Secret 49
類君の描くシナリオに浮き足立ち、何度も時計を見ては、なかなか進まない針が定時になるのを待った。
いよいよ時間になると、秘書課の誰よりも先に仕事を切り上げ帰路へと急ぐ。
今更、早く帰ったところで司は何も言わない。
もう司の送迎からも外されているくらいなのだから。
今は何より、この危機をどう乗り切るか。それだけだった。
頼れるのは父親しかいない。
屋敷に付くなり一目散に書斎へ向かって走る。
高鳴る鼓動は、走ったせいか。それとも忍び寄る恐怖のためか。
ノックもそこそこに息を切らしながらパパの前へ立った。
「おぉ、滋か。お帰り。そんなに慌ててどうした。それより丁度良かった。お前に話があったんだよ」
「私も話があるの!」
「まぁ、落ち着きなさい」
私とは対象的に、どこか余裕を漂わせるパパにソファーへと誘われる。
「滋の話は後だ。まずは、私から話させて貰うよ。
牧野つくしだがね、どうやら司君のマンションには帰っていない。やっと諦めたようだね。だが、どうも司君の動きが気になる。油断出来ない男だからな。
そこでだ。ここらで滋と司君の事を公にしようと思う。あの写真を公表する。お前は認めれば良い。写真は事実だとコメントを出せば良いんだ」
あの写真って……、私にも内緒で、司と私がホテルから出てきたところを意図的に狙った、アレか。
「…………そんなので上手くいくの?」
「企業にも芸能界にもイメージは大事なんだ。あの写真が世間に出回れば、滋と司君が付き合ってると信じてる奴等は、別に驚きもしないだろう。
そこにお前が事実だと認めれは、それは真実となり浸透していく。大河原の一人娘が出したコメントだ。それを声高に嘘だと非難することは、流石の司君も立場的に出来ないだろう。
司君がそんなのも無視して牧野つくしを手に入れようとしたところで、今度は彼女が叩かれる。滋の婚約者に手を出したってね。下手な動きは出来なくなるだろうよ。
情報操作は幾らでも出来る。心配は要らない」
そうか。確かに私がコメントを出せば、それは真実だと信用してもらえる。これだけ世間を騒がせている本人が言うのだから信じてもらえるだろうし、注目だってされる。多勢の目に守られ誰も否定も邪魔も出来やしない。
つくしと類君の事も、類君がしっかりとしたコメントを出した途端、世間はあっさり納得した。
つくしだって噂になる度にキッパリ否定し、逆にその態度に共感を得て、人気も増したと耳にする。
時として発信は大きな意味を持つ。
「パパ、ありがとう! 私、コメント出すよ!」
恐怖に人心地もなかった私は、漸く希望の光を見つけ、声の張りも取り戻した。
「良かったよ、理解してくれて。お前が司君に相応しいんだ。自信を持ちなさい。牧野つくしに悪いなんて思わないで良い。ところで滋の話は何だね?」
「ううん、もう解決した。それから、マスコミに写真を流すのは、私に任せて貰って良い? パパに何でも与えられるだけじゃ嫌なの。私にとって大事なものだから、この手で奪い取りたい」
強い覚悟を漲らせ、真剣な眼差しをパパに向けた。
「分かった、滋に任せよう。しっかりやるんだよ」
力強く頷く。
それから私は、自分の部屋にこもり早速準備を始めた。
まずは、必要な所に連絡を取り、送るべきものを送るためにバイク便の手配もする。
それを全て片付け準備を整えた深夜。マスコミ各社に、朝に解禁となるよう情報を流した。
これで明日になれば確実なものとなる。
世間を騒がすのは、私から発信する『真実』。
────類君、私の勝ちよ。
何もかもをやり終え、窓辺に立つ。
窓ガラスには、自分でも呆れるほど愉悦に浸って笑う私が映っていた。
✢
一人で起きる朝は、もう何度目か。
こんな状況も直に終わらせてやる。
全ては明日だ。明日、大河原に乗り込み全てを打ち明ける。
大河原が大人しく引き下がるか否か。
退かなきゃ待ったなしだ。
プロジェクトは順調、ここまで来れば何が起きたとしたって、何とか最後までやり通せんだろ。
喩え、大河原相手に俺が大暴れしたとしても。
全ての準備を整え、「待ってろよ」と明日を見据えて、シーツを蹴飛ばしベッドを下りた。
しかし、その数分後────。
「何なんだ、この報道はっ!」
テレビを付けるなり速報が入り、騒音レベルの叫びが木霊した。
テレビ、ネットが一斉に報じ、新聞は朝から号外まで出しそうな騒ぎだ。
一体全体、何がどうなってるのか、手当たり次第に電話をかけるが、報道で名が挙げられてる関係者って言う奴等は誰一人として捕まらねぇ。
マンションから出るのも一苦労で、辿り着いた本社ビルも、どこから湧いて来やがったって思うほど、かつてない報道陣に包囲されている。
【道明寺司氏、遂に結婚か!?】
ご丁寧にデスクに置かれあった一枚の号外。
社に着く前には、ある程度の事情は掴んだものの、テレビもネットも足並み揃えて全部が全部この調子だ。
つーか、俺は結婚してんだっつーの!
突然、状況が激変し、俺の立てた計画も変更を余儀なくされる。
これは凄ぇ忙しくなる。そう思ったところにドアが叩かれた。
「入れ」
「失礼します。副社長、そろそろ重役会議のお時間です」
「分かった。それよりおまえ疲れてねーの?」
「問題ございません」
そこへ電話が鳴る。
表示されている名前は三条だ。
「副社長、5分で済ませてください」
出来の良い秘書に指示されながら電話に出る。
「もしもし、道明寺さん? 何だか偉いことになってるんですけど」
「ああ、俺の計画はパー。身動き取るのも一苦労だ。それより、つくしを頼む。事情が変わった以上、急遽俺の方の準備を整える。それが終わるまで少し待ってくれ。それから、三条。俺の秘書、西田に戻ったから、何かあったら連絡しろ」
『西田さんですか?』
「ああ。明日の為にババァと朝イチで帰国してくれてたのは助かった。何せ、この騒ぎだかんな」
『じゃあ、滋さんは?』
「今回の件、リークしたのは滋だ。あいつは責任取って辞表を送りつけてきた」
今は急ぐから、また連絡する! と最後に付け加え、出来の良い俺は1分で電話を切った。
終えるなり西田と共に会議室へと移動する。
歩きながらやるべきことを頭で整理し、しかし、それとは別のことも頭を掠める。
昨日からの気がかりである、類だ。
あれから類はつくしに会ったのかどうか、気になって携帯を鳴らすも繋がりゃしねぇ。
今朝になってもそれは同じで、花沢物産に問い合わせりゃ、フランスから帰国してねぇときた。
どうやら奴は、極秘で戻って来てたらしい。それが気がかりに拍車をかける。
だが、今は追求するより先にやることがある。
俺は、役員たちが待つ会議室のドアを潜った。
✢
また朝が来た、とベッドの中で溜息を吐く。
朝を迎えるのが嫌だった。
なかなか寝付けず睡眠だって不足しているはずなのに、それでも目覚めてしまう朝は、憂鬱でしかない。
起きた瞬間から、また司が居ない一日が始まるのだと思うと、心が沈んでしまう。
人には守らなきゃならないものがある。そのためには、犠牲になるものだって同じく存在する。それが私だと思って身を引いた。そんな理屈を捏ねてみたけど、本当は違う。そんなのお為ごかしだ。
離婚届を司に渡してからも楽になれない自分に、何度も何度も問い掛けてみた。自分の決断は正しかったのかと。
一人になって徐々に頭が冷えた私は、その答えを、とっくに導き出していた。
司から離れようとしたのは、司の為なんかじゃない。全部自分の為だ。自己保身だ。
尤もらしい理由をつけて、それを隠れ蓑に自分の気持ちを誤魔化したに過ぎない。
切り捨てられるのが怖くて、そうなるくらいなら自分から身を引いた方が受ける傷も浅いと逃げ出し、司の言葉にも耳を傾けようとはしなかった。
その結果がどうかと言えば、司が居ない日常に怯えているのだから、どうしようもない馬鹿さ加減だ。
きっと、私は何も変わっていない。昔からずっと。
一人になって司との想い出を改めて振り返った時。強いと思っていた過去の自分は、全く強くなかった。
何を以て強いと思っていられたのだろうか、私は。
赤札の被害を受けている時は確かに強くいられた。
でも、雑草の逞しさは、全てに於いてじゃない。
ある一面に於いては異様に弱かった────そう、司に対してだけは。
高校生だったあの頃。
初めは、司の想いに慄いて逃げて。漸くお試しで付き合うことになっても、
『もしあんたを好きだったら、こんなふうに出て行かない』
土砂降りの中、身勝手にも司に傷を与えて逃げ出した。
友達の家庭を守るためという理由はあったにせよ、司をあんな風に打ちのめすだけ打ちのめして、自分は東京からも消え去って……。
NYに司を迎えに行った時だってそうだ。意気込んでいられたのは道中までで、司に会った途端、あっさり身を引いた。
分かった風を装って、実は逃げたのと何ら変わらない。
司は、どんな時だって全力でぶつかって追いかけて来てくれたのに、私にはそんな強さがあっただろうか。
拉致られた滋さんの島でこそ、自分の気持ちを思い切りぶつけたけど、あれだって、非現実的な状況に置かれ、気が昂ぶっていただけじゃないかと、今更ながら自信を失くす。
事実その後、記憶を失くした司を私はあっさりと捨てたのだから。あれ以上、傷つきたくなかったがために。
幾ら記憶を失くし私を忘れたからって、あんなに早く答えを出した私は、どれだけ薄情で臆病なんだろうか。
あっという間に決めた別れだった。半月も経ってないのに記憶の回復を待とうともせず、ただ堪えられなくて勝手に自己完結して。
変わってない、私は。
何かあれば、我が身可愛さに保身に走って逃げる。尤もらしい理由をつけるのも昔からだ。
自分を欺き続ける私は、何も成長していない。全く何も。
滋さんのように自分の気持ちに正直に生きる勇気を持たず、逃げることばかり身につけて、滋さんのところへは行かないでと、司に懇願したりもしない。無様なまでに縋ったりも出来ない。
そんな私に滋さんは苛つくんじゃないか。必死にならない私に。
私は常に司の愛情に甘えていただけ。
そして、いつだって失くしてから気付く。司への愛を断ち切れない自分に。
向き合うことすら恐れて離婚届を出したくせに、こうして身勝手な思いを抱く。
こんなこと誰にも言えるはずがない。誰にも。
離婚はしないと言ってくれている司にだって……。
過去と現在の自分に嫌悪し、もう一度溜息を吐いた時、そこに短い電子音が重なった。桜子からのメールだった。
【起きたら直ぐにテレビを点けてください】
開いて読んだメールは、全く要領を得ない。
仕方なく重い体をお越してリビングへと移り、指示通りにテレビを点ける。
映し出された番組を見た瞬間、
「えーっ! 何なの、これっ!」
けたたましい叫び声を上げ、そして硬直した。
『大河原滋さんと噂になっていました道明寺司さんですが、実は大河原さんではなく、モデルの牧野つくしさんと高校生の頃から愛を育んできたということでして、正しく純愛。ここにきて周りから情報が齎されたということは、結婚間近ではないかと見られています。ただ、まだご本人たちからはコメントが出されておりませんので、今後────」
息を呑んだまま唖然と訊く。
テレビの中の芸能レポーターが、私と司の写真パネルを持ち笑顔で語るのを……。
────こ、これは現実なのだろうか。
憂鬱な朝の始まりから、自分を取り巻く世界は一変した。

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