手を伸ばせば⋯⋯ 11
【第2章】
「しかし流石だな、つくし。これでお前の評価もまた一つ上がったわけだ」
今日、大きなプロジェクトが成功し、無事に終了を迎えた。
今日に至るまで、自分は着実に力をつけている、そう実感している。
それもこれも、何事にも気持ちを惑わされず、仕事のみに邁進してきた結果だ。
当然、プライベートを楽しむことはない。楽しみたいとも思わない。
ただ、気持ちの昂りが収まらない時や、心が波立つ時。割りきった相手と今みたいにベッドを共にする。
それが悪いことだとは思わない。
熱の引いた身体に寄り添うのは、同期入社で一つ歳上の男、佐々木直哉。
そこには愛情の欠片もない。
愛だの恋だの、そんなものは一時のまやかし。愚かなものに振り回されるなんて馬鹿げてる。時間の無駄でしかない。
男にとっての都合の良い女じゃなく、女にとっても都合の良い男。
割り切った関係は煩わしさがなく、気楽で良い。
「けど、つくしさ。おまえ結婚とか考えたりしないわけ?」
「結婚?」
蔑むように「ふっ」と笑い、答える。
「足枷にしかならない、紙切れ一枚の契約のことを言ってるの?」
「足枷って、おまえね」
直哉が苦笑する。
「俺が言うのも何だけど、男とずっとこんな関係だけでいいのか? つくしも今年で28だろ。おまえは、綺麗だし頭だってキレる。社内でつくしを狙ってる奴だってかなりいるくらいだ。生憎と愛想だけは決定的に足りないが、つくしさえその気になれば、結婚して幸せになれる道だってあるのに、勿体ないっていうかな」
大きなお世話、と唇の裏側で反発する。
「だったら、私達の関係も解消する?」
「いや、待てって。俺は確認しただけだ。まぁ、おまえがどうしても解消したいって言うなら従うけどさ。
けど、結婚する気もなく男と真面目に付き合う気もないなら、まだ俺にしとけよ。ろくでもないのに引っ掛かったりでもしたら面倒だろ? 例えば、あの道明寺の御曹司とか。あんなのに捕まってみろ。最悪だ」
不意打ちに持ち出された人物に、咄嗟に声を作り出せない。
「金も地位もあって、あのルックス。女がわんさか寄ってくるだろうし選り取り見取りなんだろうけど、それにしても遊びすぎだろ。女の扱いも酷いって話だ。道明寺のジュニアさんに捕まっちゃ、ボロ雑巾のように捨てられるのがオチだな。プライドもズタズタにされる」
知ってる。あの男の評判なら。
TVで取り上げられるのは珍しくないし、雑誌にも頻繁に記事が載る。
噂だって人から人へと渡り歩き、
だからと言って、今のこの時に話題に上るとは思いもしなかった。
胸がモヤモヤする。
ベッドから上半身を起こし直哉のシャツを羽織ると、バッグから加熱式のタバコを取り出した。
「どうした? 黙って」
「⋯⋯別に。ただ、男から見た道明寺司って、どうなのかなって。そう思っただけ」
「うーん、そうだな。率直に言って、あれだけ完璧っていうのは凄いと思うよ。冷酷な人間らしいけど、今日も海外企業と大きな契約結んだようだし、仕事は間違いなく出来る。同じ世界にいれば、嫌でも出来る男の評判は耳に入ってくるからな。
俺と同い年で家柄も良くて金もある。挙句にあのルックスで女にモテモテ。男なら誰でも羨ましいって思うんじゃないのか?
欠点があんなら、是非とも教えてもらいたいもんだよ」
中身は欠点だらけよ。
言えない言葉の代わりに、白い煙を吐き出した。
確かに、あの男は仕事が出来る。
TVや雑誌で取り上げられるのは、何もゴシップばかりじゃない。寧ろ、あの男を称賛するものの方が多い。
その多くを目にするたび、耳にするたびに、私は自らを奮い立たせここまでやってきた。
あの男の栄光を、エネルギーに変えバネにして。
この日、初めて私は直哉の部屋に泊まった。
男と朝を迎えるなんて真っ平だ。いつだってそう思ってきたけど、どうしてだか気持ちがざらつき、帰る気にはなれなかった。
迎えた土曜の朝は、たまには何処かに行こう、と直哉に誘われたが、用事があると嘘を吐き、午前中には部屋を出てきた。
明るい内から男と二人で過ごすなんてあり得ない。泊まるという異例なことをしたばかりだ。早速、後悔している。
そんな後悔を打ち消したくて、直哉の部屋を出たその足で、気晴らしに街を散策中だ。
道端に出ているベンダーでコーヒーを買い、啜りながら当てもなく歩く。
忙しなく時間を消費するのが常で、休日でさえ、こうしてゆったりとした時間を過ごすのは久しぶりのことだった。
ショーウィンドウを覗いたり、フリーペーパーを手にしてみたり。
帰りは、あそこのベーグルを買って帰ろう。そんなことを考えながら、ふと足を止める。
名前を呼ばれた気がしたからだ。
それも、日本人のイントネーションで。
行き交う人々の合間で立ち止まり、辺りを見回す。
「牧野!」今度こそ確かな声を拾い、数メートル先に居る懐かしい人を捉えた。
「やっぱり! やっぱり牧野だ!」
相手が一気に距離を詰めて来る。
「⋯⋯美作さん」
余りに突然の出現で、萎縮した声しか出ない。
「おまえ元気だったかよっ! 牧野かどうか確信持てなくて、でも良かった。思いきって声掛けみて! 全くおまえは連絡もせずに⋯⋯⋯⋯牧野、元気にしてたのか?」
美作さんの昂ぶったていた声音が、気づかわしげなものに変わる。
心配してくれていたのだろう。相変わらず優しい人だ。
「ご無沙汰してます。お陰様でこの通り元気よ」
「なら良いんだ。それにしてもおまえ、凄ぇ綺麗になったな。一瞬違う奴かと思ったぞ! だいたい何年振りだよ、10年近くになるか?」
「そうね⋯⋯。その間、連絡もせずに、ごめんなさい。美作さんも元気だった?」
「ああ。他の奴らも元気にやってる。類は今、フランス勤務だけどな。牧野は? もしかしてこっちに住んでんのか?」
「⋯⋯ええ」
「そうか、おまえNYに居たのか」
声量を落として呟くように言った美作さんは、「もしかして、こっちで司と会ってるのか?」遠慮気味に訊いて来た。
またあの男の名か。
うんざりして重い溜息を吐きたくなるが、我慢して呑み込む。
「会ったことない」
「⋯⋯そうか。
そんなことよりだ、牧野! こうして久々に会えたんだ。食事でもしようぜ! って言ってもだな、これから仕事の打ち合わせが入ってるから、明日の日曜、ランチに付き合え!」
「忙しいのは知ってるから、無理しないで」
高級なスーツを嫌味なく着こなしている美作さんは、今や美作商事の副社長だ。
F4の活躍は、様々なメディアが取り上げているから、状況くらいは把握している。
「今回はそんなハードスケジュールでもねぇんだよ。仕事の打ち合わせがあるんだ⋯⋯司と。それがメインだから、他はそんな詰め込んでない。明日の夕方には帰国するが、昼は余裕で時間作れるから心配すんな。なぁ、いいだろ?」
「⋯⋯⋯⋯」
本音を言えば行きたくない。気が重い。
だけど、あの当時の私は気持ちにゆとりがなくて、みんなに不義理をしたのも確かだ。
そのせいで、心配をかけたのも事実だろう。
いつまでも避け続けるのは、いい加減大人気ない気がした。
皆に押しかけられるのは勘弁だが、美作さん一人くらいなら⋯⋯。
「分かったわ。明日ね」
「よし決まりだ! じゃあ、おまえの連絡先教えろ。俺はな、『現在使われてません』って繰り返す、使えないおまえの番号しか知らないんだよ」
スマホを出してせっつく美作さんに番号を伝え、私のスマホがワンコール鳴る。
「ちゃんと俺の番号登録しとけよ。場所が決まったら連絡するから、逃げるなよ? これは、約10年も兄である俺に心配かけた罰だ。守れよ?」
「⋯⋯私に兄はいないけど、約束は守るわよ」
「それでいい。じゃあ、また明日な!」
爽やかな笑顔を残し、美作さんは立ち去って行った。
まさか、こんな所で美作さんと会うなんて⋯⋯。
同じ地に住むあの男とは、一度だって会ったことはないのに。
思いがけない再会に思考は埋め尽くされ、ベーグルを買い忘れたのに気付いたのは、自宅に帰り着きシャワーを浴びた後だった。

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