その先へ 12
道明寺HDに勤めてから1ヶ月も過ぎれば、道明寺も諦めたのか、私を完全無視することはなくなっていた。
要は粘り勝ちだ。
逆らえばギャンギャン吠えられると思ってるのか、はたまた、苦いお茶を飲まされると相当警戒しているのか、諦めの溜息を吐きながらも、最近ではポツリポツリと話してきたりもする。
今日も視察に行くから同行しろ、と昨日になって直接言ってきたのは道明寺だった。
道明寺と西田さんと共に朝一で向かったのは、売却に出ている、比較的近場のリゾートホテルへの視察。
近頃は、中国企業の買いが増えていて、その場でサインをしてしまう、即決買いも珍しくないとか。
有名な温泉地でも、知らないうちに中国人へオーナーチェンジしていた、なんて旅館もチラホラ見受けられる。
今回も参入してくるだろうと思われるからこそ、スピードが求められた。
法務の立場でアプローチし、道明寺の判断力、決断力への一端にでもなれば、と集中力を高める。
朝から周辺の視察と、相手側との商談も終われば、気付けば時間は14時までもう少しとなっていた。
流石にその場での即決って訳には行かず、本社に持ち帰り詳細を詰めることになった。
指定され私達が今まで居た商談場所は、リゾートホテル内ではなく、古くから営業してるだろう土産屋や食事処が建ち並ぶ、車を待機させるには難儀な細い道の一角。
そこから、車を止めてある場所までと歩く帰り道、流石に胃袋からの激しい主張をキャッチした。
「お腹空きましたねぇ。お昼、どこかで食べてきません?」
「また飯の心配かよ」
道明寺の呟きは無視だ。
西田さんに、どうします? と問い訊ねれば、
「そうですね。東京に戻る前にこちらで済ませましょう」
「ですよね!」
西田さんの同意を得て、直ぐ様キョロキョロ見渡すと、目に入ったのは蕎麦屋ののぼり。
庶民に馴染みある、一般的な作りの蕎麦やさんだ。
「お蕎麦にしましょうか! ほら、あそこあそこ! 入れるかどうか、ちょっと私見てきますね」
「げっ」って、道明寺の声が聞こえた気もするけど、お構いなしに走り出した。
ここで、やれ、どこぞのホテルのレストランだ、イタリアンだ、フレンチだと言われても、時間が掛かってしょうがない。
手っ取り早く食べれるし、この暑さにお蕎麦は持ってこいだ。
店を覗けば、他にお客さんはいなかった。
そりゃそうだ。平日の、しかも昼もとっくに過ぎた14時前。
これなら、道明寺も人の目を気にせずに済むと勝手に判断し、店の人に頼んで了解を得てから、道明寺達の元へと戻った。
「まだ営業してるそうです。他にお客さんも居なかったし行きましょう!」
道明寺と西田さんを促す。
「……マジかよ」
と嘆く道明寺の大きな背中を、
「帰ってからも仕事はわんさかあるんですから、さっさと食べて帰りますよ!」
パンと軽く手のひらで叩いた。
私の目の前には、座ったこともないだろう、小さく硬い木の椅子に大人しく腰を下ろした道明寺。
目線はチラチラと、こじんまりとした店内を探り見ている。
「もしかして副社長、お蕎麦を食べたことないとか?」
「ある。だが、こんな店は初めてだ」
……まあ、道明寺なら来ないよね。
道明寺だもんね。
食べたことあると言っても、高級店での蕎麦懐石とかかもしれない。
不思議そうにしてる道明寺を余所に、私はメニューと睨めっこだ。
どうしよう。天ざるも良いけど鴨汁も捨てがたい。うーん、悩むなぁ……やっぱり鴨汁にしよう!
丁度、決まったところで、店員さんが注文を取りに来る。
鴨汁そばを頼む私と、隣に座る西田さんは、とろろ蕎麦を注文。
副社長は? と確認すれば、何を頼めば良いのか分からなかったのか、おまえと同じでいいと言われ、鴨汁をもう1つ頼んだところで、道明寺は付け加えた。「ビール」、と。
店員さんがチラリと私を見る。
「グラスは1つで大丈夫ですから」
と、ニコリと頷きながら返せば、直ぐに運ばれてきたビール。
それを持って、道明寺のグラスに注いであげる。
「…………うっ」
「いやー、どうせなら仕事じゃなく、旅行で来たいですよねぇ」
「そうですね。都心からも近いですし、たまにゆっくりするのも良いかもしれません」
道明寺の呻きは聞こえないふりで、わざとらしく西田さんに話しかける。
「おまえ、ここに来てまで俺の飲みモンを……」
正解だった。図体のデカイ男が注文したら、対応して欲しいと事前にお願いしておいて。
店内のアルコールメニューは、ビールに焼酎に日本酒。
道明寺が焼酎を頼むとは思えなかったから、ビールならノンアルコールビールを。日本酒なら水でも入れて持ってきて下さい、と。
昼間から飲むなんて以ての外。
大体、仕事中だっての!
「ビールなんて水代わりだ」
なに勝手に操作してんだよ、と恨めしげに見る道明寺を置き去りに、それからも西田さんと会話を続けていれば、運ばれて来る注文した品々。
頂きます!と、早速食べ始めると、それは思っていた以上に美味しくて、箸が休まる暇もない。
「うーん、美味しーい!」
冷たくコシのある蕎麦は、鴨の風味と出汁の効いた温かい汁に合わさって、どんどん食べれてしまう。
夢中になって食べてると、ふと感じる視線に顔をあげた。
「……何か?」
感じた視線は道明寺からのもの。
首を傾げれば、私にではなく、隣の西田さんへと視線を移す。
「西田」
「はい、なんでしょう」
「うちの給料は少ないのか?」
「いえ、上場企業の中でも高い方かと」
「だったら何故だ」
「何がでしょう」
「何故、こいつはバクバク食ってる? 貧しくて日頃、ろくなモン食ってねぇからじゃねぇのか?」
「ブホっ!」
思わずむせて、吐き出しそうになったじゃない!
しかも、なに真剣な顔して聞いてんのよ!
「あのね、美味しいから食べてるだけでしょうが! お陰様で食べるに困らない生活は確保してますので、ご心配なく!」
「貧乏じゃねぇのか」
「そりゃ昔はね……って、しつこいわね! 美味しいものを美味しいって感じて食べることは幸せなことなの! 副社長の方こそ、美味しいでも、嬉しいでも、楽しいでも、面白いでも、ささやかな幸せを見つける努力くらいしなさいよね! 何を生き急いでるんだか、人生嘆くなら死ぬ間際で良いってのよ! 全く損してるんだから! てか、伸びちゃうから早く食べなきゃ」
あー、美味しい! って当て付けに言いながら蕎麦を啜れば、道明寺は店員に『天ざる』を追加で頼んだ。
「誰が食べるの?」
追加した本人は、鴨汁をまだ半分も食べちゃいない。
「おまえ、天ざるとやらも食いたかったんだろ?」
まさか悩み中に、最近は克服していたはずの声がだだ漏れだったか。
だからと言って、大人になり昔程は食べなくなった私が、二人前も食べられる筈がない。
「いくら私でも、そんなに食べられませんよ!」
「食えるだけ食え。西田……と俺も手伝う」
あんたが?
そう思うも、漸く箸を動かし始めた道明寺に逆らわず鴨汁を完食すれば、今度は天ざるがやって来る。
「牧野。これはおまえが食え」
道明寺が指すそれは、天ぷらの主役とも言えるべき、1本の大きな海老。
「俺達はいつでも食える」
その言い方に、まだ貧乏を払拭しきれてないのかと呆れるも、鴨汁を平らげた道明寺に言われるがまま、大きな海老を頬張った。
「おまえ、美味そうに食うな」
どうして、こいつはいつもそうなのか。
小さく洩らした道明寺は、昔も今も、何故か私が食べるところに引っ掛かるらしい。
昔より、品良く食べるようになったはずと思っていた私としては、かなり複雑だ。
なのに、気持ちとは裏腹に自然と頬が緩む。
ちゃんと食べてくれているのが嬉しい。
「これは、副社長が食べて下さいね」
言われるがままに箸を伸ばす道明寺。
西田さんの協力も得て、全て完食した私達は、苦しいお腹を抱えながらヘリに乗り込んだ。
「こんな食ったの初めてだ」
ヘリの中、溜息交じりに言う道明寺。
そんな道明寺を見る私は、東京に着くその時まで、いつになく穏やかな顔をしていたに違いない。

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