エレメント 3
居ても立っても居られず、キッチンへと引き返そうとすれば、
「こっち来んじゃねぇぞ。大人しく座ってろ」
威嚇じみた声が飛んで来る。
流石は野生の勘を持つ男。こちらの気配に敏すぎる。
仕方なくソファーに座ったものの心配しか生まれず、そわそわと落ち着かない。
「鍋はどこだ。うん? これが鍋か?」
訊こえてくる独り言がこれでは、不安の加速度は増すばかりだ。
鍋の判別すら怪しいのに、大丈夫なのだろうか。
「湯煎? 湯煎って何だ」
尚もこんな言葉が続き、御曹司には分かるまいと、嘆きの吐息が出る。
どうやら何かを温めるつもりのようだが、この調子じゃ出来上がるまでにどれ程の時間を要するのか。或いは、怪我をする方が先か。
今のところ、包丁を使う様子がないのは幸いだが、なかなか先に進まずでは、いつ夕食にありつけるかも疑問だ。
やはりジッとはしていられず、アドバイスするくらいなら許されるだろう、と立ち上がった時だった。リビングに現れた司と目が合い、
「ステイ」
不躾にも手の平を突き出された。
⋯⋯あたしは、断じて犬じゃない。
失礼な一言を寄こした司は、どうやらスマホを取りに来たらしい。
なるほど、文明の利器に頼る気か。
Google先生だか、Siriだか知らないけど、つくしの力だけは借りたくないようだ。
つくしは、行き場を失い、またちょこんと腰を下ろした。
「熱っ!」
「これ取るときどうすんだ? 熱湯に手突っ込んで⋯⋯って火傷すんじゃねぇかよ」
「何だよ、このクソ長げぇ箸はよ⋯⋯あっ、これで取ればいっか」
頭を抱えたくなるような独り言をBGMに、ヒヤヒヤしながら心臓に負担の掛かる時間を過ごすこと30分以上。
「出来たーっ!」
子供がはしゃぐようなテンションの声が響き渡った。
味噌汁とサラダを用意してあるからと、キッチンへの進入許可を得てから足を踏み入れれば、調理スペースの上には器が二つ。
レトルト調理だったのか、湯煎で仕上げた料理だと思われる。
その前では、守るように司が仁王立ちしていた。
それでなくても大きい男なのに、ハッキリ言って邪魔だ。
更には、つくしにはまだ見せたくないのか、それぞれの器には、また別の大きな皿が蓋代わりのように逆さまにして載せられていた。
洗い物が増えるから止めて欲しいんですけど。
胸の内で愚痴を零しつつ味噌汁を温め直し、冷蔵庫に入れておいたサラダを取り出して、ソファーの前にあるテーブルに並べる。
備え付けのカウンターが付いてはいるが、つくし一人ならともかく、司と二人で並んで食べるには些か狭い。
ダイニングテーブルなど気の利いたものはなく、また置くスペースもなくて、進が来たときも、食事は決まってこのローテーブルを使っている。
二人分を向かい合う形で並べて、ラグの上に正座すると、勿体つけていた料理を漸く司が運んで来た。
湯気の立つ品が目の前に置かれ⋯⋯、瞬間、息を詰めた。
────これを覚えていたのか。
⋯⋯いや、違う。
一拍置いて、真っ先に思ったことを打ち消す。そんなはずはない、と。
「気のせいだ」「たまたまだ」「考え過ぎだ」そんな言葉を頭に並べ、渦巻く不安をそれらで覆う。
出された料理は、イカ飯だった。
最初から切られていたのか、切り口が綺麗な輪切り状態で盛られたそれは、つくしが、もう十何年も口にしたことがないものだ────母が死んでから、今日まで一度も。
つくしが高校三年。丁度今頃の季節だった、母が亡くなったのは。
夜、トイレで倒れた母は、直ぐに救急車で病院へ運ばれたが、意識を取り戻さないまま、日付が変わった翌日未明に息を引き取った。心筋梗塞だった。
一年に一度あるかないか程度だったが、イカ飯は母が作ってくれた思い出の料理。
まだ母が元気な頃、どこだかで買って来た出来合いのイカ飯を食べたことがあるが、母が作るものとは違って、味に深みがなかった。
だから母が亡くなってからも、買ってまで食べる気にはならなかった。
味覚を上書きしたくなくて、母の味を忘れたくなくて。
『作り方、教わっておけば良かったなぁ』そう、過去に司に話した当時の会話を、今でも鮮明に覚えている。
『ママのイカ飯は絶品だったんだから』と、自慢げに語る自分の姿も。
「温ったけぇうちに食えよ」
あれだけ大騒ぎして用意した司は、打って変わって静かに促した。
自分には、イカ飯ではなくおこわを用意して。
「いただきます」
平静を装い箸を持つ。
一切れつまみ、口へ運んで。そして。
────衝撃が走る。
懐かしかった。
母が作ったイカ飯に限りなく近い味だった。
向かいに座る道明寺は何も言わない。
何も言わないのを良いことに、つくしは素知らぬないふりをして黙って飲み込んだ。
『食事が喉を通らない』良くそんな言葉を耳にするが、つくしは一度、身を持って経験したことがある。
大袈裟でも何でもない。本当に食べ物を喉に通すのが困難なのだ。
味覚は消え、体を維持するためだけに、つかえる喉に流し込むだけの作業。
前日から何も食べていなかったつくしに、『無理してでも食べなさい』と、親戚に諭されそれを経験したのは、母が亡くなった日の晩のことだ。
今夜は、二度目の経験になるに違いなかった。
司がチラリと様子を窺う気配を感じ、だが、つくしは無視を決め込んだ。
頭の中ではまた、「気のせいだ」「たまたまだ」「考え過ぎだ」と言葉が並び、その一方で気持ちを固める。
喜んでなんかやらない。
笑ってやるもんか、絶対に。
⋯⋯⋯⋯笑えるはずないじゃない。
頑なに意志を貫き、口元以外の表情筋は動かさず無言で食べた。
通りの悪い喉元にひたすら流し込みながら自覚するのは、胸の動悸。
目頭が熱くなるのを瞬きで逃し、せり上がるものを押し込むように、何度も咀嚼してイカ飯と共に無理やり飲み下す。
味が伴わない単なる作業の如く⋯⋯。
砂を噛むように食べる食事は味覚の伝達が途切れ、母の懐かしい味は、もう消えてなくなっていた。

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