手を伸ばせば⋯⋯ 7
全てが今日で終わる。
大丈夫、きっと大丈夫。ちゃんと終わらせられる。
そうやって震えそうになる気持ちを引き締めながら、バイトが終ったあたしは今、道明寺邸へと続く通い慣れた道を歩いている。
ここを歩くのも、今日が最後になるかもしれない。
思えば、そもそもが釣り合いの取れていない二人だった。
片や、世界に名を馳せる大企業の御曹司で、片や、超がつくほどの貧乏庶民。
知り合えだけでも幸運で、一時だけでも、道明寺に想われたこと自体が奇跡だったのかもしれない。
その奇跡も間もなく終わりを迎える。
最後の我儘として、別れはあたしから切り出させてもらうつもりでいる。
流石に道明寺から言われてしまうのは、メンタル的にきつい。
『──遊びだったんじゃねぇの?』あの台詞が、思いの外尾を引いている。
あの時以上の言葉を投げつけられ、忘れられた上に別れ話を告げられては、捨てられたも同じだ。自分の心を保てる自信がない。
出来るなら、これ以上の傷は負いたくないのが本音で、それほどまでに、自分の精神面がギリギリだと自覚している。
だから、あたしの意思で、あたしが納得して決めたこととして、自らピリオドを打ちたかった。
とうとう道明寺邸に辿り着いてしまい、東の角部屋へと向かう。
ドアの前で気持ちを整えてからノックをすれば、「入れ」道明寺の声が内側から届く。
ドアを開け、足を踏み入れた部屋の中、ソファーに座る道明寺がいた。
道明寺の正面に立ち、声をかける。
「遅くなってごめんね」
無表情のまま、道明寺は何も言わない。
無音に包まれ、道明寺が何も発しないうちに別れを切り出しても良いものなのかと、悩んでしまう。
じーっと射抜くように見られて、身だって縮めたくなる。
いよいよ沈黙に堪えられず、話を切り出そうとしたとき、
「おまえに訊きたいことがある」
道明寺が重たい口を開き、固唾を飲んだ。
「おまえは総二郎が好きなのか?」
「へ?」
突拍子もない問いかけに、間抜けな声が漏れて、道明寺の訊きたいことって、これなの? と首を傾げたくなる。
「えーっと、友達としては好きだけど」
取り敢えず答えてはみたけれど、それだけでは済まなかった。
「だったら、好きなのは類か」
何を言い出すのだろう。
そもそも、恋愛としての好きかどうかを訊ねられているのだろうか。
だとしたら、あたしはこの前、道明寺に気持ちを伝えたばかりだ。以前から疑われていた花沢類とは、何でもないって分かったはず。
なのにこんなことを訊いてくるなんて、理解に苦しむ。
「花沢類も同じだよ。大切な友達」
腑に落ちないながらも答えれば、道明寺は「ふん」と鼻で笑った。
「まぁいい。で? おまえも話があんだろ? 訊いてやるから早く言えよ」
道明寺が何を考えているのか分からないけれど、こちらに話を振ってくれたのは幸いだった。
道明寺に先を越される前に、これであたしからサヨナラを言える。
あたしは一度口を引き結び、気持ちを固めてから、想いを吐き出すように声に乗せた。
「この前、あたし達が付き合ってるって打ち明けたけど、あれから、あたしも色々と考えたの。付き合っているって言っても、道明寺は覚えてないだろうし、混乱するだろうし、このままじゃいけないって。それで、ケジメをつけようと思って。
⋯⋯あたし、道明寺と別れる。もうここにも来ない。彼女面してあんたの周りをうろついたりもしない。
だから⋯⋯、今までありがとう。沢山迷惑かけてごめんね。
あたしが言いたかったのは、それだけ。じゃあ、あたし帰るね。道明寺も元気でね」
何とか全てを伝えきり、背を向けた──────その時だった。
❃
この女が類と抱き合っているのを見た時から、俺は、どうしようもない苛立ちに包まれている。
こうして女を目の前にしている今も、それは収まらねぇ。
訊けば、総二郎だけじゃなく、類も友達だと平然と言う。
『だったらなぜ類と抱き合ってたっ!』 そう、直ぐにでも怒鳴りつけたかったが、衝動は何とか飲み下した。
問い詰めるのは後でいい。
現場を目撃されていたとも知らず、類をダチ扱いした女が、一体どんな言い逃れをすんのか。俺を好きだと言っときながら、影じゃ何やってるか分かんねぇその正体を、じっくり暴いてやる。
先ずは女の話を訊いてからでいい。
話があるらしい女が何を語るつもりなのかは知らねぇが、先を譲ってやる。
全ては、それからだ。
だが、黙って女の話を訊いていた俺に、衝撃の言葉が突き刺さる。
なんつった、この女は。
別れる、だと?
なるほど、俺を切り捨て類のとこに行く腹積もりか。⋯⋯舐めた真似しやがって!
ふざけんじゃねぇっ!
心が発狂し、正体不明の真っ黒な感情が一瞬にして爆ぜる。
怒りも理性も一緒くたに焼き切れた俺は、背を向けた女の手首を掴んで強引に引きずり、華奢な体をベッドへと放った。
「きゃっ!」
ベッドに這い上がると、シーツに沈んだ女に素早く跨がり、細い両手を片手で纏め頭上で拘束する。
「やっ! な、何するつもりよっ!」
大きな瞳を見開き声を震わす女を、目を細めて見下ろした。
「へぇー。俺と別れて他の男のとこ行くつもりかよ。たいしたタマだな、おまえ」
「何言ってんの? わけ分かん──」
「煩っせぇっ!」
ビクッ、と組み敷かれた女の体に緊張が走る。
「昼間は随分と仲良くやってたじゃねぇかよ。類に抱きしめられてよ。この男好きが」
「っ! まさか、見てたの?」
「見られちゃ困るようなことしてたんだろ?」
女は、唯一動かせる頭をしきりに振った。
「違うっ! あれは花沢類が慰めてくれて⋯⋯、ねえ、お願い! 放してよっ!」
「何でだよ。他の男に抱きしめられても抵抗しねぇおまえが、付き合っている俺に押し倒されて、何故嫌がる?
本当は、おまえもこうして欲しかったんじゃねぇの? だから懲りもせずに、俺に罵られても毎日来てたんだろ?」
「そんなんじゃない! お願い! お願いだから、こんなこと止めて! こんなの嫌っ!」
「煩ぇっ、黙れっ!
⋯⋯抱いてやるよ、おまえの望み通りに」
「い、嫌っ! こんなの絶対イヤ!⋯⋯道明寺お願い! お願いだから止めてぇっ!」
必死で拒みやがって。俺に抱かれんのは、そんなに嫌か。
類になら、おまえは大人しく抱かれるんじゃねぇのか!
⋯⋯許さねぇ。
俺を馬鹿にしやがって。
誰かに取られるくらいなら、いっそ滅茶苦茶にしてやる。
狂気にも似た感情が猛り狂う中、だが奥底に潜む、己の別の叫びも確かに訊く。
────どこにも行くな。俺だけの、ただ俺だけの女でいろよ!
おまえは⋯⋯。
おまえは、俺のもんだ。
「いやぁーーーーーーっ!」
恐怖で泣き叫ぶ女を、俺は無理やり抱いた。

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