その先へ 16
慢性化してた気だるさが、近頃は感じらんねぇ。
これも煩い小姑のお陰か。
昼は、しっかり摂るようになったし、夜もだいぶ酒を控えるようになった。
朝は食べねぇし夜は適当だが、睡眠薬も飲むようになって、前とは違って朝から身が軽く感じることも多い。
季節の変わり目も良好で、秋の色が濃くなった今も、体調は以前より随分とマシだといえた。
けど、体調と反比例して、俺の気分は著しく低下中だ。
「またかよ。しつけぇな」
俺のじゃないスマホからメールの着信音が鳴り、それを確認した西田が顔を上げた瞬間に理解した。
何も言わなくても分かる。
ここ最近、こんな状態が日に何度とあるせいで。
その度に、気分が落ちる俺を知ってる西田は、黙って処理してきたはずなのに、今回は違った。
「副社長、今、会社の前に来ているそうです」
「…………」
あと間もなくで俺達も会社に着く。
会社の目の前で騒がれたら堪ったもんじゃねぇ。
このままじゃ埒があかねぇか、と諦めた俺は、短く嘆息すると、
「10分だけだと伝えろ」
そう告げて目を閉じた。
メールの送り主は、海。
俺に何度も電話しては繋がらず、メールも返信せずにいると、今度は西田に連絡するようになった。
最後に会ったのは、1ヶ月ほど前だったか。パーティーで同伴した時だ。
それ以来、このしつこさ。
パーティー中も、いつになく煩かった。
どうやら、社で牧野と会ったらしい海は、どうして牧野がいるのかと、やたら訊ねてきた。
『おまえには関係ない』
と、突っ放し、予定時間より早く別れた日から、1度も会っちゃいない。
俺が忙しさに追われてるのは常だ。
その俺が、10分確保してやるだけでも充分だろう。
なんの話か知らねぇが、仕事がまだ残っていた俺は、車が止まると降りた先にいる海に「ついて来い」と、声をかけ一緒に執務室へと向かった。
遅くまで残ってるだろう経営戦略部。そこに業務連絡のあった西田を2階下で降ろし最上階に着けば、このフロアには人の気配がなかった。
通り過ぎる秘書課に目線をやっても、もう誰もいない。
牧野も帰ったのか、と確認しながら執務室へと足を進め、ドアを開けて海を中に入れた。
デスクに回り込みPCを立ち上げれば、面倒なことにNYから何件か、急ぎの返答を待つメールが来てることに気付く。
「ちょっと待ってろ」
海にそれだけ告げ、後回しに出来ないメールの返信を先に済ませる。
全てを終え立ち上がると、デスクの前へと移動し、寄りかかりながら海を急き立てた。立ち話で充分だ。
「要件を言え」
「あのね、つくしちゃんのことなんだけど……」
「牧野がなんだ」
「道明寺くん……、記憶戻ったの?」
何が言いたいんだか、海のチンタラとした話し方が神経に触る。
「いや」
「だったら、どうして? どうして、つくしちゃんがここで働いてるの?」
「社長が連れてきた。それがおまえに何か関係でもあんのか?」
「おかしいよ。 だって、つくしちゃんのこと思い出してないんでしょ? つくしちゃんだって、今更、道明寺くんの近くにいるなんて変だよ。何か企んでるんじゃないかなぁ」
始めこそ俺も疑いはしたが、こいつに言われると、気分がより一層悪くなった。
「うちの会社の人事に、おまえに口出しされる覚えはねぇな」
「そんな……ただ、あたしは道明寺くんが心配で……」
「余計なお世話だ。話はそれだけなら帰れ」
グタグダと話す内容でもねぇ、と見切りをつけても、海はしつこく食い下がる。
「あたしは、本当に心配なの。 つくしちゃんは、いい子だと思うけど……でも、あれから随分と時間は経ってるんだよ? 変わってるかもしれないでしょ? 道明寺くんに忘れられて憎んでるかもしれない。何かするかもしれないって思ったら、居ても立ってもいられなくて」
「しつけぇぞ。牧野は、そんな女じゃねぇよ」
確かに、憎まれてもしょうがねぇとは思ってる。
もしかしたら、そう思った時期もあったかもしんねぇ。
けど、毎日顔を付き合わせてれば分かる。
忘れた俺にすら手を貸すほど、バカみてぇにお人好しなんだと。
裏表がある女じゃねぇ。
「どうして庇うの? ずっと近くに居たのは、あたしなのに! それに、道明寺くんを捨てたのは、つくしちゃんじゃない! 」
感情剥き出しで向かってくる言葉を拾い、過去に意識を飛ばす。
俺を捨てた……か。
確か、牧野が邸に来なくなったのは、こいつも居た時。
『あたしの好きだった道明寺じゃない』
そんな様なことを言われた気がする。
思い出して、苦笑が零れそうになる。
ホントにアイツは、この俺を呼び捨てにしてたんだな、と。
それと同時にもう一つ思い出した。
牧野を見掛けなくなってからも暫くは、最後に見た牧野の涙が、気になって、気になって、仕方がなかったってことを。
あまりにも遠い昔の出来事に想いを馳せ、海の話は上の空。
そのせいで、気配を察知するのが遅れた。
「あたし、道明寺くんが好き…っ。好きなの…。抱いて…道明寺くん」
気付いた時には、上半身を露にした海に抱きつかれ、振り払おうと手を動かしかけたと同時。ノック音がして、牧野が姿を見せた。
悲鳴をあげる海に、驚愕の牧野。
余計に力を込め抱きついてくる女に怒りが沸き上がる。
「失礼しました」と、慌てる牧野は『おい、待て!』と呼び止める間もなく消えて行った。
…………ふざけんなよ。
悲鳴上げるくらいなら、最初からすんじゃねぇっ!
気分悪いどころか感情は一気に振り切れ、久々に、プツっと俺の中の何かが弾けた。

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