Secret 45
進君が出迎えた玄関先から、リビングで待つ私の元まで、小競り合いが訊こえてくる。
どうやら一人ではないらしい。
訊く限り、道明寺さんがどんなに突っぱねても聞き入れず、強引に滋さんが付いてきたようだ。
いつまでもそんな場所でいがみ合いをさせる訳にもいかなかいと判断したのか、進君は二人を招き入れ、リビングへと通した。
「進、迷惑掛けてすまない」
リビングに入るなり、進君に向き合った道明寺さんが頭を下げる。
「兄さん、そんな止めて下さいよ。俺は全然大丈夫ですから。それより俺、席外しましょうか?」
私が詳しく話さなかった上に、玄関先では道明寺さんと滋さんの言い合いを目にしたばかりだ。
二人が週刊誌を騒がせてることだって当然知っているだろうし、進君は話が複雑なものだと察したのかもしれない。
気を利かせてくれる進君に、「ごめんね」と脇から謝りを差し挟み、進君の言葉に甘える。
進君がリビングを出て行くと、それぞれがラグに直接座ったところで、道明寺さんは私を見た。
「つくしに会わせて欲しい」
私に許可を求めるのならば、私の答えは決まっている。
「今日は、会わせるつもりはありません」
「…………」
押し黙った道明寺さんを援護するように、滋さんが割り込んできた。
「司だって病み上がりなのに、NYからわざわざ来たんだよ」
「私は、道明寺さんと話してるんです」
滋さんには目もくれず、すげなく言う。
確かに道明寺さんの顔色は優れない。無理をしているのは分かるけど、話す相手は滋さんじゃない。
「俺は問題ねぇ。それより、つくしはどうしてる?」
「ずっと電気も付けず暗闇の中にいます。食事も摂らずにね」
道明寺さんは唇を噛締め、自分の手を固く握り込んでいる。
「言葉が足らなかったようですね。ちゃんと説明します。先輩は、今日眼科で網膜裂孔と診断を受けたんです。その場でレーザー手術を受けました。もう問題はないですが、今は明るいのが眩しく感じるらしく、光を遮断した中にいます」
「っ、手術って、大丈夫なのか? 本当に問題ねぇんだろうな?」
元々悪かった顔色を更に青ざめさせ、立ち上がりそうな勢いの道明寺さんに静かに話す。
「大丈夫です。後はまた検査に行くだけですから、心配はありません」
「だったら、どうしてそんな意地の悪い言い方するの? 暗い部屋にいるのは手術のせいだって、初めからそう言えばいいじゃない」
「滋、お前は黙ってろっ!」
道明寺さんに一喝され押し黙る滋さんに、ゆっくりと視線を合わせた。
「意地が悪い? 滋さんが先輩に向けてきた言葉はどうだったか、良く思い出してから言って下さい。
暗闇にいると言ったのは本当です。手術を受けていなくてもきっと先輩はそんな世界にいたと思います。
今は、暗い部屋で泣くこともしませんし、何も話しません。私にさえ気を使っていた先輩が、今は何も言わないんですよ。どんなに辛いことがあっても、一旦撮影に入れば作りたくもない笑顔作って、自分を押し殺して。それがどれだけ辛かったか、道明寺さんに分かりますか?」
「そう言う仕事を選んだのは、つくし自身でしょ?」
またも滋さんが口を挟む。
どうやってもこの人が口を出すと言うのなら、望むところだ。遠慮はしない。
「そうですね。滋さんの言うとおり。でも、そういう仕事をしている先輩を道明寺さんは選んだんです。他の誰でもなく先輩をね。選ばれなかったことを、いい加減受け止めるべきでしょ?」
顔を歪ませる滋さんから冷たく視線を切り、道明寺さんに向き直る。
「道明寺さん、もう少し理解してあげて下さい。仕事で笑って、家でも無理して笑顔作って。これでは休まる時がありません」
「つくしの心配ばかりして、司のせいだけじゃないじゃない。類君のことだって、つくしがハッキリさせれば良かったことだし」
「あなたがそれを言うの?」
滋さんに鋭い眼差しを突き刺す。
「だったら滋さん。あなたはどうなんです? 今の滋さんは自分の事しか考えてない。私はいつか滋さんが気付いてくれると信じてたのに。
それと花沢さんの事なら、今頃マスコミ各社に花沢さんからの書面が出回ってます。先輩とは昔からの友人で、噂されているような恋愛関係にはないって発表しましたよ」
「類が?」
驚いて目を見開く道明寺さん。
それが先輩を守る花沢さんの遣り方だ。
「先輩は、花沢さんの本当の気持ちを知ってるからこそ、画面を通してまで否定出来なかったんです。
出張に行ってたために遅くなりましたけど、こっちでの騒ぎを知った花沢さんは、すぐに書面で発表しました。苦しんでるだろう先輩を思って……。
冷静になれば、道明寺さんだって分かるはずです。先輩がどうしてマスコミの前で無言を貫いたのか。道明寺さんだって、滋さんの気持ちを分かればこそ、滋さんからの告白を先輩にも言わなかったんでしょ? それが好意をもってくれた相手への、せめてもの気遣いと誠意だからです。逆を言えば、それくらいしか出来ないですもの」
ちらりと滋さんを見やれば、当て付けた言葉に視線を落とし、居心地悪そうに身じろいだ。
「それと、道明寺さん。花沢さんと先輩が二人きりでいたようにあの映像は流れてますけど、あの後ろには私もいましたから。電話で席を外していたところを狙われ二人しか映ってませんけど、道明寺さんが心配することなど何一つなかったんです」
私の話を黙って聞いていた道明寺さんは、ポケットからスマホを取り出し、車をもう一台用意するよう指示を出した。スマホを再び仕舞い込み、直ぐに告げる。
「滋、お前はもう帰れ。下に待機させてある車を使えばいい。俺は、後から来るのに乗って帰る。早く行け」
「………でも、」
「これはプライベートで秘書は必要ねぇ。後は妻と話すだけだ」
「私は、」
「これ以上介入するなら、俺の秘書には相応しくねぇと判断するまでだ。おまえの処置を検討する」
道明寺さんが毅然と言う。
不服を全面に出す滋さんに対して、秘書と妻と言う言葉で線引きをし、友人と言う曖昧な言葉は使わなかった。
「…………分かりました。お先に失礼します」
暫しの沈黙が流れ、やがて折れた滋さんに対して、
「お疲れさん」
「お疲れ様でした」
最後まで上司と部下と言う一線を、道明寺さんは崩さなかった。
滋さんが出て行った玄関のドアが閉まる音を訊いて直ぐ、道明寺さんは真正面から私を見据え、懇願する。
「三条、頼む。つくしに会わせてくれ。ひと目だけでもつくしの顔が見れればそれでいい」
先輩の顔。確かに、その方が良いかもしれない。
「分かりました。その代わり手術も受けたばかりですし、話は後日にして下さい。今は、ゆっくり休ませてあげたいんです」
「分かった」
「道明寺さん、先輩の顔忘れないで下さいね」
✢
三条が言った、つくしの顔を忘れるな、その意味を把握したのは、つくしの部屋の中に入ってからだった。
「先輩、入りますよ」
返事がないドアを開け、三条が俺を中へと誘う。
遮光カーテンで閉められた部屋の中の明かりは、観葉植物の裏に置かれた淡い光のランプだけ。
その光も、観葉植物が邪魔して本来の明るさは奪われている。
つくしは、入って来た俺たちには見向きもせず、ベッドの上で膝を抱えていた。
傍に寄り「つくし」と、声を掛けると、鈍い動きで俺の方に漸く首を動かす。
その顔を正面から見たとき、三条の言った意味を知る。
暗い中でも分かる疲労感漂う顔。つくしの顔は瞼が腫れ、手術の影響か目を細めてもいるようだった。
存在感と言うものがまるでなく、感情が消えた無の表情のつくしを見て愕然とする。
ここまで追い詰めたのは、俺だ。
それを忘れるな、三条はそう言いたかったに違いなかった。
「……つくし、目は大丈夫か?」
込みあげる後悔で詰まりそうなる喉に逆らいながら、そっと問いかける。
焦点を俺には合わせず虚空を見るつくしは、暫くして小さく頷いた。
「つくし、悪かった。落ち着いてからでいい。ちゃんと話をさせてくれ。俺が愛してるのは、今もこれからもお前だけだ。それだけは信じてくれ」
「…………帰って」
絞り出すように出された拒絶の声は、僅かに掠れていた。
「……分かった。今夜は帰る。ゆっくり休んで、先ずは体を大事にしてくれ。絶対に無理はするなよ?」
もう一歩距離を縮め、手を伸ばしてつくしの髪を何度か撫でる。
決して瞳に俺を映さないつくしに未練を残しながら、傍を離れるしかなかった。
帰り際、つくしが落ち着いたら必ず二人の時間が取れるようにして欲しいと三条に頼み、横浜のマンションを後にした。
それから一週間後。
二人の時間は突然やって来る。
────悲しい言葉と共に。

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