Secret 48
パーティーから社に戻り、俺より遅れて帰って来た滋と共に、スケジュールの変更に伴う打ち合わせをしていた。
尤も、これは表面的なスケジュール変更であって、本当の俺の動きを滋に悟らせないためのフェイクだ。
滋には、滋を同伴させねぇ偽の仕事のスケジュールを掴ませてある。
明後日、俺は大河原に全てを明かす。念のため、滋からの情報漏れを防ぐために、滋には知られぬ内に秘密裏に。
そこで大河原が納得しなければ、即座に実力行使に移るまで。
手を組む米企業にもババァにも、その旨は既に伝えてあり、いずれからもゴーサインは貰ってある。
あとは、その時を待つだけだ。
上辺だけの調整をほぼ終えた頃、執務室の開けっ放しのドアが叩かれ、有り得ない人物がひょっこり顔を出した。
「やぁ、司」
「っ! 類、おまえ何で……!」
フランスにいるはずの類が、どうして此処にいるのか。驚く俺を気にもせず、つかつかと中に入ってきた類は、ソファーに座り勝手に寛ぎだした。
「おまえ、まさか……、まだあっちに行ってそんな経ってねぇのに、もう逃げ出して来たのかよ」
「なんか失礼なんだけど。ちょっと司の顔でも見ようかなと思って来たのに」
「だからっていきなり来んな。俺だって暇じゃねぇんだよ。来るなら連絡くらいしろ」
「いいじゃない。こうして会えたんだから」
相変わらずのマイペースっぷり。
時折、こいつだけ時間の流れが人と違うんじゃねぇかと思う時がある。
かと言って、ちょっと顔見程度で、わざわざフランスから来るかよ、普通。
突然現れた類に、滋も驚きを顔に貼り付け目を見開いていた。
「で? 本当の帰国目的は何だ?」
デスクから類がいるソファーへと移り腰を下ろすと、伸びをしながらあくびをする類に訊ねる。
「ねぇ、司。牧野と離婚するんだって?」
「しねぇーよっ!」
離婚ってキーワードを出すなっ! 心臓に悪いんだよ。
そもそも、俺の質問と合ってねぇだろうが。
「なーんだ、残念」
「てめぇ、まさか俺とつくしが別れるのを待ってんじゃねぇだろうな」
「その調子だと、牧野のこと諦めた訳じゃなさそうだね」
「当たりめぇだ!」
「そっかぁ。俺に嫉妬してグダグダしてる司を殴ってやろうと思って来たのに、必要ないみたいだね、つまんないけど」
もしや、俺たちのことを気にかけてわざわざ戻って来たとか?
つーか、その情報網はどっからだ。いや、考えるまでもねぇ。どうせ三条経由で、仲間内全員が知らされてんだろ。
「私、席に戻るね」
類の行動が読めないでいるところに、滋が遠慮がちに言う。
いきなり俺たちの会話が始まったから、席を外すタイミングが掴めなかったんだろう。
滋は手帳を閉じると部屋を出て行った。
「類。その、なんだ……、色々と悪かったな」
俺たちを気にかけたがために、こうして来たかは定かじゃねぇが、俺たちが上手くいってないことで巻き込んだのは確かだ。
それに、きっと心配はしてんだろ。
尤も、俺なんかよりつくしに比重を置いての心配だろうが。
「別に。牧野と報道されるなんて嬉しい体験させて貰ったしね」
「てめぇ、珍しく謝ってやってんのに、いちいち俺がムカツクこと言うな」
「週刊誌も取り寄せて、牧野との記事を額に入れて飾ってもあるよ」
「俺がムカつくこともやるな! それより、わざわざ俺殴る為だけに帰国したんじゃねぇんだろ?」
睨む俺に類が可笑しそうに笑う。
「司を殴れる機会は滅多にないから、楽しみにはしてたんだけどね。でも流石に司の為だけに、俺が時間割くはずないでしょ」
そりゃそうだ。
「だったらやっぱ仕事か?」
類に投げかけたところで、執務机の上にある固定電話の一つが音を立てた。
直通で繋がるその電話は、番号を知ってる奴も限られている。
画面に表示されていたのは、無視出来ねぇ相手。手を組んだ米企業の会長からだった。
「類、ちょっと待ってろ」
類に断りを入れ、通話を始めた途端、
「女に会うため」
ボソっと呟いた類の声を拾う。
まさか今のは、俺の質問への返しじゃねぇだろうな。
だとしたら、つくしに会うためにわざわざ帰ってきたのかよ、と目を剥く。
電話を切るわけにはいかず、目だけで威嚇する俺を見て笑う類は、スッと立ち上がった。
「司を好きな女に会いに! じゃあ、行ってくるね!」
「てめっ、待て!」
行ってくるね! じゃねっつーの!
爽やかに言うなっ!
電話中にも拘らず声を上げるも、背を向けた類を止める術にはならず、あいつは手をヒラヒラと振りながら出て行っちまった。
✢
司の執務室を出ると、前室にあるデスクの椅子から立ち上がり、秘書らしく頭を下げてくる。
一度立ち止まり、それを横目で見た。
「ふーん。ここの秘書は、頭下げるだけで下まで見送りはしないんだ」
「…………失礼しました。送らせて頂きます」
【司を好きな女】は、俺と一緒にその場を離れた。
最上階のフロアでエレベーターを待ち、程なくして到着した箱の中に入って直ぐ。パネルの前に立つ大河原が小さく声を出した。
「そろそろ現れる頃かと思ってた」
「へぇ。それで、あんたはどうなの? 牧野が司に離婚届渡したの、どうせ知ってたんでしょ? チャンスだと思った? だとしたら、ホント愚かだよね」
声を立てて笑えば、振り向いた大河原は、睨みながら俺を見上げた。
✢
馬鹿にしたように、いつまでも類君が笑う。
発作のような笑いが漸く落ち着くと、いつもと変わらない穏やかな顔で私を見た。
「俺、あの時言ったよね。遠慮しないって。言葉通りそうさせてもらうよ。
あんたから貰ったUSBメモリは有効に使わせてもらう。何かあった時は、父親と交渉するなり公表するなりして、ってあんたは言ってたけど、そのどちらもしない」
類君に渡したものは、城崎が家に来た日の会話をスマホのアプリで盗聴し、それをコピーしたUSBメモリだ。
悪足掻きへの防御になるアイテムとして、桜子の部屋に泊まった時に類君に差し出した。
一体、どう使うつもりなのだろうか。
訝し気に見る私に、類君は平然と答えた。
「牧野が離婚届まで出したんだ。司の忍耐もここまで。司はもうすぐあんたの家を叩く準備に入ると思うよ。あんたの親父さん簡単に諦めそうにないし、また何を仕掛けてくるかも分からないしね」
「だから、そのUSBメモリで私の父親と……」
「くくくっ。あんた根本的に考え方間違ってんだって」
また笑い出したその姿は、いつもと同じようでどこかが違う。
どうしてだか、甘いマスクが作る笑みに恐怖を感じた。
「どういう意味?」
「俺、前に言ったよね? 牧野を苦しませる奴は許せないって。今、牧野は苦しんでる。あんたら親子のせいで。それに、支えられなかった司にも責任がある。俺からしてみたら、あんた達も司も同罪」
衝撃に息を呑む。
だって、さっきは司を気にかけてたじゃない。あれは嘘だったの?
俄には信じられず、何かの間違いじゃないかと、類君の表情に綻びを探す。
けれど、冗談の色はどこにも見つけられず、一気に背筋が寒くなった。
「司は友達でしょ?」
「あんたも確か牧野と友達だったよね」
一瞬、言葉に詰まり、しかし直ぐに立て直す。
「ねぇ。一体、何をするつもりなの?」
気が焦るままに問いかければ、答えを聞き出す前にエレベーターは1階へと到着してしまう。
人の目が多くあるエントランスでは、到底話せる話じゃない。かと言って、このまま何も知り得ないまま、帰せるわけもなかった。
「ちょっと来て」
類くんの腕を掴み、非常口に繋がるひと気のない通路へと誘う。
周りに誰もいないことを確認してから、もう一度訊いた。
「類くん、何をするつもり?」
壁に背を預けた類君は、目を細めて微笑んだ。
如何にも作られたと分かる笑みが、余計に恐怖を煽る。
「あんたの父親をUSBメモリで脅しても、或いは世間に公表しても、意味ないでしょ。それじゃ司が大河原を叩く理由がなくなる。大河原に自滅されちゃ困るんだ。司には大河原を叩いて貰わないと……、困るんだよね、俺が」
「っ、何言ってるの……?」
「司が大河原財閥を叩くとなれば、牧野のことだ。あんたを思って、司の元へは絶対に戻らない。その司にUSBメモリを渡すよ。
あのUSBメモリには、あんた達親子が城崎と組んでたこと、わざとあんたと司が朝帰りをするよう仕向けたこと、全ては牧野を貶める為に仕掛けたあんたたちの会話が、証拠として収められてる。
牧野を失った上にそんなものを司が訊いたら、気が狂うかもね。いい気味だよ。大河原共々、司もボロボロになればいいよ。
あんたも終わり。原因を作ったあんた達を、決して司は許さないだろうからね。あんたは司を手に入れられない。憎まれることはあってもね。
最後に笑うのは、司の元には絶対に戻らない牧野と、俺だけ。…………牧野は俺が奪う」
「本気でそんなこと、」
恐怖が心の底から迫り上がり、言葉が続けられない。
そんな私を見て、類くんは首を傾げた。
まるで、あどけない子供のように、何で驚くの? と顔が語り、本気で不思議がっているその表情に、益々戦慄が走る。
「あんただけは、俺の気持ち分かってくれると思ったのに。俺は分かったよ、あんたの気持ち。
大体さぁ、俺が司と牧野を傍で見ながら、心穏やかでいられたと本気で思ってる?」
質問しながらも、初めから答えなど望んでいないようだった。
その証拠に、私が何かを発するより先に、淡々と胸の内語ってく。
「何度も思ったよ、司から牧野を奪ってやりたいって。そうしなかったのは、司が親友だから」
でもさ、と続けた類くんの顔は、口元に弧を作りながらも目は昏く、その奥は全く笑っていなかった。
「あのUSBメモリを聴き終わった時、俺、無意識に笑ってたんだ。何よりも喜びが勝った。俺にもチャンスが回ってきたって。
その時、思ったんだよね。大河原もこんな気持ちだったのかって」
「っ、そんな、私は……」
「それからは迷いがなかったよ。牧野が限界を超えた時、司は必ず動く。その時が俺のチャンスだって。だから、牧野がもう駄目だってなった時には、直ぐに知らせて欲しいって、三条がフランスに来た時に頼んでおいたんだ。だから俺は、こうしてここにいる」
そこまで言って、類くんはまたクスっと笑う。
「案外、三条もチョロいよね。俺が二人のために動くつもりだって話したら、直ぐに信じて協力してくれたよ」
「桜子まで騙したの?」
「人聞き悪いこと言わないでよ。三条なら問題ないよ。牧野が幸せならそれで満足なんだから。俺が牧野を幸せにする。大丈夫」
「……最低」
類くんは物ともせず、フッと軽い笑みを付け足しただけだった。
「俺の邪魔はしないでくれる? って言っても、司が大河原を潰しにかかったら、そんな余力もなくなるだろうけどさ。俺にとっても邪魔な奴は司が片付けてくれるんだから、有り難い話だよ。
それからこの話、司に言っても信じないよ。根はいい奴だし、俺が今日こうして司に会いに来たのも、自分たちを心配してのことだと思ってるはず。そう思わせるために顔出したんだしさ。
もし信じたとしても、あのUSBメモリを渡せば一発でしょ。あんたの信用は地に堕ちる。…………大河原、残念だったね。
でも感謝もしてる。だから、礼は言っておきたかったんだ。良いものを貰ったから、義理としてね」
今となっては、心を凍らせるだけの悪魔の微笑にしか見えない彼は、寄りかかっていた体を起こし、
「あんたと話せて良かった。精々、有効活用させてもらうよ。じゃあ」
昏い眼差しを私に強烈に植え付け、何事もなかったように立ち去って行った。
……こんな、こんな事って。
類君の昏い目。あの背筋が凍る微笑み───狂ってる。
目の前が眩み壁に両手を付く。
何もかもが崩れ落ちてくようで、絶望に身が震えた。
何がいけなかったの。ただ、愛しただけなのに。
なのに、どうして……。
真っ白に支配されそうなる脳裏に浮かぶのは、司の顔だった。
笑った顔、照れた顔、真剣な眼差し。そのどれもこれもが愛しかった。
───失いたくない。
痛烈に思いが込み上げてくる。
目に涙が滲みそうになるのを堪え、こんなところで立ち止まっていてはならないと、自分に激を飛ばす。
諦めるのはまだ早い。何か方法はあるはずだ。
恐ろしい計画を知りながら、黙って引き下がれるはずがなかった。
絶対に諦めない。
類君なんかに邪魔されたくなんかない。
思い通りにさせるものか。
何とかしなければ。何とか……。
募る愛情を思えば、苛立ちと焦りは加速度を増し、その分だけ震える自分を駆り立てていった。

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