Secret 47
会場の隅に目的の人物を見つけ、足早に近づく。
その相手は俺を見るなり、
「お久しぶりですね、道明寺さん。どうですか? 独身生活満喫してらっしゃいます?」
いきなりこれだ。
この女、知っていながらおちょくりやがって。
ジロリと睨んでみても、全く意にも介さねぇ。
「独身じゃねぇ」
「あら、まだだったんですか? でも、もう直ぐかしら?」
「しねぇって! 俺はずっと既婚者だ! 一人になる気は更々ねぇ」
全くもって面白くねぇ言われようだが、三条の力を借りないわけにはいかなかった。
何より……、
「でも、相変わらず先輩は梨のつぶてなんでしょう?」
三条が言うとおりの悲惨な状況なんだから、離婚届を突きつけられた俺が、真っ先に三条に連絡を取って協力を求めたのは正しかったと言える。
「ああ、電話しても繋がらねぇ」
「着拒ですね」
「メールも返って来た試しがねぇ」
「迷惑メール行きでしょう」
「LINEは未読のままだ」
「ブロックされてますね」
「酷ぇ扱いだ」
「えぇ、ストーカー対応です」
「誰がストーカーだ!」
滋との関係を疑ってるだろうつくしに、疚しいことなど一切ないと、それだけは先に伝えたくて幾度となく連絡を重ねたが、残念ながら今現在も反応はねぇ。悉くスルーされっぱなしだ。
だが漸く、つくしに会える。
三条と連絡を取って10日。指定されたのが今日のパーティーだった。
「それより、驚きますよ?」
「何がだ」
「もうすぐ出てくる先輩を見て。道明寺さん、暴れないで下さいね?」
不可解な発言に顔を顰めたところで、入口付近がざわめき出した。
特別ゲストとしてつくしの名がアナウンスされ、一斉に拍手が沸き起こる。
盛大に迎えられる中、つくしの姿を確かめた瞬間、心が激しく揺さぶられ言葉を失くした。
金縛りのように固まったままつくしを凝視する俺の目に、チラチラと何かが入り込む。
「大丈夫ですかー?」
呑気な声で訊ねてくる三条が、俺の前で手を左右に動かしていた。
チラチラと視界に入っていたのは、三条の手だったようだ。
どうやら固まった俺を解凍しているらしい。
「大丈夫…………、じゃねぇな」
「ですよねぇ。私も驚きましたもん。あれが計算でやってるのだとしたら、自己プロデュース力も大したものですけど、残念ながら苦肉の策でしょうね。先輩、上手く笑えないんですよ」
「笑えない?」
「えぇ。仕事に復帰した初日、始めは撮影も順調だったんですけどね、カメラマンが先輩の調子を上げる為に、一番幸せな時思い出して!なんてバカなこと言った途端に笑いは消えて、それどころか泣き出したんですよ。あんなの初めてです」
「……つくしが?」
「一番幸せな時。先輩は一体、何を思い出して泣いたんでしょうね」
含みを持たせた言い方に胸を刺されながら、つくしを見続ける。
フェイスラインを全て出し、トップで纏められた髪。
リップは、ヌードベージュで控えめなのに、アイラインをかなり強調させていて、つくしの童顔さを奪っている。
作られたそれら全てが、つくしを色気のある大人の女へと変貌させていた。
まるで別の女。
何より大問題なのは、ドレスだ。
纏っているホルダーネックの黒いドレスは、後ろが腰の辺りまでザックリと開いていやがる。…………何なんだ、この忌々しき事態は。
あの細いウェストラインが男どもの目に曝されてるなんて、やらしい目つきの奴らを一人ずつ目潰ししてやりたくなる。
いや、一人ずつなんて面倒くせぇ。いっそここにいる全ての男どもをぶっ殺してやりてぇ。
苛々と爪先で床を叩きながらスマホを取り出し、パーティー会場に居る二人のうちの一人、男性秘書に繋げる。
電話に出た相手に、苛立ちを隠しもしねぇ声で指示だけ出し直ぐに切ると、俺を見て三条が言った。
「先輩、イメチェンするしか方法がなかったんです。今の時期、パーティーの仕事が多いから、ああやって大人の女性を演出すれば、可愛さだけを求められた今までのように、満面の笑みでアピールしなくてもすみますしね。満面の笑みは失っても、適当に微笑むだけで綺麗でしょ? 結構評判も良いんですよ、皮肉な事に。
まあ、年齢的な事もありましたしね、丁度良かったのかもしれません。先輩の場合、身長も高くないからステージモデルは厳しいですし、誌面の中でも新たな一面を見た読者は飽きませんよね。
それに本人、独り身になったつもりでいるでしょうから、ここで心機一転、素敵な男性を求めて恋に落ちるのも良──」
「煩ぇ、止めろっ!」
三条の話が終わる前に、声を被せ先を阻止する。
人の気も知らねぇで、ベラベラベラベラと喋りやがって! どんだけ舌が回る女なんだ。
「三条、てめぇはつくしと俺を別れさせてぇのかよ」
「道明寺さん次第ですが」
すまし顔の三条は平然と言う。
「俺は絶対に別れねぇからな。つーか、話がある。ツラ貸せ」
ひと目のつかない場所まで移動し、三条に計画の一つを打ち明けた。
✢
三条との話も終わったタイミングで、秘書が指示されたものを手に俺のところへ来た。
それを受け取った俺は、直ぐさまつくしの元へと向かう。
いつもより肩を怒らせ、周りの奴らが離れるように威嚇して歩く。
俺が歩く傍から人は消え、つくしの正面に立った時には、周りは俺たちから一定の距離を取り、二人だけの空間が出来上がった。
「牧野さん、お久しぶりです」
周りと距離があるとはいえ、耳をそばだてているに違いねぇ。
仕方なく他人を装い白々しく挨拶すれば、整った眉がピクピクと動き、つくしが動揺しているのが見て取れる。
口角も引きつった上がり具合だ。
「え、えぇ。お久しぶりです。道明寺副社長」
「今日はまた一段と素敵なドレスですね」
褒めてねぇぞ、これ嫌味だかんな。と、口元に笑みを作りながら目で語る。
「……ありがとうございます」
小さくお礼を口にしたつくしは、俺の視線から逃れるように目を泳がせた。
「そのドレスに似合うと思って、これを用意しました。身に着けて下さいますよね?」
確認じゃねぇ、命令だ。
つくしに渡したのは、ドレスに合う大判のストール。秘書に大急ぎで買いに行かせたものだ。
なかなか受け取らねぇつくしに、声を潜めて凄む。
「羽織らなきゃ、今すぐ暴れてパーティー滅茶苦茶にすんぞ」
ギョッとした顔で俺を見たつくしは、また視線を落としたが、何とかストールは受け取った。
「それと」と、俯くつくしに続ける。
「離婚には応じねぇ。弁護士なんか送り込んできてみろ。そいつら再起不能にしてやる」
手にストールを持ったまま完全に顔が強ばったつくしに向け、勝手にカウントを始める。
「さっさと羽織れ。暴れるまで、3、2、1、」
カウントが0になる寸前。慌ててつくしはストールを羽織った。
それを見て満足気に頷き、
「やはり似合いますね。思った通りだ。それでは私はこれで」
笑みを貼り付け紳士的に言う。
最後に、
「ストール、ぜってぇ取るんじゃねぇぞ」
小声での念押しも忘れねぇ。
「あ、ありがとうございました」
無理やり作り出しただろうつくしの微笑はどこか歪で、礼を言う声からも狼狽えているのが丸わりだ。
今日の任務はここまでだ。
パーティーで目的を果たした俺は、そのまま踵を返し会場を後にした。
✢
付いて回らないで良いと司に言われた私は、男性秘書と共に広いパーティー会場の片隅にいた。
秘書になった頃は、私だけを連れてパーティーへ出向くこともあったのに、今じゃ完全に司に警戒されている。必ず男性秘書も一緒だ。
華やかな人々の輪には入らず、離れた場所から遠くにいる司や桜子を眺め見る。
やがて会場がどよめきに揺れて視線を入口に向ければ、ガラッと変貌を遂げたつくしの姿があった。
驚きで見入っていたところへ、男性秘書の元に電話が入る。司からのようだ。
何らかの指示を受けたのか、男性秘書は直ぐさま場から離れた。
ポツンと一人残された私は、色気を放つつくしを見続ける司を、相も変わらず視線で追う。
司が今もつくしに変わらなぬ愛情を抱いているのは、いつだって司を見ている私には分かる。つくしが離婚届を突き付けたにも拘らず、気持ちに変化はないらしい。
つくしが突然、社に訪問してきた日。つくしが帰ったのちに入室した執務室のテーブルの上に、一枚の紙を見つけた。
素早くそれを畳んで隠した司は何も言わなかったけれど、あれは間違いない。離婚届だった。
なのに、司はめげた様子を見せない。
つくしは恐らく、NYに来たあの時に離婚を心に決めたんだと思う。
一度つくしが決めたなら、それを覆すのは容易じゃないはずだ。つくしは驚くほどに頑固だから……。
それでも司は諦めないないつもりなのだろうか。
ぼんやりと思考を巡らせていると、司は桜子を連れ立って、どこかに消えた。
追いかけたい気持ちがないわけではない。けれど、横浜のマンションで桜子とはやり合ったばかりだ。今向き合うのは流石の私も気が咎めた。
喉も渇いていないのに、ソフトドリンクを飲みながら時間を潰すこと10分程。
再び視界に収められる場所に二人が戻って来た時、そこに駆け寄った男性秘書を見て、何の指示を受けたのかを知る。
秘書から司が受け取ったのはストールだ。
つくしが着る露出度の高いドレスが気に食わなかったってことか。
早速、つくしに近づいた司は、ストールを手渡している。
少ししてから、つくしが戸惑いながらもストールを羽織り、それを見て頷いた司は納得したのか、今度は勝手に会場を出て行ってしまう。こっちのことなどお構いなしに。
このまま帰る気なのか、司の行動が読めずに慌てて追いかけようと足を踏み出した時、携帯が小さく音を立てた。
相手は司からで、一方的に話すだけ話して切られた電話は、『先に帰るから、楽しみたきゃ好きにしていい』それだけだった。
辺りを見回すと、いつの間にか男性秘書の姿もない。
司と共に帰ったのだろうか。私だけ置き去りにして。
それが今の司と私との距離だ、と広い会場で立ち尽くす。
仕事の面では、今までと何ら変わらず接してくれるけど、ふとした瞬間に感じさせられる司との距離。
それでも思ってしまう。例えどんな扱いを受けようとも司の傍を離れたくはない、と。どうしようもなく心が求めてしまう。
司が居なくなったこんな空間で楽しめるはずもなく、帰社しようと重い足取りで会場を抜け、建物から出る前にレストルームに立ち寄った。
奥の個室だけが塞がり、入った手前の個室。
私はそこで息を潜めていた。
個室に入るなり、後から来た人たちの会話に、私を始めとする知った名前が挙がったからだ。
「ねぇ、前々から思ってたんだけどさ、道明寺さんって、あの金持ちの娘より牧野つくしの方がお似合いじゃない? さっき二人を見て改めて思ったんだよね」
「やっぱりそう思う? 実はね、道明寺ホールディングスで働いてる知り合いから訊いたんだけど、大河原さんって会社でも道明寺さんに馴れ馴れしくて、堂々と名前で呼び捨てにしてるらしいよ。有り得なくない?」
鏡の前でメイクでも直しているのか、二人連れらしき女性たちの会話は、周囲を気にせず続けられる。
「うわ。何それ、最悪。婚約者だか何だか知らないけど、仮にもあの人秘書でしょ? なのに上司を呼び捨てって、大金持ちだからって何でも許されると思ってんじゃないの? 親の庇護の元でしか生きられない人種の癖に何を勘違いしてんだか。そんな女より、牧野つくしの方が絶対にいいんだけど」
「だよねぇ。金持ちってだけで、どうせ庶民を見下してる性格の悪い女よ。何の苦労も知らずに良い男も捕まえようだなんて、ホント腹立つよね」
個室から出るに出られず、辛辣な言葉に耳を塞ぎたくなる。
その時だった。
バタン、と個室のドアの開く音が大きく響く共に「キャー!」と黄色い声が上がる。
驚きよりも嬉しさに満ちた声。しかし、それはまたたく間に一蹴された。
「お金持ちで何が悪いの?」
女性たちを圧倒したその声音に、ドクンと鼓動が跳ねる。
この声って…………、もしかして、つくし?
「お金持ちだからって楽なことばかりじゃないの。普通の人間だもの、辛いことだってあるはずよ。それに彼女は、幸せを求めて一生懸命生きてるだけ。彼女は彼女なりに必死なの。私の友人を侮辱するのは止めて!」
「な、何なのよ」
「こんな人だとは思わなかった。行こう」
二人連れは出て行ったのか、訪れた静寂の中、水音が流れ手を洗っている様子が分かる。
その音も止まると、ヒールがコツコツと床を叩き、やがてそれも遠ざかった。
個室の扉を静かに開け出たそこには、もう誰もいない。
ただ、入口の方から流れてくる会話が、私の耳に入り込む。
『ちょっと、先輩。今出てきた女性たちに何か言いました? 凄い剣幕で先輩の悪口言ってましたけど。何やらかしたんです?』
『さ、桜子、いたの?……別に私は何もしてないけど』
『誤魔化されませんよ? 先輩は嘘つくのが下手なんですから。最近は大人しくなったと安心してましたけど、まさか昔みたいに怒鳴ったりしてないですよね?』
『ま、まさか。それより早く戻らないと、ね?』
『先輩、何を隠してるんですか? ねぇ、先輩ってば!」
『……えーっと、お腹空いてたから気が立ってて、それでちょっと……』
『なんですか、その子供みたいな言い訳は! いいですか、先輩は人気商売なんですから────』
この場から離れて行ったのか、二人の会話は段々と遠のき、やがて訊こえなくなった。
────どうして?
どうして、私なんか庇うの?
足が地に根を張ったように、その場から動けなくなる。
酷いことをしている私なのに、何故……。
茫然と立ちすくむ私は、自分の頬が濡れていることに直ぐには気付かなかった。

にほんブログ村