その先へ 15
海ちゃんに会った日。
夜に行われた研究会での話は、耳を掠めて行くだけで、まるで身が入らなかった。
まさか、まだ付き合ってたなんて……。
研究会が終わりタクシーで帰って来てからもまだ、衝撃が心を占める。
お風呂にでも入って疲れた頭と心を癒そう。そう思ってゆっくりバスに浸かってはみたけれど、意識せずとも頭は勝手に海ちゃんへと繋がってしまう。
それは、ベッドに入ってからも同じだった。
ベッドに潜り込み30分。
そういえば……と、心あたりに行きつく。
それは、以前に読んだ雑誌の記事。
何度か読んだはずだと思い出したのは、道明寺が一般女性と付き合っているというものだった。
【パーティーに連れ出す恋人は一般人】
その手のものは、ざっくりとしか読まなかったけど、確かに目にしたことはある。
何かと話題になる男だ。
女性との噂は幾度となく持ち上がってたし、足を引っ張りたい思惑が奥底に潜んでそうな、悪意ある記事も目にしてきた。
良くも悪くも、道明寺っていう男が中心にいるだけで、世間の注目は集まるし、実際に雑誌は売れているようだった。
だからこそ、女性関係は真実か分からず、さっと流し読みをしてきた。
だからこそ、話題には買い手がいるのだと、些細な記事でも目を通した。
あの、一般人女性の恋愛記事においては、間違いない事実だったんだ……。
でも、それも冷静に考えてみれば、可笑しな話じゃない。
道明寺は、真っ直ぐに愛することが出来る、一途な男だ。
12年の交際だって、道明寺なら何ら不思議じゃないと頷ける。
昔、私を忘れた道明寺は、海ちゃんに恋をした。
それを長い年月をかけて温めて来たのだとしたら、あの時の、僅かな時間でしかない恋愛の方が滑稽だ。
────代わりがきく恋ならいらない。
あたしを見つけ出してくれないなら……もういらない
嘗て自分の中に過った思い。
こんなことを簡単に思ってしまう傲慢さだ。本当に傲慢すぎて笑えてくる。
代わりなんかじゃない。海ちゃんこそが、道明寺が見つけた最愛の人だったんだろうから。
だったら、あんな自堕落な生活なんて止めれば良いのに。
もう少し幸せそうな顔でもすれば良いのに。
いや、もしかしたら、二人きりの時は違う顔を見せてるのかもしれない。
海ちゃんにしか見せない、昔の私も見たかもしれない、幸せそうなアイツの顔を。
私が見たこともない、アイツの顔を。
……でもいい。
道明寺が幸せならそれでいい。
何度も寝返りを打ったその夜は、やけに時間の流れがゆっくりと感じた。
どんなに長い夜でも、朝は必ずやってくる。
どんなに体にダルさを覚えても、仕事は待ってはくれない。
首をコキコキ鳴らしながら、頭を切り替えて没頭するも、もしもまた海ちゃんに会ったら? と、するりと隙間に浮かぶ、憂鬱な心配が頭をもたげる。
ここは恋人のいる会社だ。
出入りしても可笑しくはない。昨日みたいに。
また今度ゆっくりね、なんて彼女は言ってたけれど、私に会うのは嫌じゃないんだろうか。
それとも、不動なる恋人の余裕で、会ってお茶でもするつもりなんだろうか。
そうだとして、話は弾むとは思えない。
一方的には、弾むかもしれないけど、私はどんな対応をすれば良いのやら……。
深い友人関係であったわけでもないし。
共通項は道明寺。
話題に上るならそれしかない。
───ノロケ話を聞かされる、忘れ去られた元彼女。
浮かんだ絵図に頭を振る。
想像しただけでシュールだ。
そんな下らないことを考えていたせいか。
顔にも態度にも出してないつもりだったけど、その日のランチタイムは、道明寺に怪訝な目で見られた。
『……おまえ、 具合悪りぃのかよ』
『食い過ぎて腹でも壊したか?』
否定しても疑ってそうな目。
しかも、その言い草には、女性に対してデリカシーの欠片もない。
このデリカシーのない男は、気遣いというものを知っているだろうか。
海ちゃんと私が会わないで済む、気遣い。
記憶がなくても、私とも付き合ってたんだと知ってるのなら、それくらいの配慮はあっても良いと思う。
「……無理よねぇ」
疑いの目を向けてくる男の前で重い溜息を吐き出す。
何だ? というように、眉を反応させた道明寺に期待をするのは諦め、お腹なんて壊してません! とアピールするように、パクパクと全てのものを胃に収めた。
そんな私がまた彼女の姿を見たのは、日々の忙しさに紛れ、海ちゃんのことも頭からかけ離れた、あの日から1ヶ月近くも経ってからのことだった。
その日は21時まで残業し、秘書課の全員が帰宅するのを見届けると、社外を廻ってる道明寺と西田さんの帰りを待たずに秘書課を後にした。
二人はそのまま直帰の可能性もある。
誰よりもハードな二人を、せめて21時までは、と待ってはいたけれど、これ以上、帰りが遅くなるのは私だって避けたい。
残りの仕事は来週に持ち越そうと切り上げ、会社を出て駅へと向かう。
リゾートホテルのプロジェクトも本格的に動きだし、それだけではない案件を抱える道明寺のサポートは、かなり大変だ。
動かす足も、いつになく重い。
金曜日の夜とあって、この1週間の疲れもピークに達していたのもしれない。
だから、気付かなかった。駅に入って改札を抜けようとするまでは。
いつもなら、スマホケースをかざせば通過出来るはずの、それがない。
Suicaを入れてあるスマホケースが、バッグを漁っても見つからない。
…………机の上にでも置いてきたか。
スマホは諦め切符を買う? と考えてはみたものの、明日から2日間はお休みだ。
社会人である身としては、急な仕事での連絡が入るかもと考えなくてはいけない。
ああ、もうっ!
と、胸の内で絶叫し、来た道をまたトボトボと戻るしかなかった。
疲れた体を引きずって社に戻る。
エレベーターが最上階に到着し、降りて右に曲がると、その先に道明寺の執務室が見えてくる。
さっきまで主の居なかった筈のそのドアが、閉まって行くのが目に入った。
帰ってきたんだ。
そう思いながら、執務室の手前にある誰も居ない秘書課に入れば、思ってた通り机の上にスマホは置かれていた。
無駄に体力を消費したせいで、さっきに増して疲労感に襲われた体を、ドカッと椅子の上にのせる。
でも、疲れてるのはアイツも同じだ。
どうせここまで来たのなら、お茶の一杯でも入れて上げようと、給湯室へと向かった。
何を提供するべきか、あれやこれやと茶葉の缶を見るけれど、本当はコーヒーが大好きなヤツだ。
夜に出すのは些か抵抗は感じつつも、どうせ寝るまでの時間にはまだ遠いはず。
疲れてる時くらい甘やかしてやるか、とアイツが好きなブルマンを淹れる。
丁寧に、のの字を書くように注いで落としたものをトレーに乗せ、いつものようにノックして入る。
…………はずだった。
でもそこは、いつもと違った。
ドアを開けた瞬間。
こちらを見て「きゃ」と上がる小さな悲鳴。
目の前の光景に一瞬足が止まった私は、直ぐ様、「失礼しました」と足早に去った。
流し台に立ち寄ってから秘書課へと急ぐと、机からスマホを入れたバッグを引ったくって走り出す。
ティーカップを洗い忘れたと気づいたのは、随分と後だ。
もっと早くに気づいても、あんなのを見た後じゃ、戻るに戻れやしない。
私の目に飛び込んできたものは……、
道明寺と、その首にぶら下がる海ちゃんの姿。
12年前、最後に二人を見た光景とリンクする。
その時と違うのは、二人とも立っていたことと……。
────上半身裸の海ちゃんだった。

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