Secret 40
日本での騒ぎを私と先輩が知ったのは、花沢さんと別れてホテルへと戻り、疲れた身体を休ませようとした深夜になってからだった。
巻き込んでしまった花沢さんと対応すべく、朝になってから花沢さんの携帯に連絡を入れるも繋がらず、会社に電話を掛けて漸く海外出張だと知る。
花沢さんは既にフランスを経った後。
仕事の事情により暫く連絡を取るのも難しいという不運まで重なり、伝言だけを頼んだ私たちは、話し合いは叶わないまま帰国するしかなかった。
約12時間のフライトを経て到着した羽田では、予想通り溢れかえった報道陣に出迎えられ、いつもより先輩のガードを強化しながら、無言を貫いた先輩と共にその場を逃げるようにして通り抜けた。
✢
テレビでもネットでも繰り返し流れてるのは、つくしが類に凭れて肩を震わせ泣いてる姿で、つくしの本命は類だったと、マスコミの奴らは大騒ぎだ。
どっかで嫌な予感はしていた。
類にだったら、つくしは素直に自分を曝け出すんじゃねぇかって。
あいつの涙は好きじゃねぇ。
好きじゃねぇが、でも、泣きてぇなら俺の胸で泣けばいいだろが。泣くことすら、俺の前ではもうしねぇのかよ。
悔しさと遣りきれなさとで固めた拳に、何本もの血管が隆起する。
どんなに想いを言葉に託しても、聞いてるのか聞いてねぇのか、つくしからは何ら手応えはなく、端から俺の気持ちは弾かれてるに等しい。
なのに、夫は弾いても類は受け入れるのかよ。
類に気を許すつくしも、つくしの前だけに見せる優しい眼差しの類にも怒りが滾り、同時に怖くもあった。
それでも俺は、いつものようにつくしなら。と、どこかで期待もしていた。
しかし、その期待も虚しく俺の想いは打ち砕かれる。
今、執務室のテレビでは、羽田に到着したつくしの姿がライブ中継で映しだされている。
帽子を目深に被り表情までは分からねぇが、マスコミの連中に囲まれたつくしは、そいつ等から飛び交う質問にも無言を貫き、足早に立ち去って行った。
噂が違ければ違うと否定してきたのに、類の事は否定しねぇんだな。
固めていた拳から力が抜ける。
次々に襲い来る多様な感情に振り回され、気力が削られた後に残ったのは、空虚だった。
大河原に仕掛けられた陰謀は、扱いを一歩間違えりゃ大きなプロジェクトに影響を来し、組んでる他社にも迷惑がかかる。この共同事業が終わるまでは、せめて目処が立つまではと、慎重にならざるを得なかった。
だがつくしを守るためにも、いざって時は容赦しねぇと、最悪の事態を想定して米企業とまで手を組み、打てる手立ては打ってきた。
つくしに辛い思いはさせても、この選択が様々な面に於いて一番リスクが低いと判断したし、つくしなら俺を信じて一緒に乗り越えてくれる、そう思いもした。
しかし、結局はこれだ。
「疲れた」
無気力に包まれ滑り落ちた独り言。
こんなにも妻から信用されねぇとは思いもしなかった。
俺の拠り所は、一体どこにあるんだ。
その日、俺はつくしに連絡もせず、世田谷の邸に泊まった。
仕方なく帰宅したのは、翌日の午後を回ってからだ。
急なNY出張に必要な書類を取りに。
「司」
リビングに入るなり、驚いた顔をしてソファーから立ち上がったつくしから声がかかる。
俺がこんな時間に戻って来るとは思わなかったんだろうが、俺も同じだ。つくしが居るとは思わなかった。
居るはずねぇと思ってただけに内心驚くが、それを悟らせず呼ぶ声を無視して書斎へと向う。
「司、ごめんなさい。話を聞いて欲しいの」
後を追ってきたつくしは、開けたままの書斎のドアの前で立ち止まり、中へは入らず落ち着いた口調で言う。
話だと? 何を聞けって言うんだ。
「パリに行く前は、俺と話もしたくなかったんじゃねぇの。それとも何か、類の奴に余計なことでも吹き込まれたか」
「そんな言い方、類は私達の────」
「何で類の前なら、あんな素直に泣けんだよ。最近のお前、そんな顔すら俺には見せねぇよな」
「それは、」
つくしが言葉を止める。チャイムの音に遮られたからだ。
だが、動く気配はなく、「出ろよ」と、冷たく言い放つ。
つくしは、近くのインターフォンを取り、
「桜子ごめん。解除するから、勝手に上がって来て」
それだけ告げると、また会話を続けた。
「今夜は何時に帰ってくる? 早いなら一緒に食事でも、」
「今からNYだ」
つくしの言葉に被せ気味に言い放ち、必要な書類を手にし書斎を出れば、つくしが小走りで付いてくる。
リビングには三条がいたが、俺たちの様子が普通じゃねぇと見て取ったのか、心配な眼差しを寄こすだけで、余計な口は挟んでこなかった。
「司、どれくらいで帰ってくる?」
「分からねぇ」
「……滋さんも行くんだよね?」
自分は類に寄り添っときながら、滋のことも心配すんのかよ。
「秘書だから当然だろ。おまえに許可取る必要でもあんのか?」
意地の悪い物言いだと分かっちゃいるが、つくしと類の姿を思い出すと、言葉を選ぶ気にはならなかった。
「そうだよね、私が言うことじゃないよね。私、待ってるから。ずっと待ってるから、帰ってきたらちゃんと二人で話そう? ね?」
俺のジャケットを握り締めてきたつくしを振り返り見下ろすと、口元に笑みを作り俺を見上げている。
この笑顔が、もしかして類の元へと行っちまうのか?
未だに何も動けないでいる俺の隣は疲れ果て、類へと気持ちが揺れてるんじゃねぇのか?
何故、類とは何でもねぇって、そう言わなかった。
つくしの全てを失いたくない俺の嫉妬は、いつも恐怖と隣合わせだ。
そんな恐怖を心に置いたまま、俺は無機質に投げ掛けた。
「何でそんな風に笑っていられる」
「え?」
「お前がそんな風に笑えんのは、俺たちのことより大事な仕事のせいか? モデルっつーのは、どんな時でも笑えんだな」
「……っ」
「俺は面白くもねぇのに、おまえみてぇに笑えねぇよ」
つくしの笑顔は引き攣り、やがて色を無くす。
自分でつくしを傷つけておきながら、これ以上は見ていられなかった。
「道明寺さん! あんまりじゃないですか!」
成り行きを黙って見守っていた三条が、遂に批難の声を上げる。
当然だ。咎められても仕方ねぇ言い様だ。
それが分かっていながら、謝るにも言い訳するにも必要な気力が湧いちゃこなかった。
「桜子、ありがとう。でも良いの、大丈夫だから。司、気をつけて行って来てね。 待ってるから」
三条を窘めたつくしは、一旦は剥がれ落ちた笑みを再び貼り付け、文句も言わずに健気に俺を送り出そうとする。
俺はつくしの顔も見れず、何も言えず、静かに身を翻し、傷つけたつくしを残してマンションを後にした。
✢
道明寺さんがNYへ行って2日後。
今日はこれから美作商事との仕事があり、とある撮影所に来ていた。
道明寺さんがいなくなった後の先輩は、
『ちゃんと司と向き合うって決めたから。じゃなきゃ、類にも悪いもんね。こんな騒ぎに巻き込んじゃったしさ』
殊勝にも明るくそう言って、仕事も手を抜くことなく励んでいる。
今だって、憂いの欠片も見せない。
「よう! 牧野、桜子。今日は宜しく頼むな」
わざわざ駆け付けてくれた美作さんが、私たちを見つけ足早に近付いてきた。
「美作さん、こちらこそ宜しくお願いします。それから、この前はごめんなさい。酔っ払って絡んだ上に送ってもらったみたいで……」
先輩が無断で飲みに行った一件だ。
申し訳なさそうに先輩はおずおずと言いながら、ペコペコ頭を下げている。
「絡んだのは覚えてんだな」
「えーと、ちょっとだけ?」
「ほぅ、あれだけ絡んどいてチョットとはいい度胸だ。今度じっくり酒の飲み方を教育してやるから覚悟しとけよ?」
「うぅっ、ホントごめんなさい! じゃ、私用意があるから、また後でね」
「おう」
顔を赤くして謝った先輩は、最後は逃げるように控え室へと駆け出した。
先輩が控え室に消えると、「意外と元気そうだな、牧野」安心したように美作さんが言う。
美作さんが疑いもしないほど、あの笑顔の下に上手く哀しみを隠している。
まさか、道明寺さんとあんな会話があったなんて、誰も想像もつかないほどに。
控え室の前の通路で私は声を潜め「実は」と立ち話のまま切り出した。
道明寺さんがNYへ行く直前の、二人の様子を……。
「あんの、バカ。そんなこと牧野に言ったのかよ。全く、しょうがねぇな。今頃、自分で言っておきながら、司も相当落ち込んでんだろ、きっと」
吐息を漏らした美作さんは、「けどな、桜子」と続けた。
「正直な話、俺は司だけを責める気にはなれんねぇんだよ。いくら司がタフだとは言え、あいつもギリギリなんじゃねぇかって、心配もしてる。この状況は、あまりにも司に酷い」
一番辛いのは先輩だ。そんな反発が油断した表情に出ていたのか。美作さんは、フッと苦笑した。
「桜子、今回の問題は、司が作り出したもんじゃないんだぞ?」
そこを履き違えないでやってくれないか? そう言った美作さんは、私が知り得なかった話を語りだした。

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