ラスト・リング 2
どうせ失くすなら、いっそ全部失くなってくれ。
何も感じない無になれれば、どれだけ楽になれるかしれねぇのに。
何も怖いモンなんてなかったはずのこの俺が、胸の痛みが伴うほどの恐怖に襲われ、孤独な夜を独りで過ごすのも堪えられねぇなんて……。
ラスト・リング 2
『相変わらず女取っ替え引っ替えしてるって? お前、いい加減にしとけよ』
『司、こんなことしてたって意味ないだろ?』
『………』
何度も聞いた、溜息交じりのダチの言葉と、軽蔑と怒りを宿した無言の眼差し。
何もかもがうんざりだ。
誰に言われなくても分かってる。
こんな行為に意味がないなんて、心で身体で俺が一番身に沁みて感じてる。
孤独を欲望に乗せて吐き出してみたところで、生まれるのは虚しさだけ。
───あんたを好きなら、こんな風に出て行ったりなんかしない。
雨音に掻き消されもせず、濡れたアスファルトに吸い込まれるでもなく、俺の胸にただひたすら向かってきた言葉の刃。
分かってた。
少し冷静になってみれば、あれがあいつの本心じゃなかったってことくらい。
そう分かっているのに、溢れる感情のコントロールが利かない。
俺の気持ちなんて置き去りで、立ち去ることしか選ばなかった牧野にイラつき、それ以上に、牧野の背中を見つめるしか出来なかった俺自身が許せなくて、どんなに藻掻いても悲しみの恐怖からは逃れられず、更に苛立ちは最大限へとなった。
時間が経過しても消せない感情を誤魔化したくて、アルコールを全身に回り行くまで飲んだ俺は、その矛先を知らない女へとぶつけた。
乱暴に抱いて何もかも滅茶苦茶にしてやりてぇ。
そんなドス黒い感情まで溢れ出すのに、だが気付けば俺は、顔が見えないように女をうつ伏せにし、背後からしか求められないようになっていた。
名を訊くこともなければ、訊いても記憶されないほど興味のない女の後ろ姿に幻影を映し、何度も何度も見知らぬ女にあいつを重ね見る日々。
牧野がいなくなったと言う悲しみの恐怖に堪えられず、行き場を失った気持ちの逃げ場をこうして作る。
事が終われば精神的不快に苛まれるのに、束の間の身体的快楽に身を委ね、現実から逃げられるほんの一時。
その一時でもいい。例えそれがまやかしだろうとも。
孤独と過去の雨の日に埋もれるくらいなら、牧野がいなくなった現実が幻なんだと、錯覚さえ起こしそうな愛のない行為に身を任せ夜を重ねるしか、明日に立つことさえ苦しかった。
そんな荒れ狂った生活を送る俺に、当然、ダチ達は説教をたれた。
それが疎ましくて、
『女なんてどれも同じ低俗な生きもんだ。それをどう扱おうが、おまえらに文句言われる筋合いはねぇ』
吐き捨てた俺は、ババァに言われるがままに奴等と距離を置くようにしてNYへと渡った。
数か月に一度、日本の地を踏む事はあっても、俺の帰国を聞きつけたあいつ等に押し掛けられるのを避ける為に、邸には帰らずマンションまで用意したってのに……。
それは、徹底的にダチを避け、NYと日本を行き来する生活も二年が経った頃だった。
一週間の滞在予定で帰国していた俺は、当り前のように一夜限りの女と待ち合わせをし、その待ち合わせ場所であるホテルの地下駐車場で、久し振りに馴染みのある女の顔を見る事になる。
車に向かう俺と、コツコツとヒールを鳴らし、俺がいる方へと歩いてくる女。
真っ直ぐに視線を向けられてるからには、俺だと気付いてるんだろう。
俺に嫌味の一つでも投げかけてくるつもりか?
だとしても聞き流すまでだ。
そう思ってた俺の思惑は、何の意味も持ちやしなかった。
距離は縮まるのに、一向に発せられないそいつの声。
俺を見ていた視線を一夜限りの隣の女に移しただけで、歩く速度も緩めず表情一つ変えもせずに、そのまま無言で通り過ぎて行った。
奴の残り香だけを置き去りにして……。
今更、俺なんかに掛ける言葉もねぇか。
そりゃそうだ。こんな落ちぶれた奴に関わる必要なんてねぇ。
こっちとしても面倒がなくて丁度いい。
土足で人の気持ちに踏み込まれるくらいなら、軽蔑される方が気が楽だ。
だがそれは、明日NYへ戻るという日の夕方、突然に覆された。
仕事を早く切り上げ戻ったマンションへ、この前とは違う今日だけの女を呼び寄せた数分後。鳴るはずのないインターフォンがリビング内に響く。
このマンションを知る者は限られた奴だけだ。知ってる奴等ですら、俺が呼ばない限りこの部屋を訪れる者はいねぇっつーのに。
一体誰だ?
疑問を抱きながら立ち上がりモニターを見れば、表情一つ変えずに嫌味すら言わなかった女────数日前にすれ違ったばかりの桜子の姿が、そこにはあった。
「誰にこの場所訊いた?」
モニターに向かって低い声を出す俺に、この前は微塵も見せなかった笑顔で答える桜子。
「椿さんからです」
余計なことを。
咄嗟に出た舌打ちは画面越しにも聞こえただろうが、
「他の人にはまだ教えてません。教えられたくなければ、早く部屋に上げてもらえません? 断るなら、今すぐ滋さんや西門さん達に連絡しますけど」
イラつく俺を気にも留めやしねぇ。
今、桜子が奴等に連絡でもすりゃ、間違いなく束になって押し掛けて来るのは目に見えてる。
あいつ等に纏まって文句言われるのは、今でも俺には苦痛でしかない。
だったら、まだ桜子一人の嫌味に堪える方がマシか?
そう考えてる傍から、モニターには携帯を弄り出す桜子の姿が映り、脅迫めいた言動に従うのは癪に触りながらも、無言でオートロックを解除するしかなかった。
部屋に入ってくるなり、桜子は周りをひと通り見渡し、俺の隣に座る女に視線を定めると、嫌味を含んだもの言いを始めた。
「へぇ、流石は道明寺さん。素敵なお部屋ですね。連れ込む女性も、さぞや喜ぶでしょうね」
「何なの、この女」面白くない顔で文句を口にする今日の女を無視して、呼んでもねぇのに押し掛けて来た桜子に鋭い視線を向けた。
「何した来た? こんなとこまで押し掛けてきやがって」
「先日は挨拶もせずに申し訳なかったと思いまして。それに、ちょっと確認をしたかったんです」
確認だと?
意味分かんねぇんだよ。
人の睨みを見て見ぬふりしながら作った穏やかな笑みで、隣の女を上から下へと舐めまわすように見る桜子の意図が読みきれないでいる俺は、今日の女の肩を抱き寄せた。
「意味分かんねぇこと言ってんじゃねぇぞ。用があるならさっさと済ませて帰れよ。この状況見りゃ分かんだろ? 邪魔なんだよ、お前」
「私の事は気になさらなくても良いですよ? ヤルならどうぞ遠慮なく」
「ふざけてんのか、てめぇ」
「いいえ? ふざけてなんかいませんよ? それより、道明寺さんって誰でも良いって訳じゃなかったんですね。今日はそれを確かめに来たんです。やっぱり私の思った通りだった」
「あ? どう言う意味だ」
遠回しな言い方に、自然と眉間に皺が寄る。
突っ立ったままの桜子は薄ら笑いを浮かべ、俺達を見下ろしながら、またも予想もしてなかった言葉を口にした。
「道明寺さん? こんな女相手にするくらいなら、私にしときません?」
「ちょっと、さっきからあんた一体何なのよ!」
堪らず声を荒げた今日の女を手で制して、桜子を今まで以上にきつく睨み上げる。
「ふざけんなって言ったはずだ。てめ、俺を舐めてんのか」
「私もふざけてるつもりはないと言ったはずですけど? 私なら、この人よりもっと道明寺さんを楽しませてあげられるって言ってるんです」
不敵に笑いながら話してた桜子が、次の瞬間、浮かべていた笑みを完全に消した。
少しだけ前屈みになり俺を覗き込む桜子。
そして、その大きな瞳をスーッと細めた。
「だって…………、似てないですよね?」
思ってもみなかった言葉に反応し、顔が強張るのが自分でも分かる。
「全然、似てないですよ? 全く違う」
畳み掛けてくる桜子に動揺した俺は、思わずぶつかっていた視線を逸らした。
「どうせ似てないのなら、私だっていいじゃありませんか」
全て見透かしてるって訳か。見透かした上で、それを否定しやがって。
その何でもお見通しってツラが、余計に俺をイラつかせんだよ。
人の心理を勝手に覗きこむ桜子に、過敏に反応しちまう自分を悟られたくなく女から手を退かした俺は、冷静を装い逸らしていた視線を戻すと、桜子を見据えた。
「へぇー。桜子、お前が楽しませてくれるって?」
「えぇ。他の女なんて二度と目に入らない程に」
「面白ぇじゃん。その話、乗っかってやるよ」
何を企んでんだかは分かんねぇ。分かんねぇけど、ぶっ潰してやる。
どうせ何も出来ねぇって高を括ってるお前も、お前のその見透かした考えも、丸ごと全部。
挑発するようにニヤリと笑う桜子に、俺も意地の悪い笑みを返し隣の女に目を移す。
「今の話訊いてただろ? 帰れ」
「何よそれ! 私の約束の方が先だったじゃない!」
「この女も帰る気ねぇみたいなんだんだわ。それとも何か? おまえ、こいつの前でやる趣味でもあんのか?」
「そ、そんなっ……!」
「うぜぇ。これ持ってとっとと消えろ」
顔を真っ赤にして怒りの表わす女の膝の上に、十分過ぎるほどの札を置けば、分かり易いほど顔色を落ち着かせやがる。
プライドの欠片もない馬鹿女は、「暇な時は、また電話して」と、笑みを浮かべて立ち上がると、すれ違いざまに手の平を上に向け、玄関に向かってスライドする桜子にひと睨みしただけで、大人しく部屋を出て行った。
「てめぇ、何企んでんだ」
「やっと巡って来た。そう思ってるだけですよ。チャンスがやっと、ってね」
バカ女が居なくなった部屋で腹を探るように続く会話。
「それが本心か? 本当は、俺がお前に何にも出来ねぇって勘違いしてんじゃねぇのか? 生憎だが、今の俺は昔の俺じゃねぇ。女まで帰したんだ。しっかり責任は取って貰わねぇとな」
「道明寺さんの方こそ勘違いしてません? 私が逃げるとでも? 身体を差し出すぐらいで動揺する女じゃないって、過去の経験から道明寺さんなら知ってると思いますけど?」
「なら早くしろよ。けど覚悟しとけよ? 楽しめなかったその時は、そのデカイ態度、二度と俺の前に出せねぇようにしてやる」
「良いですよ。道明寺さんの方こそ、逃げないで下さいね」
「笑わせんな。あんまり俺を甘く見んじゃねぇぞ」
桜子が、鋭く目を細める俺との距離を縮めて来る。
そして、白く細い腕を伸ばし、
「今までにない興奮を味あわせてあげますよ。素敵な場所で───」
俺の手を掴み上げると、そう言って桜子は冷たく笑った。
「────かさ………………司?」
柔らかい声が、遠い過去に彷徨っていた俺の思考を覚醒させた。

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