手を伸ばせば⋯⋯ 6
久々に道明寺に会ったあたしは、気持ちが押し潰されそうになっていた。
道明寺の憮然とした態度。素っ気ない言葉。
今までのように怒鳴られないだけマシ、と気持ちを切り替えられたら良かったのだけれど、生憎とそんな器用には出来なくて。
あたしとの関係を受け入れたくないがために、あんなにも不機嫌なんだろうと思えてならなかった。
だけど、よくよく考えてみれば、道明寺の気持ちも分からなくはない。
突然、刃物で刺され、記憶まで失って。挙げ句に、恋人が名乗りを上げて。
自分を取り巻く目まぐるしい状況に、受け入れるのは愚か、苛立ちが先立つのも無理はないと、今更ながらに思う。
自分の知らないところで恋人が存在していたなんて、道明寺にしてみれば容認出来る話じゃない。
付き合い自体をなかったことにしたい、そう道明寺が思うのも自然な流れだ。
だったら自分は、どうするべきか。
別れを告げられるのが怖くて、このまま現実と向き合わずに逃げるばかりでいいのか。
誰よりも大切で、誰よりも好きな人の気持ちを、尊重するべきではないのか。
ぐるぐると巡る思考と気持ちを落ち着かせたくて、あたしは非常階段へと向かった。
非常階段には先約がいた。
気持ち良さそうに寝ている、花沢類だ。
起こさないように足音を忍ばせ、いつもと同じように手すりに両腕を乗せて、見るとはなしにぼんやりと外を眺めた。
「まーきの」
声の方へと振り返る。
「ごめん、起こしちゃった?」
「ううん、そろそろ起きようと思ってたところに牧野が来たから。⋯⋯なんかあった?」
「え⋯⋯、うん」
誤魔化しきれない相手だ。
隠したところで、いつだって花沢類には見破られてしまう。
隣に並んだ類に、だから全部話した。
道明寺にあたし達が付き合っていると打ち明けたことも、道明寺に何て言われたのかも。道明寺から逃げ出して、それ以来、今日まで避けていたことも、包み隠さず全てを。
口にしながら改めて自らを振り返れば、嫌でも気付かされる。あたしのやっていることは、自分勝手だと。
思い出して欲しくて道明寺の元へ何度も通ったけれど、道明寺が拒絶するとはいえ、『牧野つくし』の存在を少しでも理解して貰える努力を、あたしは何もしてこなかった。
気持ちを伝えるわけでもなく、道明寺がどれだけ大切かを訴えるでもなく。口ではやり返しても、正面きってぶつかったとは、とても言えない。
ただ邸に通って顔を見せるだけ。いざとなれば、道明寺が思い出さなきゃ意味がないと、好きで記憶を失くしたわけでもない相手に丸投げしてきただけだ。
道明寺に指摘される形であたし達の関係を明らかにしたけれど、打ち明けたら打ち明けたで道明寺の返答に傷ついて、別れが怖いからと今度は道明寺を避けだす始末。
どれもこれもあたしの行動は、道明寺のためではなく、あたし自身を守るため。
勝手だ。勝手が過ぎる。と、自分に嫌気が差したところで、漸く選択すべきものが決まった。
「あたし⋯⋯、道明寺と別れる」
「それで牧野は後悔しない?」
「分からない。⋯⋯記憶を取り戻して欲しいとも思うし、今だって別れたくないとも思う。道明寺から別れを告げられるのも怖いし、だからと言って、いつ戻るとも分からない記憶を待つのも辛い。でも⋯⋯」
泣いて笑った道明寺との数々の思い出が、走馬灯のように脳裏を流れていく。
「道明寺を苦しめたいわけでもない」
記憶を失くす前に付き合っていたからといって、道明寺に付き纏い煩わせるのは、間違っていたように思う。
道明寺が覚えていないのなら、関係をリセットすべきだ。
「本当にいいの?」
こくん、と頷く。
『覚悟』と言えるほどのものを持ったわけじゃない。
今でも別れを思えば、気持ちは怖じ気ずく。
先に道明寺から別れを告げられてしまったら、ダメージの決定打となることも想像がついた。
それでも、道明寺から一度離れるのは、これから先を考えるためにも必要かもしれない。そう辛うじて思える程度には、気持ちは固まった。
不意に温もりに包まれる。
「牧野が考えて決めたことなら、俺は何も言わない。でも、一人でそんな風に泣くな」
言われて初めて、類の腕の中にいる自分が、ポロポロと涙を零していたことに気付く。
いつだかも類の傍で泣いたっけ、とその時の自分を思い出した。
あの時は、泣くだけ泣いたら気持ちを強く持とう、そう涙を力に変えたけれど、今の涙は違う。
一度は掴んだ幸せとの別離が、ただただ悲しみとなってあたしを襲い、それが涙に繋がる。
どんなに涙を流しても、この悲しみは消えやしないのに。
花沢類は一人で泣くなと言うけれど、きっとあたしは、この先も何度も涙を流してしまうだろう。道明寺への恋しさがある限りは。
そして、その恋しさは、永遠にあたしの中で有り続ける。
だからせめて、力に変えられない涙の使い道は、願いに使おう。
流した涙の数だけ、道明寺の幸せを願おう。そんな努力をしよう。
あれだけあたしを愛おしんでくれた、道明寺の幸せだけを願って⋯⋯。
ただ、今は。今のこの時だけは。
悲しみを受け止める自分のためだけに泣いていたかった。
❃
放課後になり、帰宅時間となって正門へと向かう。
泣いたせいか頭が重い。
散々、付き合わせてしまった花沢類には、本当に申し訳ないことをしてしまった。
これからは花沢類にも甘えないよう、しっかりしなくては。そう心に決めながら、足を早める。
今日はバイトの日だ。頭が重い程度で休むわけにはいかない。
けれど⋯⋯。
「おい」
呼び止められて足が止まる。
正門の横の壁に寄りかかる、道明寺だった。
「おまえに話がある」
来た。その時が。
手足が震え体が竦む。
道明寺は、あたし達の関係を終わらせるつもりだ。
「⋯⋯うん。あたしも話があったんだ。でも、今日はこれからバイトで」
「終わったらでいい。うちに来い」
「⋯⋯⋯⋯分かった」
あたしの返事を訊いた道明寺は、背を向け待たせてあった車に乗り込む。
走り去った車は、やがて小さくなり見えなくなった。
いよいよ終わる。あたし達の関係が。
波乱ばかりでも愛しかった、あの日々の全てが。

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