その先へ 11
あの女は相変わらずだ。
うちに来て2日目の朝は、挨拶するなり俺の顔をじっとりと見てきた。
「あ、見惚れるわけじゃないから! 見飽きた顔に思うとこなんてないしね」
容赦ない失礼な女は、
「昨夜はちゃんと睡眠とれたみたいだね」
と、一人納得したように、うんうんと頷いていた。
どうやら、俺が睡眠不足かどうか顔色を確認してたらしい。
それから毎朝、睡眠は取ってるのか、酒は飲み過ぎてはいないかと、女からのチェックが入るようになった。
あの女が怒鳴り声で空気を震わすのも、相変わらずだった。
だが、流石に毎日これをやられたんじゃ堪ったもんじゃないと、うんざりしてた俺は気付いた。
あの女は、怒鳴ろうとする瞬間、口を開けて僅かに息を吸う。
その僅かな隙を狙って最低限の返答をすれば、ポカンと口を開けたままキョトンと1拍置く女は「了承しましたと」大人しく引き下がる。
だったら、最初から無視をしなきゃ良いだけの話だが、それはそれで気に入らねぇ。
大体、何だって昼飯まで監視されなきゃなんねぇんだよ。
それでなくても、旨いとも思わないものを口に運ぶだけでも面倒なのに、ブツブツと呪いでも掛けてんのかって程の女の言葉の羅列に、何を食ってんのかさえ分からなくなる。
でも、ここでも気付いた。
いつもより多く食べれば、あの女は嬉しそうに笑う。
呪文を唱える女とは、同じだとは思えないほど嬉しそうに。
それだけじゃねぇ。
あの女が来てからというもの、コーヒーさえも、まともにありつけねぇ。
夕方に出された、昆布茶とかいう訳の分からないシロもんに、
「黙ってコーヒー持ってこい」
流石にイラつき命令すれば、暫くして『コーヒーです』と置かれた、透明のプラスチック容器にストローが突き刺さる、得たいの知れない飲み物。
おそらく、1Fに入ってるカフェからテイクアウトしてきたんだろうそれは、見ただけで吐きそうになるほど、てっぺんに生クリームが渦巻いていた。
「…………さっきの……昆布茶でいい」
「そう? じゃあ、勿体ないからこれは私が!」
断念した俺は悟る。
逆らった俺への反撃半分、残り半分は、嬉しそうにしている女が飲みたかったんだろうと。
お陰で、女の支配下に治められた、日に6、7杯は飲んでただろう俺のティータイムは、コーヒー以外に、紅茶にハーブティー、ほうじ茶に昆布茶……その他諸々とラインナップは増え続けている。
そんな女との仕事は、俺の生活環境を正す目的を外せば、思いの外、やり易かった。
多岐にわたるプロジェクトを抱える俺付だ。
行動を共にするから、後で法務部に確認を取らなくても、直ぐに女からの法務的サポートが受けられる。
契約時のリーガルチェックは勿論のこと、プロジェクト立ち上げの初期から法務面を任せられるのは、時間の短縮にも繋がっていた。
必要とあらば、法務部とも密に連絡を取りながら進める女との仕事も、気付けば1ヶ月が過ぎていた。
「牧野さんが来てから、この執務室も明るくなりましたね」
「騒がしいだけだろ」
コーヒーを頼んでも、その姿を現さない裏切り者の西田。
今じゃ、西田が持って来ていたはずの書類も女に頼んでいるのか、能面より女の顔を見る方が多い。
「しかも、副社長がこれだけ一緒にいられる女性は、なかなか居りません。貴重な存在です」
「あれを女のカテゴリーに入れるのか」
「素敵な女性だと思いますが」
連絡事項を告げ足して出て行った、西田の背中を見送り一人思う。
あれのどこが素敵な女性だよ。
さっぱり分かんねぇ。
服は地味だ。
いつも、黒かグレーか紺のスーツしか着ない。
夏だと言うのに、半袖は愚か。七分丈も着ない女は、俺達に合わせているのか、薄手の長袖スーツをきっちりと着込んでる。
まぁ、顔は黙ってりゃ悪くはない方だ。
昔より、遥かに綺麗にはなったんだろう。
調査書に載ってた、高校生ン時のタヌキ顔に比べたら……。
だが、中身はあれだ。女らしさの欠片もねぇ。
そんな女が、15時になって飲み物を手にこの部屋にやって来た。
じっーと、飲み物を凝視する。
一体、今度は何だ!?
「怪しいもんじゃないですよ。ミントティーです。そろそろスッキリしたい時間かなぁと思って」
「……おい」
「はい」
「俺はあんたと──」
「あんたって人はおりませんが」
「……牧野」
「なんでしょうか、副社長」
自分があんた呼びするのは棚上げでも、俺さえちゃんとすれば、一応は役職名で対応してくれるらしい。
その牧野に聞いてみた。
女らしさの欠片もない牧野に。
「俺と牧野は、付き合ってたんだよな?」
「まぁ………、はい」
「俺は、おまえのどこに惚れてたんだ?」
「はぁ!? な、な、何を突然言い出すかと思えば……そ、そんなのあたしに聞かれてもねぇ…………うーん、強いて言えばあたしの顔、とか? 可愛さにやられちゃったのかな?……ハハハハハ」
「……………………」
「な、何よ! その目は!」
「…………牧野」
「だから、なにッ!」
「今すぐ鏡見て来い」
「冗談でしょうがっ! 真顔で返すなっ!毎日見てるんだから、あたしが一番分かってるつーの! ったく、ホント頭くるッ!」
ブリブリ怒りながら、牧野はいつもの如くドアを乱暴に閉めて出て行った。
……やっぱ分かんねぇ。
30近い女が、頬を膨らませるわ、口まで尖らすわで、からかえば簡単にムキになって怒ってよ。
有り得ねぇだろ。
「フッ………面白ぇ女」
牧野が出てったドアを見ながら、勝手に笑みが零れ落ちた。
それから2時間後。
根に持った牧野に反撃を受けた俺は、せんぶり茶とか言う苦いお茶を飲まされ、悶絶することとなる。

にほんブログ村