Secret 53【最終話】
「……おはよう」
「おぅ」
久々に二人で迎える朝は、何だか妙に照れくさかった。
昨夜は、鍵の確認もそこそこにベッドに沈められ、獣と化した司のお仕置きがいきなり始まり、散々翻弄された。
ただその合間には、今までのあらましを更に事細かく話してくれて、私の知らないところでどれほど司が考え、守ってくれていたのかを知り、その存在の大きさと有り難みが改めて身に沁みた。
勿論、その存在の大きさは、直ぐにまた再開されたお仕置きの最中にも遺憾なく発揮され、本能が身体に迫りくる限界を悟ったのか、途中から私の記憶は途絶えている。
お仕置きによる極度の身体的疲労に加え、最近の寝不足や久方の安堵が、『眠る』という逃げ技を勝ち取り、勝手に一人で夢の世界へ落ちたのだと思う。
お陰で朝までコースを免れた私は目覚めもすっきりで、幸いにも腰に少しだけダルさが残る程度の被害で済んだ。
「つくし、今日仕事は?」
腕の中に包み込まれ、漸くこの場所に返って来た、と安らぐ心音に耳を傾けながら司の声も訊く。
「撮影が延期なったから、今日はオフになったの。昨日の騒動があったから、桜子が調整したのかもしれないけどね」
「なら、ちょっと付き合ってくんねぇか? 俺は午前中は仕事あるから行かなきゃなんねぇけど、午後には戻って来るから、それまでここで待っててくれ」
「勿論! 私も行こうと思ってたから、滋さんのところに」
「知ってたのか? 滋が今日出発するって」
「朝早くに桜子からメールが届いて、それで」
「そうか」
このまま、滋さんとすれ違ったままではいられない。
きっと今の私たちは、互いの気持ちを理解出来ていると思うけど、それでもきちんと言葉に乗せて伝えたかった。
「なら早いとこお仕事片付けて来てね。ほら、そろそろシャワー浴びて用意しなくちゃ」
上半身を起き上がらせれば、何故か再びベッドに戻されシーツに縫い付けらた私の上には、目をギラギラさせた司が覆い被さってくる。
「出勤前に一発、お仕置きの続きな? 昨夜は途中で夢に逃げやがって。まだ終わってねぇっつーの」
「ギャーーっ!」
悲鳴はやがて艶めいたものに代わり、後に掠れ、免れたと思っていたお仕置きの朝までコースは、分割でしっかり実行された。
✢
「滋さん」
案内された部屋に佇む滋さんに声をかける。
「桜子……っ! どうして……」
振り返り私を見た滋さんは、驚きの色を表情に貼り付けた。
「見送りぐらいさせて下さい。だって私たち、友達でしょ?」
滋さんの瞳が滲み出す。
涙は見る間に膨れ上がり、重力に負けたそれは、静かに頬を伝った。
私が訪れたのは、大河原エアポート。
昨日の騒動を引き起こした滋さんは、ロンドン行きを決め、今日ここから旅立つ。
出発の時間よりも早めに来た私は、建物の中の一室で、滋さんと向き合ってソファーに座った。
「来てくれるなんて思わなかった」
涙を落ち着かせた滋さんは、俯き加減で小さな声を出した。
滋さんのロンドン行きを知らせてくれたのは、騒動に協力した内の一人、美作さんだ。
協力を依頼された時の電話で、その後の身の振り方をどうするのかを訊ね、滋さん本人から訊き出したらしい。
渡英を直ぐに決断した滋さんだけれど、今までのことを思えば、私たちの近くに居るのは決まりの悪さもあるだろうし、疲弊した心を異国の地で癒やすのは、正しい選択のように思えた。
「見送りたかったのも本当です。でも私、託されていたものもあって、それを早く届けたかったんです」
首を傾げた滋さんに、バッグから取り出した物を差し出した。
「え」
それを見た滋さんの目が大きく開く。
「何で……、これを……」
私が渡したのは、花沢さんから託されていたUSBメモリだ。
その時が来たら返して欲しいと、フランスで会った時点で既に渡され頼まれていた。
「どういうこと?」
笑みを浮かべた私は、震えた声で訊く滋さんの目を見て言う。
「初めからUSBメモリは必要なかったんです。花沢さんには。これを返す時に、花沢さんから伝言も預かっています。怖がらせて、ごめん。って」
「や、待って、全く意味が……」
相当混乱しているらしい滋さんに事の真相を明かす。
「大切な人を困らせてでも奪ってしまいたい時がある。でも同時に、守りたいって気持ちも確実に存在する。そう花沢さんは言っていました。だから道明寺さんに危機が迫れば、守りたいと思う気持ちが強く働くはずだと。
それで花沢さんがヒール役を買って出たんです。USBメモリの存在さえ知っていれば、後はハッタリ噛ますだけで充分だって」
滋さんは言葉を失っている。
フランスでこの計画を訊かされた時、花沢さんは言っていた。
滋さんにはまだ良心があると。
USBメモリを渡したことからもそれは分かるし、中身は滋さんの悪事まで判明する会話が収められている。
あの父親のことだ。幾らでも父親のみの悪事を盗聴する機会はあった筈なのに、滋さんは自らの罪も明らかになる会話を録音し、花沢さんに渡している。
花沢さんは、敢えてそうしたんじゃないか。そこに滋さんの良心の欠片を感じる。そう推察していた。
ずっと問題が解決せずに状況が悪化し、道明寺さんが大河原家を叩く動きを見せたその時に、この計画を実行する。最悪の事態を避けるために。
そう花沢さんから打ち明けられた私は、直ぐに同意し協力すると約束した。
この計画は、滋さんに対し説得力を持たせるために、道明寺さんが動きを見せる限界まで待って初めて力を発揮する。
だから、先輩が離婚届を突き付けたあの日。道明寺さんからの電話で、先輩に宣戦布告した翌日か翌々日には、道明寺さんが実行に移すつもりだと知った私は、直ぐに花沢さんに連絡を入れている。
『離婚届が起爆剤となって、どうやら起こしてはいけない猛獣を起こしてしまったようです』と。
先輩に会わせろという道明寺さんに、検討するからという名目でパーティーの日程を即答しなかったのは、花沢さんとスケジュール調整をする時間が必要だったからだ。
先輩と会わせてしまえば、その1日か2日後には道明寺さんが動いてしまう。それは避けなければならない。
花沢さんが動けるまでは、二人を会わせるわけにはいかなかった。
そして、道明寺さんより早く計画を実行するため、極秘で帰国する花沢さんの予定に合わせて選んだのが、道明寺さんの電話から10日後に行われた、あのパーティーだ。
「じゃあ……、類君が言ってたことって全部、嘘?」
混乱から少しだけ脱した滋さんの問いに頷き返す。
「はい。滋さんが幕引きをしてくれれば、誰しもがこれ以上の傷を負わなくて済みますから、それを誘導するために」
肩から強張りが取れた滋さんが、「なんだ、そうだったんだぁ」苦笑ともとれる力のない笑みを零した。
この計画の結末は、収まるべきとこに収まった。
良心が残っているなら、花沢さんの動きを封じるはず。だとしたら滋さんの動く道は一つ。真実を自ら明かすのみだ、という花沢さんの全ては読み通りに。
滋さんの手でこの事態を収められるのなら、それに越したことはない。
例えば、花沢さんがこのUSBメモリで、滋さんの父親に交渉という名の脅しをしたとしても、道明寺さんがアメリカの企業と組まなきゃ手こずりそうな相手だ。リスクが高すぎる。簡単にはいかない。
マスコミに流すにしても大混乱は避けられず、芸能界をも巻き込んで様々なところに遺恨の種を残す。
USBメモリに落とされた会話には、大手事務所のジュニア本人も含まれ、先輩の名前だって挙がっている。
幾ら被害者側とはいえ、汚い企みの中に巻き込まれたとなれば、芸能人である先輩のイメージにも影響してくる。
だとしたら、一番適任なのは滋さんだった。
大河原財閥の一人娘が動いてくれれば、父親の野望は潰える。
状況が変わった以上、道明寺さんだって直ぐに大河原家を叩く決断は下さない。滋さんが動いたと分かれば、叩かないで済む道を模索するはずだ。
そこで滋さんの父親の動きが止まれば、道明寺さんが大河原家を叩く必要性もなくなる。全てはそこに賭けた。
道明寺さんが大河原家を叩く最悪の事態を選択をしてしまえば、先輩はまた悩み、夫婦間の亀裂は更に深まってしまうかもしれない。それを懸念した花沢さんが、だからこそ滋さんによって終わらせて欲しいと願って生まれた計画だった。
尤も、それでも滋さんが読み通りに動かなかった場合には、
『それでも動かなかったら、お手上げ。あんたがUSBメモリをマスコミに売り飛ばしちゃってよ』
と、投げやりな花沢さんからの補足は、私の中だけに留めておく。
でも結局は、滋さん自身がケリを付けた。
自分の欲求のままに心を動かした事実は事実として、それでも自らの手で真実を白日の元に晒し、滋さんの中に残されていた良心が最後には打ち勝った。それが素直に嬉しい。
「類君、演技力ありすぎ。私、凄く怖かったんだけど」
ぐったりとした様子で滋さんが嘆く。
確かに相当頑張ったに違いない。滋さんを怯えさせるほどに。
その渾身の演技を披露した本人はといえば、
『すげー喋った。すげー疲れた。当分誰とも話したくない』
そんな電話を一本寄越しただけで、直ぐにフランスへと戻って行った。
滞在時間、僅か数時間。
この演技をするためだけに極秘帰国した花沢さんは、暫く使い物にならないんじゃないだろうか。
秘書の方の苦労を想像すれば、同情せずにはいられない。
「それから、このUSBメモリの存在は、花沢さんと私の二人しか知りません。今回の内幕も。これを花沢さんに渡したのと、真実を明らかにしたことで無罪放免だそうです」
「……類君」
滋さんの瞳に再び涙の膜が張った。
でも本当は一人。USBメモリの存在は知らないにせよ、この内幕に気付いていそうな人物がいる。
『今回の件、おまえと類が裏で絡んでねぇか?』
昨夜、先輩は寝たのだろう深夜に、電話を掛けて来た道明寺さんだ。
『何か怪しいんだよな、おまえら。類が帰国したのは極秘だったみてぇだしよ、つくしに訊いても会ってねぇって言うし。その類が突然来た翌日にこの騒ぎだ。
三条、おまえも今にして思えば、ヤケに落ち着いてたよな? 騒動が起きてから俺に掛けて来た電話、マネージャーならもっと慌てても良さそうなもんなのに、そんな素振りは一切なかった』
『淑女たるもの、どんな時でも落ち着いていなければなりませんから』
『ほぉー。家で騒々しいおまえを見たような気がするが、あれは俺の勘違いか? それに淑女は男を蹴ったりはしねぇ。
類の極秘帰国を訊いても知ってたかのように動じねぇのにもビックリだが、まぁ、いい。色々迷惑掛けたな。助かった』
流石は野生の勘を持つと言われるだけのことはある。
でも、詳しくは知らなくていい。道明寺さんも、先輩も。
赤裸々な中身を持つUSBメモリの存在は、しこりの元だ。そんなもの残さない方が良いに決まってる。
「滋さん? 真相を知って後悔してますか? マスコミに情報を流さなければ良かったって」
滋さんは目をゴシゴシと手で拭い「ううん」と、首を振った。
「後悔してないよ。これで良かったって心から思ってる。久々に気分がすっきりしてるんだ」
晴れやかな笑顔で答える滋さんの表情からは、偽りも澱みも感じられない。
「お帰りなさい、滋さん」
「やだ、桜子。私、これから出発するんだよ?」
「そうでしたね」
二人で顔を見合わせ声を出して笑う。
こんな滋さんの顔を見たのは本当に久しぶりだった。
言葉の意味に気付かない滋さんと笑い合いながら、胸の内でひっそりと呟く。
お帰りなさい、滋さん。友人たちの元へ帰って来てくれて、本当に良かった……と。
「そうだ、滋さん。先輩ももうすぐ来ると思いますよ?」
「え、つくしが?」
「えぇ。って、もう来たみたいですけど」
遠くから二つの足音が訊こえて来た。
✢
司の仕事が思ったより時間が掛かり、ギリギリにやって来た私たち。
「滋さん!」
滋さんの姿を目に入れるなり、その名を大きく呼んだ。
ソファーから立ち上がり私の傍に来た滋さんは、
「つくし。私……、今まで本当にごめ──」
予想通りの言葉を紡ごうとしたけれど、私は、その口元を人差し指で塞いだ。
滋さんも散々悩んで、迷って、間違いを犯して、それでも最後は、きっと私たちを守るために父親の意に背いたのだと、昨夜、司が話してくれた。
「お互い謝るのはなしで」
耳元でそう言うと、司や桜子から距離を取ったところに滋さんを引っ張って行く。
「私も滋さんに酷いことしたから。滋さんのコロンの香りがついたジャケットだけ別にしたり、ボタン付けるのヘタクソって思ったし。
人には言えないようなこと一杯思ったの。だからお互い様ってことで。
それに最後は、私たちを守ってくれたんでしょう? だから、ありがとう滋さん」
「つくし、ごめ……、ありがとう」
言い直した滋さんが涙ぐむ。
「でも、これだけは言っておこうと思って」
涙で滲む目が私を見る。その目を見ながら私は宣言した。
「滋さん、司は渡さない。司を取らないで。誰にも司は渡さないから!」
目を丸くした滋さんは、でも次の瞬間、「ブハッ!」と吹き出し、
「つくし、最高っ!」
私を抱きしめ豪快に笑った。
「そうだよ。その調子だよ、つくし。じゃないと、私みたいな女にまた意地悪されちゃうよ」
想いを昇華させることが出来たのか、声音からも屈託のない色が窺える。
抱きしめる腕の強さからも滋さんの思いが伝わってくるようで…………でも、抱きしめる腕の余りの強さに、
「ぐぇっ!」
私の口からは蛙が潰れたような音がした。
「滋、離れろっ! つくしが苦しがってんだろうが!」
異変に気付き駆け寄って来た司と桜子に救出されたから良かったものの、すっかり忘れていた。この人のパワフルさ加減を。
「ご、ごめん。つくし大丈夫?」
ゴホゴホと咳き込む私の背中を滋さんが擦る。
「久しぶりだから興奮しちゃって」
気不味そうに様子を窺う滋さんに、咳も落ち着いた私は笑顔を見せる。
「ホント久々過ぎて私も油断が……。今度は、ちゃんと堪えられるようにしときますから!」
笑顔を交わす私たちの間に、もう溝はない。
この半年は、互いが互いの感情に翻弄され自分を見失っていたけど、何年も付き合って来た仲だ。その関係を嘘になんてしたくない。
きっと次に会う時には、何の遠慮もなくもっと本音をぶつけ合えると思う。
そして私はその時、滋さんを堂々と『親友』と呼ぶ。
「ちょっとトイレに行ってくるね! 桜子、付き合ってくれる?」
もう私からの話は充分だ。
行ってらっしゃい、滋さん。そして、ありがとう。
心で別れを告げ、桜子と一緒にその場を離れた。
✢
「司、色々とごめんなさい。ご迷惑をお掛けしました」
つくしと三条がいなくなると、滋は凄い勢いで頭を下げた。
「終わり良ければ全て良し。だろ?」
頭を上げ、「ありがとう」と言った滋の表情は、どこかすっきりとして見えた。
「私、今度こそちゃんと司のこと吹っ切るよ。これから先の人生は、自分の足でしっかり歩いていく。だからもう大丈夫。それに司より良い男を探すつもりだしね」
「俺より良い男がそこら辺にいるかよ。けど、おまえだけを見てくれる奴は必ずいる。それより、少し休んだらまたロンドン支社で復帰すんだろ。頑張って来い」
直ぐにロンドン行きを決めちまった滋は、雑音が入る日本にいるよりかは、遠い地で気持ちを落ち着かせたかったのかもしれねぇ。
それにこれは憶測だが、今は父親と距離を取るべきだと、そう判断したんじゃねぇかとも思う。
向こうで気持ちを落ち着かせ、親父の戯言に振り回されねぇほど、精神を安定させるために。
「司、ありがとう。司も頑張って。それから、つくしに逃げられないように」
ふざけんなっ!
「逃がすわきゃねぇだろ」
「だね…………私、そろそろ時間なんだけど、つくし達まだかな?」
滋が腕時計に目を落とす。
「多分、つくしは戻ってこねぇよ」
余計な気を使ったんだろ。
「そっか……。相変わらずつくしは人が良いんだから。じゃあ、あたし行くね!」
「ああ」
ソファーに置いてあったバッグを掴み、部屋の外へと出た滋に、俺は右手を差し出した。
それを見つめ戸惑う滋の手を強引に取り、握手を交わす。
「これからは前を見てしっかり生きろ。俺にとってもおまえは大切なダチだ。いつか胸張って堂々と帰って来い」
言葉にならねぇ様子の滋は、何度も何度も頷き、そして。
「行ってきます!」
でけぇ声で告げてから、ピンと伸ばした背中を俺に向けた滋は、未来を求めて一人旅立って行った。
✢
「あ、お帰り」
リムジンの方に乗って待っていたつくしに、あっさり風味で迎えられる。
それはそれで微妙なんだが、それだけつくしの中でも蟠りがなくなったってことだろ。
元々、人を恨むとかって知らねぇ奴だし。
それより。
「西田、お前三条の方に乗れ」
「畏まりました」
西田をリムジンから追い出し、この後、予定されているパーティーをどうバックれようか思案していた。
今日はクリスマス。つくしだって休みなのに、そんなくだらねぇもん行ってられるか。
車が走り出して暫くすると、日が落ち始めた街中に色とりどりの光が輝き始める。
それをつくしも気付いたのか、子供みたいに窓にへばりつき「綺麗」と呟いている。
その様子に俺は、昨日、会見場に向かう途中で見た、彩られた街中を歩く幸せそうな恋人たちの姿を思い出した。
よし、決まりだ。
俺はスマホを取り出し、画面を操作し打ち終えると、運転手に停まるよう告げた。
「どうしたの?」
「逃げるぞ! クリスマスデートしようぜ!」
「え!」
つくしは驚き、だが直ぐに瞳を輝かせた。そんなに嬉しいのかよ。
「つくし、降りるぞ」
「うん!」
つくしは帽子を目深に被り、口元もマフラーで覆い隠している。
「帽子はいらねぇ。マフラーも首元だけでいい」
「でも……」
「大丈夫だ」
つくしの頭から帽子を取って放り投げ、マフラーを巻き直してやると、手をしっかり掴み外へと出た。
後ろに停まる車に、ニヤッと笑みを投げつけると、二人して堂々と彩られた街へと繰り出した。
俺達は、もう隠れる必要なんてねぇんだから。
✢
あれ? 何でこんな所に停まるのかしら?
先輩たちを乗せた前を走るリムジンが、突然に停止した。
それと同時になるメールの着信音。中身を開けば、
『説教なら後でいくらでも聞いてやる』
それだけが書かれていて、全く意味が分からない。
何をやらかす気かと前方を窺えば、ドアが開き道明寺さんが降りてきた。
まさか!
そう思った時には、道明寺さんがこちらを見てニヤリと笑い、想像通り変装もしていない先輩が続いて降りてくる。
「桜子さん! いいんですか? 街中パニックになりますよ!」
運転席と助手席に座るスタッフが慌てふためくけれど、こうなったらもう誰も止められない。
「SPの方たちは付いていますよね?」
「はい」
訊ねた私に即答した西田さんは、動じた様子もなく、早速 道明寺さんの勝手な行動に対して仕事の調整をしているようだった。
この中で焦っているのはうちのスタッフだけだ。
「桜子さん、もし何かあったらどうするんですか!」
大丈夫でしょ、SPも猛獣さんもついてるんだから。
「みんなビックリしてますよ?」
そりゃ驚くに決まってる。
昨日会見開いたばかりの話題の二人なんだから。
「桜子さん……」
スタッフは声を震わせ縋るような目を向けてくる。
「いいじゃない今日くらい。あの二人、クリスマスもまともに過ごしたことないんだから。やっとこうして堂々と歩ける日が来たの。
クリスマスプレゼントとして、デートくらい楽しませてあげましょ? ちゃんと説教を聞く気もあるらしいし、しっかりメンテナンス代も請求させて貰うしね」
「メンテナンス?」
首を傾げるうちのスタッフに、そこは反応しなくていいのよ、と睨み一つで黙らせた。
やっと平和が訪れたのだから、今日くらいは大目に見たって良い。
それに私も明日からは忙しくなる。
突発的な結婚発表だっただけに、色んなところへの説明と謝罪を兼ねた挨拶周りに行かなくてはならない。
何せ契約の縛りがあったにも拘らず極秘結婚をし、尚かつ突然公表までしてしまったのだから、違約金等の問題もある。
既に社長が根回しに動いているけれど、明日からは私も、そして先輩も、各所へ頭を下げて回る毎日だ。
それも先輩の幸せのためと思えば何てことはない。けれど、エネルギーの補給くらいはしておきたい。
「西田さんも、これで仕事なくなっちゃいましたよね?」
「はい」
「だったら、お食事でも付き合ってもらえません?」
普段、驚いたりすることのないこの人が、ビクッと反応するのが面白かった。
「喜んで付き合わせて頂きます」
「じゃあ、請求はあの二人にね!」
「いいえ、私にご馳走させて下さい」
先輩? 私だっていつまでも先輩のお守りばかりしていられませんからね。
私もそろそろ先の未来を見つめないと、素敵な人と一緒に。
意外と近くにいたような気がするから。
段々と小さくなっていく二人の後ろ姿を見ながら呟く。
「先輩、道明寺さん、メリークリスマス」
✢
「綺麗だね」
イルミネーションの煌めきの中、繋いだ手を決して離さぬように、いつもより少しだけ力を入れて司の隣を歩く。
何もしなくてもいい。こうして二人で歩けることが堪らなく嬉しい。
周りからの視線は気になっても、当たり前の日常がなかった私たちにとって、こんな風に二人で歩けるのは贅沢な幸せだ。
「司、こうして人目のあるところを歩くのって、数える程度しかなかったよね」
「そうだな」
「一つは、司が記憶を取り戻したお祝いパーティーの時でしょう」
「いきなりそれかよ」
いつまで経っても司は、記憶喪失時の話をするとバツの悪そうな顔をする。
消し去りたい黒歴史らしい。
「それから制服デート。それと短かったけど手を繋いで歩いたの覚えてる?」
「ん? 滋の島か?」
「あれは無人島だから人が居なかったでしょ? だからカウントしないの。他にもあるよ。覚えてない?」
首を僅かに傾いで記憶を辿ってるらしい司に、あっさり答えを告げる。
「まだ当時は付き合ってなかったけど、8年前の今日、動物園で。その時、若いパパとママねって、夫婦だと思われたんだよ、私たち」
「あぁ、そうか。あったな。あれが8年前の今日か。今は本当の夫婦だな」
「うん」
「当時の哀れな俺に教えてやりてぇよ。安心しろ。おまえはその逃げ回る女をちゃんとものにして、8年後には嫁にしてるって」
私たちは互いの目を見ながら笑いあった。
長い付き合いではあっても、あまりにも少ないデートの思い出。
でもこれからは沢山増えて、新たな私たちの歴史に刻まれていく。きっと今日の場面も。もう誰の遠慮も要らないのだから。
私は繋いでいた手を離した。
いきなり離したせいで、司は不満を隠さない目で見るけど、私にはずっと憧れていたことがある。
それを実践すべく、司の腕に自分のものをそっと絡ませた。
「ずっと、羨ましいなって思ってたんだ。 クリスマスに普通に腕組んで歩くカップルが」
「そうか」
不満げだった表情は消え、代わりに司の顔に赤みがさした。耳まで真っ赤だ。
どうやら照れてるらしい。
パーティー以外で腕を組むなど殆どなく、こうして歩くのは新鮮で、普通の恋人たちにとっては自然なことでも、私には尊いと思える行為だった。
「8年前のデートは、人生最低のクリスマスだったけど、今年は最高のクリスマスになったね」
「あー、もう。おまえはあんまり可愛いいことを言うな、やるな! 今すぐメープルに駆け込みたくなんだろうが!」
突然、暴走する司だけど、見上げた顔は幸せそうだから私の顔も一段と緩まる。
吹き付ける風はとても冷たいけれど、今はそれさえも嬉しい。
愛する人の温もりが一段と強く感じることが出来るから。
きっとこれから先もずっと、私はこの温もりを感じながら生きていくのだろう。
例え、どんな北風が吹き荒れようとも、この温もりを知ってしまった私は、強風に逆らい抵抗しながらも隣りを歩く。
二人で生きて行くと決めたこの覚悟は、もう二度と吹き飛ばされはしない。
✢
────あの会見から2ヵ月。
計算外の公表により、つくし側はスポンサーや出版社などの説明に追われたり、契約上に於いてのバタバタはあったものの、それも何とか落ち着きを見せた今日。
再び、俺達の写真が世間を賑わせることになる。
タキシードとウェディングドレスを纏った、俺たち二人の写真が。
そう、今日は俺たちの結婚式だ。
つくしから離婚届を突き付けられた10日後のパーティー会場で、ツラを貸せ、と三条をクロークへと連れ出した俺は、預けていた鞄から一覧表を差し出し、
『今からでも押さえられる二月中の日にちをピックアップしてきた。つくしのスケジュールが合う日をここから選べ。若しくは、スケジュールをこっちに合わせろ』
無茶な要求の協力を三条に求めた。
急だとか、勝手だとか、諸々な文句をつらつらと並べ立てられたが、『誰の言うことも聞かねぇ』と明後日の方向を見て聞き流す俺に、遂には折れた三条が日にちを指定し、その場で電話をして押さえたのがメープルのチャペル。
そのチャペルで先程、俺たちは神に愛を誓ったばかりだ。
世間には結局2ヶ月前に俺達のことを公表したが、本当なら此処でつくしを俺の妻だと発表するつもりだった。
もしあの時、大河原と全面戦争となっていたら、その足でつくしを迎えに行き、泣こうが喚こうが罵ろうが即刻拉致監禁して手元に置くつもりだった。
当日の挙式をも拒否しようもんなら、暴れるつくしを抱えてでもチャペルへと連行し、マスコミの前に強引にお披露目してやると企みまくりで、また違った今日を迎えていたはずだ。
幸い、そんな乱暴な手段に出ることなく、穏やかかつ無事に挙式を済ませた俺たちは、幸せに満ち溢れた顔でマスコミがひしめく前に姿を晒す。
チャペルの入り口から続く階段下でシャッターチャンスを狙ってる奴ら。
散々、嘘八百の記事を書き立てたおまえ等に、思い知らせてやる。今までの写真が如何に偽りの表情だったかを。
今日は過去にはねぇ最高の瞬間を提供してやる。有り難くシャッターを切れ!
「とびきりの顔見せてやれよ。今までろくな写真撮られなかったからな。幸せな顔、こいつ等に見せ付けてやろうぜ!」
「うん!」
白いドレスに身に纏ったつくしの腰を引き寄せれば、つくしは踵を持ち上げ俺の首へと腕を回してきた。
幸せを全身に感じながら、シャッターが途切れることなく続く中、俺達は長く深いキスを交わす。
その唇が離れると、代わりに互いの額を寄せ合わせ、最高の笑顔で見つめ合った。
もう隠しはしねぇ。俺の唯一の自慢である最高の妻を。
幾らだって幸せそうなつくしの顔を見せ付けてやる。仕方ねぇから、その隣でやに下がる俺の顔もサービスだ。
きっとこの先の未来まで、俺たちの幸せが滲み出る映像や写真が何度となく出回るだろう。
俺たちの仲は、何人たりとも入り込む余地がねぇと、思い知るばかりのそれらが。
永遠の愛がもたらす力によって……。
但し、甘い時間のひと時は、これから先も二人だけの【Secret】だ。
────邪魔すんなよ?
fin.

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最後までお付き合い下さいました皆様、本当にありがとうございました!
ずっとすっきりとしない展開にも拘らず読んで下さったことに、感謝しかありません。
明日からは、これも昔のお話になりますが3話完結の短編をupさせて頂こうと思っています。
それが完結した後に、改めてご挨拶させて頂きますね。
取り急ぎ、この場から心からの感謝を。
本当にありがとうございました!
そして、メリークリスマス!