手を伸ばせば⋯⋯ 13
ホテルにいても落ち着かずにいた俺は、約束の時間よりかなり早く、待ち合わせ場所である店に来ていた。こっちで美味いと評判の日本料理店だ。
日本酒もなかなかの名柄を揃えていて、昼間からではあるが、待ち人が来るまで一杯引っ掛けながら、その時を待つ。
昨夜の内に牧野に連絡を入れ、店の場所も詳しく伝えたし、約束は守れと念を押しもした。流石に牧野のヤツも逃走はしないだろう。
後は牧野と会って、俺の勘が正しいかどうかを探りつつ、当たりであれば実行に移すまで。
こうしてやるべきことを無意識に確認している俺は、どこか緊張しているのか。
少し落ち着こうと、酒を舐めるように飲む。
それにしても⋯⋯と、牧野の経歴に改めて思う。恐るべき頭脳だと。
牧野は、ケンブリッジにある大学の一つに通っていた。
その大学は別の学部の方が有名だが、ビジネスを学ぶ上でも最高峰と呼べる大学だ。
そこをあろうことか、一年スキップして卒業している優秀さ。
今の勤め先でもある、NYに本社を置く大企業で一年間インターシップで働き、翌年から正式に就職して今に至っている。仕事での実績もかなりのものだ。
血が滲む思いで努力を重ねてきたんだろう。でなきゃ、こんな結果は残せない。
それにしても、牧野が世界でも上位の大学に通っていたとは⋯⋯。
優紀ちゃんも、どこの大学に留学するのかまでは知らされておらず、また、俺たちも調べはしなかった。類に止められたからだ。
正確には、類だけが牧野の行方を確かめ、そして判断した。『そっとしておこう』と。
牧野の居場所を突き止め駆けつけた所で、無力な俺たちに出来ることはなかったろうし、己の無力さを呪うなら、他の比ではなかったはずの類が決めたことだ。
牧野を誰よりも理解している類が言うならばと、俺たちは異を唱えはしなかった。
今でも類は、牧野の様子を調べさせていて、時折『牧野は元気にしてるみたいだよ』と、伝えてくることもある。
類は類なりの考えがあるのだろうが、もう十年近くも待った。
大都会で会えたのも運命だ。誰に何と言われようと、今度こそ俺は動く!
そう決意を新たにした時、店員に案内された牧野が、この個室に入って来た。
「お待たせしてごめんなさい」
「いや、俺が早く来すぎたんだ。先にやらせてもらってる」
ワイングラスを掲げて見せる。
「牧野もどうだ? ワイングラスだが中身は日本酒だ。日本酒飲めるか?」
「えぇ」
「だったら飲んでみろ。ワインに似た口当たりで、結構美味いぞ」
この酒は、お猪口で飲むよりワイングラスが断然似合う。女性にもお薦めの酒だ。
向かいに座った牧野に酒を注いでやり、自分のものにも注ぎ足して、再びグラスを掲げた。
「先ずは再会を祝して、乾杯」
応えるように目の高さにグラスを持ち上げた牧野は、それから一口飲んで「美味しい」と静かに言った。
「だろ? ここは酒も良いのを揃えてるし、料理も日本の店に負けてない。今日は何でも好きなもの頼んでくれ」
メニューを差し出してみたが、
「このお酒に合うものを選びたいけど、美作さんに任せた方が間違いないわ。お願いしても?」
牧野は任せ方もスマートに返してきた。
そんな些細なところに、隔たれた年月の長さを痛感する。
牧野に任された俺は、リクエスト通り料理を注文し、やがて運ばれてきたそれらの数々も、やはり牧野は上品に口へ運んだ。
料理を前にすれば大きな瞳を輝かせ、幸せそうに頬張っていた昔が懐かしい。
それなりの年齢を重ねれば、振る舞いも綺麗になるものかもしれないが、もの寂しさを感じてしまうのは、その過程を見られる距離にいられなかったせいか。
暫くは食事と他愛のない会話で繋ぎ、そろそろ食事も半ばになった頃。さてどうやって話を持ってくか、と頭で計算をたてていると、意外にも牧野の方から口火を切った。
「美作さん、私に色々と訊きたいことがあるんでしょ?」
何を訊かれるのは覚悟の上ってことか。ならば、ズバリと行こう。
俺は苦笑してから切り出した。
「牧野、先に謝っとく。少しおまえのこと調べさせてもらった」
「昨日の今日で調べるなんて流石ね、と言うべき?」
嫌味かもしれないが、あくまで牧野の声音に感情の起伏はない。
「大掛かりには調べてないからな。出身大学や勤務先、仕事の実績、そんなところだ。異性関係は調べてないから安心してくれ」
最期は冗談っぽく言ったが、やはり牧野は表情一つ乱さなかった。
調べたことに対して怒りもせず、なぜ調べたのかと興味も示さず、淡白に「そう」と答えるのみ。
俺は、自分の勘が正しいのか確かめるために探りを入れる。
「しかし、凄ぇな! おまえの経歴見て俺は腰抜かしそうになったぞ? ここまで来るのには、相当努力しなきゃ無理だ。モチベーション維持するのも大変なのに、何か秘訣でもあったのか?」
「自分が生きてくために必要だと思ったから、それだけ」
「将来稼ぐために?」
「いえ、自分に自信と力をつけるために」
「そうか。良く頑張ったな」
ここで直接的な切り口に変えた。
「もう一つだけ訊かせてくれ。牧野、司のことどう思ってる?」
牧野は、人形のように乏しい表情のまま答えた。
「評判通り、仕事が出来る男で遊び人。それ以外に思うところはないわ」
「なるほど」
「もし美作さんが、過去を前提にして話してるのだとしたら、それは余りにも昔の話よ。昔話過ぎて感傷的にもならない。もう私には関係ないし必要もない人」
ポーカーフェイスの牧野と話してると、ここは腹の探り合いをするビジネスの場か、と錯覚しそうになる。
俺は酒で舌を湿らせてから、先を続けた。
「牧野、司は未だに記憶を取り戻してない。だが、そんな司と会っても、昔みたいに傷ついたりもしないってことだな?」
「言った通りよ。会ったところで、必要ないものに何をされても、何を言われても、傷もつかなければ感情を動かす方が難しいわね」
必要ないもの、か。
あくまでも司を、そういう位置付けにするんだな。
「なら、牧野にとっての今一番必要なものって何だ?」
「キャリア」
よっしゃ、釣れた!
俺は腹の中で雄叫びを上げた。
牧野の即答から、俺の勘は間違ってないと証明されたからだ。
これで、牧野を日本へ連れ帰る突破口が開けた。
俺は襟を正した。
「牧野。ここからは、ダチとしてじゃない。美作商事の副社長の言葉として聞いてもらいたい。牧野の学力、実力、実績。全てに於いて我社にとって欲しい人材だ。牧野つくしをヘッドハンティングしたい」
「⋯⋯⋯⋯」
「美作商事が来年から関わるプロジェクトに参加し、牧野の能力を貸して貰いたい。このプロジェクトは美作だけじゃない。道明寺、それから大河原も絡んでくる共同プロジェクトになる。これが成功すれば、お前にとってもキャリアアップに繋がるはずだ。どうだ牧野。一緒にやってみないか?」
報酬や待遇が記された書類を、牧野へと差し出す。
牧野にとって悪い話じゃないはずだ。
司のことを気にしなければ⋯⋯、いや、気にすればこそ、か。
昨夜、直感した一つの可能性。
それは、もしかして牧野は、NYの地に拘っているんじゃないか、というものだ。
だとしたらそれは、司がいるから。そう考えるのは安直か、と思いながらも、しかし試してみる価値はある。
だから昨夜から決めていた。牧野をヘッドハンティングしようと。
何故なら牧野は、これまでにも数社からのヘッドハンティングを受けながらも、全てを断っている。
今より条件が良いにも関わらず、牧野が切望する『キャリア』だって間違いなくアップする、それなのにだ。
どうして牧野は蹴ったのか。考えて共通項を見つけた。
誘って来た企業のどれもが、勤務先がNYじゃなかった、と。
キャリアを望むのに、そのステップアップを断りNYに居続ける理由。俺が思い当たるのは一つしかない。
ならば、俺が持ちかけた話は牧野の興味をひく。場所など関係なく、プロジェクトに司が関わる、その一点のみの理由で。
だから、ヘッドハンティングに賭けてみようと思った。
それがなくても牧野は、美作商事にとって喉から手が出るほど欲しい逸材だ。
それよりも何よりも、牧野を連れて帰りたい。仲間が待つ日本へ。
そして、牧野が司に拘っているのなら、とことん関わらせてしまえばいい。
牧野が変わった原因が司ならば、時間が経過した今だからこそ、関わることで何らかの変化が生まれるんじゃないか。そういう期待もある。
それが良いのか悪いのかは分からない。
でも、長い年月が経っても牧野の感情は消えたままなんだ。だったら、何もしないよりはマシだ。牧野にとっても、司にとっても。
「光栄です。美作商事にお声を掛け頂けて。ですが少し時間を下さい」
思案していたのだろう。暫しの沈黙を経て、牧野が口を開いた。
「勿論だ。良い返事を期待してるから、前向きに検討してくれ」
牧野はこの誘いを絶対に受ける。俺の狙い通りに。
司も携わるこのプロジェクトに参加するために、きっと日本に帰って来てくれるはずだ。
キャリアアップ、という仮初の理由を引っさげて。
それから少しだけ歓談し、一週間以内に返答すると約束してくれた牧野と別れた俺は、牧野が一日も早く日本に帰ってくるのを願いながら、NYの地を後にした。

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