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手を伸ばせば⋯⋯ 8



ソファーに移り、強めの酒を呷る。
アルコールで喉をチリチリと焼きつけさせながら、必死で気持ちを落ち着かせた。

チラリと視線を向けたベッドでは、女がまだ沈んだまま。シーツに包まれた体は身動き一つしない。
決まりの悪さに視線を外した俺は、もう一度酒を流し込んだ。

許せなかった。どうしても牧野が。
滅茶苦茶にしてやりてぇ。そんな凶暴な衝動が湧き上がり、しかし危険な感情に隠れた本音は、他の男に取られたくねぇ、俺だけの女でいろ、って思いで。
多分それは、初めて知る『執着』だった。

間近で牧野の泣き顔を見りゃ胸が痛ぇのに、一方で、牧野に触れれば、静謐な夜道から陽だまりへと連れ出されたような、牧野の温もりが、ぽっかりと空いた穴を塞いでくれる気がした。

酷い行為に及びながらも得てしまう安らぎ。その安らぎで確信を得た。
牧野は、俺の失くした記憶に関わるどころか、欲していた記憶そのもので、記憶を失う前の俺が、大切に想っていた女なのだろう、と。
だから俺は、躍起になって記憶を取り戻そうとしたに違いねぇ。
記憶がなくても何ら日常には支障ねぇのに、いつまでも拘って、思い出せないことに苛立ちを募らせる日々。それこそ執着と呼べるもので、失くした記憶はそれだけ大切なものだと、本能が訴えていたからに違いなかった。

だとして、どうして俺は牧野を忘れちまったんだ。
記憶がなくても執着をみせるくらいだ。それ以前も相当な想いを抱いていたはずだ。
なのに、何故そんな大事な女を⋯⋯。

そこで思考を止める。
牧野を忘れた理由を探ったところで、もう意味がねぇ。
最早、記憶からだけじゃなく、俺は今度こそ、本当の意味で牧野を失った。─────たった今、自らの凶行で。

決して性欲を満たしたかったわけじゃない。ただ欲しかった。欲しかったそれは、体じゃなく牧野の心だ。
だが今更だ。どのツラ下げてそんなことが言える。言えるはずがねぇ。
何かを言ったところで、どれもこれも今しがたの行為の前では信憑性は霧散する。
それだけのことを俺はした。決して取り返しのつかない過ちを。
こんなことを仕出かした俺は、牧野に対して想いを持つ資格なんてない。
悪魔のような所業を犯した男など、赦さなくていい。

俺は、自分の気持ちを悟られないよう想いを封印し、敢えて冷たく接した。

「いつまでそうしてる気だ。動けねぇほど良かったかよ。それともまだ抱かれ足りねぇのか?」

冷酷な言葉に返ってくるものはない。
ゆっくりと動き出した牧野は、シーツを体に巻きつけたまま散らばった衣服を掻き集め、俺は目を逸らした。

やがてベッドから降りた牧野が、突っ立ったまま俺を見ているのを気配で察する。

「⋯⋯⋯⋯もう分かったから」

分かった、って何がだ。そう思いながら、視線を上げ牧野を見た瞬間、自責に圧迫され胸が潰れそうになる。呼吸さえままならない。

視界に映りこむのは、血の気を失くした青白い顔。泣いたせいで赤くなった瞼の縁。
強い意志を宿していたいつもの瞳は消え、虚ろな目がそこにはあった。
まるで無機質なガラス玉みたいに。

「もう二度と、ここには来ない。
⋯⋯⋯⋯さよなら⋯⋯、道明寺」

温度のない細く真っ平らな声だった。
頼りない足取りがドアへと向かい、小さな背中を呼び止めてしまいそうになる。

行くな、牧野!

だが、溢れ出そうになる声は、乱暴に酒を飲み無理やり流し込んだ。

牧野がドアの向こうへと消え、空になったグラスを壁に叩きつける。

何をやってんだ、俺は。

こんな男、刺された時にでも死んでりゃ良かった。生きてる価値もねぇ。

「最低だな」

呟いたきり、俺は動けなくなった。
組んだ手に額を押し当て何時間も固まったままで。気付いた時には、もう明け方近く。長いこと組んでいたせいで強張った手をぎごちなく動かし、俺はスマホに手を伸ばした。



あれから何度か英徳で牧野を見た。牧野の視界に決して入らないよう、身を潜めて。
うっかり一度だけすれ違ったことがあるが、互いに目を向けずに通り過ぎただけ。
盗み見る牧野の瞳には、あの日と同じガラス玉が嵌り、かつてコロコロと変わった表情は、能面のようにいつだって静止している。

笑顔が消え変わり果てた牧野の姿に、心配した総二郎やあきらが何度となく話しかけているようだが、牧野の反応は薄く、会話を拒絶してるようだと訊く。

俺は俺で、あきら達にとやかく言われるのが嫌で、牧野を遠くから確認すれば、あとは校内には長く留まらず、直ぐに邸に帰る日々。
そんな日々を繰り返し、牧野らしさが戻る気配もないまま、俺たちの卒業は目前に迫っていた。
俺は、卒業と同時にNYへ発つ。

あの晩、明け方近くに電話した相手はババァだ。
NYを行きを告げれば、突然のことに少しばかり驚いたようだが、そこは流石の切り替えで、

『まだ記憶が戻らないのなら、いつまでも日本にいても時間の無駄でしょう。こちらで学業と仕事に励みなさい』

あっさりと決まった渡米。
いずれはNYへ呼び寄せるつもりでいたババァからしてみれば、手間が省けたとでも思ってんだろう。

俺が日本にいる意味などねぇ。
牧野の近くに俺の存在があってはならねぇ。
反面、分かってる。
結局のところ俺は、どんなに欲しても二度と手に入れられないものから逃げようとしてるんだと。
あの笑わなくなった表情、虚ろな目。
付き合っていただろう大切な恋人から逃げるように、俺はNYへ行く。生まれた時から運命づけられた場所へ。

私利私欲にまみれた魑魅魍魎が蔓延る世界。相応しい場所だ。悪魔のような所業をする俺には。
いっそ、そんな世界に呑み込まれ、本物の悪魔にでもなるか。
どうせ逆らえやしない運命なら、何もかもを諦め、身を預けてしまえばいい。


脳裏に浮かぶ一人の少女。
残像を遮断するように、俺は瞼を堅く閉じた。

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  • Posted by 葉月
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