日本に呼び戻したのは俺だし、ダチが久々に帰国するってのに、迎えに来ないでどうすんだよ。このために前もってスケジュール調整してあるから心配すんな。マンションも案内してやりたかったしな」
帰国するにあたって、私が必要な住居は美作さんが手配をしてくれていた。直ぐにでも住めるようにと、家財まで全て揃えて。
それだけでも有り難いのに、忙しい身である美作さんが自ら出迎えくれるとは思わなかった。
不義理をしてきたというのに、こうして気にかけてくれる美作さんの優しさが、私なんかには勿体ない。
「ありがとう、美作さん」
「兄としては色々と心配だからな。好きでやってんだから気にするな」
「変わらないわね、美作さんは」
「おいおい、更に磨きがかかって益々良い男になってんだろ?」
「ええ、そうね」
「⋯⋯頼む。同意するならせめて感情を込めてくれ。
それより牧野。おまえが帰国することは、こっちの連中にも伝えてある。本当は、今日の迎えにも来たいって騒いでたんだが、いきなりじゃ牧野も戸惑うだろ? 今日のところは遠慮して貰った」
良かった。それが率直な感想だった。
いずれ会うのは避けられないにせよ、帰国早々では、流石に気疲れしてしまう。
「みんなも変わってないぞ。牧野のことも心配してるし、今も昔も変わらずダチだと思っている。だから、気持ちの整理がついてからでいい。一度、みんなに会ってやれ」
「⋯⋯分かった。でも、もう少しだけ時間が欲しい」
「勿論だ。こっちは待つのは慣れっこだしな。よし、車待たせてあるから行くぞ」
温和な笑みを表情に乗せたまま、美作さんは私の手からキャリーケースを奪い、前を歩き出す。
本当に美作さんは変わらない。
双子の妹さんがいるせいか、本人が言うように兄らしく、気遣いに長けた優しい人だ。
NYでは、こんな風に人の優しさに触れることもなく、誰にも頼らず走り続けてきた。
誰も必要なかった。自分の決意を維持し続けるためにも。
だから尻込みしてしまう。皆に会って自分のペースを崩されたくないと。
帰国し美作商事で働く以上は、会わないわけにはいかなくなるだろうけど、せめて、こっちでの生活リズムが掴めるまで、もう少しだけ猶予が欲しかった。
空港から向かった先のマンションは、築浅の5階建て、美作商事まで一駅で行けるという立地の良さだった。
オートロック完備で管理人も常駐。
中に入れば、10畳以上あるリビングと8畳の部屋の1LDKで、一人暮らしには充分な広さだ。
都心でこの条件なら家賃もそれなりのはずなのに、このマンション丸ごと一棟が美作さん個人の持ち物らしく、私の負担額は驚くほどに低い。
年俸制で提示された額も充分なのに、家賃まで甘えたくはない。
ちゃんと家賃を支払わせて欲しいと主張する私と、ヘッドハンティングして来てもらったんだから、これぐらいは当然だ、と全く譲らない美作さん。
押し問答は、先に送っておいた荷を解き部屋を整理していく間も続いたが、最終的には私が折れた。
そうしている間に日も暮れ、生活するのに不自由しない程度に部屋も片付く。
後は徐々に揃えていけばいい。
事前にネット環境も整えてくれてあるから、これから直ぐにでも仕事の準備の時間に充てられる。
「美作さん会社は? 戻らなくても?」
「そう追い出そうとすんな。今日は、戻んなくても大丈夫なんだよ。牧野も予定はないだろ?」
「プロジェクトに入る前の下準備をするつもり」
「はぁ?」驚きの声を上げた美作さんが、目を剥く。
「まさかおまえ、早速仕事する気じゃ⋯⋯」
そうだけど、と答えるより早く、
「駄目だ、今日は仕事はなしだ! これから嫌でも忙しくなるんだから、帰国した日くらい仕事は忘れてくれ。今夜は、一緒に食事するつもりで店も予約してある」
人の都合も聞かずに既に店を予約してあるとは⋯⋯。
「っ⋯⋯、そ、そんな冷たい目で見るなって。とにかく、今夜は帰国祝いだ。予約もしてあるし腹も空いたから、そろそろ行くぞ!」
焦ったように身を引き気味にした美作さんに押し切られ、仕事の準備に未練を残しながらも、夜の街へと連れ出された。

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