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ラスト・リング 1



ベッドの上で身動き一つしない背中に、「また来る」そう一声掛けてからジャケットを羽織り、物音しない廊下を歩いて玄関へと向かう。
靴を履き、ドアノブに手をかけ、何度も通ったこの部屋に未練を残しながらも足を踏み出そうとしたその時。背後に感じる気配に気付き、俺は動きを止め振り返った。

「起きたのか?」

透き通った肌に整ったパーツ。化粧を施さなくても十分に綺麗な顔に問い掛けてはみたが、返ってこない答えは訊くまでもなく分かっている。
起きたんじゃない。寝てすらいなかったのは、一緒にベッドの中にいる時から気付いていた。
そう気付いていた俺もまた、目を閉じていただけで夢の中へと意識が迷う事はなかった。

華奢な身体を壁に預け、黙ったまま突っ立っている女。
後悔してるかもしれない女に、後悔などさせたくない俺は、数時間前の出来事は過ちなんかじゃないと示す為に、今まで言えなかった言葉を抑え気味の声に乗せた。

「会ってみないか?……牧野や司に」

「…………」

「な?……桜子」




  ラスト・リング 1




「会わないわけにはいかなくなる。お前が嫌だと思ってもな」

思いが通じるよう、真っ直ぐに目を見つめながら話す俺に、当然、桜子は疑問を返してきた。

「どうしてです?」

どうもこうもない。捉え違いのないよう信じて貰うしかない。

「今夜のこと。俺は後悔してなければ、間違いだとも思ってないから。これから先だって、お前を大事にしたいと思ってる。
でもな、俺にとっては牧野や司も大事なダチだ。だから、牧野達とも会って欲しい。いつまでも避けてばかりはいられないだろ? それにもう時効だ。……そうだよな?」

最後は確認するように問い掛ければ、目を逸らさず耳を傾けていた桜子は、口角を僅かに緩め、わざとそうしているのか気だるそうにゆっくりと首を左右に揺らした。

「何も心配は要りません。美作さん、今夜のことは忘れて下さい。お互い子供じゃないんです。責任なんて感じずに、一晩だけ楽しんだと割り切る方が賢いですよ?」

「俺は軽い気持ちでお前を抱いた訳じゃない」

「だったら、私を愛人にするつもりとか?」

笑みなんか作って、そんなこと言うな! 

「そんなことするわけ────」

直ぐさま、否定しようと声を大きく出したものの、その先を言わすまいと、割り込むように桜子が言葉を被せてきた。

「私が抱かれたのは、人のものだから欲しいと思った。ただそれだけです」

こんな台詞を吐かせ桜子を傷つけたのは、ほかでもない焦り過ぎた俺のせいだ。
信じて貰いたいと願いながら、今の俺が何を言っても嘘臭く聞こえてしまうのも無理はないと思うと、瞬時に言葉を繋げなかった。

「だから抱かれたんです。そう言う女だって、良く知ってるじゃないですか………、美作さんも、」

笑みを崩すことなく俺を見ていた桜子は、「先輩だって」と、ポツリその名を口にした時、視線を足元へ落した。

「お前をそんな女だなんて一度も思った事はねぇよ。だが今、俺が何言っても信じちゃ貰えないってのも分かってる。
桜子、もう少し俺に時間をくれ。次お前に会うまでに信じて貰えるようケリをつけてくる。その時にもう一度言う。あいつが忘れられないんならそれでもいい。それでもいいから俺の傍にいろってな」




『迷惑ですから』 

冷たく突き刺す言葉を背に受けても振り返りはせず、桜子が住むマンションを後にした俺は、待たせてあった車へと乗り込んだ。

シートに身を沈め嘆息すると、走り出した車内で目を閉じる。

何やってんだよ、俺は……。

いつだって、何事にも冷静で慎重にやって来たじゃねぇかよ。

仕事が早く片付いて、いつものように桜子の部屋に来た今日だって、焦るつもりなんてなかった。
あんなニュースさえ見なけりゃ────。


今日、俺達が見たのは、何気なくつけたテレビの中に、見知った顔を映していた夕方からのニュース番組。
そのトップニュースは、世界でも有名な日本人デザイナーと司が手掛けた新たなホテルオープンに向けてのもので、手を組んだ話題の二人が並ぶ記者会見だった。

薄暗い部屋の中。やけに目立つフラッシュに目を細めながら、食い入るように見ていた俺達。

会見が終わっても、それだけでは済ませるつもりのない取材陣に取り囲まれていたが、その姿もいつしか消え、画面は安全神話が崩れたこの日本で、日常的に繰り返される悲しい事件をキャスターが伝えていた。

名を変え、形を変え、場所を変えただけにしか見えない、繰り返される同じような事件を伝える日々のニュースに、またこんな事件が、と胸を痛めても、その痛みが継続するわけではない。
新たなニュースを耳にして『またか』 と、嘆きながらも、直ぐに次から次へと話題を移すキャスターについていける俺は、この怖い社会に慣れてしまった一人なんだろう。

悲しい事件の裏で涙を流している人は必ずいるのに、しかし、直接的に関係のない立場の視聴者である俺は、いつだって直ぐに冷静さを取り戻す。
それは当然と言えば当然なのかもしれないが、この日の俺は違っていた。

トップを飾ったニュースに胸を締め付けられ、動揺し、他のニュースなど耳にすら残らなかった。
そのニュースは残忍でも、悲しいものでもない。寧ろ、幸せな話題として大多数の視聴者に伝えたかったのだろう。

『奥様、ご懐妊だそうですね』
『おめでとうございます。今、何カ月ですか?』

芸能人なみの取材攻撃に無言を貫き通し、主役のいなくなった記者会見の場からスタジオに画面が切り替わる。

『仕事も私生活も好調のようですね。おめでとうございます』

そう締めくくった満面笑みのキャスターを映してからニ十分以上が経過しても、テレビに目を向けたままの俺達は何一つ喋れずにいた。

世間に名の知れた奴の幸せな話に取材陣が飛び付くのも無理はないが、この幸せな話題は、必ずしも誰もが喜べるとは限らない訳で、実際俺達は、それを耳にしても明るい雰囲気に包まれるでもなかった。

かつて愛した男の話を、どんな思いで、どんな表情で、桜子は見ていたのだろうか。俺は探れないでいた。
お互い首を横にしないとテレビが見れない状態の向かい合う形で座っていては、その表情を盗み見ようとしても、チラ見すら気配で桜子に勘付かれてしまう。

掛ける言葉も見つけられず、本心を言えば、その表情を見るのが怖くもあった俺は、何も喋らずテレビを見るふりを続けた。

しかし、いつまでも話さずにいるこの状況こそが不自然過ぎると、漸く頭が機能し始めた俺は、情けない自分を追いやって、テレビに向かったままの桜子の名を呼んだ。

『桜子』
『………』
『電気点けるか?』

気の利いたものとは程遠い台詞ではあるが、実際、部屋の中は闇が忍び寄り、テレビの明かりだけが桜子の顔を代わる代わるの色で照らしていた。

だが、その顔を見た瞬間、俺は勘違いしていたと気付き、ハッとした。

桜子の視線が向かっていたのはテレビではなく、隣のボード。
俺がこの部屋に来るようになる前から、そのボードの上に飾られていただろうそれは、あの時には意味が分からなかった、牧野が口にしていた"指輪"だった。



今から一年前───。


『桜子のこと、お願い』

久々に一人で家に来たかと思えば、人の顔を見るなり頭を下げてきた牧野は、

『桜子が───』

苦しそうに声を絞り出した。
混乱しているせいか、説明する言葉は途切れ途切れで、それを拾いながら理解した話は、牧野がショックを受けるのも無理はない、予想もしなかった桜子の倫に外れた恋愛と、その終幕の事実。

『あったの……あったのよ。部屋に指輪が……』

汲み取ることも難しく、支離滅裂に語る牧野を落ち着かせるよりも、言われた通りに桜子の所へ行くべきだと判断した俺は、牧野の涙を拭い、願いを承諾した。

きっと混乱しながらも牧野は考えて俺の元へ来たんだろう。
自らも傷つき、怒りだって当然あるだろう自由に身動きの取れない牧野は、それでも桜子を気に掛け、混乱しながらも俺の所へやって来たに違いない。

今は日本にいない類。
そして当時、嫁さんである優紀ちゃんが身籠っていた状態の総二郎と、名の知れた家に嫁いだばかりの滋。
他の皆には余計な心配を掛けたくなかっただろうし、まだ辛うじて独身である俺が一番動きやすいと判断したのも頷ける。
理由を知った俺だって、ダチとして桜子を放っておけるはずもなかった。

牧野を先に家まで送り届け、聞いたばかりの住所へと急いだ。
初めて向かうその場所は、『気ままに過ごしたいから』と言う理由で、突然桜子が一人暮らしを始めたマンションだ。
牧野が気付くまで、誰一人としてその桜子の言葉に疑いを持たず、本当は、周囲の目を避けるために用意した部屋だなんて知る由しもなかった部屋のインターフォンを押した。

『先輩から、全部聞いたんですね』
『あぁ』

何の連絡も無しに訪れた俺を部屋に上げ入れた桜子。
その桜子を見て、牧野の言ってた意味を知った。

取り乱すでもなくただ静かに涙を流し、ひたすら一点にだけ向けられる眼差し。
二度と戻っては来ない男から貰った"色のない指輪" を、今日と同じように瞬きさえ忘れて、桜子はいつまでもずっと濡れた瞳に映していた。



あれから一年。
傷つかないでいられるほど強い女でもないのに、俺の前で涙を見せたのは、最初にマンションに行ったその日だけで、無理して気丈に振る舞う桜子を一人にしてはおけなかった。

時間を見つけては、様子を見に何度となく桜子の元へ通った俺は、勿論、初めはダチとして心配したからだ。

それが、一緒に飯を食ったり、お茶したり。取り立てて何をする訳でもなく、ダチとして過ごす時間も半年が経った頃。
徐々に桜子の傷も薄れているように感じながら、同時に俺自身の変化にも気付き始めた。
ダチ以上の感情が自分の中に芽生えていることに。

だからと言って、この気持ちを安易に伝えるつもりなんてなかった。
まだ桜子の中からあいつは完全に消えちゃいない。未だに二人の想い出が詰まったマンションに住み続けている事を考えれば、それは容易に分かる。
焦る必要はないんだ。焦ってしまえば桜子を悩ませるだけだ。
そう思う気持ちに嘘はなかった。
ただ、桜子の気持ちを優先する以前に、残念ながら気持ちを伝えられない原因が俺にはあった。
それを分かっていながら、俺は……。

傷が薄れてきていると感じたのは、錯覚だったのか?
惚れてた男にガキが出来たと知り、あの日と同じように大事に飾ってある指輪を見つめる桜子は、一体、何を思ったんだ?

らしくもなく、何もかも忘れられるほど全て奪ってやりたいと湧きあがった感情。
理性を軽く突破した嫉妬に支配された俺は、気づけば桜子を腕の中に閉じ込め、超えてはならない一線を強引に越えてしまった。

「くそっ」

今夜の自分の浅はかな行動に苛立ちながら、携帯を取り出す。

「俺だ。悪いが明日、一時間ほどでいい。社長と話が出来るよう時間を調整してくれ」

電話の向こうで慌てる秘書に構う事なく電話を切る。
もう、悠長に待ってる暇などない。

───例え、痛手を負ったとしても。


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  • Posted by 葉月
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