Secret 41
「今回の問題の全ての元凶は、理不尽な要求を突き付けてきた大河原だ。司は被害者で、巻き添え食ってるのが牧野だ。
その被害者である司が、今一人で奮闘してる。世間に何言われても反論も許されず、大河原を警戒し、牧野をフォローして守って、最悪のシナリオとして、大河原を叩くか否かの判断もしなくちゃならない。叩くとしたら実行に移すのはいつのタイミングにするか、そんな風に司は、常に頭で計算してるはずだ。それに加えて滋の存在」
「滋さんが何です?」
私の質問には答えず、美作さんは逆に質問を返してきた。
「こんな理不尽だらけの状況下で、どうして司は滋に強く出ないと思う? 極端に冷たくあしらったりしないだろ?」
確かに、先輩を追い詰める格好になっている滋さんに対して、道明寺さんは今まで通りだ。友人としての接し方は、何ら変わらないように見える。
「それは、やはり友人としての情があるからじゃないんですか?」
それだけじゃない。滋さんの想いを知っていればこそ、冷たく出来ないのではないか。
ただ、これは美作さんには伝えず、心に秘めておく。人の恋心を無闇に口にしたくはない。
「勿論、それも大前提としてあるだろうが、一番の理由じゃないだろうな」
だったら何? と美作さんの瞳を探る。
「それはな、桜子。滋が司の秘書だからだ」
益々、分からず眉を寄せた。
「乱暴に言えば、今の大河原社長は司の敵。滋はその娘。その娘が秘書として、堂々と道明寺に出入り出来る状況にあるんだ。滋の気持ちが父親に靡いたとしたら、道明寺の情報を抜いて敵に渡すことだって考えられる。何たって親子だからな。
つまり、滋はスパイになる可能性を孕んでるってことだ。司は、いつ爆発するとも分からない爆弾を抱えてると同じなんだよ」
「えっ……」
考えが及びもしなかった指摘に、思わず言葉を失う。
「尤も簡単にはいかない。前に司が言ってた。滋の仕事を完全にコントロール下に置いてるって。制限かけてるのは、それだけ油断してないってことだ。滋は気付いちゃいないだろうがな」
「そうなんですか?」
初めて訊く事実に驚きを隠せない。
まさか、そこまで徹底させていたとは思いもしなかった。
でも、その警戒は正しいのかもしれない。
もし愛情が歪んだとしたら、その成れの果ては、憎しみを生む可能性だってあるのだから。
「俺たちもダチを疑いたくはねぇけど、危険なリスクがある以上、見逃すわけにはいかない。それが経営者側である司の立場だ。だから無駄に滋を刺激して、敵に回らないよう注意を払ってんだと思うぞ。
司は元々、怒鳴り散らすのが日常茶飯事だし、ちょっとやそっとじゃ滋もいつものことだと受け流せるだろうが、それでも何回かに一回は、或いは場面によっては、司も感情を抑制してんだろうなって、この前の時に確信した。勿論、牽制したり他の対応もしてんだろうけどな」
「この前って、みんなで集まった時ですか?」
ああ、と美作さんが頷く。
「類のフランス行きを知った牧野に、滋が攻撃的なこと言ったろ。それでも司は滋を咎めなかった。牧野が責められてるのに、だ。司の母ちゃんに有無を言わせず封じ込められた後だし、気持ちが昂ぶってる滋に、これ以上何かを言うのは危険だって判断したんじゃないかと思う」
確かにあの時、道明寺さんは口を閉ざしたままだった。
会話に混ざって来たのは、花沢さんが先輩を構い出してからだ。
「それで牧野が追い込まれるのは堪んねぇけど、かと言って、全部牧野に打ち明けたところで、あいつは堪えられないだろうしな。
最悪な場合、色んなところに被害が及ぶかもしれないし、牧野が背負うには重すぎる。今よりもっと思い悩むはずだ。そう判断したから、司は牧野には何も言わない選択をした。それに、いざって時、牧野が足枷になるかもしれない。そうなると司の判断が狂う可能性もある」
足枷になる。それには頷くしかなかった。
大河原サイドは、滋さんとの婚姻を道明寺さんに求めてる、そう先輩に知らせたとして。それに抗うために、道明寺さんが最悪の事態を選択せざるを得なくなった場合、黙っていられる人じゃない、先輩は。
そんなことは止めて、と懇願するだろうし、回避するために自ら身を引くかもしれない。いや、その可能性の方が高い。
道明寺さんの判断が狂う、というのも大いに納得する。
「全部、鍵は牧野が握ってる。一番最悪な事態も大河原との全面戦争じゃない。何もかも牧野が知って、司から身を引いた時がそれだ」
美作さんは顔を顰めさせ、
「俺はな、桜子。その時を想像すると、ビル群で手当たり次第に暴れるゴジラの絵面しか思い浮かばねぇんだよ」
冗談めいて言った後で項垂れた。
…………どうしよう。冗談に訊こえない。
先輩を失ったとしたら、道明寺さんはどうなるだろうか。きっと大河原家どころの騒ぎじゃなくなる。
道明寺さんをゴジラに例えても笑い飛ばせない。妙に説得力がある。
暴れるゴジラの想像と共に『破滅』の二文字が頭に浮かび、ぶるっと震えそうになった。
自棄になった道明寺さんを、一体誰が止められるのか。想像するだけで恐ろしい。
ふと、フランスで会った花沢さんを思い出した。
きっと、花沢さんはこういった心配もしていたのかもしれない。
先輩のためだけじゃなく、道明寺さんのためにも……。
「とにかく、これだけ怖い可能性がある中、司はあちこちに気を配って緊張を強いられてきた。もう何ヶ月もだ。
司の核は牧野なのに、二人が上手くいっていない以上、牧野だけじゃなく司の精神面も心配になるのも分かるだろ?
果てに、類と牧野も撮られたしな。
全く、マスコミってやつは、いつでもどこでも湧いてきやがって」
美作さんが忌々しげに吐き捨てる。
「マスコミに撮られたのは迂闊でした。全く気付かなくて」
あのスクープは、大河原サイドの差し金かと思ったけれど、違った。
単に先輩を追いかけ回しているうちの一社が、フランスまで尾行し撮ったものだった。
「それは仕方ねぇにしても、せめて司が愚痴でも零してくれる奴なら、少しは気も紛れんだろうけど、生憎とそういう男じゃねぇし、俺たちもプレッシャーかけたからな」
「プレッシャーですか?」
「ああ、最初の頃にな。4人で集まって、牧野を守れるのかどうか話したんだ。特に類の念押しは厳しくて、それでも司は、自分が守ると言い切った。その手前、俺たちには話し難いってのもあんだろ。
でも、その類でさえ、牧野が参ってるのに司を責めたりはしてない。司の気持ちも分かってんだよ、類は。まぁ、類のことだから、司に小さな嫌がらせくらいはしてるかもしれないけどな」
美作さんの言うとおりかもしれない。
フランスで会った花沢さんは、決して道明寺さんを責めるような口ぶりじゃなかった。
寧ろ、道明寺さんを擁護していたように思う。
「夫を信じてやれ、って言うのは、今の牧野には酷かもしれないが、そう願わずにはいられないんだよ、俺は。……あ、悪い、桜子。ちょっと待ってくれ」
ジャケットを探り出したところを見ると、音は鳴らなかったが、携帯に着信があったようだ。
待っている間、意味もなく足元を眺めながら改めて思う。
今の状態は、誰に取っても救いがないと。
そして、ここに来て初めて垣間見た、道明寺さんの孤独の片鱗。
先輩と上手くいっているうちは良い。それだけで道明寺さんは救われるのだろうから。
しかし、上手くいっているとは言えない今。誰にも何も言わずに、ひっそりと闘い続け、そうやって気が抜けない道明寺さんの精神面は、孤独に侵されてはいないだろうか。
「珍しい。司の姉ちゃんからだ」
美作さんの声に顔を上げる。
取るのが間に合わず電話は切れたようで、怪訝な顔つきの美作さんは直ぐに折り返した。
「もしもし、姉ちゃん? 久しぶりだな。 どうした、何かあったのか?」
当たり障りのない会話から一転。
次の瞬間には、美作さんの声が盛大に跳ね上がった。
「なにっ! 司が倒れただと?」
「美作さん、先輩に聞こえます!」
内容に驚くと共に声の大きさに焦り、美作さんの腕を引っ張って、慌てて控え室から離れた場所へと移動した。
「…………ああ、分かった。何かあったらまた知らせてくれ」
「道明寺さんが倒れたって、どういうことです?」
通話が終わるや、間髪入れずに美作さんを問いただす。
「仕事中に倒れたらしい。原因は過労。入院はしてないが、屋敷で静養してるらしい」
「そんな、道明寺さんが……」
「あぁ、俺の想像以上に司は参ってたか」
「そうですね。まさか倒れるなんて……。でも、先輩にどうやって伝えればいいか……。動揺するだろうけど、黙っている訳にはいかないですしね」
「そうだな」
それから暫く、先輩への伝え方や担当者との撮影の段取りなどで時間を消費し、30分ほどが経過した頃。うちのスタッフが息を切らして私の元へと走って来た。
「桜子さん大変です! つくしさんがっ!」
スタッフの手には一枚のメモ紙。
【美作さん、桜子、ごめんなさい】
たった一行の置き手紙だけを残し、先輩は仕事を放り出して、姿を消した。

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