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ラスト・リング 3



「───司………………司?」


考え込むように口を噤んでいた司が、その声にパッと顔を上げ柔らかな笑みを見せた。

「お、おぅ、悪りぃ」
「どうかした?」
「いや、何でもねぇ」
「そう?」
「あぁ」

安心させるように、最愛の妻の頭を愛しそうに撫でてやる司。それに応えるように返って来るのは、優しい微笑み。
いつもと違う夫の様子に戸惑っただろうそれを直ぐに押し隠し、

「口に合うかは分からないけど、今日は一段と気合い入れて料理作っちゃうから、美作さんも一緒に食べてってね!」

そう言って、あの頃から変わらない笑顔を見せる女は、五年前に司と結婚した牧野だ。

「悪いな」

「そんな遠慮なんてしないで。どうせ、庶民の味しか用意できないんだし、ね?」

淹れたてのコーヒーをテーブルに置きながら明るく振る舞った牧野は、それ以上余計な事は言わずにキッチンへと戻って行った。



  ラスト・リング 3



桜子と一線を越えてから二週間。

俺は、"代わり" を頼みたくて司達の住むマンションへと来ていた。
牧野に聞こえぬようにと、声を潜め桜子との関係や事情を説明した俺の前で、司は視線を宙に置き、何を考えているのか黙ったままだった。

そこに牧野がコーヒーを持ってきたことで、沈黙は一旦破られたが、再び牧野がキッチンへと戻ってしまうと、湯気の立つコーヒーカップに手を伸ばすでもなく、司はまた口を閉ざした。
その振る舞いが、俺の頼みを引き受けるのに躊躇しているのだろうと、嫌でも窺わせた。

それも仕方ないと思えた。
牧野を思えば、快く引き受けてくれないだろうことは、俺だって覚悟の上だった。

この一年。辛かったのは桜子だけじゃない。牧野もまた辛い立場にいたはずだ。

それでも、俺が動けない立場に陥った以上、どうしても司の力が必要だった。
このままにしておくなんて出来やしなかった。

「司?」

とうとうこの沈黙に痺れを切らし、遠慮がちに声をかけると、司は無表情で俺を見た。

「あ、悪りぃ。昔のこと思い出してた」

「……昔?」

「あぁ、いや……それより、あきら。お前本気なのか?」

やっと会話らしい会話になった司の声は、ついさっき牧野に向けられたものとは明らかに違い、普段よりも重みのある低い声だ。更には顔つきをも険しくさせた。
軽蔑にも似た感情がそうさせているんだろう。
俺は、軽率と言われても仕方のない一線の超え方をしたのだから。

仕事絡みでなら兎も角、プライベートな話題において、こんなにも司の前で緊張を強いられたことはない。膝の上にある、握りしめた手の中が湿り気を感じるほどにだ。

それでも、身動ぎもせず見据える司の視線から逃げるわけにはいかない。
射抜くような視線の前で、思いが伝わるようにと身を引き締め、鋭い眼差しを真正面から受け止めた。

「あぁ、勿論本気だ」

「一時の感情に流されてるだけじゃねぇのか?」

「違う。この気持ちに嘘偽りはない」

暫くジーッと俺を探るように見ていた司が、顔を逸らしチッと舌打ちをすると、長い吐息を吐き出した後で、もう一度視線を絡み合わせた。

「お前、自分の立場分かって言ってんのかよ」

司の苛ついた声が核心に触れる。
司が指す、その立場こそが桜子に自分の気持ちを伝えられない最大の理由のはずだった。
相手を思いやればこそ伝えてはならなかった。
全てをクリアにするまでは……。

なのに俺は自分の感情を優先した。そして、招いた結果がこのザマだ。

────桜子は、姿を晦ましていた。

俺が気持ちを伝えられない、いや、伝えちゃならなかった最大の理由。
それは、俺が親に敷かれたレールに乗っかって婚約している身であったからだ。
まだ公にはしていなかったものの、一部の人間には知れ渡っていて、当然、桜子を含む仲間達も知っていた。

そう言う立場であるからこそ、一度は気の迷いだ、情が少し膨れただけだと、自分に言い聞かせたりもした。
それでも消せなかったこの想いは、どう考えても一過性のものではない。
しっかりと俺の中に芽生え、根付いた愛だと胸を張って言える。
だから、自分の身を綺麗にして、正々堂々と桜子に気持ちを伝えられるよう準備を始めるつもりでいた。その矢先に、あのニュースだ。

「自分の身は、きちんとケリをつける。桜子とそうなった翌日には父親に申し入れて、もう動いてもいる。ただ、そのせいで今の俺には、手が回せる余裕がねぇんだよ」

「…………」

「牧野の事を考えれば、司が簡単に手を貸せないのも分かる。でも今はお前に頼るしか、」

「待て」

「頼む、司」

「いいから待てって。手を貸さねぇとは言ってねぇ」

「じゃあ、」

「だからって、桜子が辛い立場に追いやられんなら、例えダチの頼みと言えども、俺は手を貸すつもりはねぇよ。あいつが泣きを見んなら、あきら。お前でも許すつもりはねぇ」

きっぱりそう言い放った司は、預けていた体をソファーの背もたれから離し、コーヒーカップへと手を伸ばした。

「目先のことだけじゃねぇ。桜子には、未来も見据えて幸せになって欲しいって願ってんだよ」

「へ?」

コーヒーを一口飲んだ司が繋げた意外な言葉に、訊き間違いかと思わず惚けた声を漏らす。
牧野を思えばこそ、司からこんな台詞が出て来るなんて想像だにしていなかった。

「確かにこの一年。つくしも辛い立場にいた。でもな、つくしの傍には支えてやれる俺がいた。けど、あの時の桜子に対しては………、」

言葉を途切らすと共に、寄せられる眉間の皺。
暫しの間を置いた後、苦しそうに司は吐き出した。

「一人にさせるしかなかった」

司の苦しさが伝染したかのように、喉が詰まる。

「あの時、そうするしかなかったと言い切れる自信は今でもねぇ。ただ、この先においては別だ」

「えっと、待ってくれ司。それはどう言う意味だ? 何か、俺の中で話が繋がらないんだが」

詰まる喉から声を絞りだし問い掛ける。
単純な男のはずなのに、何故か今日の司からは、その思考が読めない。

「その前に、お前が俺の質問に答えろ。あきら、桜子をお前に任せて、あいつは幸せになれんのか? あいつが泣く事はねぇのか?」

確かめるように見つめる司の目が、言葉以上に何が言いたいのかを物語っていた。

それは、俺が婚約を解消し桜子の元へと走れば、非難の目は桜子に及ぶ可能性がある。
フィアンセのいる男を奪ったと、世間はそう言う目で桜子を見るかもしれない。
そこから桜子を守れるのか? と司は訊きたいんだろう。

「桜子が俺に対して、どういう感情を抱いてるのかは正直分からない。でも、俺の想いが揺ぎ無いのは確かだ。この気持ちに気付いた以上、桜子が俺の元へ来る気がないにしても俺は婚約を解消する。
幸いにもお袋が味方についてくれて、俺と一緒に親父を説得にもあたってくれている。
ただ、俺が多少の犠牲を被るのは避けられない。婚約の相手の顔を立てれば仕方ない。それに、相手優位の条件で婚約を解消すれば、万が一、桜子が俺の元へ来てくれた場合、風当たりは最小限に食い止められるとも思ってる。いい加減な気持ちなんかじゃない。
だから頼む、司。こうしてる間にも、心配なんだよ!」

俺の必死な思いが届いたのか、

「ったく、順番間違えやがって」

忌々しげに言ったものの、直ぐに「分かった。手貸してやるよ」その言葉にホッとする。

でもそれはほんの一瞬で、続けざまに言った司の言葉に、落ち着いたはずの胸がまた騒ぎ出した。

「つくしにも全部話す」

「え? いや、けどそれは、」

「俺はつくしに隠れてコソコソする気はねぇからな」

あの牧野の事だ。
自分の気持ちを押し殺し、俺の気持ちを汲んでくれるかもしれないが、その心情を思えば複雑だった。

桜子のしたことで、この一年。牧野も辛い思いをしてきたってのは、俺の耳にも入っている。相当、腹を立ててるという噂も。
だとしたら、今回は牧野に言うべきではないんじゃないか……。
そんな考えが過る俺の前で、数分前まで見せていた鋭い眼差しを完全に消し去った司が、フッと笑った。

「なぁ、あきら。お前さ、何か勘違いしてねぇか?」

「勘違い?」

「あぁ。ま、それも仕方ねぇけどな。俺たちに向けられる目の全てに、敢えて勘違いするよう仕向けてきたし」

「は?……全く意味が分からないんだが……」

何が何だかさっぱりな俺を余所に、

「まぁ、見てろよ」と、意味ありげに口端を上げた司が、牧野を呼ぶ。

「つくし、ちょっと来い!」

パタパタとスリッパを鳴らし、「なーに?」と、エプロンで手を拭きながらやって来た牧野。

「桜子がいなくなった。どうする?」

いきなり司が告げると、その顔は極端に強張り、そして。
床に膝をついた牧野は、バタン、と凄い勢いでテーブルに両手を付くと、恐ろしいまでの形相で迫力ある声を出した。

「探して! お願い、桜子を絶対に探し出して!」

「分かった。それと俺は、これを機に動くぞ? いいな?」

確認するように言う司に、牧野は力強く頷いて見せた。

「了解」

親指を突き立て笑みを見せる司は、直ぐさま電話を操作する。

繋がった相手に桜子の捜索指示を出し、用件を言い終え電話を切った司は、俺と桜子との間に何があったのかを、牧野に大まかに話した。

「そっか……美作さんと……うん、そっか」

気まずさから、チラチラとしか顔を見れない俺を責めもせず、牧野は静かに司の話に耳を傾け、時折相槌を打った。

「桜子も直ぐに見つかんだろ。詳しい事は後で話すから、先ずは旨いメシ作ってくれ。腹減って仕方ねぇ。その間に、あきらにも説明しとくから、な?」

「分かった。急いで作るね! 美作さんももう少し待っててね!」

こっちが拍子抜けするくらい、怒る素振りを微塵も見せない牧野は、惜しみなく満面の笑みを向けてくる。
気まずさから顔が火照った俺は、陰りのない澄んだ表情の牧野に、ぎこちない笑みを返すのが精一杯だった。

嬉しそうにハミングしながらキッチンへと引き返して行ったその姿を見届けた司は、

「あきら、黙って俺の話を聞けよ?」と、低く声を潜め、再びその顔に険しさを滲ませた。

「お前は、勘違いしてるかもしんねぇけど」

「……」

「つくしは桜子を恨んじゃいねぇ」

「…………」

「勿論、俺もだ」

その話し方は、司の気質を考えれば疑いたくなるほどゆっくりで……。

「恨めるはずねぇんだよ」

丁寧過ぎるほど一つ一つ言葉を刻み、
そして突然。

「桜子はな、俺に抱かれ犠牲になったとしても、意志を貫き通す女だ」

「ッ……!」

待ったなしに耳を塞ぎたくなる内容に突入した。

「あぁん? 何だその顔は。文句でもあんのかよ」

「……」

「訊きたくねぇんなら、別にいいんだぜ? その代わり桜子は諦めろ」

「……っ」

人の心情を読み取ったかのように言う司。
掴み掛かりたい衝動を、必死の理性で制圧した────つもりだったが。
気付けば俺は、テーブルに足をぶつけながら派手な音を立て、勢い良く立ちあがっていた。
その音に驚いたのか、キッチンに入ったばかりの牧野が、まん丸い目を更に大きくさせながら、慌ててこっちに駆け戻ってくる。

「司、おまえ……まさか、桜子と?」

「だったら、どうした? あ?」

「だとしても諦められるかよ! でもな、そうだとしたら司。俺は絶対におまえを許さねぇッ!」

頭が真っ白になり、無意識に作っていた拳をわなわなと震わせている俺には、ニヤリと不敵に笑みを浮かべる司が、どす黒いオーラを放っているように見えた。

そんな司に面と向かって物が言えるのは、他でもない牧野だけで、

「いい加減にしなさいッ、司!」
「うぅっ!」

猛獣使いは何年経っても健在とばかりに、待ったなしの力技で司をねじ伏せた。

強制的に拭い取られた、ピリピリと緊張を孕んだ空気。
間に入った牧野と、面白くなさそうに不満げな司との間で暫しの言い合いがあったりはしたが、俺も牧野から事情を訊き、取りあえずは落ち着きを取り戻した。

全くよ、と殴られた脇腹を擦りながら溜息をつく司は、キッチンへと戻って行く牧野を見送ると、

「桜子が見つかるまでに、おまえの身を綺麗にしとけよ」と忠告から始め、今度こそ今までの事の成り行きを声を潜めて話し出し、俺もまた口を挟まず黙って訊いた。

俺の知らなかった真実を。そして許されなかった桜子の想いと、その結末を────。

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  • Posted by 葉月
  •  2

Comment 2

Sat
2021.01.16

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2021/01/16 (Sat) 17:50 | REPLY |   
Sun
2021.01.17

葉月  

あ✢✢✢ 様

こんばんは!

今回は謎ばかりですよね(^_^;)
お話の中のあきらがそうであるように、何が何だか分からず状態であると思いますが、次話にて、おおまなか事情は掴めるのではないかと思います。
引き続き、お付き合いのほど、宜しくお願い致します!

それと、あの話題の品は、かなりの人気みたいですね。
私もそのうち買おう、なんて呑気に思っていたのですが、考えが甘かったかも(> <)
ネットを見ても、売り切れで買えない人も多いとか。
購入期間が予定より早く終了する可能性もあるらしいので、何とか早めにゲットして下さいね。
幸運を祈ってます!

コメントありがとうございました!

2021/01/17 (Sun) 19:19 | EDIT | REPLY |   

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