エレメント 5
予定より早く起きたつくしは、胸に抱えた錘のような重みを誤魔化したくて精力的に動いた。
洗濯機を回し、その間に朝食と司用の昼食作りもやっつけてしまう。
一日中晴れの予想である天気予報も確認済みで、シーツがあるために2回回した洗濯物も、天気を気にすることなくベランダに干した。
流石に自分の下着だけは他と同じようにベランダに干すわけにはいかず、司の視界から守るように、風呂場の乾燥機機能頼りだ。過去に何度も見られたことがあるし、それ以上を知る間柄だったとはいえ、開き直れるものでもない。恥ずかしいものは恥ずかしい。
洗濯も干しも終わり、朝食をテーブルに並べたところで司が起き出して、二人揃って食事を摂りながら必要事項を伝える。
「お昼ごはんは冷蔵庫の中に用意してあるから、温めて食べて⋯⋯あ、電子レンジの使い方分かる?」
「馬鹿にすんな。俺に不可能はねぇ」
若干不安はあるものの、文明の利器に頼る知恵があるのは昨夜判明した。自力で何とかするだろう。
「それから、」と、エプロンに忍ばせておいた合鍵を差し出す。
「出掛ける時は、これでちゃんと鍵掛けてね。くれぐれも掛け忘れのないように」
「おぅ」
軽い返事に更なる念押しも忘れない。
「失くさないでよ? もし、自宅に帰るなら、鍵は一階のポストに、」
「帰らねぇっ!」
噛み付くような即座の否定に、皆までは言わせてもらえなかった。
「とにかく、ここに居るなら大人しくしていて。部屋の中も物色しないように。良いわね? それから⋯⋯、」
「まだ何かあんのかよ」
「何かあれば連絡、」
そこまで言って言葉に詰まる。
一人で留守をさせるのはやはり不安で、何かあれば連絡してと伝えるつもりだったが、肝心な連絡先をつくしは知らない。
司と別れてからつくしは、携帯を変え番号も新たにしている。その時に司の番号の引き継ぎはしていない。
もしかすると、司だって番号を変えているかもしれないし、だとすると教え合うのは避けるべきか。ぼんやりと思考を巡らせていると、スマホが短く音を奏でた。
一回で途切れた着信音。カウンターに置いてあったつくしのものだ。
「今のが俺の番号だ。登録しとけよ」
そう言って司は、たった今操作していただろう自分のスマホをテーブルに置いた。
ジトリと目を怒らせて司を見るが、当の本人は歯牙にもかけず優雅にコーヒーを飲んでいる。それが様になるのがまた悔しい。飲んでいる中身はインスタントだっていうのに!
「何であたしの番号知ってんのよ」
「馬鹿だな、おまえ。さっきも言ったろ、俺に不可能はねぇ」
司はニヤリと口角を上げた。
どうしてそこで得意気よ!
当然とばかりの返答に文句の一つでもつけたくなるが、つくしのマンションだって知っていたくらいだ。司の力を以てすれば、個人情報を手に入れるなど、きっと容易い。
言うだけ無駄か、と諦めの気持ちと、出勤の時間が押し迫っていたこともあり、ひと睨みだけに留めておく。尤も、そんな睨みに全く効果はなかったが⋯⋯。
コーヒーで流し込むようにトーストを平らげ、手早く一人分の食器を洗う。
時間に追われていない司はまだ食事中で、それを横目に見ながら身支度を急いだ。
「じゃあ、行ってくるから」
玄関まで付いてきた司に一声かける。
どうやら見送りをしてくれるようだ。
「おぅ。⋯⋯あ、そうだ」
靴を履きながら司を振り返る。
「なに?」
「今夜、外で飯食おうぜ。現地で待ち合わせな。場所は後で連絡する」
「却下。洗濯物取り込みたいから外食は無理」
「こっちも却下だ。洗濯モンなら俺が入れといてやる」
「いや、道明寺には無理でしょ。それに道明寺と外食する理由もない」
「取り込むくれぇ出来る。俺に不可能はねぇからな。それよりおまえ、今日は4時で上がりだろ? 残業があるかもしんねぇし、待ち合わせは余裕みて5時半な。じゃ、気ぃつけて行って来いよ」
人の話を訊け! そして何で知ってる、 あたしの勤務時間!
言っても無駄だと知りながら反射で言い返そうとして、だが、動いたのは司の方が一足早い。
「おい、遅刻するぞ。文句言う暇あったらとっとと行ってこい」
ご丁寧にもドアを開けられ、背中をグイグイ押され外に締め出される。
「ちょっと!」
力では司には叶わず、中途半端な抗議も虚しくドアは閉じられ、内からはガチャリと施錠の音がした。
「ああ、もうっ!」
腹立ち紛れに手足をバタつかせた見事な地団駄を踏むが、丁度出て来た隣人に見つかり、ギョッと目を丸くされる。
「おはようございます」
ピタリと動きを止め、何事もなかったようによそ行きの声を急いで作るも、変な女の変な動きを目の当たりにした気まずさからか。バツが悪そうに俯く隣人の前を、同じくバツが悪そうにいそいそと通り過ぎ園へ向かうしかなかった。
✤
司からのメールに気が付いたのは、子供たちが昼寝の時間になってからだ。
【ホテル〇〇〇エントランス入口、17時30分。
P.S 風呂場の小せぇブラとパンツは乾いてたから寝室に置いといた】
つくしの周囲から音が消えたようだった。
激しい胸の鼓動だけがやけに体内で響き、動悸が収まらない。
司の視界から隠すように干した下着の存在すら彼方に消え、心が打ち震える。
「気のせいだ」「たまたまだ」「考え過ぎだ」昨日、何度も頼りにした言葉たちは、補うだけの威力を持たないのかもしれない。その可能性に至り愕然とする。
同僚から声を掛けられるまで、つくしは身動き一つ取れず、その場に茫然と立ち尽くしていた。

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