Secret 51
まるで赤鬼だ。
向かいに座る滋の父親は、酒を飲んだわけでもねぇだろうに、怒りを漲らせ顔を真っ赤にして怒鳴った。
「一体、これはどういうことだ! 司君、滋とのことをどう考えておるんだ!」
どういうつもりも何も、この騒ぎを引きお越したんは俺じゃねぇって分かってんだろうに、そんな矛盾さえすっ飛ばすほど、計画が破綻した今の現状に怒り心頭らしい。
逆恨みもいいとこだ。
興奮する親父を素通りし、その隣に座る滋を見る。
『全部、話すぞ』とアイコンタクトを取れば、滋は黙って頷いた。
それを合図に俺は口を開く。
「滋さんとの縁談話ですが、私は最初からお受けしたつもりはございません」
「な、何だと?」
「何か、私から婚約、結婚などと言う具体的な言葉を聞いたことがありますか? 私には結婚できない理由がありますので、そんな約束する筈はないのですが」
父親の眉間の皺は深さを増し、悔しさで顔が歪んでいく。
「ふざけるな! 君も楓社長も、否定はしなかったじゃないか!」
「否定はしませんでしたが、肯定もしていません。私の母からも、その時期がくれば私が動くはずだとお話があったと思いますが、今がその時だと、こうして伺いしました。はっきり滋さんとの結婚はないとお伝えする為に。私には、愛する女性がおりますので」
ガン! と父親が拳をサイドテーブルに振り落とし、置かれていたカップが派手な音を立て中身が零れ落ちた。
興奮は激化する一方だ。血圧上がり過ぎて、ひっくり返んじゃねぇだろうな。
「こんな侮辱は初めてだ! こんなことして、ただで済むと思うな! 君の大切なものなんてどうとでも出来る。私たちを馬鹿にしたことを後悔すればいい!」
「ならば、こちらとしても考えなくてはなりませんね」
瞬き一つせず眼光を鋭くさせ告げた。
「ほう、そんな簡単に出来るかね。道明寺も痛手を負うはずだ」
「道明寺だけなら、そうでしょうね。では、NYで1、2位を争う企業と既に手を組んでいるとしたらどうです?」
NYで1、2位と言ったら、必然的に分かるだろ。
「っ、まさか……!」
「そこの会長は、昔から牧野つくしのファンなんですよ。彼女を守るためならば協力は惜しまない、そう言って下さってます」
その会長がつくしの味方であるのは確かだ。つくしの為なら協力は惜しまねぇと。
ただ、つくしが過去に、息子の代になったら道明寺は潰れる、と言っていたと主張する会長は、俺がそもそもつくしの相手として相応しいのかどうか、見極めるために無理難題を仕掛け、それらをクリアするために、俺はNY出張で3週間も足止めを食らった。
そのNYにまでわざわざやって来て、隠し撮りをしただけに留まらず、写真まで流出させたのがこの親父だ。
思い返すだけで血が沸騰しそうだ。
ムカつくままに、言葉を失くした父親に追い打ちをかけてやる。
「ただ、私も出来ればそのようなことは避けたい。私の妻が悲しむんでね」
「な、なに……? 何て言った……妻、だと?」
「ええ。牧野つくしは私の妻です。世間にはまだ公表していませんが、滋さんが私の秘書になる以前から、私には妻がいます。日本は一夫一婦制なんで、滋さんと結婚の約束などするはずないんですがね。何より私が、つくし以外の誰も要らない」
親父は、これ以上開かないほど目を大きく開き、そして隣に座る娘の滋を見た。
「滋……、おまえは知ってたのか?」
「うん。知ってたよ。知ってて、二人の間に割り込んじゃえ!なんて考えてたんだよね。もしかしたら、何とかなるかも、とか思っちゃったりしてさ」
ぎこちない笑みではあるが、滋からは、憂いや澱みのようなものは感じらんねぇ。あるのは気不味さとか、後悔か。
「知ってて、お前は司君の傍に……」
「大河原社長。今のあなたに滋さんはどう映りますか?」
「なに?」
「私は、滋さんの笑顔を久しぶりに見ました。滋さんが私の秘書になってからこの半年、彼女は彼女らしさを徐々に失っていった。どうかこの笑顔を大事にしてやって下さい。これ以上、道明寺と揉めたところで、そちらにとって良いことは何一つもない」
束の間、言葉を詰まらせたが、しかし再び親父は咆哮した。
「知った口を聞くなっ! 娘の幸せを願い、誰よりも娘を分かってるのはこの私だ! 馬鹿にするのもいい加減にしろ! 私がこのまま黙ると思ったら大間違いだ!」
一度振り上げた拳は下ろせねぇってとこか。
にしても面倒くせぇ。こっちが下手に出てやってんのに、限界だっつーの。
「ふっ、何が分かってるだよ、笑わせんなっ!」
敬語なんか、どっかにすっ飛んだ。
「き……、貴様っ」
俺の豹変に相手は目を剥くが、知るか。
そもそも、分かってねぇからこんなことになってんだろうが。
滋を秘書にと打診された当初、プロジェクトもある手前、大河原との関係を保つために受け入れるしか選択肢はなかった。
だが、その裏側にある思惑は何か。考えるまでもなく単純なモンだと、ババァも俺も見解は一致。
俺との婚姻は大前提にあるとして、秘書になって内部に入り込ませた滋には、いずれ諜報活動や内部工作、或いは女の武器を使わせるつもりなんじゃねぇかってことだ。
道明寺の弱みを握り、大河原主導での婚姻を纏め、いずれ道明寺を呑み込む。大まかな設定は、多分そんなとこだろう。
だったら、目の届かねぇところで別の工作を企てられるよりかは、逆に懐に入れ滋を監視化に置いた方がいい。
つくしを巻き込んだ計画でも立てられたら堪ったもんじゃねぇ。
今回は精神面で追い詰められたが、物理的な攻撃だって考えられた。あいつを危険な目になどあわせられるわけがなかった。
近くに置いておけば、滋にも手を汚さねぇための守る手段にも繋がる。監視化下にさえ置いておけば。
「あんたは娘の気持ちを利用してるも同じなんだよ」
「黙らんか、この若造が!」
結果として、諜報や工作など、滋の動きに怪しいところはなかった。滋も、自分にそんな役割があるとは、まだ知らなかったんじゃねぇかとも思う。
しかし、俺と同じようにタイミングを図ってただけで、この親父はいずれ滋に指示を出してたに違いねぇと俺は睨んでる。
事実、分厚い訂正案とやらを滋に託し、滋にホテルに待ってこさせたくれぇの男だ。
まともな親なら、大事な娘をホテルになんか送り込むかよ。
「黙ってられるかっ、散々小細工しやがって! あんたが娘にすべきは、甘い夢を見させることじゃねぇだろっ! 小細工なんかなしに滋が幸せになれる道を指し示し、見守り応援してやるべきだろうが! それを惑わしやがって、あんたがやったことは、滋の気持ちにつけ込み弄んだのと同じだ!」
「っ…………」
「正直俺は、つくしに余計なことを吹き込んだあんたを、今すぐにでも潰しにかかりてぇんだよ。ご丁寧に写真まで渡しやがって」
滋が「え」と小さな呟きを漏らしたところを見ると、滋の与り知らぬとこでの親父の悪事だったらしい。
「それでもこうして此処に来たのは、滋を最悪な事態に巻き込みたくねぇからだ。最終的に父親の意に背き、俺たちを守ってくれた滋に対しての温情だ。だが、あんたが折れないってんなら、俺はとことんやる。ダチの未来を奪おうが、一切手を抜くつもりはねぇ。あんたの返答一つで俺は直ぐに動く…………いいか、ここがデッドラインだ」
悔しさを滲ませ口角を下げる親父に、一段と睨みを効かせ、そして────静かに頭を下げた。
同時に伝わってくるのは、親父と滋が共に息を呑む気配。
「…………退いてくれ、あんたが。俺にダチの未来を奪わせんな。滋の未来を守れんのは、あんただけだ」
「っ…………、」
「退いてくれ」
もう一度、繰り返してからどれ程が経ったか。
滋からは途中何度も、「止めて!」と涙ながらに言われたが、それでも俺は頭を下げ続けた。
訂正案をホテルに持ってきたくらいだ。滋だって父親の思惑に便乗もしたんだろう。
つくしを蹴落とす気持ちもあったに違いねぇ。
だからこそ、引くところは引かせながらも、慎重にならざるを得なかった。
愛情と憎しみは紙一重だ。思い通りにならなきゃ、どんな行動に出るか分からねぇ。
自分もそれで、つくしを滅茶苦茶にしてやりてぇと、英徳の校内で襲いかかろうとした過去がある。
何せ滋のバックには、悪巧みする親父が控えてる。それを踏まえれば、滋の扱いは綱渡りと同じ、下手に刺激を与えねぇよう慎重になるしかなかった。
でも結局滋は、ギリギリのところで自分を立て直し父親に反した。
散々気持ちを揺らしながらも、それでも滋が選んだのは、俺たちの仲を公表することで、それは俺たちの幸せを願わなければ結びつかねぇ手段だ。
間違った自分を認めるのも正すのも容易じゃねぇ。だが、それを行動に移した滋を、つくしなら絶対に許す。
寧ろ、滋を守ろうとさえするだろう。
つくしの思いに添えば、俺がしてやれることは一つしかねぇ。
忍耐が焦げ付くまでは、全面戦争を回避すべく働きかけるまで。それがきっと、つくしの望みだ。
「……司君」
やがて、力の失せた父親の声が届く。
「頭を上げてくれ。君が頭を下げるなら、私も頭を下げねばならなくなる。私は下げたくないから君が頭を上げろ。君のその行動は一切見なかったことにする」
とんでもねぇ理屈だ。屈折具合が半端じゃねぇ。
だが、喩え自分に非があろうが、自分の子供と同じ歳の若造に謝罪すんのは、無駄に高いプライドが邪魔して無理なんだろう。
拗れた親父の精一杯の折れどころが、きっとこれだ。そう判断し顔を上げれば、父親は声同様に力なく遠くを見ていた。
「信じられんかもしれんが、私はこれでも滋を愛してるんだ。このお転婆な娘をね。その娘が慕う相応しい男を宛がえ、延いては、この大河原の発展を望むことこそが滋の幸せにも繋がる。そう思う私は間違っているのかね」
「滋の気持ちに負担をかけるのが幸せだとは、何の冗談だ。道明寺に対しての行為も、正攻法でもなければ時代にそぐわねぇやり方だろうが」
即答すれば、滋の父親は目を瞑り、深く、長い溜め息を落とした。
しかし、目を開けた次には、「ふん」と尊大な態度を取り繕って、父親は鼻を鳴らした。
「生意気な男だ。生意気な男など大河原の身内にはさせられん。寝首を搔かれちゃかなわん。関係を持つなどこちらからお断りだ」
言葉に反して声音には微塵も力が入ってねぇ。魂が抜け落ちたみてぇに。
どこまでも捻くれた物言いで腹立たしいことこの上ないが、さっきまでの覇気はなく、虚勢張ってるのが見え見えの姿に、無理やり溜飲を下げる。
「それは今後、道明寺やつくしに対して手を出さねぇって受け取っていいんだな?」
「娘の婿にならぬ男にもその女にも、構ってる暇などない。道明寺財閥に横槍を入れる理由もなくなった」
「その言葉、忘れんなよ。二度目はねぇ。次は待ったなしで潰す。
それから母親から伝言だ。健全なる双方の飛躍のためだけなら、今後も良好な関係を継続するのに異論はねぇそうだ。尤も、俺は異論ありまくりだがな」
それだけ告げて席を立つ。
ソファーに全身の力を委ね、遠くに視線を置く父親の目はどこか虚ろで、俺が来た時よりも数段老け込んだように見える。
もうこの親父に言うことは何もねぇ、と出口へ向かう。
が、ドアに差し掛かった時、囁くような声を訊いた。
「…………すまなかった」
声が小せぇんだよ、クソ親父!
怒鳴ってやりてぇのは山々だが、俺は無視した。
野望は立ち消えとなり抜け殻になった男に、もう用はねぇ。第一、謝罪を受け入れられるほど、俺の怒りも鎮まったわけじゃねぇ。
俺は振り返りはせず、歩く速度も落とさないまま部屋を出た。
エントランスを抜け、腕時計に目を落とす。
なんとか会見には間に合いそうだ。
「司!」
西田が待つ車に乗り込もうとする寸前、滋の声が呼び止める。
駆け寄って来た滋は、俺の前に立つなり深く頭を下げた。
「司……、本当にごめんなさい」
「顔上げろ」
気不味そうに上げた滋の顔は、俺が父親と対峙している時から泣いていたせいで、目も鼻も真っ赤だ。
うさぎ並みに赤くなった目を見ながら、確かめるように言う。
「もう大丈夫だな? 二度と見失うんじゃねぇぞ、自分を」
俺としっかり目を合わせた滋は、力強く頷いた。
「これからは、おまえがしっかりしろ。あの親父をリードするくらいになれ。じゃあ、行くわ。つくしが会見開くから急がねぇと」
車に乗り込もうと足をかければ「司!」また滋が呼び止めた。
振り返れば、落ち着いていたはずの涙を再び滲ませ、声を震わせた。
「…………離婚なんてしないよね?」
「するかっ! してたまるかっつーの!」
「うん…………私、つくしに酷いことしたから。一杯、意地悪したの。だから、つくしにごめんなさいって、本当にごめん、って伝えてくれる?」
「んなもん、自分で言え」
俺はさっさと車に乗り込んだ。
ドアを閉める直前、
「でも私、明日……」
「分かってる。ここに来る前、あきらからメールが来た。じゃあ、明日な」
届いた声に先を言わせず話を畳む。
戸惑う滋を置き去りに、「出せ」と運転手に指示を出し、記者会見場へと急がせた。
ここからなら30分もあれば着くはずだ。
だが、暫く走ると渋滞に捕まる。
そうだった。今日はクリスマスイヴだった。
いつにも増して人も車も多いのはそのせいか。
車内から見る行き交う恋人たちは、イルミネーションに彩られた街中を、幸せそうに歩いていた。
✢
「ふぅー」
会見会場へと繋がるドアの手前。呼吸を整えその時を待つ先輩は、流石に緊張に包まれているようだった。
正式な会見なんて初めての経験で、緊張しないはずがない。
「先輩、大丈夫ですか?」
「うん、何とかね。口から心臓が飛び出そうだけど」
全く何とかなっていないらしい先輩に、ストローを挿したミネラルウォーターのペットボトルを手渡す。
「先輩? 何を話すつもりです?」
会見開始数分前のこの時になっても、何を語るつもりなのか、先輩は教えてはくれなかった。
「全部……、かな」
水で一口喉を潤してから答えた先輩に、続けて訊く。
「全部って、それって別居のことも?」
「だって本当だし。ここまで騒がせてる以上、本当のことだけ話すよ」
余計なことは言わない方が、と注意する前に、別のスタッフから「時間です」と声がかかってしまう。
結局、何も言えないまま、
「よし、大丈夫! 桜子、行ってくるね」
時間が来て気合を入れ直した先輩からペットボトルを受け取り、見送るしかなかった。
ドアを開け放ったままの袖で、先輩の姿を見守る。
先輩が会場入りすると一斉にフラッシュが閃き、いよいよ会見は始まった。
初めに先輩は、今回騒がせていることへの謝罪と、忙しい中集まってくれた取材人に対して礼を述べ、頭を下げた。
それが終わり椅子に腰を下ろした先輩は、意外と落ち着き払っているように見える。
座るなり、四方八方から飛んでくる質問に耳を傾けた先輩は、その中の一つを受け取った。
「早速ですが牧野さん、今回の道明寺さんとの交際についてお認めになりますか? 詳しくお聞かせ下さい」
先輩はひと呼吸起き、いよいよ話し始めた。
「道明寺さんとのことについてですが、お話をする前に、先ずは皆様にお詫びをしなくてはなりません。実は、皆様にずっと秘密にしていたことがございます。
それは、道明寺司さんとは交際ではなく、既に結婚していると言う事実です。今まで公に出来ず、大変申し訳ありませんでした。本当にごめんなさい」
会場から驚きの声が上がる中、いきなり結婚の事実を切り出した先輩は、テーブルに額がつくスレスレまで、またもや頭を下げている。
会見が始まって僅か5分。そこへ、大きな足音が近づき、息を弾ませた道明寺さんが西田さんと共にやって来た。
「三条! 間に合ったか?」
「見てくださいよ、あれ。いきなり結婚カミングアウトです」
「はぁー、助かった。公表、更に2ヶ月早まったな」
「呑気なこと言ってないで、あの頭を早く上げさせてやって下さい!」
「おう、行って来る」
ネクタイを整え、中へと入っていく大きな背中に願いを託す。
この半年の哀しみやすれ違いの日々が、終焉の時を迎えられますように……、と。

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