Secret 50
朝から凄い数の報道陣に追いかけ回され、移動する度に緊張が走り、スタジオに入るまで気が抜けなかった。
司と私との関係が今朝になって突然と取り沙汰されたせいで。
以前にも司と写真を撮られたことはあったけど、その時とは比にもならないほどの騒動になっている。
それもそのはず。
何せ今回はただの噂ではなく、私たち二人のプライベート写真が流出し、しかも10代の頃からの付き合いだと認めるコメントを出してしまった人たちがいるのだから。
その人たちとは、まさかの美作さんに、西門さん。
そして、どういうわけか滋さんまで。
よりにもよって、どうしてあの人たちが話してしまったのか。お祭りコンビに何度連絡しても、揃いも揃って捕まらないという謎。
この人たちが明らかにしてしまっては、折角、道明寺家がブロックしていた情報操作も意味を失くす。
お陰でマスコミは、本人たちからもコメントを取ろうと必死だ。
あまりの必死さに恐怖すら感じる。
何故こんなことになっているのか。
考えても考えても混乱するばかりで、私の知らぬところで何が起きているのか事情が掴めなければ、マスコミにどう対応すべきかの判断もつかない。
もしかしてこれは、司が意図的に情報を流したのではと疑ったけど、多分違う、と言った桜子が今、確認に回っている。
報道では、長い付き合いの私たちが、間もなく結婚を発表するのではないか、そう騒いでいるけれど、どうやら司は、まだ離婚届を出していないようだから、正確には既に結婚している身だ。
友人たちは皆、高校時代のエピソードを盛り込み長い交際は語っても、公表していないために配慮をみせたのか、結婚については触れず仕舞い。
配慮するのであれば初めから何も言わないで! と、抗議したくても誰とも連絡がつかないのだから、もやもやとしたものだけが、ひたすら燻る。
この微妙に間違った報道を、どう収めるべきか。
しかも今は、離婚前の別居中でもある。一段と話は複雑化している。
考えれば考えるほど、頭が痛くなりそうだった。
「先輩」
そこへ、桜子が控え室に戻って来た。
「今、道明寺さんと連絡が取れました。今回の件、リークしたのは滋さんです」
「なっ! 嘘でしょ? どうして滋さんがそんなこと」
コメントを出した以前に情報を流した張本人が、滋さん……?
もう何がどうしてこうなったのか、まるで見当もつかない。完全に私の思考容量を超えている。
「さぁ。何か心境の変化でもあったのかもしれませんね」
とにかく、この摩訶不思議な状況に、どう対応するべきか。いよいよ本気で決めなければならないと、桜子と相談しようとした時だった。控え室のドアがノックされる。
話は中断となり、桜子がドアを開ければ、
「お義母様!」
有り得ない人のお出ましに、私は椅子から飛び上がった。
流れるような足取りで控え室に入って来たお義母様は、桜子が動く前に「直ぐに失礼しますからお気遣いなく」そう言って、立ちすくむ私と向き合う。
何を言われるのか心が落ち着かない。
しかし、桜子が気を利かせて部屋を出て行くなり、意外性を突き抜けた有り得ない科白が、事もあろうかお義母様の口から吐き出された。
「あなたに言い忘れていたことがあったの。ずっとお伝えするのを忘れていたわ。魔法の言葉を」
「……へ?」
言った本人とは不似合いな幻想的ワード、『魔法の言葉』。そのギャップに口から漏れたのは、気の抜けた一文字のみ。
私に向け呪いの呪文でも唱えるつもりだろうか、魔女だけに。
だとしたら、不似合いではなく、お似合いとするべきか。と、キャパオーバーの頭は、くだらない思考ばかりが占領する。
けれど、真顔で言われたそれは、嘗ての自分が口にしたものだと気づいた。
「過去にあなたにした非礼の数々、謝るわ。ごめんなさい。それから、司を暗闇から救ってくれて、愛してくれて、ありがとう。それでは、失礼するわ」
…………え。
ま、まさか、それを言うためだけに此処に来たってこと?
お義母様は、冗談のような早さで直ぐに出て行こうとする。っていうか、本当にそれだけ!?
「ま、待って下さい!」
ドアへと向かうお義母様を咄嗟に呼び止める。
足を止め振り返ったお義母様と再び向かい合うものの、この事態をどう解釈すれば良いのか。本気で理解に苦しむ頭には、その先の言葉が浮かばない。
まさか、こんなことを言われる日が来ようとは……、一体なんの罠だろう。
罠じゃなければ、おかしい。
じゃなければ、まるで私を受け入れてくれてるのような発言に訊こえてしまう。
私より滋さんを望んでいるのだろうし、メープルのパーティーに出席する時だって、モデルの『牧野つくし』の価値だけを求め、嫁としては扱われなかった。
最後まで呼び方も『牧野さん』と徹底していたはずのお義母様が、何故に……。
疑問は深まるばかりで、やはり答えを導き出そうとすると、『罠』にしか辿り着かない。
「奇妙なものを見る目で私を見るのはお止めなさい」
よっぽど怪訝な顔をしていたのだろうか。指摘を受けて、気不味さから視線を落とした。
「心の声も駄々漏れです。気をつけなさい。罠じゃありません」
続けての注意に、しまった! と、反射で顔を上げ慌てて口を両手で覆い隠す。
最近ではこの癖も治ってきていたのに、こんな状況で漏らすとは、相当混乱してるからに違いなかった。
「全くあなたときたら……。そんなだから、こうして来たんです。つくしさんが後ろ向きになってしまうのは、私にも責任の一端があるのでしょうから」
口から手は離さず、『どういう意味でしょうか?』と、目で答えを求める。
「過去の私が、あなたに相当なトラウマを植え付けてしまったのでしょう。全てを水に流せなんて都合が良いことは言いませんけれど、少なくとも私には、昔のような考えは微塵もありません」
多分、今の私の目は、落ちそうなほど見開いてると思う。
お義母様は、「それからパーティーの件ですが、」と、私が駄々漏れにした疑問を解消していくつもりのようだ。
「司の妻はあなたです。司のパートナーを務めるのは当然です。しかし、人気モデルでもあるあなたが司のパートナーを務めれば、メープルの宣伝となり利益に繋がるのも事実です。またその力を借りたいと思うのも本音です。
だとしたら私は、道明寺家の嫁なんだから、黙って言われた通りにしなさいなんて言えないわ。それはプロに対してフェアじゃありませんから。
つくしさんが今の力をつけるまでに至った努力を尊重し、敬意を払うのは当然です」
衝撃を受けた私は力が抜け、口元を押さえていた手もストンと落ちた。
そんな風に見てくれていただなんて、まさか夢にも思わなかった。
「え……、私てっきり……」
「…………」
「そんな風に見えなくて……あの……、す、すみません」
自分は随分と失礼な見方をしていたのだと思うと申し訳なく、しどろもどろで謝る。
身が縮む思いだ。
「分かり難いとは良く言われますが、表現が下手なのは諦めてもらうか、慣れてもらうしかないわね。……私も努力はしますけれど」
お義母様の表情は微微とも動かず、だけど私を見ていた眼差しだけは、僅かに他所へと流れた。
これは困惑なのか、或いは、ばつが悪いのか。だとしたら、確かに分かり難いにも程がある。
でも、立て直しもまた早かった。迫力のある瞳が再び私を捉える。
「とにかく、これだけ世間を騒がしてしまっているのですから、何かしら発表をするしかないでしょう。意味がないのでブロックしていた情報も19時をもって解除します。
それまでに心を決めなさい。本当に司と別れるのか、もう一度二人で歩むのか。あなたの心のままに正直に、生きる道を選びなさい。
そして、進むべき道を決めたのなら、自分の生きる道くらい覚悟を持ちなさい。では、私はこれで」
今度こそ背を向けたお義母様は、
「ありがとうございました!」
慌てて大声でお礼を告げた私に振り向くことなく、颯爽と出て行かれた。
誰もいなくなり、力が抜けその場にへたり込む。
勘違いも甚だしく、思い込みだけで自分を追いつめていただなんて、居たたまれないやら情けないやら。自分の至らなさに、どこまでも落ち込みそうだ。
でも、落ち込んでる場合じゃない。今は、ちゃんと考えなくては……。
目まぐるしい一日に、気持ちも思考も相当に忙しいけれど、答えを出さねばならない。自分の生きる道を。
────お義母様の教え通り、覚悟を持って。
✢
「もしもし、お疲れさまです。状況の方はどうですか?」
会議や諸々を片付け三条に電話を掛ければ、ワンコールで繋がった。
「重役会議で俺が結婚していることを明かして、大方のところへの報告も済ませた。後は、大河原財閥に行って話をつけてくる。それが終われば、会見を開いてつくしとの結婚を公表する。つくしが何と言おうが俺は離婚しねぇ。世間に公表しちまえば、つくしもバカな真似出来ねぇだろ。あいつが逃げんなら、とっ捕まえるまでだ」
予定は大幅に修正させられたが、大河原家との縁繋ぎを望んでいた一部の取締役どもからの抗議も、世間の声を味方に最終的には黙らせた。
恐らくそいつ等は、裏で大河原が小細工して美味しい蜜でも与えられていたんだろうが、既につくしと入籍を果たしているとなっては、直ぐに打てる手はねぇはずだ。
残された問題は一つ。首謀者である大河原だけ。
それも、娘の滋が父親を裏切りマスコミに情報を流したんだから、向こうだって計画は破綻してんだろ。
だが、それで大人しくなるかは読めねぇ。
滋は俺たちが有利になるよう手を回した。
この滋が自らの手で決着させた幕引きは、大河原の親父さえ諦めてくれれば、全てが丸く収まる。そうなって欲しい。
滋の立場を思えば、大河原との最悪の事態は避けられるよう、やれるだけのことはしてやりたかった。
「それがですね。何を思い立ったのか、先輩、会見を開くって騒いでいまして。もしかしたら、道明寺さんより先に先輩が話しちゃうかもしれません」
「っ、話しちゃうって何だ! 何を話す気でいるんだ、あいつは! 別居してるなんて言ってみろ、また話がややこしくなんだろうがっ!」
今回の報道は、あきらや総二郎、それに滋が、高校時代からどれだけ本気で俺たちが付き合ってきたかを熱く語ったコメントのお蔭で、世間には好意的に取られてる。
つくしに対しては女性の支持も得て、色んな報道が飛び交っていたのにもかかわらず、俺達の関係を貫き通したことに結婚を望む声も多い。
今だからこそ、一気に結婚の報告した方がいいんだ。
バレた以上、下手に引き延ばさねぇ方がいい。
変なこと言い出さないだろうな、あのバカ女!
「道明寺さんのお母様がお見えになられて、それからなんです。何を言うのか聞いても、ちゃんと考えるからって、その一点張りで」
ババァだと!?
ババァの奴、俺達のこと認めてるよな!?
つーか、こっちにいるくせに重役会議に出て来ねぇと思ったら、つくしのとこに行ってたのかよ!
何なんだ俺の周りの女どもは。どいつもこいつも好き勝手に動き、俺の計画の邪魔ばっかしやがって。
しかし、ババァが何を言ったのかが気になる。
余計なことを言って、それでつくしが会見を開く気になったんだとしたら……不安しかねぇ。
「その会見、潰せ」
「無理です」
「何でだ」
「先輩が、また社長脅して動かしちゃいましたから。会見場も押さえてマスコミにも通達済みです」
何をやってんだよ……。もう溜め息しか出てこねぇ。
だが、ジタバタしても始まらねぇ。
「三条、会見何時からだ」
「夜の7時です」
今から2時間後。間に合うか?
腕時計を見ながら思案する。
しかし、間に合わせるしかねぇ、と三条から会見会場を聞き出す。
「とにかく、こっちが片付いたらすぐ向かう。後は、つくしを信じるしかねぇ。俺達の仲はそんな簡単なもんじゃねぇからな」
「そうですね。なるべく早く来てくださいね。道明寺さんが来ることは先輩には伏せておきます。逃げられても、それはそれで厄介なので。では、後ほど」
三条は不吉な言葉を最後に電話を切りやがった。
「逃げるとか言うなっ!」
切れた電話に怒鳴り、直ぐさま慌ただしく執務室を出て大河原家へ向かう。
この世でこんなに今日が忙しい奴は、準備に追われた赤服の白髭オッサンと、俺くらいじゃねぇのか!
文句を連ねながらも戦いの場へと急いだ。
✢
「滋! おまえは何てことをしてくれたんだ!」
予想通り、何もかもがぶち壊されて怒り心頭のパパだけど、もう何もかもが手遅れ。
「私は大切なものを失いたくなかった。それだけだよ」
初めはパパに頼るしかないと思った。
娘を思うなら司は諦めてと、パパにもきっとあるはず情に訴え頼るしか残された道はないと……。
でも、それは可能性が低いとも分かっていた私は、パパの話を聞くうちに、道は一つじゃないことに気づく。
時間も掛けず確実な方法があることに。
プロジェクトも此処まで来たら、影響はあるとしても大きな問題には発展しない。そう判断したら、迷いはなかった。
二人の事を明らかにすれば、パパだって思うようには動けなくなる。
実の娘の当の本人が司との交際を否定し、司とつくしこそが高校から付き合っている仲なのだと暴露したのだから、それを否定するなんて、流石のパパも容易く出来ないはず。
それでも念の為、あきら君やニッシーにも頼めば、私で幕引き出来るなら、それが一番穏やかな結末だと、二人は協力に応じてくれた。
パパが反論しようものなら、この二人をも否定することになる。それはあらゆる面に於いてリスクのある行為だ。
そしてこの結果、類君の目論見は崩れる。
世間に公になり注目されている以上、つくしだって司と別れるなんて軽はずみな行動には出られなくなるだろうし、類君も迂闊な真似は出来なくなる。
無理やりつくしを奪おうものなら、それこそ今度は類君が世間を敵に回す。
類君の企みを知った時、様々な司の顔が流れるように頭を掠めていき、そのどれもを類君なんかに奪われたくない、失いたくない、そう痛烈に思った。
ましてや、司を壊そうとしているのが信じている親友だなんて、余りにも司が救われない。
同時に、私が好きな司を守り通せるのは、心が汚れた私じゃない。つくしだ。こんな私のことすら庇う綺麗な心を持つつくしだけだと、今更ながら自然と受け入れられた。
類君が大切なものを壊すつもりならば、絶対に阻止する。二人を守る。不思議なほど早く気持ちは固まった。
散々、二人の仲を引っ掻き回した私だけど、二人の幸せを守ろう。そう決めた時、憑き物が落ちたように私の心は久々に晴れ渡った気がする。
「大切なものは司君だろ。それを手放したのはお前なんだぞ!」
「違うよ。ギリギリのところで私は大切なものを失くさずにすんだの。それに私にとって大切なものは一つじゃなかった。私にとって、司と同様につくしも大切なの。あのままでいたら、私は大切なものを失うところだった」
「何を馬鹿なことを言ってるんだ!」
馬鹿なのは今までの自分だ。
自分がしてきたことを思えば、大切な友人たちは私を許してはくれないかもしれない。それも覚悟している。
でも、あのままでいたら、友人の幸せだけじゃなく、自分の中にある人としての大切な部分まで失っていたと思う。
類君に見た、狂気。それは恐怖でしかなかった。
あれは未来の自分の姿だ。いつか私もあんな狂気に呑み込まれていたかもしれない。
既に片足を突っ込んでいたようなものだけど、愛情は時として人を変え、事実、そうなった類君を目の当たりにした時、呑み込まれちゃいけない、と心がブレーキをかけた。
気づくのが遅すぎるけど、恥じない生き方をしよう。せめてこれから先は……。
いつか友人たちに顔向け出来る日が来るのを願って。
「何か良い方法はないか……あの牧野つくしさえいなければ!」
こんな人でも私の父親。話せばきっと分かってくれるはず。
時間の許す限り、とことん説得する覚悟で父親の隣に座る。
しかし、口を開きかけたところで、恐る恐るの体の使用人が、来客を告げに来た。
父親の機嫌を鑑みれば、来客の応対どころじゃないのは分かるだろうに。
父親に代わり指示を出そうと使用人に目をやれば、その使用人を押し退け、
「失礼します。大河原社長、お話がありお伺いしました」
その人物は強引に入って来た。
目にするなり口の中で『司』と呟き、咄嗟に顔を伏せる。
マスコミに情報を流したことは後悔していない。
でも、今までしてきた数々を思えば、まともに顔が見られない。
「滋」
合わせる顔がないものの、司に名を呼ばれ躊躇いながらもゆっくりと顔を上げれば、親指を立て微笑む司が目に映った。

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