手を伸ばせば⋯⋯ 9
携帯は未納なのか繋がらない。
教室にもいない。
非常階段にも姿はなかった。
下駄箱に靴があるのは確認済みだから校内にいるのは間違いないのに、何故か牧野が捕まらない!
となると、『美作さん、牧野さんなら、最近よく図書室に行ってるみたいですよ』と言っていた、牧野のクラスメイトの情報が正しかったか。
俺は、別棟にある図書室を目指し、
『だいたいが司の奴、何で今日まで黙っていやがったっ!』
内心で不満を爆発させながら、廊下を猛スピードで走り抜け、階段を一気に駆け上った。
司のNY行きを知ったのは、卒業を明日に控えた今日になってからだ。
司から訊いて直ぐ、『牧野は知ってるのか?』と思わず口にした俺に、司は言った。
『言う必要なんてねぇだろ。あの女から別れるって言って来たし、俺にはもう関係ねぇ』
それだけ言うと、司はさっさと帰宅してしまった。
司は卒業した足で、そのままNYへ向かうという。
だとすれば、牧野が司とじっくり話せるチャンスは今日しかない。明日じゃ時間がどれだけ取れるか分からない。
だからこうして俺は、牧野を捕まえるべく学園中を走り回っている。
ある日突然、変わってしまった牧野。
その変わりようを心配し、総二郎と二人、何度か声を掛けたが、いつだって言葉短く薄い反応で、俺たちへの拒絶は、輝きを失くした暗い瞳が物語っていた。
それでも諦めずに、せめて挨拶だけでもと声がけはしてきたが、牧野の反応は相変わらずだ。
どうして、こんな風になってしまったのか。
司曰く、牧野から別れを告げられたらしいが、別れる結果に至ったのが堪えたのだろうか。
付き合うまでにだって散々苦労したのに、司が刺されるというショッキングな事件を目の当たりにしたんだ。挙げ句、記憶を失くした司に忘れられたのだから、激動な日々に精神が消耗し、心が壊れてしまった可能性もある。
だが、本当のところは分からない。
あまり姿を見せない司とはろくに話せねぇし、牧野が何も語らないために。
司が要因であることは疑いようもないだろうが、その司と話もせず離れ離れになってしまうのは、牧野にとって良いことだとは思えなかった。
別れを告げたのが牧野だとしてもだ。こんな様変わりするほどの状態だ。このままにはしておけない。
不満でも怒りでも、言いたいことがあるなら言うべきだ。
総二郎も同じ気持ちで、でも俺たちへの拒絶具合からすれば、牧野の元へ二人で押しかけるよりは、一人が説得にあたった方が少しは牧野のストレスも減るだろう。そう考えて、俺がその役を引き受けた。
果たして、辿り着いた図書室に牧野はいた。
利用している生徒は然程多くはない中、隅っこにある机に向かって座っている。
呼びかけるわけにはいかない。場所が場所だ。
図書室ではお静かに!が基本だってことくらい、常識人の俺は知っている。
開いた参考書を横に置き、ノートにペンを走らせている牧野に静かに近付き、そっと隣の椅子に腰を下ろす。
ちらっと俺を見ただけで何も言わない牧野は、視線を元にあったノートへと戻した。
「司が明日、NYへ行く」
声を潜めて告げれば、牧野の手が止まる。
「⋯⋯⋯⋯そう。NYに」
「向こうに行ったら、当分帰って来ないと思う」
牧野は再びペンを走らせた。
「牧野、司と話してみないか? 俺が段取りつける。思ってること何でもいい。怒りでも不満でも、何でもぶつけりゃいい」
「必要ない」
「牧野⋯⋯」
俺は声にボリュームも持たせないよう気遣いながら、訴えるように続けた。
「もう会えなくなる可能性だってあんだぞ? このままでいいのかよ。どういう結果になるにせよ、きちんと二人で話せ。今のおまえを見ていると、このままで良いとは俺には思えない。内に抱えたままじゃ、おまえが潰れるだけだ」
「⋯⋯⋯⋯」
「それとも、司と顔を合わせたくない理由が別にあんのか?⋯⋯⋯⋯司と何があった、牧野」
牧野はペンを置き、参考書をパタンと閉じると、感情が全く滲み出ない顔で俺を見た。
「何もない。だから話すこともない」
それっきり口を閉ざしてしまった牧野は、机の上を片付け始め、俺が何度話しかけようが反応せず、無言を貫き図書室を出て行った。
「あきら!」
落ち合う約束をしていたラウンジに姿を見せれば、心配でずっと待っていただろう総二郎が手を上げた。
いつものF4の席に向かい、総二郎の正面に乱暴に座る。
「牧野、どうだったよ」
疲れを隠す気にもならず、ぐったりと首を左右に振った。
「そっか。駄目だったか」
「相変わらず無表情だし、全く聞く耳持たずだ」
総二郎が嘆息してから、言う。
「類にも何も言わねぇんだろ? 牧野のヤツ」
「みたいだな。声掛けても俺らに対しての反応と同じ。非常階段で待ってても来ないから、避けられてるじゃないかって言ってた。類も内心じゃ落ち込んでるかもしんねぇな」
牧野にとって類は、司とはまた別の形で信頼を置き、特別な存在であったはずだ。
だが、その類にも牧野は何も言わないらしい。
「類でもダメなら、俺たちに出来ることって何があるよ」
総二郎も今の牧野を見てらんないんだろう。
俺たちにとっても、牧野は他の女たちとは違う別格な存在だ。
一度は、自分が牧野に惚れてるかと思ったこともあるが、今は違う。兄の心境だ。
牧野が心から想うのは司だけだし、二人の間に入り込む余地はない。
今だって切れない絆で繋がっているはずだと、こんな状況になっても信じている。
いつだって二人には困難ばかりが降りかかり、それに立ち向かう二人を応援したくなったし、牧野に対しては、何かあるたび妹を心配する心境で、無条件で手を貸してやりたくなった。
だが今回ばかりは⋯⋯。
「総二郎。今の俺たちに出来ることは何もないのかもしんねぇな。牧野は完全に殻に閉じこもってるし、時間が必要なのかもしれない。
司さえ記憶を取り戻してくれたらなぁ⋯⋯」
「何であれだけ惚れてた女を忘れるかねぇ」
総二郎が天を仰いだ。
全くだ。よりによって、何よりも大切な女だけを忘れるだなんて、何の罰だよ。
嘆く以外に何も出来ない俺たちは、どこまでも無力だった。
❃
あいつらにNY行きを教えたのは、今日になってからだ。
ごちゃごちゃ言われるのが嫌で、ギリギリまで言わずにきた。
だが、前触れもなく邸まで来て、ごちゃごちゃ言ってくる奴がいた。類だ。
「司、本当にNY行くの?」
いつもと変わらずの類は、部屋に入ってくるなり、座りもせずに本題を切り出してくる。
煩わしさをアピールするように、明後日の方向を見ながら気怠気に言う。
「あぁ。いつかは行かなきゃなんねぇからな」
「牧野はどうするつもり」
「どうするも何も俺には関係ねぇ。だいたいおまえら、牧野牧野って煩ぇんだよ」
「牧野、笑わなくなったよ。いいの? このままで」
⋯⋯言われなくても知ってる。笑わねぇのは。
「俺とあの女は付き合ってたらしいけど、もう別れた。今更おまえらに、ごちゃごちゃ言われる筋合いはねぇな」
「本当にこれでいいんだね?」
「しつけぇ」
「俺、断言してもいいよ。司はきっと、後悔する時がくる。でも、後悔した時にはすでに遅い。俺は、もう司に遠慮なんてしないから」
手遅れだ、何もかも。もう遅い。
「俺に遠慮って何がだ」
「俺は牧野が好きだよ。これからは俺が牧野を守る。司はもう関係ないんでしょ? だったら、もう牧野には関わらないでよ。これ以上あいつを傷つけるなら、俺が許さない」
ソファーに座る俺を見下ろすように立つ類と、初めて目を合わせた。
「邪魔しねぇから安心しろ。俺は明日からNYだ。関わるどころか二度と会うことはねぇよ」
「その言葉、忘れないでね」
言うだけ言った類は、「明日、見送りには行くから」と最後に付け足し、帰って行った。
牧野を抱きしめてたくらいだ。類も本気なんだろう。
俺が居なけりゃ、全て丸く収まるってわけか。
けど、今なら思える。それがきっと正しいと。
腐りきった俺なんかに、下手に執着を持たれ付き纏われても不幸なだけだ。
牧野の傍には、類みたいな男が相応しい。こんな人でなしより。
自嘲めいた笑みが洩れる。
俺の人生だけが、これから先も真っ暗闇か。それも自業自得だ。
この日本に何もかも置き去りにして行けばいい。感情も思い出も全て捨て、真っ暗な運命を生きる。それが俺には似合ってる。
翌日。俺は日本を離れた。
見送りに来た奴らの中に、当然、牧野の姿はなかった。

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