Secret 38
あの写真が頭にこびり付いて離れない。
何をどうすれば良いのか分からず、気持ちの持って行き場がなかった。
そんな状態だから、今朝も気まずいまま司を送り出してしまって、これではいけないと分かってはいても話すことすら難しい。
今夜も、どう接して良いか分からなかった。
もうすぐ帰ってくるかもしれない司を思うと、会いたい気持ちと会いたくない気持ちがせめぎ合う。
自分の中に存在する分裂した感情は精神を削ぎ、いつまた今朝のように昂ぶって、自身を見失うかも知れない不安定さもあった。
こんな状態なら顔を合わせず、先に寝てしまった方が良いのかもしれない。
また今朝の様な気まずさを生み出すくらいなら……。
そう決めた矢先。
いつもならベルを鳴らすはずの司が、自分のキーでドアを開け帰ってきた。
「ただいま」
「お帰りなさい。司、食事は?」
「社内で食った」
「そう」
早くベッドに潜り込んでおけば良かった、と後悔しても今更遅い。
顔を合わせてしまった以上、なるべく普通に、普通に……、と自分に言い聞かせるしかない。
けれど、そう意識すればするほど息苦しさを感じる。
「社内で他の奴等と一緒に食事してきた。滋と二人ってことはねぇから誤解すんなよ?」
司は約束を反故にして以来、そしてメープルのパーティーからはより一層、事細かく私に説明をするようになった。
滋さんとは二人きりではないと強調するように。
だったら、どうして? と胸がざらつく。
何故、家を出て行ったあの晩の事は何も話してくれないの?
真実だから私には言えない?
私より、滋さんに安らぎを求めたんじゃないの?
滋さんと二人きりじゃなかったと強調するのは、疚しさに心当たりがあるからでしょ?
一度考え出したら抑えが利かなくて、感情は一気に爆ぜた。
「私のいるこの家に帰ってきて、司は安らげる?」
「なに言ってんだよ、当たり前だろ? 俺が安らげる場所はつくしのいる場所だ」
「そんなはずない!」
『嘘つき』
この一言が喉元を突き破りそうになる。
だったら、どうして? と心に充満するのは、同じ疑問の繰り返しだ。
「安らぐはずないじゃない! 私に気を遣って休まる場所なんて此処にはないじゃない!」
「……つくし」
私が感情的になってるのに司は青筋も立てず、怒鳴りもせずに、いつもの自信に満ち溢れた顔を消し、悲しそうに私を見る。
そんな顔をさせたいんじゃない。そんな風に見られたいのでもない。
何をやっているんだろう、私は。
こんな風に振る舞ってしまう自分が惨めだった。
「ごめん。仕事で嫌な事あって、司に八つ当たりしちゃった。食事してきたなら、先に休ませて貰っても良いかな。なんか疲れちゃったし、明日からパリだから……、ごめんね」
司を置き去りに、逃げるように寝室へと駆け込んだ。
一人沈み込んだベッド。
どうして今夜は、シーツがこんなにも冷たく感じるんだろう。
早く眠りについてしまいたいのに、何時までも冷たいままの感触が、私を深い眠りへと導いてはくれない。
早くしないと司が来てしまう。その焦りもまた、余計に睡眠を妨げた。
焦れば焦るほど意識ははっきりして行く中、聞こえてきたのは静かに開くドアの音だ。
結局、司が来る前に寝付けなかった、と心が沈む。
こうなったら、息を潜めて寝たフリを決め込むしかない。
司側に背を向けてギュッと目を閉じる。
隣に入って来た司の顔は見えないのに、背後からは何故か視線を感じて……。
「つくし」
やはり気のせいなんかではなく、司は私を見ているようだった。
声を掛けられても無視を決める。
体が動かぬようにと頭に司令を出すけれど、無駄に力が入る肩は、油断すれば直ぐにでも揺れてしまいそうだ。
「つくし、起きてるんだろ。こっち向いてくれ」
寝た振りの演技が下手なのか、若しくは、野生の勘を持つ司だから見破れるのか。シーツを掴んでいた指先がギュッと食い込み、反応してしまう。
「頼む」
もう誤魔化せない。
諦めて司の方へと身体を反転させた。
「なに?」
「…………」
「何もないならもう寝るね」
黙っている司に再び背を向けようとすれば、阻止するように凄い力で引き寄せられる。
「……つくし……抱いてもいいか?」
断りたい。
と、思うと同時に、こんな風に訊ねられたことに衝撃を受ける。
きつく抱きしめられた腕の中でもがいてみても、司の力には到底敵わなくて、明日早いから、と断る口実を声に乗せようした唇は、何も発することが出来ないよう司に塞がれた。
「俺を否定する言葉なんか、もう言うな」
一度離れた司はそれだけ言うと、何度も角度を変えキスを繰り返す。
私を押さえ込む手は弱まることを知らず、逃げだすことは許されない。
私だって、司を私のものにしたい。私だけのものに。
でも、その手で司は────。
考えるだけで苦しい心の内は、私の身体を震えさせる。
結婚してから初めて『抱いてもいいか?』 と、承諾を求める司と私の間には、確かな隙間が生まれた、そう感じずにはいられなかった。

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