Secret 35
キッチンから出てきた先輩の変化を取り逃さないよう、普通を装って観察する。
「桜子、お待たせー。はい、どうぞ」
「ありがとうございます、先輩」
ニコッと笑顔で応えてくれるのは、いつもと変わらない対応だ。
けれど、これから聞く話によって、ひび割れてしまうのではないかと、内心では緊張が走る。
「ほら、つくしもさっさと食えよ」
「うん、頂きます」
道明寺さんに促された先輩が、椅子に腰を落ち着かせて食事を始めると、作ってもらったココアに口をつけながら、カップの縁越しに二人を窺う。
「なぁ、つくし?」
「なに?」
「俺達のこと意外な書きかたされてるらしい。中には、滋が妊娠なんて書いてるとこもあるが、分かってるよな?
んなこと、あり得ねぇから、情報に振り回されんじゃねぇぞ。信じんなよ、いいな?」
「へぇ、そうなんだ。分かった」
理解はしたようだけど、それにしても変だ。驚いた様子がない。
薄い反応は不自然だと、私の勘が告げる。
朝からテレビを観る習慣がない先輩だからと油断していたけれど、もしかして先輩は、報道されているのをもう知っていた?
このパーティーをきっかけに、道明寺さんと滋さんの熱愛報道は、週刊誌を中心により一層の苛烈を極めた。
時に残酷に、先輩の名前まで引っ張り出して、それは展開された。
先輩の想い人は誰かを探る週刊誌が多い中、僅かだけれど、先輩でも道明寺さんを落とせなかったとか、先輩はとんだピエロだとか、先輩を貶めるような記事を流す三流雑誌が現れたのだ。
ただ、最後の着地どころはどこも同じで、道明寺さんと滋さんの二人は、婚約、結婚へ向け、水面下では両家が動いていると結ばれていた。
仕事場の控え室でも極力、雑誌、新聞等は先輩の目につかないよう排除し、それでも周りの人達からは、『巻き込まれて大変だね』などと、先輩への労いのつもりが、当の本人にとっては苦痛でしかないのも事実で。
今まで何の変化も見せなかった先輩にも、此処に来て表情に翳りが見え始めていた。
「桜子、雑誌とか隠さないでいいから」
「でも、あんな出鱈目な記事見ても仕方ないし」
「出鱈目かどうかは、私が判断する。それに、何も知らないで周りから色々言われても、私も咄嗟に言葉が出ない」
「……分かりました」
こうしてピリピリとした空気が漂う時もあり、しかし、我に返ったように慌てて微笑みを貼り付ける先輩は、
「ごめんね、大丈夫だから」と、私に気遣う。
最近では、隙あらば滋さんから道明寺さんを奪おうとしていたのではないか、と報道する所も出てきて、ごく一部、それを信じた人たちが先輩を批難し、ネット上で詰るのも何度か目にした。
尤も、最愛の人は別にいる、と毅然と公言した先輩には、好意的な意見が圧倒的に多い。
あれを機に女性のファンはより一層増え、人気は更に上昇している。
だからこそ注目され、先輩の周りには、前にも増して取材陣が付いて回り、避けようがなかった。
本当のことを言いたくても何も反論できないまま、活字だけが世間に躍り出る。
芸能人とはいえ、感情を持つ生身の人間。
受け取る立場によっては、それはただの活字ではなく暴力にも成り変わるのに、大多数の人がこの話題に興味を持つのを免罪符に、ひっそりと傷を受ける者への配慮はない。
文字や言葉は生き物だ。
扱い方一つで温度を持ったり、色を無くしたり、そして武器にもなる。
特に顕著なのがネット上で、数は少ないとはいえ、たった一つの言葉に人は打ちのめされることもあるのだ。
情報の一片だけを下地に、正論と暴論を履き違えた一方的な善意に溢れ、自分は正しいと投げつけた言葉の先にいる人間の存在はまるで無視する。
受け取った者が傷付くかもしれないとは考えられない想像力の欠如。
或いは、貶めるための悪意を認識しながら、意図的に乱暴に文字を扱っているのかもしれないけれど、だとして、その行為は自分の醜い部分も世に露呈していることに、気付いているのかいないのか。自分の配慮もするべきでは、とつい余計な心配まで生まれる。
そんなものを目にして、思わずにはいられない。それらは、とても無責任で危険な行為なのだと。
喩えば、滋さんと道明寺さんを応援する者からすれば、先輩は悪だ。だから、滋さんを応援するために、言葉を選ばず先輩を批判する。
それは、一方の人たちの間では、優しい行為なのかもしれない。
滋さん贔屓の人たちにおいては、滋さんを守るための大義であり、正義なのだから。
だが、真実は違う。全てを公にすれば、置かれる立場は逆転する。
だからこそ怖い。
一方的にぶち撒かれた情報だけを鵜呑みにし、独善的な正義を振りかざしては、その大義の元、何を言っても許されると思ってしまう人の心理。
責任を持たない正義は、正当を語って人を傷つける。
その矛盾がとても恐ろしく、見方を変えれば、捌け口ともとれる危険な行為に身が震える。
恐怖だけの震えじゃない。同等に湧く怒り故に……。
何にせよ、正しくはない。正しくないやり方には屈しない。傷つかなくていい。そう先輩に割り切って欲しい。
しかし、心を強く持つというのは、口で言うほど簡単ではなく、頭で分かっていても心が追いつかないのも確かで、普段の生活でも、先輩は笑顔を繕うも口数は減ってきていると、道明寺さんも焦りを感じ始めていた。
先輩が壊れてしまうのではないかと……。
向けられる言葉の数々は、相当なダメージを先輩に与えているのは明らかだった。
私達は何の対策も打って出られないまま、さらに数日が過ぎて行った。
そんなある日の事。
その日は仕事も早く終わり、私は部屋で寛いでいた。
部屋へ帰ってきてから数時間が経ち、そろそろ寝ようとした時、突然にスマホが音を立てる。
深夜に鳴る電話にろくなことはないと、僅かな緊張を抱いて電話に出た。
「三条か、俺だ。つくしの仕事はまだ終わらねぇのか?」
「え……、まさか、先輩いないんですか?」
思った通り、深夜の電話が吉報であるはずがなかった。
不安に押し潰されそうで、声まで細くなる。
「仕事、終わってんだな?」
「はい、とっくに終わってます。19時には、マンションに戻って来ました。なのに、どうして……」
動揺が胸を埋め尽くし、一緒にいれば良かった、と自分の迂闊を呪う。
疲れたからゆっくりしたい、そう言った先輩と別れて部屋へ戻ってきたけど、こんな時は離れずに傍にいるべきだった。
時間は、既に日付が変わろうとしていた。
「三条、あいつが行きそうなとこ何処だ!」
「すぐに調べます。私も今そちらに行きますから」
道明寺さんとの電話を切るや、事務所のスタッフや心当たりに手当たり次第に連絡を入れ、道明寺さんの部屋へと急いで駆け出した。

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