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エレメント 9



「約束が違うじゃないですかっ!」

西田に先導され、8年ぶりに足を踏み入れた道明寺HDの社長室。デスクに座る楓の前に立つなり礼節をすっ飛ばしたつくしは、噛み付くように怒声を響かせた。

「どうしてよ! どうして今更道明寺が⋯⋯!」

司が現れてからというもの、つくしは恐怖に包まれ生きた心地がしない日々を過ごしている。
もしかするとこの人は、もう二度と手の届かないところへ行ってしまうかもしれない。そう思うと、真実を突き付けられそうで、司と会話するのも怖かった。
味わっている恐怖の分だけ、怒りのエネルギーに変換される。また、そうでもしなければ、今のこの時にも身が竦みそうだった。

言葉が続かなくなったつくしに、楓が力なく言う。

「やはり司は、あなたのところにいたのですね」

「どうして迎えに来ないんですか!」

この人が何も動きを見せないのが納得出来ず、つくしは感情のままに叫ぶ。
『やはり』と言うからには、司がつくしのところにいる可能性を探っていたはずだ。
ならば何故迎えに来ない! どうしてあんな道明寺を放置する! 道明寺が前を向けるように、そう約束したのに! 
道明寺が前向きな生き方をしているなら、今更つくしの元へなんて現れるはずがない。

「どうすることも出来なかったのよ」

溜め息に乗せて話す楓は、8年前より老けて見えた。
でもそれは、年月だけが理由じゃないのかもしれない。
よく見れば、楓の顔は疲れの色が濃く出ており、纏めた髪からは、乱れたように後れ毛が数本垂れている。つくしが知る、隙のない毅然とした姿の楓とは違って見えた。

「牧野様」控えていた西田がつくしに近づき話し始めた。

「私共も、牧野様とコンタクトを取るために動いたのですが、牧野様の行方を掴めなかったのです。手の打ちようがありませんでした」

そんな馬鹿な。司だって掴んだつくしの情報だ。
でもそれより、楓たちがつくしと連絡を取ろうとしたくらいだ。それは、それだけの危機的状況が迫っているからに他ならない。
つくしは、詰まる喉に逆らうように、声を押し出した。

「道明寺は⋯⋯、何の病気なんですか」

一瞬、笑い飛ばしてくれるのを期待した。
何をふざけたことを訊くのかと。司は病気なんかじゃないと。

「司はあなたに何も?」

だが、逆に返ってきたのは質問で、そこには否定要素はなく、希望が潰えたと知る。
つくしは硬い動きで楓に頷き返し、楓がこれから何を語るのか、衝撃に耐えられるよう体を強張らせた。

「司が離婚して2ヶ月ほど経った頃です。⋯⋯⋯⋯脳に腫瘍が見つかりました」

⋯⋯覚悟はしていた。していたはずだった。何を聞かされても衝撃に耐えられるように。
しかし、はっきりと肯定された現実に、目の前は眩み姿勢が傾ぐ。

「牧野様!」

慌てたように西田がつくしの体を支える。

「牧野さん、あちらにお掛けになって」

ソファーを指し示す楓の気遣いに首を振り、「大丈夫です」そう言って、西田の支えからも立て直したつくしは、「そんなことより」と、救いを求めたくて必死で縋る。

「助かるんですよね? 手術は? 手術を受けたら治るんでしょ? そうですよね?」

────お願い。お願いだから助かると言って!

デスクに肘を付き、組み合わせた両手に額を乗せた楓は、

「司が拒否しているんです。手術は受けないと」

小さく首を振った。

「どうし⋯⋯」

語尾が喉の奥に消え絶句するつくしに、答えたのは西田だった。

「初めは司様も手術を受けるつもりでおりました。病理検査をしなくては断言は出来ませんが、主治医の見立てでは恐らく良性だろうということで、根治が望める可能性が高いと。
しかし、術後の後遺症の一つとして、記憶に障害が出る可能性もあると知り、拒否なさったのです。司様には、後遺症の可能性は低いと何度も説得を試みたのですが、頑として首を縦には振って下さらなくて⋯⋯。それ以降、検査も受けて下さいません」

滅多に表情を崩さない西田が、苦虫を噛み潰したような顔で言ったのに続き、

「牧野さんを忘れてしまう可能性がある、司はそれを恐れたのでしょう。牧野さんを忘れたくなかったのよ」

楓が口を添え、最後に小さな声で付け足した。「もう二度と」と。

胸を鷲掴みにされ潰されるようだった。余りの衝撃に言葉も出ない。
自分はちゃんと真っ直ぐ立っているのか。息を吸い、吐き出す行為は出来ているのか。出来ているのなら、何故この胸はこんなにも苦しく治まらないのか。
頭が真っ白になりかけるつくしの前で、楓の声だけが静かに流れる。

「司の努力で会社を立て直し、離婚もしてやっと自由になれたのに、今度は手術をしても記憶に影響が出るかもしれない病にかかって。あの子は自分の人生を呪っているかもしれないわね。
私では、そこからあの子を救い出すことは出来なかった。当たり前よね。あの子を不幸に陥れた張本人なのですから。
8年前、ここであなたに言われて、初めて自分の愚かさに気付き母親としての振る舞いを改めても、もう全てが遅すぎました。
何も出来なかった私は、ですから身勝手なのは重々承知の上で、牧野さんと連絡を取り、助けを求めようとしたんです。私たちではどうにもならず、何とか司を説得して頂けないかと、牧野さんの力をお借りしたくて。
けれど、私たちはあなたを探し出せなかった。司が手術を拒否してから何ヶ月も探しているのに、あれから牧野さんが引っ越しをなさって公務員を辞めたところまでは分かっても、その先の情報はすっぽり抜かれたように全く掴めない。
⋯⋯見つけられないのは、誰かの作為が働いているからだと、そう結論づけました」

まさか、と目を見開き楓を見る。

「ええ、司がブロックしていたのでしょう」

「司様は自分の仕事を整理されて、先週の金曜日に辞表を残し姿を消されました。ですから願っていたんです。足取りが掴めない司様が牧野様のところに行って下さることを。牧野様なら、必ず異変を察知し我々に連絡をくれるのではと一縷の望みをかけて。昨夜、お電話を頂き司様が無事だったと知り、どれほど胸を撫でおろしたことか⋯⋯」

西田の話からすれば、危惧があったのだろう。手術を拒否したのだ。人生の幕引きを自らの手で行うつもりじゃないのかと、最悪の事態を想定していたはずだ。
つくしもそれを否定できない。いや、寧ろその選択肢しか司は持っていない気がする。
司の声が耳にこびりつき、瞼をきつく閉じる。

『────サイコーに可愛い牧野の笑顔が見てぇ。その笑顔さえ見れたら、もうこの世に思い残すことはねぇよ。満足して直ぐにでも死ねる』

その声が拭えないからこそ、つくしは司に笑顔を見せなかった。笑ってなどやるものかと、絶対に司を満足させず、未練を与えてつくしがいるこの世界に繋ぎ止めておくために。

「牧野さん」

楓の声に目を開ける。

「あなたはまだ保育士を?」

「⋯⋯はい」

「そう。それなら今の勤務先は、司の息がかかったところでしょうね」

「っ!⋯⋯そんな、まさか!」

「でなければ、牧野さんを探せないはずがないわ。ですが念のために、牧野さんのお勤め先を窺っても? 勿論、あなたに何かをするつもりも、悪用するつもりもありません。約束します。本当に司の力が働いているのか、それとも別の力が存在するのか、念のため調べておきたいの」

昔のような剥き出しの敵意は感じられない。楓が嘘を付いているとは思えず、つくしは頷いた。

「都内にある、私立のプレール保育園です」

「調べるまでもなかったわね」力なく笑った楓に「はい」と西田が相槌を打つ。
意味が分からず二人の顔を交互に探り見ていると、答えは楓が教えてくれた。

「保育園の名の意味をご存知?」

「⋯⋯フランス語で、お気に入りとか、好かれる、と言った時に使用される言葉かと」

「それとは別のスペルが違うプレールは、フランス語で植物の『つくし』を表すときに使われるのよ」

そんなっ! と驚愕に声を失う。

司は入浴剤の存在を知っていたくらいだ。別れてからもつくしの動向を多少なりとも把握しているだろうことは察した。
それがまさか保育園まで⋯⋯。引き抜かれたのも、司が動いたから?
でもだからだったのか、と納得もする。
だから司は知っていたのだ。つくしの土曜出勤を。カレンダーの印一つで勘を働かせ見破ったのではなく、事前に情報を掴んでいたために。シフトや勤務時間も分かっていて当然だった。

ふと、もしかしてマンションも? と更なる疑念が芽生える。
あの部屋を借りるとき、不動産の営業マンは言っていた。オーナーが金銭的余裕のある人だから、と。
もし、司がマンション自体にも関わり、つくしの存在を隠していたのならば、楓さえつくしの足取りを追えなかったほどだ。
つくしの前に現れた初日に、だから司は、『ここが一番安全だ』と言ったのではないか。
今更になって謎だった発言の真理に思い至る。

沢山の『だから』が真相に結ばり、愕然とする。

「司は巻き込みたくなかったのでしょう。司の結婚は初めから上手くいっていませんでしたから、牧野さんが相手から逆恨みでもされて被害を受けないようにと手を打ったのかもしれません⋯⋯それだけじゃないわね。私を筆頭に、道明寺に関わる者が牧野さんに近付くのを警戒して、牧野さんの所在を隠して守っていたのだと思います」

楓の言葉にハッとし、一際大きく鼓動が跳ねた。
言ったからだ、あたしが。あの時に⋯⋯。

『────身の丈にあった普通で穏やかな生活がしたい。道明寺が相手だとそれが叶わない。もう沢山なの。道明寺の事情にあたしを巻き込まないで!』

思い出すのは、別れるために司を斬りつけるしかなかった、非情な言葉。
司は額面通りに受け取り、律儀にもつくしの望みを叶えたに違いない。
道明寺家に巻き込まれることがないよう、影からひっそりとつくしを見守り、穏やかな生活を維持できるように、と。
あれだけ無慈悲な言葉を並びたてたのにも拘らず、恨みもせずに今日までずっと⋯⋯。
病気にさえならなければ、つくしの前には現れず、これから先も影から見守り続けたのかもしれない。

その愛情の深さを8年越しに知り得た今、待ち受けるのは残酷な現実。
これが自分に与えられた罰なのだろうか。司を傷付けることしか出来なかった、嘘を騙ったつくしへの⋯⋯。

つくしを大事に守ってくれていた大切な人が、この世から消えてしまうかもしれない脅威は、鉛のようにつくしにのしかかり、今にも膝から崩れ落ちそうだった。

「⋯⋯間に合いますよね? 今からでも手術を受ければ、道明寺は⋯⋯」

喉が詰まり弱々しい力しか持たない声は、最後まで続かない。

「病気が見つかった当初、手術の成功率はかなり高いものでした。今でも医療チームは、いつでも対応出来るよう待って下さっています。ですから信じましょう」

明言を避けた西田の心中が伝わってくる。
病気が発覚してから時間が経過している今は、腫瘍がどれだけのものになっているか分からない。もし、腫瘍が成長しているとしたら⋯⋯。
医療に携わる者ではなくとも分かる。成功率は下がっている可能性があると。
それ以前に、万が一悪性だったとしたら⋯⋯。
信じる以外に安易に言葉を選べなかった西田の思いが、痛烈に胸に突き刺さる。

つくしは俯き両手で顔を覆った。
そうでもしなければ、悲しみや怒りや恐怖や様々な感情がない混ぜとなって迸り、闇雲に叫んでしまいそうだった。

────助けて。
誰でも良いからお願い。お願いだから道明寺を助けて!

つくしを忘れないために寿命を縮める決断さえいとわなくなるのなら、そんな危険な存在になってしまう自分など、いっそ忘れてくれていい。

命の重さに比べたら、つくしの記憶など些末なことだ。
命を散らして良い理由になんてならない。理由にさせてたまるか。
助かる可能性があるのに、そんなの絶対に認めない。

────この広い世界にあたしを取り残すように、一人で遠いところへなんて行かないでよ、道明寺!



「受けさせます」

両手を顔から退け、覚悟を決めた声を出す。

「道明寺に必ず手術を受けさせます。だから西田さん。明日の朝、家に道明寺を迎えに来てもらえませんか? 住所は、あとでメールに送ります」

「はい、必ず迎えに伺います。牧野様⋯⋯、どうか、どうか司様を宜しくお願い致します」

西田が頭を下げるなか、ガタンと椅子がぶつかる音を立て、楓が立ち上がった。

「牧野さん。8年前、ここであなたの条件を呑み、約束をしました。あの約束は、これから先も私の命のある限り有効です。
ただ一つだけ訂正させて欲しいの。あの日、私はビジネスとして約束をしましたけれど、訂正します。母親としてあなたとの約束を守ります。誓います。ですから、」

言葉を区切った楓は頭を下げた。それは、体を折り畳むような、深い、とても深いものだった。

「牧野さん。司を⋯⋯、息子を助けて下さい。過去の非礼は謝ります。だから、お願いです。あなたの力を貸して下さい。お願いします」

頭を下ろしたまま懇願する楓の気持ちが痛いほど伝わってくる。願う気持ちは一つ、つくしと同じなのだと。
つくしは、顔を上げない楓に見えずとも、力強く頷いた。


「はい、必ず」







昼間に見た楓の印象は、昔のものとはまるで違った。
8年ぶりに見た楓は、息子を心配する一人の母親であり、それ以外の何者でもなかった。
楓も西田も、つくしが恐怖に包まれているのと同様、どんな思いで毎日の中に身を置いてきたことか。
そんな人たちの気持ちを無視した司の行動は、決して許されるものではない。


バタン、とリビングの扉が音を立てる。
司が入浴を済ませ戻ってきたのだろう。
つくしは、司がリビングを出ていく前と同じ体勢のまま、髪の毛が遮る顔を上げようともせず、気配だけを窺った。

「何だよ、まだ起きてたのかよ。さっさと寝ろって言ったろ」

「⋯⋯⋯⋯」

「つーか、まだ変なこと考えてんじゃねぇだろうな」

近付く気配を察知しても、つくしは顔を上げない。
上げないまま、淡々と言った。

「道明寺。今日、会ってきたよ。道明寺のお母さんと西田さんに。⋯⋯もう全部知ってる」

今度こそ時が止まったように、二人の間に確かな沈黙が流れた。

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  • Posted by 葉月
  •  2

Comment 2

Mon
2021.03.08

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2021/03/08 (Mon) 20:38 | REPLY |   
Thu
2021.03.11

葉月  

あ✢✢✢ 様

こんにちは!

ドキドキの展開にも関わらず、お付き合い下さりありがとうございます!
別れるしかなかった二人ではありますが、相手を想う気持ちだけは、途切れていなかったようです。
再会したつくしが司の異変に直ぐ気付いたのも、片時も忘れたことがなかったからかもしれません。

最後の文末は、Goサインの許可が下りたと勝手に解釈致しましたので、安心して続きを投稿させて頂きたいと思いまーす(*´艸`*)

コメントありがとうございました!

2021/03/11 (Thu) 13:17 | EDIT | REPLY |   

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